とある過去の話――
ある森の中にぽつんと佇む木小屋――その中にはユラギとルーンの姿があった。小屋は誰にも聞かれないように、厳重な結界が張ってあり、人を寄せ付けない魔法もかけられていた。レガリアがどこで聞き耳を立てているか分からない以上、警戒するに越したことはない。ここまで警戒するのは、今のユラギの行動がレガリアの意向に反するものだからだ。知られたらユラギに怒りを向ける。ユラギは受け流せるが、ルーンはそうもいかない。
「ふぃー疲れた……この力もそこまで万能じゃないねぇ」
水色の髪揺らしながらをユラギは一息ついて、小屋の中にあったベッドに寝転がった。ソファにはユラギが連れてきたルーンが力なく座っていた。ルーンはずっと俯いたままだった。ユラギはどうしてルーンがこのような状態になっているのか分かっていたので、レガリアに回収される前に保護したのだ。恐らくレガリアに連れていかれたら、意図しない調整をされてしまうかもしれない。ユラギとしてはルーンの意思だけは自由にしたかった。
「……知っていたはずなのに、あの人には逆らえないって分かってたはずなのに。なぜ僕は、あんなことを。最初から決まっていたっていうのに……無駄なことをしてしまったんだろう」
ルーンは顔を手で覆いながら、悔やんでいた。初めて味わう感情の処理が追いついていないようであった。何があったか――簡単に言えば良かれと思ってやったことが裏目に出たのだ。もしかしたら――そんなわずかな希望に縋った結果、相手を苦しめることになってしまった。仕方のないことで済ませれば楽だろうが、そう簡単に割り切れるものではない。
「心というものは、儘ならない時もある。学校で散々学んだんじゃないの? 君はそこで心の在処を自覚したはずだ」
「そんなの知らない。僕には何も無いんだ――心なんてどこにも……」
泣きそうな声でルーンが呟く。ルーンは造られた存在だ。そこに人の心があるかと言われたらユラギは“ある”と答えるだろう。レガリアは道具として造ったかもしれないが、ユラギは決してレガリアと同じ思いで造ったわけではない。ただ、ユラギは造られた者がどこまで成長するか見たかったのだ。レガリアとはまた違った観察対象として、ルーンを見守っていた。
監視者として「人間に深入りをするな」とグラスから言われたことがあるものの、言うとおりにする理由が無い。そもそもルーンは造られた存在なのだから、導く者が必要不可欠だ。屁理屈に近かったが、何も言われない以上は好き勝手やるだけだ。
とにかく、この状態のルーンをどうにかしなくてはいけない。何があったとしても、前に進んでもらわなくては――
「逃げるなよ。真実から目を背けるな。君には心がある――僕の欠片が入っている。その欠片はあるべき場所へ必ず君を導く。レガリアの心にされそうだったけど、止めたんだよ。色々言いくるめるの大変だったし、感謝してくれよ」
「……そんなことしたって何の意味もないだろ」
「確かにそうだね。君は役目をもって明確に生み出された存在だ。その存在理由はレガリアに縛られている」
レガリアの役に立つ為だけに生まれた道具。それ以外のことは許されていない。あえて心を持たせ、グラスの力を受け継ぎ魔法を最大限に使えるようにした存在だ。瞬間的ならレガリアすら凌駕する力も持つ。
だが、レガリアの前では逆らう気力を失わせるように設定してあった。余計なことを考えないように、レガリアは徹底的に教育をした。そういったこともあってか、レガリアによって打たれた楔はかなり根深いものだった。
ユラギはどうしたものか、と考えていた。心を操作すれば罪悪感などあっと言う間に消せるが、それでは意味が無い。ユラギとしては、ルーンに成長して欲しいと思っている。時には道しるべに慣れるように――と思ったが、今の状態では何を言っても効果無さそうである。悩みに悩んでユラギはある決心をした。
「……少しだけ話をしようか。僕の中にあった記憶だけど、僕が人間だった頃の記憶という確証はない。それでも、きっと大事なものだろうから残っていたのかもしれない。何にせよ、記憶というのは人を構成する大切なものだ。きっと、意味があると思っている」
「何の話」
「僕が……こうなる前の話だよ」
ユラギの中で朧げに流れてくる記憶。長い年月を経ても、ふとしたときに思い出す懐かしい記憶。忘れられない出来事。
「僕はね、かつてヴィオレットって呼ばれてた……と思う。思うっていうのは……あまりにも長すぎて記憶が曖昧なんだよねー」
「え……」
ユラギの語りにルーンは思わず顔を上げていた。このことは誰にも言ったことは無い。レガリアにすら話したことはなかった。
当時、世界を放浪していた魔導士ヴィオレット。魔法も魔術も使える者は当時“魔導士”と呼ばれていた。今では魔法や魔術を仕える中でも最高位の者を指す言葉のようだが、当時はたくさんいた。ヴィオレットも数ある魔導士の一人に過ぎなかった。
「当時は争いが絶えなくてね、人の命は天秤にかける価値もなかった。今よりも人間はたくさんいたけど、その分失われる命も多かった――炎と煙が立ち込める、暗澹とした世界だ」
国土はいくつかに分かれて、各地で少ない資源を奪い合う領土争いをしていた。争いと同時期にグラスが減少し、天変地異も起き続けていた。今思えば、グラスの警告だったのだろう。その思いに為政者も平民も気づくことはなかった――しかし、ヴィオレットだけはこの世界に起きている異変をいち早く察知していた。
「このまま争いが続けば世界が滅ぶ――ヴィオレットはそう結論付けた。けどねぇ、誰も相手にしなかった。彼に魔力はあっても権威はなかった。王宮に仕えることを拒み人目を遠ざけていたからね。そんな奴の言うこと誰が聞くかっていう話だよ。人嫌いなヴィオレットだけど、この時ばかりは焦った。だけどそのうち……何もかもどうでも良くなって旅に出たのさ」
「……諦めたのか」
「そうなるね。こんな世界、救う価値もないって思ったんだろうよ。ヴィオレットは世界を放浪し続けた。世界が滅ぶ前に楽しもうってね」
「ただの旅行じゃん」
「紛争地帯を抜ける旅はスリリングだったねー……っていうのは置いといて、そんなふらふらしてるヴィオレットの前にある少女が現れた」
旅を初めてしばらくして、ヴィオレットは金髪の少女と出会った。少女はヴィオレットに出会った時、かなり驚いていた。自分の姿を見つけられる人間はもういないのだと思っていた――少女はヴィオレットにそう言った。
「その子は名前が無いんだって。あったはずだけど、忘れてしまったってさ。この形になってから誰にも見つけてもらえず何百年も経って、記憶も何も残ってないって。生きた証はどこにも無いんだって」
少女が本当のことを言っているか分からないが、このまま見捨てるわけにもいかなかった――人が嫌いといっても、決して腐りきっていたわけでは無い。ヴィオレットはある決心をする。
「ヴィオレットは少女と旅を始めたのね。少女は力を与えてくれた。ヴィオレットはその力を使って各地の争いを鎮めていった。ヴィオレット自身の力もあったけど、それにプラスされてかなりの力を得たみたいだね。やがて、ヴィオレットは建国したんだ。国と言ってもかなり小さな領地だった。元はと言えば、旅をするのも疲れてきたから拠点が欲しかっただけなんだけどねー」
「……なんで、ヴィオレットは争いにわざわざ突っ込んでいったのさ」
「少女が争いを無くして欲しいと願ってたから――単純だろ?」
少女は世界に希望を見出せなかった。争いの炎に飲み込まれる世界をただ見続けることしか出来なかった――少女が語る傍らでヴィオレットはかつての自分を思い出した。この世界をどうにかしようとしていた奔走していた頃の自分と重ねたのだった。
「長々話してるけど、何が言いたいわけ。ただの自分語りってわけじゃないだろ」
ルーンはユラギの話が要領を得ないようで、オチだけを求めているようだった。ユラギとしては、記憶の整理も兼ねていたので懐かしむような気持ちもあったが、ルーンには関係の無い話だ。ユラギは話を進めることにした。
「急かすなって。ここからが重要な話だ。レガリアにはちょっとしか話してないんだけどさー」
「何だか面倒な感じになってきたね」
「とりあえず、世界には限界が来ていた。そこで少女は決断したのさ――世界をヴィオレットに託そうってね」
「世界を……?」
「この世界は定期的にグラスが枯渇する。それを止める為には器――監視者が必要なんだ。グラスの力を安定させる装置であり、この世界をグラスの代わりに見守る者。少女は自分がそうだと言っていた。自分の姿が見える者こそ、次代に相応しい者だと。けど……少女の顔は曇っていた」
監視者になれば、痛みとは無縁になる――少女はそう思っていたのだ。けれども、実態は違っていた。
「監視者になると希薄になっていくみたいでね。少女は自分でも驚いていたよ。当のヴィオレットはもっと驚いてるんだけどさ。それ以上に、自分が正しかったことが証明されて少し舞い上がっていたよ」
「自分のことのはずなのに、他人事のように語るんだな」
「正直、これが本物の記憶なのか分かんないんだ。ただ、覚えているからきっとそうなんだろうなぁ……みたいな? そこは仕方ないのだ」
「お前いっつも適当だよね……元からそんな感じなの」
「そうかもねぇ。いや、もっと偏屈だったと思うけど。これでもかなり柔らかくなったのではないだろうか」
「知らないっての……それで、話はどうなったんだよ。世界が終わってないってことは……お前が監視者になったからだろ? だから何なんだよ」
理解が早くて助かるが、話の終わりはまだまだ先だ。
「オチには早いっての。監視者になると、何でも願いを叶えられるんだ。ただし、引き換えに世界の輪から外される。時が来るまで、ずっと世界を独りで見続けなくてはいけない。どんなに嫌になったとしても投げ出すことの出来ない役割なんだ。監視者になれば、人間性は失われていくからそういった痛みからは解放される。でも、感情は生まれてくる。なくならないものなんだよ――グラスは思いに呼応するから当たり前だね。監視者もまた、世界を構成するものなんだから」
監視者になれば人間性は希薄になるが、永続ではない。世界を長年見守り続ければ、情緒は新たに育まれる――ユラギはそう解釈していた。少女がヴィオレットに監視者の役目を話したとき、曇っていたのはヴィオレットと過ごすうちに情が生まれたからだろう。
「ヴィオレットは迷わずその役目を受け入れた。世界が変わる様が見られるのなら、喜んで礎になろうって――バカじゃねーのなんの……別に英雄になりたかったわけじゃないのにね」
「自分で突っ込みとか虚しくない?」
「痛々しいって? ヒヒっ……確かにね。ホント世界の為とかそんなの建前でしかないのに……本当は少女に笑って欲しかっただけなんだよ。人嫌いのヴィオレットがびっくりだね」
「君がそう思ってたなら、それが真実なんだろ。別にいいじゃん」
「そうだよ。別にいいんだよ。気にしなくってもさ――自分で決めたことなんだから、誰かにとやかく言われる筋合いは無い。その行いがたとえ――大切な人を傷つけたり思いに反してたりしてもさ」
「……頭の痛くなる話だな」
ルーンはそっとユラギから視線を逸らした。そろそろ、何が言いたいのか分かってきたのかもしれない。
「少女には選択肢は無い。ヴィオレットが望むならそうするしかない。ヴィオレットは願ったよ――世界で起きている戦争が終わりますようにって」
準備をしてからヴィオレットは少女から監視者の役目を引き継いだのだった。少女は笑っていなかった。きっと、少女は監視者になって欲しくなかったのだろう。だが、与えられた役目は絶対だった。世界の真実は伝えなくていけないし、監視者は誰かがやらなければいけないことだった。でなければ、世界が滅びてしまう。
「なるほど。ヴィオレットの伝承か……よくもまぁ、国が残り続けたね。つーか……人間嫌いのくせに、ちゃっかり子孫残してるのかよ」
「国が無くなるのは惜しいからねーあっはっは」
けらけらとユラギは笑うが本当は知っていた。ヴィオレットの存在が今でも残り続けた理由を――今でも心の奥底に眠っている記憶がさざ波のように寄せては返す。
『私は監視者の役目を賜ったとき、願いを言わなかった。あの時は何も願うことは無かったから。でも今は違う……私は願う。ヴィオレット……貴方が貴方のままいられますように――貴方がたとえ忘れそうになっても世界から貴方の痕跡は消えない。貴方の思い出になるようにヴィオレット……ありがとう。私を思ってくれて、嬉しかった。さよなら――』
別れ際、少女は初めて笑顔を見せたのだった。少女は監視者になったとき、願いを叶えなかったようだった。願いが無かったと言っていた。監視者になった時に受け取る特典は、監視者になっても有効なようで最期に少女は願ったのだった。ヴィオレットの記憶がいつまでも忘れないように――願いの範囲はかなり広かったようで、千年以上ヴィオレットの存在は語り継がれることになった。
「きっと今の僕があるのは、誰かがそう願ってくれたから……思いがあったからだと思うんだよ」
「……思い、ねぇ」
ルーンはユラギの話をぼんやりとした様子で聞いている。あまり耳に入れたくない様子だった。現実を見たくないのかもしれない。
「その人の為にならなくても、その思いは大事だって言うの?」
「忘れちゃいけないことさ。君が誰かの為に行動したっていう証明で、変えようがない真実なんだから」
「その果てに苦しんだとしても……? 傷つけたとしても……? 許されるはずがないだろ。いや、許して欲しいわけじゃなくて。僕には……どうにも出来ない、から。何をしたって、あの人の――」
「君は自由だよ。君の心は自由だ。たとえ、最終的にレガリアの利になるとしても、レガリアへ反逆した思いは変わるわけじゃない。君が諦めなければ、足掻き続ければ――その思いは決して無駄じゃないし、無くなることは無い」
失敗は認めなければいけない。目を逸らし続ければ、苦しみ続けるだけだ。そして、その思いを無かったことにしてはいけない。ユラギは自らの選択には責任を負うべきだと考えている。監視者の役目もルーンの行く末も全て、責任を負うつもりだ。ルーンに関してはレガリアに任せていたら、とてもじゃないが健全に育つとは思えない。
「ユラギは……あの人の味方なんじゃないの?」
「僕は頑張る人間の味方なんでーグラスは人の思いによって強くなるって言うじゃない。そういうことさー」
責任を負うと言っても、丁寧に道を作るわけではない。ほんの少しだけ道を広げる手伝いをするだけだった。魔法が思いで強くなるように、人もまた日の差す方に向かってたくましく生きていく。
「現実を見ろってことだろ。心は自由っていうけど、僕は普通の人間より極端にその範囲が狭い……だから何も出来ない」
「何もってことはないだろう。全部自分でどうにかしようとするから、苦しむのさ。たまには他力本願っていうのも悪くないと思うよー?」
ルーンの行動はレガリアに縛られている。ならば、その縛りを受けない人間を利用すればいい。レガリアに従わない人間はごまんといる。レガリアは人類の意思までは操れない。
ユラギの言葉を聞いたルーンは少し固まっていた。誰かに頼るという発想は微塵も無かったようである。そもそも、ルーンはレガリアの役に立つ為生まれた存在だ。ルーン自身が道具という認識である以上、誰かに頼るという発想を持ち合わせていないのは仕方のないことかもしれない。だが、道具も人の手が加わらなければただの置きものだ。持ちつもたれつ――ルーンにはそういった関係が必要なのかもしれない。
「あの人の道具である僕が人間を扱う、か。その結果……人を傷つけることになったとしても――最終的に人の為になるのなら許されるんだろうか」
「……その人次第さ。君には君の思いがあり、その人にはその人の思いがある――本気で思っているのなら、忘れてはいけないよ。思いを蔑ろにして欲しくないからさ……レガリアのように」
「ユラギの言いたいこと……何となくだけど分かったよ。でも、僕はどう足掻いてもあの人の道具だ。解放されなければ……意味が無い」
「そうだね。でも、何も出来ないわけじゃないだろ?」
「それは……そうだけど」
結論から言えば、ユラギはレガリアとのリンクを切ることが出来る。だが、レガリアは絶対に許しはしない。リンクが切れたのがバレたら、ルーンは今度こそレガリアに繋がれたままになるだろう。迂闊に介入は出来ない。未来は自身で切り拓いていくしかない。ユラギが出来ることはほんの少し背中を押すぐらいだ。
「君の願い……叶うといいね。応援してる」
「ユラギが言った話ってあんまり人に話しちゃいけないヤツだろうし。その……僕ももうちょっと頑張ってみるよ。いけるところまで、行ってみる。駄目だったら、また考える。とりあえず、それでいいかな」
「それくらい自分で決めな。やりたければやればいいさ。僕は別に止めやしないし、レガリアに報告しない。今日の話は聞かなかったことにすればいい」
「君の言う通りにするのも癪だけど……僕は自分の役目を全うするだけさ」
ルーンは何とか立ち直ったようだった。これから先どうなるかユラギは未来が視えるわけではないので分からない。それでも、ほんの少し前に向かせることが出来たのなら、過去を話した甲斐があったというものだ。少女の話はきっと、ルーン以外に言うことは無いだろう。最期に自分の生きた証を残したかった。いなくなった後も、記憶の片隅に残っていて欲しいと欲張った結果だった。ヴィオレットは人間嫌いでありながらも寂しがりやだったのだろう。少女はヴィオレットの本性を見抜いていたからこそ、願ってくれたのかもしれない。今となっては懐かしい思い出に過ぎないが、少女には結果的に感謝している。こんなにも楽しい気持ちで監視者の役目が終われるのだから。
「……ここ数年は退屈しなくて良かったなぁ」
ユラギは手を振りながら、扉を開けて出ていくルーンを見送った。
(この世界は素晴らしかった。あぁ、ようやく君と同じ高みへ辿り着くことが出来そうだよ)
これから先、どんな苦難があったとしても、乗り越えられるように――ユラギは静かに願うのであった。