「…………」
ルーンに連れ去られたレイラはしばらく気を失っていた。その後、病室のような寂しさが漂う真っ白な部屋で目を覚ました。あたりを見渡すと、静かに佇むルーンの姿があった。ルーンは何も言わずひたすら黙っていた。いつものように喋ってくれた方がどれほど楽か。だが、何も言わないということは少なくとも、後ろめたい気持ちがあるのだろう。
このまま行けばレガリアの計画に利用されるだけ。ここでルーンを倒したとしても状況は変わることはなさそうだった。試しにドアに手をかけてみるものの、開くことはなかった。レガリアが来なければ始まらないのだろう。ならば、それまでに聞くべきことは聞いておかなくてはいけない。
「あなたの主人は世界を裏から支配しているという魔女王――レガリアですよね。私が見た記憶では『ルネ』と呼ばれていたようですが」
「またまた懐かしい名を――とは言っても、正直その名前で呼ばれてた頃のあの人を知らないんだ。そう呼ばれていたのは知ってるけど、生憎僕はその時点で生まれてないので」
どうやら、ルーンは五百年前からいたわけではないようだ。どういった経緯でレガリアに従っているのか不明だが、少なくとも大昔の人間ではないことが分かった。見た目を変化させる魔法が使えるなら、話はまた変わってくるが。
「私が見た記憶の中で、ヴェーダと一緒にいたんですから、ざっと五百年以上前の話でしょう。少なくとも、ヴェーダとレガリアの間には因縁があると思います。あなたは把握していたんじゃないですか?」
「へぇ、そんなものまで見せてくれたのか。まぁ、ヴェーダについては僕もよく分かってなかったんだよね。何かあるだろうとは思ったけどさ。ヴェーダから突っかかってきたときに、知ったぐらいだから」
ヴェーダとは直接関りがあったわけでは無いようだ。ルーンの言葉を信じるなら、ヴェーダと接するうちに、レガリアと何らかの関係があると知ったことになる。ここで嘘を吐く理由など無いので、レイラはルーンの言い分を信じた。
「ヴェーダについては、ヴィオレットには災厄の魔女が封印されている――僕が知らされていたのはその一点のみだ」
レイラが見てきた構図的には、ヴェーダとレガリアは対立状態にある。だとすれば、ヴェーダの願いはレガリアに関するものなのだろうか。そういえば、ヴェーダはどこにいるのか――レイラはヴェーダの気配がしないことに気づいた。中にいれば分かるはずなのだが、今は一切感じない。
やはり、ラパン達と一緒に地上に置いて行かれてしまったのだろうか。もし、ヴェーダの願いがレガリアに関係するものならば、一緒にいきたかったが、いないなら仕方がない。ヴェーダはどこまで知っていのだろう。ルーンがレガリアの手下だということに気づいていてもおかしくない気がした。ヴェーダからたびたび漏れる憎悪はきっと、レガリアに向けられたものなのだろう。彼女は最後まで教えてくれなかったが、上手く解決出来ることを祈るしかない。
「ヴェーダのことは分かりました。でも――兄様の件は違いますよね?」
ルーンの表情は少しだけ強張ったような気がした。ルーンも聞かれるだろうと想定していたはずだ。それでも、動揺は隠せなかった。それが意味するところは――
「……私はずっと気になっていました。兄様が私を地獄に堕とした日は今でも覚えています。どうしてこうなったのか、なんでこんなことをされなくてはならないのか――と。最初の頃、あなたは全て兄様の言うとおりにやったと言っていましたが、真実は違いますよね!? 全部、あなた達の言う通りに兄様は行動したんですよね!? 絶対に逆らえないって分かっていたから、兄様にやらせたんですよね!?」
「あぁ。レインはあの人の命令でレイラを封印した。僕はその補助をやった。レイラを誘き出すのは、レインにしか出来ないからね。君は笑えないかもしれないけどさ、改めて考えるととんだ自作自演行為だよ」
ルーンは当初、封印を施したのは自分で、レインの言うとおりにやった――と言っていた。全て真っ赤な嘘だったのだ。レインはレイラのことを大切に思っており、最後まで苦悩していた。ルーンは自分で封印を作り、目的の為にヴィオレットの封印を解き、レイラを災厄の封印を解かせる旅路へと導いた。
「どうして……どうして私を封印したんですか。封印の檻を持続させる為なら、ヴェーダだけで十分だったはずです。何故、私は生贄になったんですか」
「立派に災厄を内包出来る都合のいい器だったからだよ。君は災厄を吸収する装置として封印された。誰でもいいわけじゃない。災厄の力をため込める器でなければいけないんだ。その器に足る存在が君しかいなかった。この世界どこを探しても替えの利かない存在なんだよ。レイラはさ」
どこまでも冷え切った、雪のように凍えた目線と声がレイラに突き刺さる。淡々と紡がれる事実にレイラは感情を堪えきれず激昂する。
「あなたが私から魔法を遠ざけたのは、その方がそういうことだったんですか!? あの時、はぐらかされましたけど、もう思い出してます!! 私はルーンと会っている! あなたに魔法を教えてもらいたかったのに、教えてもらえなかった! そうすることで、私の魔力を高めていたんですか」
レイラが声を荒らげながら、問い詰めるとルーンはそっと視線を外した。ここで否定せずに言葉に詰まるということは、肯定の意味として捉えるしかなかった。レイラはやりきれない思いで唇を嚙み締めた。
「だったら、なんで……あんなに優しくしてくれたんですか。中途半端な哀れみなんかいらなかった!!」
「最初から言っていただろ。信用しない方が良いって……勝手に信じて、勝手に裏切られたと思ってるだけ」
突き放すような物言いにレイラは胸が苦しくなる。これまでのはただのご機嫌取りでしかなかったのか。思えば最初から、そういう物語のはずだった。目的の為、互いに利用しあっているだけの関係だったはずである。それなのに、何故こんなにも辛いのだろう。割り切れない思いがレイラの中には溢れていた。ルーンにとっては、全て決められていたことで茶番でしかなかったのかもしれない。
けれどもレイラにとっては、かけがえのない思い出になっていた。地獄から抜け出し、楽しいと思える記憶が生まれていた。だからこそ、こんなにも苦しいのだ。
「本当にバカですよ。私、そんなこと言われても未だにあなたを信じたいって思っているんですから。あなたには、まだきっと言えない思いが――願いがあるって信じているんです」
「僕の願いはあの人の願いが叶うこと。それ以外に……無いよ」
「レガリアの願いは何だっていうんですか!?」
「結論から言えば、世界を変えようと……いや、創り変えようとしているんだ。あの人の望む世界にしようとしている」
世界を創り変える――ミリィ達が話していたことがいよいよ現実味になっていく。本当にレガリアは世界を変えようとしていた。もしかすると、新しく世界を創り出そうとしている可能性もある。どちらにせよ、そうなってしまったら二度と元の形には戻らないだろう。彼女の望む世界がどのようなものなのかは分からないが、絶対に明け渡してはいけないような気がする。
「あんまり驚かないんだね。ミリィ達の入れ知恵かな。彼女に関してはあえて泳がせていたところもあるから文句も言えないけど」
ここまで見抜かれているとは思いもしなかった。少しだけ視線を逸らしてしまったのが答えになってしまった。ルーンは特に、怒っている様子でもなかった。それどころか、分かり切っていたようである。
「……ミリィは想像以上の動きをしてくれるから、僕の願いも叶えてくれるんじゃないかなぁ、って密かに思ったりもしたものさ」
レイラは驚いたように顔をあげた。ルーンは頼りない笑みを浮かべている。この口ぶりからすると、レガリアの願いではなさそうである。ルーンにも願いがあるということになる。では、その願いは何なのか――片鱗はまだ見えてこない。
「あなたの願いは、レガリアの願いが叶うことではないのですか? さっき自分で言っていたじゃない」
「……正直、僕にも分からないんだよ。自分が何をしたいのか……どうなりたいとかそういうのは無いんだ」
何かも投げやりになっているようであった。全てを放り出したい――そんな気持ちが伝わってくる。それでも、ルーンは舞台から降りようとはせず、レガリアの為に動いていた。自分の願いを持ちながらも、レガリアの願いを優先し続ける。まるで、決められた動きしか出来ない機械のようだった。
「それなら、止めてしまえばいいじゃないですか。レガリアの言うことなど聞く必要ないでしょう」
「出来たら今頃、レインを殺そうとしたり、レイラを閉じ込めたりしないさ」
投げやりな態度から、さらに冷たい声で呟く。これまでも見せてきた諦観の念が一層強まっていた。何がルーンをそこまで苦しめているのか。知りたかった。真実を追い求める者としては引けない。輝きは諦めた者には宿らない。レイラはぐっ、と拳に力を入れる。
「……あなたが本当に非道な人間ならば、私がこうやって喋ることすら許されなかった。それでも、あなたは私に自由を与えてくれた」
レイラはこれまでの旅路を思い出す。予め終わりが決められていた旅とはいえ、ルーンはそれなりに自由を許してくれた。行ってみたい、やってみたいことを叶えてくれた。何かを抱えながらも、レイラの為に動いてくれた。効率を重視するなら、レイラから完全に自由を奪った方が楽だ。そうすれば怪しまれないようにする為の偽装は無くてもよかったはずである。わざわざ用意してまで、楽しい旅路にしようとしてくれた――楽観的な考えかもしれない。それでも、レイラはルーンの心の奥底にある思いを信じたかった。
ルーンは黙ってレイラの言葉を聞いていた。その表情はまるで感情の無い人形のようだった。
「ルーンが本当にレガリアの願いを叶えたいと思っているのなら、従います。約束しましたから。でも、そうじゃないのなら……ルーン、あなたの願いは――思いはどこにあるんですか」
レイラは知りたかった。何も知らないほうが幸せなどということはないはずだ。知らなければ、傷つけてしまう。言わなければ分からない。力になりたくても、寄り添えないのはあまりにも辛い。
「願い、か。何でだろうね。今になって見えてきた気がするんだ……」
ルーンは静かに寄っていき、レイラの額に手を当てた。指先から伝わる体温は温かくも、冷たくもなくただ人肌のぬくもりがあった。
「全部終わればいいなって、ずっと思ってたよ。この命が始まった頃から、この世に留まりすぎたかもしれない」
最後に映ったルーンの顔は、笑っていたはずなのに酷く寂しそうに見えたのだった。