ユラギもヴェーダもいなくなって、レイラはルーンと二人きりになった。神殿の周りは静謐が保たれ、弱弱しい風が吹き抜けていく。これからどうするべきか――レイラは考え込む。その横で、ルーンは空を仰ぎながらぽつりと呟いた。
「自由かぁ。改めて言われても実感が無いな……」
いきなり与えられても、使い方が分からなければ意味が無い。ルーンは途方に暮れているようだった。
「やりたいこととか、無いんですか?」
「急に言われると、何も思い浮かばないんだよね。余計なことはしない――余計なことを考えない。それが命令だったから。実質、何も考えないことを求められてたからね」
レイラは言葉に詰まる。ルーンが造られた存在で、そういった思考が不要なのは目に見える。与えられた命令をこなすことだけを求められているのなら、自分の生き方など考える必要が無い。少し胸が痛くなる。
「何にせよ、レガリアが決めたことには逆らえなかったからね」
そう言ったルーンの横顔はどこか笑っているように見えた。過去を懐かしむような口調は、重荷が無くなったからかもしれない。
「そういえば初めて“レガリア”って言いましたね」
「……あぁ。そう言われると確かにそうだ。うーん……僕なりの線引きっていうか、抵抗だったのかもしれないな。名前を呼ばないっていうのは、認めていないって意思表示だったのかもねー」
「自分でも分かってないんですか?」
「そこまで考えたこともなかったからね。こんなわけで僕は心に関しては鈍いんだよ。元々、お喋りでもなかったし……街を一つ滅ぼすことすら躊躇いのない人形だったからね」
自嘲気味にルーンは語る。けれどもレイラは知っていた。その奥底にある真実を、レイラは目の当たりにしたのだ。
「そんなこと言わないでください。あなたは苦しんでいたはずです。だって、そうでなければ……」
「いいよ。僕がどうしようもないのは――」
「『悪いのは全て僕だから。どうか僕だけを憎んでくれ』――あなたは確かにそう言ってましたね。自分のやったことが、どれほどの業の深さかを分かっていたはずです」
ルーンはレイラの言葉を聞いて、虚を突かれたように驚きを見せた。レイラはグラスで見た記憶を言うべきか悩んだが、今の今まではぐらかされていたので、思い切って言ってみることにした。ルーンの反応を見る限り、実際に合ったことなのだろう。正直、レイラはあれが本当だとは思いたくなかった。けれども、目を背けてはいけない。全てを知る為にここまで来たのだ。
「グラスが見せた記憶にあったんだね。趣味の悪いことしてくれるなぁ」
「ごめんなさい……だけど! その時のルーンはとても苦しそうでした。助けを求められているのに、手を差し伸べられなかった自分が許せなかったのではないでしょうか」
「そうなのかな。そうだったら、いいね」
まるで願望のように語る。そうだったら良かった――自分の感情が本物なのかすら疑わしいのかもしれない。こればかりはルーンの気持ちの問題であり、レイラがどうにか出来ることではなかった。
「……僕はレガリアとユラギの力によって僕は生まれた。完成された状態を求められたから、色々大変だったのは何となく覚えているよ。やることや覚えるべきことが多すぎてね。言われたことだけをやっていればいい――初めは疑問を抱くことも無かった」
生まれた頃なら右も左も分からない状態なので、当たり前だろう。人は親から愛情を受け、色んな人と関わっていくことによって生き方を決めていく。だが、ルーンはレガリアの役に立つことだけを望まれて生まれたのだ。ルーンの意思など関係なく、レガリアの為に生きることを求められた人形――きっと、ルーンが完全に人の心を持ち合わせていなければ、そのままだっただろう。
「そんな僕にも少しだけ変化が訪れた。あれは、まだ僕が感情というものを理解出来ていなかった頃だ。自分でも未だに良く分かっていない。けどね、すごい苦しみと罪悪感に襲われたことは覚えている。レガリアの命令で街を一つ消した時のことは今でも忘れない。レガリアはそんなものはすぐ消えるって言ったけど……消えなかった。忘れられなかった。しかも、封印の檻を維持する為に捧げられた魂はあれだけじゃない。他にもたくさんある。僕が奪った命は数えきれないほどある。最初のあの子から始まって、地獄のような日々が続いた。堕とされた人間はもっと苦しんでいるっていうのにね――笑えない話だ」
冗談めかして言うが、顔は全く笑っていなかった。恐らく、最初にルーンの心に強く刻まれた出来事だろう。忘れられない思い出――楔となってルーンの心に残り続けた。
「そして、しばらくして――僕は人としての生き方や交流の仕方を覚えていった。感情も学校にもいったおかげか感情も豊かになったものさ」
「……少し気になったんですが、魔法を学ぶのならレガリアやユラギから教わった方が早いのではないでしょうか?」
「僕が学校へ通わされたのはレガリアの意向で、心を豊かにする為。余計なことは考えるなって言うくせに、無駄に独創性を求めてくるんだ。魔法が感情によって左右されるから、強化したい気持ちは理解出来るんだけどさ。色んな人間が集まるから手っ取り早いってことで入れられたけど、当初は浮きまくったよ」
「メロディアさん曰く無口だったみたいですね」
再会したメロディアはルーンの変化にかなり驚いていたようだった。それほどまでに、今のルーンと昔のルーンはかなり性格が違っていたのだ。
ルーンはレガリアによって造られた存在で、知識や技術は受け継ぐことが出来るだろうが、感情の学習に関しては出来なかったのだろう。無理やり操作したところで、魔法に影響を与えるかもしれない。そうなれば、必然的に感情を学ぶ場が必要になる――学校をそのような目的で使う発想はレイラには無かったので少し驚いた。
さらに、命令を聞く人形を求めていたはずなのに、独創性も追求するとは何とも欲深い。何でもいうことを聞く便利な駒が欲しいなら、元からある人間を使うよりも、一から造った方が早い――理には適っている。それが簡単に出来るのなら、誰だってそうするだろう。
そうやって生まれたルーンの人生は最初から決められていて、希望すらも抱くことはなかったのだろう。
「余計なことを言えばレガリアの不興を買うだけだし、何も喋らない方が楽だったんだよ。けど、学校じゃそういうワケにもいかないからさ。これでも、馴染もうと努力したけどね。空回りしかしなかった」
「頑張ってるルーンを想像してみるとちょっと面白いですね」
「……そんなわけで、無事卒業したのさ。めでたし、めでたし――」
ルーンがしばらく沈黙していた。ここで終わりなのか――!? 思わずレイラは突っ込みを入れる。
「そこで終わりなんですか!?」
「どうしよっかな。レイラが僕の願いを叶えてくれたら教えてもいいかなー」
ルーンが悪戯っぽく笑っている。笑顔は悪くないのだがもう少し、真面目に向き合って欲しかった。レイラは少し不貞腐れたような態度を取る。
「……そもそも、まだルーンの願いを聞いてませんよ!」
「僕は最初から最後までレイラのことを信じてるから。君が何を選ぼうとも、僕はその答えを受け入れるだけさ」
「うーん……よく分かりません。最後くらい普通に言ってくれてもいいじゃないですか」
「最後かぁ。確かにそうかもしれないけど、まだ終わったわけじゃないからね」
未だに本音を見せないルーンに対してもどかしい気持ちがある。強引に迫ったところで、引き出したものが本物であるとは思えない。言いたくなるのを待つしかないのか――それ以前にこの星はそれまで持つのか。少しだけレイラは空を見上げた。空は清々しいくらいに晴れている。この世界が終わる――そんな可能性すら吹き飛ばすような快晴だ。
「大丈夫。時間はまだある。その間にやるべきことをやっておこうか。失礼――」
「え……」
ルーンはいきなりレイラを抱えて転移魔法をかけた。レイラはほんの少し早くなった鼓動を気にしつつも、ルーンにしがみついたのだった。