俺は何の為に戦っているのだろう。国の為? 自分の為? 世界の為?
言葉では言わずとも、奴も――レインも大切なものの為に命を張っているのだと信じて疑わなかった。俺はレインを信じていた。盲信というほどでもないが、こいつなら大丈夫だと思っていた。冷徹、無表情で何も興味なさそうな感じで勘違いされやすいが、心の中では色々と考えている。本当は熱く妹思いの奴だと思っていた。
けれども、それは俺が身勝手に押し付けていた幻想に過ぎなかったのか――今でも分からない。そう考えるきっかけになったあの日の出来事は、今でも鮮明に覚えていた。事の発端は仕事を終えて宿舎へ帰ろうとしていた時だった。偶然、とある二人の会話を聞いてしまったのだ。
「さてさて。お返事をいただきに参りましたわ。レイン殿下……これでも私としてはかなり時間を差し上げましたのよ?」
「……誰にも聞かれていないだろうな」
「この話自体、信じる者は少ないでしょうし。いたとしても……何も出来ませんわ。それで、レイラ姫は差し出してくれるのでしょうか?」
「…………」
「相変わらず口数の少ない御仁ですこと。確かに慎重になるべき事柄なのは分かっていますわ。貴方がレイラ姫を差し出した場合、魔法の素材になってしまいますものね……くす」
遠巻きに聞いているだけで、詳細は分からないが何やら不穏な会話をしているようだった。レイラ姫が魔法の素材――? 何を言っているんだこの女は。
「難しい話ではありませんわ。以前、貴方には災厄の封印維持には膨大な魔力が必要だと説明しましたね。イメージとしては、強固な檻があると思ってください。災厄を逃がさないようにするには、檻を永続的に補強しなければなりません。それに必要なのが大量の魔力――人間の魂には魔力がたくさん詰まっているのですよ。通説では人が死ぬ瞬間に、最も輝くと言われていますわ」
「……大量の人間。近頃物騒な噂を聞いたな。国や街にいる人間が丸ごといなくなるという、とんでもない噂をな」
「まぁ、そんな話があるのですか――なぁんて。惚けても意味がないのは分かりきっていますので言わせてもらいますが――事実ですわ」
隣国が突然消えた――噂程度で聞いたことがある。
ある日ぽっかりと、その国の住人だけがいなくなってしまったという話。町並みは綺麗に残されているのに、人っ子一人いないという不可思議な現象。色んな国から調査隊が派遣されたが、原因は不明。何の手掛かりも得られないまま、調査は終了したと聞いている。
今では国自体も立ち入り禁止になっているらしい。とにかく、何らかの力が働いているとしか思えないものであった。そんなことがあればたちまち話題になるだろうに、全く盛り上がらなかったのだ。
噂が広まった当初は仲間内で話題になったが、最終的に皆が口をそろえて関わらない方が良いという結論になった。理由は簡単、詮索した人間はことごとく消されたからである。
「事実と言うが、そんなこと本当に出来るのか」
「あら、出来るか出来ないかの問題ではありませんわ。断っても構いませんが、断ったらこの国を次の生贄にさせてもらいます。えぇ? 何を驚かれているのでしょう。当然のことではありませんか。災厄の封印は絶対に解かれてはいけないものなのですから……」
この国が消える――そう思うと、震えが止まらなかった。苦渋の決断というわけでもなく、予め決められた定めのように女は言う。女は選択を突き付けられたレインを見て楽しんでいるようだった。女の目は鋭く、獲物を嬲るようにじっくり見つめている。かなり性格が腐りきっているように思える。
レインはというと、相変わらず何を考えているか分からない。あんなことを言われても、思うことはないのか。今見ているものが現実なのかも怪しい。自分はひたすら盗み聞きを続ける他なかった。何がどうなっているのかも分かりたくない、知りたくない。どれくらいの沈黙が続いたのだろうか。
やがて静寂を割いてレインがゆっくりと口を開いた。
「……レイラを、生贄に出そう」
「あら、なかなか肝が据わっていますね。でも、貴方ならそう答えてくれると信じていましたわ……殿下」
「俺が全て背負う」
「全て背負う、ねぇ。その覚悟……どれほどのものか気になってしまいますわ。せっかくですし、殿下に儀式を遂行してもらいましょうか……ふふっ」
「何だと……?」
レインが珍しく動揺した様子を見せた。女の方はレインが想像通りの反応を見せてくれたことに、笑いがとまらないようだった。
「ふふ、あははっ。殿下に拒否権はありませんよ。分かりやすく言った方がよろしいでしょうか? 私は最初から貴方に選択肢を与えたつもりなどありません。貴方の反応が面白いから引き延ばしていただけ。鉄面皮が崩れる様が見たかっただけですわ」
妹を封印の生贄にする――それでも恐ろしいことなのに、それを実の兄にやらせようなど狂っているとしか言いようがない。この女は一体、何を考えているのか。
「貴方がレイラを殺すのよ――レイン殿下。大丈夫、貴方なら上手く出来るわ。私の部下もいることだし、何も心配しなくていいのです」
魔女は歪に楽しそうに笑う。全てを嘲笑うような瞳が揺れる。
「××××め――」
レインが苦々しく何かを呟いた気がしたが、これ以上聞き耳を立てていたくなかった。
俺は急いで、それでいて気づかれぬようその場から逃げるように離れていた。正気でいられる自信がない。あの場にいたら命がいくつあっても足りない気がした。何とか宿舎の近くまで来て、息を整えていたが背後に恐ろしい気配を感じた。
「ご気分は如何でしょう? 本来、盗み聞きをしたものは始末するところですが、今は気分がいいので見逃してあげましょう。魔力がほとんどない人間を苛める趣味はないので」
俺が盗み聞きしていたことはどうやらバレていたようだ。逃げたところで何の意味もなかった。幸いなことに魔女は俺に興味が無さそうだった。魔女の興味をそそるのは、魔力を持った人間らしい。ここは魔力が無くて安堵するべきなのか。何が正解なのかが分からなかった。女は自分のことなど歯牙にもかけず語り続ける。
「レイン殿下の部下なんでしょうけれど……あまり彼のことは責めないでくださいな。彼も大変でしょうし。これから頑張ってもらわなくてはいけませんから。それと、今回は見逃してあげますが、嘘や隠し事が上手くないようでしたら自分から消えることをお勧めいたしますよ。ここでの話を貴方が言いふらしたところで、誰も信じないでしょうけれど……火のない所に煙は立ちませんから、ね?」
魔女は高笑いしながら、夜の中に消えていった。魔女は自分に消えろ、と言っているようだった。魔女の力がどれほどかは、魔力のない自分でも恐怖を覚える程なので、考えるまでもない。それでも、自分はレインを信じたかった。先ほどの話が夢であって欲しいと切実に願った。
あの後、真っ先に姫の姿を確認した。そこには今まで通り変わらない姫の姿があった――安堵したものの、それは束の間だった。
「姫様が亡くなられたって――」
レイラ姫の死は国中に伝えられた。聞けば、魔物に襲われて亡くなったと言われている。
しかし、あまりに突然すぎた死に対して、色々な憶測が飛んでいた。とにかく、レイラ姫が死んだという事実がヴィオレット内に流れた。
きっと、誰もその真相は知らない。レインと俺以外は――
レインの両親――国王と女王が深く悲しんでいたのを見ると、彼らは真実を知らないのだろう。あの日レインが全てを背負うと言った。誰かに言おうものなら、魔女は今頃この国を生贄に捧げていたはずである。
レイラ姫の死は、最初こそ話題にはなっていたが、だんだんと触れられなくなっていった。噂好きの間でも皆、魔法にかけられたように、話題に出さなくなっていった。
今思えば、レインはそれから変わってしまったと思う。昔から無口で不愛想だったが決して冷たいわけではなかった。それなのに、今は深い闇の中にいるような――近寄りがたい雰囲気を醸し出していた。
レインと比べ俺はというと、何があったかと問われても上の空で、精神的な問題なのか仕事に手をつけられず休みを取っていた。考えれば考える程、レインへの信頼が崩れていく。もっとどうにか出来たのではないか――そんな思いがよぎるばかりだった。たが、実際は何も思いつかなかった。
そして、時間がだけが過ぎていき、俺は退職することにした。金も何も要らなかった。このまま居座り続けても、まともに動ける気がしなかった。最初からあの魔女の言う通りにしておけばよかったかもしれない。仲間からは何があったのか色々聞かれたが、口を堅く閉ざした。レインは何も言わず承諾してくれた。
この場から一刻も早く出なければ――俺が耐えられなくなってしまう前に。
俺は誰にも別れの挨拶をせずに、ヴィオレットから立ち去ろうとした。
しかし、門の近くには待ち伏せするようにレインが立っていた。まさか出くわすとも思ってもいなくて、咄嗟に目をそらしてしまった。一体、何を言えばいのか――俺は柄にも無く悩んでいた。そんな俺を尻目にレインは俺に話しかけてくる。
「一つだけ聞きたいことがある。あの日お前はどこまで聞いた――?」
レインの口から直接問い詰められたのは、これが初めてだった。何も聞いていなかった、と言える雰囲気ではない。レインは俺があの日盗み聞きしていたことを知っている。あの底意地の悪い魔女が喋ったのかもしれない。やりそうなことである。ここで嘘をついても仕方がない。正直に話すしかなかった。
「この国と引き換えに、お前がレイラ姫を生贄にすると決めたところまでだ。盗み聞きして、魔女に笑われたさ。ここに来た理由は口封じか? 別に構わないぜ。もう、どうにでもしてくれ。夢も希望も無くなっちまったしな……」
「何を勘違いしているのか知らんが、殺すつもりで来たわけではない。お前があの日、どこまで聞いたのか知りたかっただけだ」
事務的な答えが返ってくるだけであった。何も思わなかったのか――レイラ姫の死は、妹の死はその程度だったのか。俺はレインの胸ぐらをつかんでいた。
「言いたいことはそれだけかよ!? テメェ、自分が何をしたのか分かってんのか!?」
「……お前に言われなくとも分かっている」
レインの目は何の揺らぎも無かった。全てを背負うと決めたあの日から、きっと変わらないのだろう。
誰かに話していれば――と言いかけたが、あの魔女の力を前に一体、何が出来るのだろう。あの現場を見た俺ですらずっと言えなかったのだ。言えるわけがなかった。
一人の命と大勢の命を天秤にかけた場合、どちらを取るのが正しいのだろう。正しい答えなどあるはずがない。両方の命を抱えられる、力のある人間がこの世界にどれだけいるだろうか。一つだけ確かなことは、俺にレインを責め立てる資格はない。二人の話を聞いておきながら、楽観視して結果的にレイラ姫を見殺しにした資格などなかった。
俺は自分の無力さを隠すように、レインを突き飛ばした。
「悪ぃ。もう、お前の隣には立てねぇ。じゃあな……」
レインの表情は見ず、完全に袂を分かちヴィオレットの門をくぐった。恐らく、二度とヴィオレットに入ることはない。むしろ、二度と入ることを許されないだろう。
これが俺にとっての最良の選択肢だと思う。レイラ姫が命を捧げたからこそ、ヴィオレットの安寧が保たれているのだ。わざわざ、俺がヘマして台無しするような真似はしたくない。それにこれ以上、レインが落ちぶれていくのを見たくなかった。ただ、俺には支えられる勇気はなかった。フルールならどうにか頑張ってくれるかもしれない。俺の分まで頑張ってくれ――無責任ながらも祈りを捧げた。
騎士を辞めた後は各地を放浪した。色んな奴が絡んできたりしたが、とりあえず大剣を振るえば大抵の人間は逃げ出す。放浪した末に、いつの間にか無人島に辿り着いていた。何をどうしてこうなったのかは、正直覚えていない。忘れられない記憶とともに俺はこの島に封じられたのだった――