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 クロエとアルノの出会いは、アルノがまだ真面目に学生をやっていた頃にまで遡る。
 アルノは元々優秀な魔術師を排出してきた由緒ある家柄の生まれだった。アルノはその中でも、上位に入る実力者だった。幼い頃から家では厳しく育てられ、自分の意見をはっきり言うように躾けられた。意思表示は生きていくうえで必要不可欠な力である。そのような家系だからか、アルノの一族はかなり我の強く、気性の荒い人間が多かった。
 しかし、当のアルノはそこまで積極的な性格ではなかった。物事は穏便に済ませたほうが楽だからである。わざわざ自分の意見を貫き通す労力が惜しかったとも言える。そこまでして、主張するべきことなのか疑問に思うことの方が多かった。
 それからというもの、アルノは謙虚に生きてきた。必要に応じて求められたときだけ答える。その方が楽であったはずなのに、アルノの世界は急速に色褪せていくようだった。最適解のはずなのに、どこか引っ掛かりを覚えていたのだ。
 皆が勉強しているのを学校の外れにあるマジックツリーから眺めているだけで十分なはずだった。他人から見ればつまらない学校生活だと思われるだろうが、アルノにとっては人と接する時よりも楽しい時間であった。これ以外に何もいらなかった。独りのほうが気楽に決まっている。
 そして、これからも変わらないものだと思っていた。

(最低限さえやっていればなにも困ることはないんだ。生きていくのに娯楽はそんなに必要ない……)

 それが最良の道だと信じて疑っていなかった頃、アルノはクロエと出会った。最初はクロエから絡んできた。自分と同じようにサボっている生徒だと思われたのだろう。

「キミさぁ、つまんなそうな顔してるよね。そういうヤツって、大体自分がつまらない人間なんだってさ。まぁ、アタシも人のことを言えたクチじゃないんだけどねぇ」

 クロエはアルノに対して、攻撃的な言葉を吐いていく。一目見た時から、アルノはまともに関わったら駄目なタイプの人間だと判断を下した。アルノはクロエの言葉を無視し続けた。

「何か反応しなさいよ。アタシが時間を割いて話しかけているんだからさぁ~」

 それから、たびたびアルノを見かけるたびにクロエは声をかけてきた。一体、何が目的なのか考えたこともあったが、あまりにも思考回路が違いすぎて想像も出来なかった。いきなり水をぶっかけられたり、火にあぶられたり、雷を落とされたこともあった。どれも魔術で防いだが、あるときクロエは叫びながら持っていたステッキで殴ってきた。

「魔術で防ぐのは卑怯よー!」
「魔具で殴るのはやめて。痛い」
「あ、やっと反応した! 痛みとかは感じるのねーそれにしても、特注鉱石ステッキで殴ったのに、見かけによらず頑丈なのね……」

 この少女は人を何だと思っているのだろうか。自分の遊び道具にしか思っていなさそうな、邪悪な気配が漂っている。だが、アルノは目が離せなかった。自分と正反対の人間ならいくらでもいるというのに、何故かクロエにいつの間にか興味を抱いていた。クロエは軽快に喋る少女だった。アルノからすれば、自分から勝手に話してくれることは有難いことだった。人との日常会話ですら億劫だと思い始めていた頃で、最低限の会話ばかりしていると、家族や同級生からはよくつまらない、人間味がないと言われることもあった。そして、人はどんどん離れていった。別にそれでも構わなかったから、アルノは変わらずにいた。
 しかし、クロエはつまらないと言いながらも、事あるごとに悪戯を仕掛けてきた。アルノの反応が悪くても、懲りずに話しかけてくる。いつしか、アルノは少しずつこの時間に居心地の良さを覚えていった。
 そんな矢先、クロエはアルノのことを調べたようで、何の脈絡もなく問いかけてきた。
 
「そういや、アンタのこと調べさせてもらったんだけど――アタシより上だったんだ。センパイってことなのか……なんか嫌だな。それに魔術師の名門家系のお坊ちゃんで魔術科首席……堂々とサボってていいの?」
「……もう全ての課程は終わってるから、好きにやっているだけ」
「何よーそんなのアリ!? 真面目にやり続ければ自由行動も出来たのねぇ。う~ん……でも、アタシには苦痛すぎて無理ねーアハハっ。ていうかさぁ、アンタそれだけ力があるなら自由に人生歩めそうじゃない。羨ましいねぇ~」
「自由にやるつもりはない。平和的に過ごすことが一番だ。決められた道からわざわざ外れる理由が無い」

 家の面汚しにならないように成績をキープしつつ、模範的な振る舞いで学校を卒業する――何の面白みもない目標である。だが、アルノにとってはそれが一番楽な道であり、進むことに躊躇いはなかった。少なくとも、この時までは疑問に思っていなかった。
 クロエはアルノの答えを聞いて、意味深な笑みを浮かべる。何かおかしなことを言ったか――そう思った時には遅かった。

「……本当に決められたルートでいいっていうなら、どうしてアンタは今ここにいるのよ。一般生徒と同じよう真面目に授業を受けるべきなんじゃないの? 別に授業なんて真面目に聞かなくてもいいわけだしさ」
 
 クロエの言葉はじわじわとアルノを蝕んでいく。どうして心は満たされないのだろうか――もしかすると目の前にいる少女はその答えを知っているのかもしれない。クロエの言葉が以前よりもすんなり入ってくるようだった。

「それに今だって自習の時間だっていうのに、勉強とか全然してないじゃない」
「俺は……」
「この世界がつまらない、下らない――そう思っているんじゃない? アンタは誰よりも刺激を求めている。平和に過ごしたいなんて嘘っぱち。本当は暴れてみたいんでしょ? どうなるか気になっちゃうんでしょ? アンタ自分が思うよりも、強欲で怠惰なのかもしれないよ~キャハハ!」

 その時、アルノの中で何かが砕け散ったような気がした。自分のことは良く分かっていたはずなのに、心の奥底にしまい込んでいた気持ちを、クロエは容赦なくこじ開けていった。クロエの言うことは痛いほど身に染みていた。頭の中では正しいことだと分かっていても、心が納得しないことがよくあった。それで本当にいいのかと、問いかけてくる自分がいた。それでもアルノは気にしてこなかった。というよりも、目を逸らしていたというのが正しいのかもしれない。
 優秀であれば、あるほどいいに決まっている。一度、道を踏み外してしまったら軌道修正は難しい。問題を起こさずに、静かに過ごす方が平和的に過ごせる――当たり前のことだ。
けれども、アルノはその当たり前がどうにも納得がいかなかった。好きなことをして好きなように生きられた方が楽しいし、充実した毎日を送れるはずだ。
その結果、他人に迷惑かけようが、自分の思うように生きて何が悪いのか――誰にも言ったことが無かった後ろ暗い感情だ。今になって、その感情が揺り起こされる。
 アルノの背中を後押しするように、クロエは満面の笑みで手を伸ばしてきた。

「アンタも一度さ、同じ場所まで来てみなよ。とっても、清々しい気持ちになると思うよ! やり方が分からない? じゃあ、アタシに協力しなさい。見たことも無い世界を見せてあげるから!」

 クロエが提案したのは魔法と魔術の混合術式であった。魔術と魔法を組み込んで、異界を創り出すというものだった。魔術の視点からすれば結界に近いものだった。アルノはその提案を受け入れ、準備を進めた。クロエの願いを全て聞き入れて構築するのはかなりの手間だった。
 それでも、これまでにない充実感をアルノは得ていた。こんなもの、授業でやることは絶対にないだろうから、魔術師としても純粋に興味があった。クロエが何をしようとしているかなど、どうでも良かった。彼女の願いが叶えられたら、自分も新しい世界を見ることが出来るだろうと思ったのだ。
 こうして出来た異界は、この学校ごと飲み込んでどこかへ飛ばしてしまった。学校が元に戻った時、生徒や教師たちはケーキやお菓子の姿になっていた。その様子を見たクロエは腹を抱えながら笑っていた。クロエとアルノは術を解くほどの力をまだ持ち合わせていなかった。だからそのままにして、学校から逃亡したのだった。かなり大騒ぎになったそうだが、アルノ達が捕まることはなかった。
 やってはいけないことをしてしまったのに、アルノはすごく興奮していた。確かに、見たことも無い世界が見えたのだ。生徒達がお菓子になるなんて、現実ではありえない光景に目を奪われた。

「キャハハ! アルノめっちゃ楽しそうな顔してる。今の顔すっごくいいよ~!」

 クロエの一言にアルノは雷を打たれたような衝撃を覚えた。あぁ、きっとこれが追い求めていた答えなんだろうと本能的に自覚した。

「さーてと、どうせもう学校として機能しないだろうし、魔術と魔法で痕跡も残さないようにしてきたから捕まることもないだろうし好きに生きてくわ。じゃーねー面白い経験させてくれてありがとね~」

 クロエが立ち去ろうとしたとき、アルノは無意識に彼女の腕を掴んでいた。クロエは冷たい視線を向ける。恐らく、彼女はこの先の言葉を予想していたのかもしれない。クロエが嫌なことはあまりしたくなかった。嫌われるのは嫌だった――それでもこれだけは譲れなかった。この時だけは、自分の思いに嘘を吐きたくなかった。

「俺も一緒に連れて行って」
「アンタの人生を私に押し付けないでよ。そういうの鬱陶しい。アタシはアタシのやりたいことしかやらない。アンタのことなんかどうでもいい」
「クロエ一人だと限界がある。魔法で出来ることは限られている」
「……そんなの分かってる。けど、別にアンタが必ずしも必要ってわけじゃない」
「それでも……それでも、俺にはクロエが必要なんだ。なんだってする」

 今の自分はどんな顔をしているだろうか――きっと、親にも見せたことのない表情をしていただろう。これほどまでに、必死になったことはなかった。

「正直、魔術科の首席って聞いた時から利用するだけして、捨てるつもりだったんだけどなぁ。まぁでも、魔術はいれば便利なのは確かなんだよねー」

 クロエは悩ましそうに腕を組む。だが、その表情からは隠しても隠し切れない、邪な考えが漏れていた。それに気づかないほど、アルノは鈍感ではない。それすらも、受け入れるつもりだった。

「アタシに一切の口答えと反抗しないこと。全部何もかも放り捨てて、アタシの道具になるっていうなら考えなくもないけど~その覚悟があるってことかな?」

 クロエの要求は想定内だった。クロエはとにかく、自分が有利な立場にいたいタイプの人間だ。そういった人間が望むのは大抵、都合のいい道具だ。それでも、アルノは構わなかった。クロエの傍にいられるならそれで良かったのだ。クロエの存在は、自分の心を満たしてくれると確信していた。このように願いを叶えてくれたから――クロエの言葉なら信じられる、とアルノは思ったのだ。

「分かった。約束する」

 即答するアルノに対して、クロエは少し引き気味だった。アルノが何を考えているのか、分からなかったのだろう。一体、何の目的でついていこうとしているのか考えたようだが、うーんと唸るばかりだった。理解されなくてもいい――自分が忘れなければいい。クロエには関係の無いことだ。
 やがて、クロエは大きなため息を吐きながらも、承諾してくれた。不服そうではあったが、一度行ったことを撤回するのはプライドが許さなかったのかもしれない。

「少しでも変な動きをしたら、首切るわよ。物理的に」
「構わない」
「……どうしてこうなっちゃったのかしら。アタシってばそんなに魅力的だった~?」
「うん」

 真面目に答えたのが癪に触ったのかクロエは舌打ちをした。

「…チッ。やっぱアンタムカつく! 真面目に優等生してろよバーカ!」

 クロエはアルノを思いっきり蹴とばした。アルノはクロエの言う通り、反抗もせずされるがままだった。傍から見れば、異様な光景だったがアルノにとってはちょうどいい距離感であり、最高に居心地のいい場所になっていた。
 だからこそ、失いたくなかった。自分だけ生きていても仕方がない。クロエが死んでしまったら、アルノの世界も終わってしまうのだ。一人、取り残されるのは寂し、辛い。かつての、学校での生活を思い出して苦しくなる。
 何としても、アルノは自分の光を取り戻したかった――その為には敵にさえ頭を下げることだって厭わない。力でどうにも出来ないことがあることはすでに知っている。臆病者と言われようが、構わない。クロエが助かることこそが何よりも最優先事項なのだ。クロエでさえ覆せないアルノの真実だった。

 こうして、アルノとクロエが描いた世界は静かに崩れ去っていく――