13

 アルノが敗北を宣言した途端、偽りの世界は消え去り、いつの間にか見晴らしのいい丘の上に出ていた。外の空気に酔いしれることもなく、ラパン達はアルノを見据えていた。アルノはまだ戦えるようだったが、そうしなかった。彼にとっては勝敗よりもクロエの存在が大事なようだ。アルノの要求はただ一つ――クロエにかけられた術を解くこと。ミレドは勿体ぶるように呟く。

「解くメリット無いよねぇ~」
「お前達になんの利点もないのは承知だ。それでも、俺にはクロエが必要なんだ……!」

 必要不可欠なもの、無くてはならないもの。ラパンは少しだけ考える。相手の言う通り、クロエを助けたところでこちらには何の利点もない。何なら、逆に襲い掛かってくる可能性もある。合理的に判断するなら、アルノの意見は無視した方が良い。心情的にも、クロエには苦渋を味わわされたし、見捨てたい気持ちのほうが大きかった。ラパンは一度大きく深呼吸してから、クロエを指さした。

「……とりあえず、一発殴らせてくれたら考えてもいいよ」
「分かった」

 ラパンは容赦なく、アルノの体に蹴りを入れた。
 しかし、予想に反してアルノの体はしっかりしていた。強化は控えめだったが、それでも並の人間だったら簡単に吹っ飛ぶはずだった。キックのほうが力を籠められるので、拳ではなく蹴りにしたがそれでもビクともしなかった。どうやら、魔術だけではなく肉体系にも強そうだった。まともに戦っていたら勝ち目が無かったかもしれない。

「……なんか納得いかないけど、解いていいよ。殴るっていいながら蹴っちゃったし。約束を反故にするのは悪いから」
「ボク、何も言ってないんけどぉ……」
「お前そんなんでいいのかよ。散々な目に合わされたってのにさ」
「……確かに記憶とか色々、過去とかおもちゃにしてくれたよ」

 フォルテの言うことは分からなくもなかった。実際、ラパンには今でもクロエに対しては嫌な気持ちしか湧かない。本当ならクロエを蹴り飛ばしたいくらいだった。

「それでも、私があの光景を見て感じたものはきっと本物だろうから――乗り越えたと思っても、そうでもない。というか、過去って乗り越えるとかそんなんじゃないって何となく思ったの」

 過去に囚われないことこそ、強くなった証明だとラパンは思っていた。レイラ達と歩んできた旅路で、自分は強くなったと信じていた。だが、実際はクロエの魔法に取り込まれ、苦しみ藻掻くだけで、何も出来なかった。結局のところ、過去は捨てることなど出来ない。過去を無かったことにしたり、否定したりしても真に乗り越えたことにはならない。認め、受け入れて初めて向き合うものなのだろう。ラパンは自身の汚点だと思っていたが、それもまた自身の一部であることに気づいた。克服という言葉を使うべきではないと、自分なりに思ったのだった。

「それに、クロエに死なれたらフルール達が元に戻らないかもしれないから、解いてくれないと困るのだけれど」
「そういえばそうだったねぇ~! すっかり忘れてたぁ……でもこれ、解除方法無いんだよねぇ~」
「ちょっと!? どういうこと!?」
「いや~魔術っていうよりも、呪い――に近いのかなぁ~呪いは簡単には消えないんだよぉ~この場合だと、誰かに受け流さないと――」
「俺に流せ」

 アルノはミレドがしゃべり終わる前に、速攻で反応した。どうやら、最適解が分かっていたようだ。
 まさか、何の躊躇いもなく地獄に首を突っ込むとは思ってもいなかったようで、先ほどまで笑っていたミレドは、思わず目を丸くしていた。さすがのミレドもアルノの即答に驚きを隠せなかったようである。ラパンはラパンで珍しいものを見たように、少しだけびっくりした。

「……わーお。言っておくけど、この呪術相手のトラウマを無理やり掘り起こす特殊な術なんだけどさぁ。そこのおねーさんが得意らしい、精神魔法に近いのかなあ~とにかく受けたらずっと苦しむかもよぉ~」
「問題ない」
「そこまで言うなら良いんだけどさぁ~どうなっても知らないよぉ~そんじゃ、ほい!」

 ミレドが指を鳴らすと、アルノは一瞬だけ顔を歪めたものの平然としていた。その後、何事もなかったかのようにクロエを見守っていた。その様子を見たメロディアは首を傾げていた。ミレドによれば、術を流すものらしいがアルノの反応を見る限り、効いているのか疑問が生じる。

「何ともないじゃない」
「……いやいや。そんなまさか。おにーさんに流したはずなんだけどなぁ……?」
「本当に大丈夫なのかよ」

 ミレドも想定外のようだった。確かに術はアルノに流したはずだと主張する。ラパンはその辺に関してはよく分からなかったが、クロエの方をちらりと見た。さっきまでは苦しんでいたのに、今は穏やかな顔をしている。苦しみから解放されたようにも見える。メロディア達の疑問を無視して、アルノが再び頭を下げた。

「術の解除、感謝する。もうお前達に危害は加えない」
「当たり前でしょうが。って、貴方……本当に術を受けたのよね? その割には平気そうに見えるけれど」
「受けた。一瞬だけ、脳を焼くような痛みが走ったがそれだけだ」
「そんなバカなぁ~」

 どうやら、アルノ本人は呪術を流された感覚はあるようだが、それでもミレド達は腑に落ちなかったようだ。術が解かれたなら、ラパンはそこまで気にする必要はないと思ったが、ミレドは見過ごせないようだ。ミレドが不服そうな表情をしていると、横からずっと黙り込んでいたレインが語りだす。

「恐らく、こいつにはトラウマがほとんどない。本人に何も感じる心が無ければ術の効力が上手く発揮されない――違うか?」
「……あぁそういうこと。とんでもなくメンタルが強い人なのかなぁ……うーむ。改良の余地アリだねぇ~」

 ミレドはレインの考察に納得したようだった。その後はぶつぶつ一人で呟いていた。

「なんの挫折もない平坦な人生ってことか。なんか、つまんなそうだな」
「そうでもない。クロエがいれば何だって楽しい」
「お、おう。そうか……良かったな」

 真面目に返されて、逆にフォルテは困惑していた。律儀に返してくるあたり、根は真面目な性格なのかもしれない。
 しばらく、何とも言えないやり取りを続けていると、クロエが目を覚ました。クロエはざっと、辺りを見渡して瞬時に状況を把握したようで、悪態をついた。

「あーあ。負けた上に、その中でもさらに最悪なパターンじゃない。余計なことしてくれてありがとう」
「クロエ……!」

 アルノは悲壮感の漂っていた表情から一転して、ぱあっと明るくなった。アルノは駆け寄ろうとしたが、クロエは牽制するようにキッと睨みつける。

「気持ち悪いから寄ってこないでね。はぁ、アタシは礼とか言わないわよ。どうせ、アルノが言ってるだろうから」
「……やっぱコイツ一度殴りたい」
「ごめん。俺はいくらでも殴っていいからクロエだけは頼む」

 アルノは再びラパンに対して何度も頭を下げた。そこまで言われると、さすがのラパンも引き気味だった。やりづらくて敵わない。

「一体、どんな弱みを握られたらそうなるんだよ……」

 フォルテの言いたいことは良く分かる。ラパンですら突っ込みたくなるレベルだった。
 しかし、この手のタイプは理屈で説明出来るようなものではないことも同時に分かっていた。
 
「……ぶっちゃけ、レガリアとかどうでもいいわ。好きにしてって感じ。死んでも文句言わないからさ」
「そう言って、最期まで文句言ってそうだなお前」
「やっぱりこいつムカつく! 死ね!」
「クロエ、落ち着いて」

 クロエはフォルテに殴りかかろうとしたが、アルノに止められる。レインは頭を抱えながらも、クロエに本題を伝える。何としてもやってもらわなければいけないことであった。

「こいつはそういう奴だから気にするな。それよりも、お前がかけた魔法を解いてもらうぞ。嫌とは言わせない」
「そうよ。その為に生かしたの」

 メロディアは人形を取り出し、地上に置いた。クロエは無表情で人形を見つめる。

「……先に言っておくけど、私が人形化したのはアンタ達だけ。ヴィオレットは私じゃなくて、レガリアの力だしどうしようもないわよ。燃えてしまった以上、戻すことも出来ない」

 クロエはレインの心を見透かすように現実を突きつけてから、魔法を解いた。人形だったものは徐々に大きくなっていき、見慣れた姿に戻っていく。フルールやセゾンが元に戻ったことだけでも喜ぶべきだろう。本当なら、死んでいてもおかしくなかったのだから。

「わっ! 眩しっ! 何なのよぉ~」
「う~ん……胸糞悪い悪夢を見ていた気分ですねぇ……」

 元に戻ったフルールとセゾンは何が起こっているのかさっぱり分かっていないようで、寝起きのように呆けていた。

「フルール! セゾン……良かったわ。元に戻って」
「お前達、人形にされたんだぞ覚えてないのか?」
「される直前までは覚えていますが、それ以降はないですねー」
「私もないわよ。感覚もまったく無かった。って、私……人形になってたの!? 嘘でしょ!?」
「本当だ」
「レイン……無事だったのね! 良かったぁ。本当に良かったぁ……」

 フルールはレインの顔を見るやいなや、涙を浮かべる。人形になってもなお、レインのことを心配していたのだろう。深い親愛の心を感じる。

「お前の方はどうなんだ。何ともないのか」
「私は全然平気。ていうか、レインのほうが重傷だったじゃない。今だって、本調子じゃないでしょ?」
「これくらい、いつものことだ」
「……いつものことじゃないでしょう。レイラ姫にもレガリアにもやられていたではありませんか。安静にしておくべきところです」
「……分かっている」

 メロディアはこれ以上、レインが無理しないように釘を刺した。ばつの悪そうな顔をしていたが、こんなところで死なれても困る。穏便に済ませられるならそれに越したことはない。幸いにもクロエも反抗する気はなさそうで、つまらなさそうに空を仰いでいた。

「あーあ……すごい冷めてきちゃった。アルノ、なんか面白いこと言いなさいよ」
「無茶ぶりやめて」
「聞こえなーい」
「……あんたら、随分と暢気にコントをやってるじゃん」
「コントじゃないし! ステッキも壊されちゃったし、弁償して欲しいんだけど」

 クロエは悪びれもせず、文句を垂れる。メロディアはクロエの面の皮の厚さにもはや呆れを通り越して、虚無を感じていた。

「曲がりなりにも温情で助かったくせに態度が大きいわね」
「良くも悪くも魔法使いって感じですねー」
「お前はお前でこんなののどこがいいんだよ?」

 フォルテがアルノに問いかけると、アルノは若干気まずそうに目を伏せる

「全部」
「……うっす」

 思わず、ラパンはポロっと零してしまった。誰も何も言わない辺り、同じようなことを思ったのだろう。あまりにもありきたりな言葉が返ってきたので、逆に驚いてしまった。

「あぁ!? 間接的に馬鹿にされてるんだけど。アルノ!? 罰として私の良いところ百万言いなさいよ」
「…………無理」
「出来ないことは出来ないとちゃんと言うのね……不思議な関係ね」
「というか……自分で『罰として』って言っちゃってますねー良いんですかねー?」

 見ていて疲れるやりとりだった。本当にアルノはクロエのどこが良いのだろうか。初めて会ったばかりのラパンですら最悪な性格をしていると思ったくらいだ。だが、ラパン達が口出すべき問題ではなかった。本人が良いならそれで良いだろう。

「そういえば、レイラ様は結局どこへ行っちゃったんだろう~」
「……上」

 ミレドの疑問にアルノが空に向けて指をさした。だが、みんな一様に不思議そうな表情をした。なぜなら、上を見上げても真っ青な空が広がっていたからである。

「何もねぇじゃん」

 フォルテの言う通りであった。ラパン達はどう反応すればいいのか分からなかった。けれども、アルノの様子を見る限り冗談を言っているようには聞こえなかった。
 今度はアルノに変わってクロエが説明をし始める。

「何もないけど存在するのよ。レガリアの拠点は空中に浮いている。絶対に地上からは見えないようになっているの」
「そういうことか……道理でほとんど目撃情報が無いわけだ」

 レインはさすがに、レガリアの拠点までは知らなかったようだった。あくまで、レインはレガリアの駒の一部でしかなかった。完全に信頼されてはいなかったのだろう。

「さすがにあそこまでいくのは無理かも~」
「言っておくけど、アタシは協力しないわよ? これ以上、アンタ達と慣れあってたら気持ち悪くなっちゃうから」
「どうせもう、お前たちは城に入れないだろう。俺と同じ使い捨ての駒に過ぎないだろうからな」
「……分かってんならわざわざ言うなっての。せいぜい、世界がどうなるか遠くから見物させてもらうわ。レガリアの思い通りになるか、アンタ達が思い描く通りになるか――楽しみねぇ~」

 クロエ達は捨て台詞を吐きながら、アルノと共にどこかへ消えていった。最初から最後まで自分本位な人間だったと、ラパンは消え去った後を見ながら大きなため息を吐きながら思った。ミレドといい勝負をしている。当のミレドはラパンに同類扱いされていることも知らずに、暢気そうにつぶやく。

「ホントに殺さなくて良かったのかなぁ~」
「……世界が変わるなら、あいつらの生き死にとか些細なことでしょ」
「確かにねぇ。ホント、ちっぽけだよ。人間のことなんて知らずにいつだって世界は進むんだから」
「奴らは、結局どんな世界を思い描いていたんだろうな」
「……さぁ。あの異界を見る限り、碌でも無さそうなのは確か」

 クロエとアルノの世界は木っ端みじんに砕かれたが、レガリアの世界はまだまだ顕在している。それもラパン達の届かない場所にあった。レガリアがどんな世界を思い描いているのかは分からないが、願わくはレイラの思いが成就するように――ラパンはただ祈ることしか出来なかった。