「契約……」

 ミリィが立ち尽くしているレイラの胸に手を当てると魔法陣が現れる。魔法陣は煌めいており、強い力を感じる。ミリィは目を閉じながら、力を込めているようだった。それからしばらくして光は消えていった。

「これで解除完了! 晴れて自由の身よ」

 レイラの了解も聞かず、ミリィはあっという間に契約魔術を解除してしまった。レイラとしては解くのは構わないが、ルーンにバレたらどうなるか――それだけが心配だった。裏切ったと思われたら、何の言い訳も出来ない。

「勝手に解いたらルーンが黙っていないような気がするんですけど……」
「心配性なレイラの為にちょっとした仕掛けはしてあるから、封印を解いたことはすぐにはバレないと思うよ。バレたとしても、レイラは計画に必須だから簡単に始末はしないはず!」

 ミリィは満面の笑みでグッと親指を立てた。被害で言えば、ミリィの方が契約不履行で始末されてもおかしくはなかった。しかし、彼女はそれ以上に面白くなればそれで良いという精神だった。罰を受けようが知ったことではない。

「今なら、ルーンの――レガリアの目的をひっくり返せるかもしれないよ?」
「……レガリアはともかく。私はルーンの願いを叶えるだけです。あの人が望むなら私のやるべきことは変わりません」
「ふーん。それならそれでもいいんだけどさ」

 ミリィの中で何が面白いかは分からない。予想外の方向に行けば大抵は面白いことになると思っていた。契約魔術を解いた結果、レイラの意思が変わらなくともルーンがどう出るか――レイラの意思を束縛出来ない以上、ルーンにとって不測の事態になれば面白くなりそうだとミリィは思っていた。それこそ、世界が終わったとしてもミリィは気にしないのだ。
 レイラとミリィがやりとりをしている中、フォルテは何となくその様子を眺めていた。

「魔術って、もっと手順が必要なのかと思ったけどそうでもないのか」
「不都合になったときの為に簡単に解けるようあらかじめ設定しておいてあるのよ。面倒だからあまり使わない手法だけれど」

 魔法は魔術と違って細やかな指定が出来る。術の内容や設定はかけた本人にしか分からない。従って、ルーンはミリィがどのような魔術をかけたのかは把握していない。簡単に解けるように設定してあることなど気づかないくらいだ。このような術を使えるのは魔術師の中でもかなり優秀な部類で出来る人間は数少ない。
 そう言った点で見ればミリィは優秀な魔術師でどこでも通用するレベルなのだが、如何せん本人のやる気がない為、放浪しながら暮らしていた。メロディアは自由奔放なミリィに少しだけ憧れていた。この場所を選んだのは自分とはいえ、手放したくない気持ちもあった。だからこそ、自分には出来ないことをやってのけるミリィへ嫉妬のような感情を抱き、苛立ちを覚えることもあった。
 今もそうだ。彼女は自由勝手気ままに状況を動かそうとしている。それによってもたらされる結果を観測したいようだ。結果がどう転んでもミリィは笑っているのだろうと、メロディアはため息をつきながらミリィとレイラの会話を眺めていた。
 ミリィは依然として興奮した様子でレイラと話している。

「言っておくけど、災厄の魔女をこの世に留まらせる術は解いてないよ。つーか解けない。あいつレベルならって思ったけど……あいつ地味に魔法と魔術混ぜてる。これやられると、パターンがランダム化して解くの面倒なんだよね。出来なくもないけど、時間の浪費が痛い」

 他人がかけた魔法や術を解除する解術はいくつか存在するが、ぴったり嵌る方法でないと解除出来ない。ミリィがかけた魔術は自身がかけたものなので解くのは簡単だが、ルーンがかけた術は魔術と魔法の合わせ技のようなもので、解くには難しいようだ。

「解かなくてもいいですよ。解いたらヴェーダが消えちゃうじゃないですか」
「正直、別にいなくてもよくない?」
「ヴェーダには恩がありますから。それに、彼女には彼女の目的があるので邪魔は出来ません」
「魔女ヴェーダの目的ねぇ……」

 ミリィは腕を組みながら考え始めた。何か引っかかることでもあっただろうか、とレイラは首を傾げる。
 ヴェーダの目的――あまり聞いてこなかったが、気にならないと言えば嘘になる。ヴェーダはレイラよりも前の人間だ。彼女は不本意に封印された。封印された恨みで世界へ復讐するというのなら理解出来ないことはないが、どうにもレイラには世界を憎んでいるようには見えなかった。だとすると、ヴェーダはいったい何を憎んでいるのか。ヴェーダからたまに伝わってくるほの暗い感情はどこへ向けられているものなのか。
 難しい顔をしているレイラ達を見ながらセゾンとフルールは暢気にお菓子を食べて、紅茶を味わっていた。

「もぐ……いっそのこと、ぶち壊してみるのもいいんじゃないんですかねー」
「無責任すぎるわよ。ここにはレインだっているのに」
「あ……」

 色々な情報が集まって整理する時間も無かったせいか、すっかり追いやられていた。忘れていたわけではない。レイラはそもそも、ここへ来るべくして来たのだ。最後の封印はヴィオレット――レイラの故郷にある。故郷を懐かしむことも出来ないまま連れられて来たので、感慨も何も無いがこの地は終わりが始まるかもしれない場所だ。

「そういえばまだ封印を解いてなかったわね。殿下にはレイラ姫が来ることは伝えたのだけれど……」

 思い出したかのようにメロディアは呟く。レイラを連れてくることは事前にレインへ伝えておりその時に「好きにしろ」と言われていた。メロディアとしては封印を解かせたいわけではなかったし、反対されるなら諦めようと思っていたが思ってもいない返答だったので、メロディアは少し呆気にとられた。何か裏でもあるのではないかと勘繰ってしまうが、こう言われたら気が変わる前にやった方が良いと思い、メロディアはレイラの拉致を決行したのだった。
 その話を聞いたレイラからは純粋な疑問が浮かんできた。

「あの、そもそもあなた達は封印を解くのを止める立場ではなかったのですか?」
「私はレインが見逃せとか、牽制でいいとか言うから従っていただけ! いやいや駄目でしょ! って突っ込みたかったけどさぁ命令は絶対だし……」
「そこは私も思っていたのよ。殿下も何かを隠しているみたい。まさか、魔女王と全て繋がっているなんてこと――」

 メロディアは頭を抱え、フルールは嫌な予感と共に冷や汗が浮かんできた。そうだったら、今まで自分達は何をしてきたか――いやそれよりも世界はどうなってしまうのか。
 その様子を見たミリィは子供のように期待に胸を膨らませた。

「レイン殿下――繋がりが無いってことあり得ないわね。だって、封印管理のヴィオレットじゃない。封印が解かれようと、口止めするには最適よね。隠ぺい工作もやりやすい。何だか、面白くなってきたじゃない」
「……笑えないわよ」

 心躍らせるミリィとは対照的にフルールの表情は固まっていた。メロディアもあまり表情には出さないものの、複雑な思いを抱いた。全て魔女の手のひらの上だとしたら、何を信じればいいのか。
 フルールはかつて、国を去っていったある騎士の男を思い出していた。レインと親しかったようで、あまり話したことはなかったが、旅立つ前に少しだけ言葉を交わした。男は「何の為に戦うのか考えたい」と言っていた。彼に何があったのかは知らないが、そこまで思い詰めることなのかと当時のフルールは思ったが、今になって彼の言いたかったことが何となく分かった気がした。あの剣士はヴィオレットの状況をどこからか知って、憂いていたのかもしれない。この国で何が起きているのか――レインの真意は分からない。メロディアやミリィの言っていることが正しければ、もはや何も信じられない。自分の守るべき場所がいつの間にか、姿形も知らない魔女に乗っ取られているなど考えたくもなかった。

「兄様が繋がっていようと、私がやることは変わりません。兄様は封印の間にいるんでしょうか?」

 レイラはメロディアやミリィの話を聞いても動じなかった。全てはレインに聞くまで分からないこと。その為にここまで来たのだ。あの日の真実を今度こそ知る為に、ヴィオレットへ戻ってきた。始まりでもあり、終わりの場所――複雑な思いが絡み合った運命の場所で全て決着をつける覚悟だ。

「どうでしょう。今から待っていたとしたら、すごく申し訳ないことをしているわね」
「王子サマを待たせるとかすげーよ」
「私の話と用件はあらかた終わったし、王子様とゆっくりお話ししたいならこれが最後のチャンスだろうね。それとも、やっぱ大人しくルーンを待つ?」

 ミリィの言う通りルーン達がいない今、レインと向き合うチャンスだろう。ルーン達には申し訳ないが、これだけは譲れなかった。

「行きます。そもそも私はその為に来たんです。今更、後戻りするつもりはありません」
「レイラ……」

 フルールは言葉に詰まる――止めたい、付いていきたい。レインが何を思っているのか、レイラがどう決着をつけるのか見届けたかった。
 しかし、手を伸ばせなかった。この思いも結局のところ自分のわがままでしかない。自分ではどうやってもレインの苦しみは癒せなかった。それどころかレイラの苦しみすら知らなかった自分に、レイラの歩みを止める資格などなかった。フルールはグッと拳を握りしめた後、自分の頬を叩く。

「あーもう。私じゃどうも出来ないの悔しい。悔しい! 元はと言えば何も言わないレインも悪いけどっ! レイラに全部託す! 私はここで待ってる!」
「そーだな。ついでにオレの代わりに捕まった恨みも晴らしてくれよ~」
「お前は自業自得でしょうが……」

 どさくさに紛れてエールを送るフォルテに対しメロディアは辛辣な突っ込みを加えた。

「道はいくつかあるけど、決めるのはあんた。未来の輝きは十人十色――ってね。ありふれたような言葉だけどさ。私、こうういうの嫌いじゃないよ」
「輝き……」

 ミリィの言葉にレイラはまた、心が揺れる。レイラの輝きを示すのはこの時だろう。全てを抱えきれるほどレイラの手は広くはない。レインを越えた後、自分は何を捨てて何を選び取るのか――レイラは胸の奥で祈りを捧げる。

「レイン様、最近オカシイところありましたし心配ですね。自分らには何も言ってくれませんしーレイラ様にガツンと言ってもらわないと」
「あーもう。」

 フルールはクッキーをやけ食いしていた。行き場のない感情は全て食欲に昇華されていく。たくさんあったお菓子はすっからかんになっていた。
 その様子を見ながらメロディアは呆れつつも立ち上がった。ここでいつまでもグダグダしていても仕方ない。メロディアはレイラに声をかけて、すたすたと書斎から出ていく。

「覚悟が出来たなら付いてきなさい」
「待ってください!」

 レイラも慌てて書斎から出ていった。その後姿をぽかんとフルールは眺めていた。これから何が起こるのかもはや考えたくもなかった。この部屋でのんびり過ごしている方がいいのかもしれない。城の警備など今どうなっているとか、もうそれどころの話ではない。

「なぁなぁこっそり見に行かねー?」
「立ち入り禁止場所へこっそり行くようなノリで言わないでくださいよー」

 絶対に言いだすだろうなと思っていたが、まさかその通りになるとは思わずセゾンは笑っていた。

「兄妹喧嘩には興味ないわ。結果だけ分かればいいし。そんじゃ私はここでさよならー」

 ミリィはあっさりと別れの挨拶を告げ消えていった。ミリィが消えて内心気が楽になったフルールは大きく伸びをした。

「オメーは気になんねぇのかよ」
「気になっても、見に行かないわよ。現実から目を逸らしているわけじゃないのよ!? 行ったところで多分、私には何も出来ないだろうから」
「冗談だって。オレも別にそこまで興味ねーし。つか話し合いで解決するとは思えねーけどな」

 フォルテの言うことは間違っていない。フルールもセゾンも話し合いで解決しないと思っているからこそ、見に行きたくなかったのだ。災厄の力を持っているレイラと、ヴィオレット屈指の魔法剣士であるレインを止められるのは少なくとも、この国にはいない。そして、レイラが受けた仕打ちを考えれば、穏便に解決する可能性の方が低かった。レインの方もレイラと会話する気が無ければ、即戦闘に突入するだろう。レイラを再び生贄にする可能性だってある。言葉で解決しなければ力での衝突になる――必然のことである。

「落としどころがあればいいんだけど、難しいわね」
「難しいですよねーレイン様がもうどうしようもないので、せめてレイラ様は諦めないで欲しいところですねー」
「こういうのは他人がどうこう言って解決する問題じゃねぇだろ。時間が解決してくれるって、ついでにオレも時間経過で解放されねぇかな」
「あーはいはい。フォルテさんはちゃんと反省してくださいねー自分は客人を迎え入れないといけないんでー」
「客人ってなんだ?」
「すぐに分かりますって」

 セゾンとフォルテの会話を聞きながら、フルールは俯く。本当に自分に出来る事は何もないのだろうか。せめて、傷ついた人を癒すことも出来ないのか。どちらを応援するかと言えば、どちらも選べない。
 そもそも、争って欲しくないのが本音だ。和解出来ればいいのに――そもそも、どうしてこうなってしまったのだろう。この流れが全て仕組まれていたことだとしたら、考えた人物は一体何を考えているのか。フルールは理解もしたくなかった。彼女が願うのはただ一つだけだ。

(どうか、思いが伝わりますように)

 フルールの頬から祈りの雫が流れ落ちていく。たった一つの願いを乗せて――