(ここは……)
いつも通りだと思っていたが今回は、自分の意識がはっきりしていた。唐突に映像を見せられることもない。変わりに不思議な空間を揺蕩っていた。当て所なくゆらゆらしていると声が聞こえてくる。聞き慣れたものだった。
(来たか。人の子よ)
(グラス……)
グラスはまっすぐに浮いていた。そして、曇りなき目でレイラを見据えている。
(今回は何も見せてはくれないのですか?)
(……記憶というのは波のように揺らぐ。人の子が過去から目を逸らさず、受け入れていれば我が引き出すことも出来るが……閉ざしてしまえばその揺らぎは無くなってしまう)
どうやら、何らかの事情で記憶は見られないようだった。これまでは見れていたのに、いきなり見えなくなることなどあるのだろうか。グラスはさらに言葉を続ける。
(貴様が見たいと願う記憶の持ち主が、心を閉ざしてしまったのだよ。こればっかりは我にどうすることも出来ん。元々、貴様の思いを反映して記憶が流れていた。それは記憶の持ち主が鍵をかけていなかったからだ。しかし、今回持ち主は鍵をかけてしまった。だから記憶の持ち主に関連する記憶は封じられてしまった)
(それって……拒絶されたってことですか!?)
(知らん。むしろ、貴様に心当たりはないのか)
グラスにそう言われて、レイラは封印を解くまでのことを思い返していた。そうだ――ルーンと過去に出会っていることを問い詰めたのだ。そのあと、色々あって詳しくは聞けなかった。だからこそ、レイラは今回の記憶で真実が分かるかもしれないと期待していた。
しかし、返ってきたものは拒絶の意思だった。ルーンはレイラに言いたくないと、示したのだ。
(私は、取り返しのつかないことをしてしまったんでしょうか……)
レイラは自分を責めた。やはり、踏み出すのは間違いだったのだろうか。そのまま、何もなかったことにしておけば良かったのか。見て見ぬ振りをして、願いを叶えることだけに集中すれば良かったのか――勝手にルーンの思いに触れた罰か。レイラの思考はぐるぐると回り続ける。
(……人の子。それでも、進むと決めたのだろう。何があっても、立ち止まらないと決めたのだろう)
グラスの声にレイラはハッ、と顔を上げた。何があっても――どんな真実が待っていたとしても――手を伸ばすことを諦めない。レイラはサリーヌの言葉を思い出していた。
(諦めなければ……手放さなければ手に入れられるものもある)
そもそも、過去を知りたいと思ったは本当の思い――願いを知りたかったからである。そうしなければ、レイラが願いを叶えることは出来ない。ルーンは少なくとも世界の破壊に拘っている様子はない。願いが世界の破壊ではないのなら、自分が成すべきことが何なのか――レイラは真実を知りたかった。
レイラが強く願うと、急にがくんと体が落ちていく。レイラの思いを上回るように、引きずり込んでくる何かの記憶。記憶の渦に飲まれレイラは深く、深く沈んでいく。
そこはまるで、底なしの海だった。海の中では色々な時代の景色が流れてくる。機械的な都市が見えたり、荒廃した大地が映ったり。これは世界の歴史なのだろうか。そしてある部分で映像が鮮明になる。そこには災厄の魔女として名を轟かす前のヴェーダがいた。今も昔も姿は変わらない。
姿は変わらないが、過去のヴェーダは満身創痍だった。どういった流れなのかは不明だがヴェーダは膝をついていた。ボロボロで今にも倒れてしまいそうだった。それでもプライドが許さないのか、平気そうな素振りをしている。
――ルネ。貴方のこと、嫌いではなかったわよ。他の奴らよりはマシだと思っていたのだけれど。
――貴方のその傲慢さ……相変わらず人を苛立たせることに関しては、右に出る者がいませんね。私は大嫌いでした。貴方の存在が疎ましい。いるだけでも許せない。ヴェーダ、私の友にして最後の敵。
ルネと呼ばれた少女は冷え切った視線をヴェーダに向けている。その瞳には嫉妬や憎悪といった、負の感情を幾重にも宿していた。身の毛がよだつほどの、黒い感情に飲まれた瞳にレイラは思わず息を呑む。
――私は一切、貴方に恨まれるようなことした覚えはないのだけれど。
――言ったでしょう。貴方はいるだけでも迷惑。消えて欲しい。世界を混沌に陥れた魔女としてね……
――何ですって……?
――貴方と一緒にこの世界に蔓延る災厄を封印するの。これから起こり得る全ての天変地異を全て封じます。アハっ……アハハハハハ!!
ルネは狂ったように笑う。
――そんなこと出来ると思っているわけ? 災厄というのはグラスの塊よ。人にどうこう出来るものじゃない。
ヴェーダはそう言うものの、結果はどうだったか――レイラはだんだんこの先の展開が読めてきた。それを裏付けるように、ルネは不敵に笑う。
――そんなもの……人が神と同位になれば、関係のないことですわ。
――何を…………まさか。そんな、ことって。
ヴェーダは何かを察したようだった。
――ヴィオレットの伝説はご存知でしょう。彼の魔導士はその膨大な力を持ってして戦乱の世を治めた……
ヴィオレットの伝説はレイラも知っている。それがここで出てくるとは、どういうものなのか今一度調べてみる必要がありそうだった。レイラは成り行きを固唾をのんで見守っていた。
――グラスは私の味方のようですよ? アレは私に力をくれたわ。今のお前なんてゴミ同然。誰も私に勝てない! あはははははははははははははは!!! お前は災厄を封印する為の餌だ! 惨めに魂を喰われて叫んで消えろ!! いひゃあはあああああはははあははあはははは!!
――ルネ……
哀れみのような表情だったが、だんだんと嘲るような笑みに変わっていくヴェーダ。その様子を見た、ルネは忌々しいものを見る目で睨みつける。
――貴方は……一生私には勝てないわよ。正直、貴方のことなんて眼中になかった。でも、今回はっきり覚えたわ。絶対に許さない、絶対に殺してやる。私は災厄の力を従え、再びお前の前に現れ、お前の全てを葬り去ってやる。
ヴェーダは呪詛のような言葉をルネに対し吐いた。負け惜しみだとルネは思っているようだった。
――いいえ。そんな時は来ませんわ。私が許しません。お喋りはここまでです。世界平和の為、貴方はここで封印されるのです…………アハハハハ! 無様ねぇ!! いい気味だわ!!
ヴェーダの足元には黒い空間が広がっていく。ヴェーダはどうやら、限界のようだった。成す術もなく暗闇に体を奪われていく。
――グラスの力に飲み込まれて死ぬといいですわ。
とどめにルネが手をかざすと、魔法陣が現れひと際大きな光を放った。それと同時に、当たりにすさまじい轟音が鳴り響く。
そして、ヴェーダは叫び声すら上げられず、静かに消えていった。
――まだよ。まだ。これでは不完全。完全にする為には……
ルネは宙に浮かんで、巨大な魔法陣を見下ろしていた。しばらく無言で見下ろした後、その場を去っていった。
そこで記憶という名の映像は終了した。記憶を見た結果、レイラは呆然としていた。多分、見てはいけないものを見てしまったような感覚に近い。
(あの……これ)
(思っていたのと違う――と言いたいようだな)
(いや、そうではないんですけど。あの、さっきの流れは真実……なんですよね)
(紛れもない真実の記憶だ)
あの映像だけではどういう経緯でああなったのかは分からない。決定的なのは、ヴェーダとルネという少女の溝はどうしようもないところまでこじれ、壊れてしまったということ。
(人の子に朗報だ。記憶の扉が少しだけ緩んだ。人の子が願う記憶が見れるかもしれん)
(それって――)
(貴様の諦めない思いが届いたのだろう。目に焼き付けてくるといい)