「……最悪。あいつらどこ行ったの」
勇敢に森の中へ踏み込んだラパン。だが、一緒に入ったはずの仲間はいない。どうやら入ってくるときに、離れ離れになったようだ。恐らく森の中へ足を踏み入れた時に、何らかの術をかけられたのだろう。小賢しい真似をする。
「一人の方が気楽だし。とにかく、レイラちゃんを探さないと……あいつと遭遇する前に」
他の二人は放っておいても、どうにかなるだろうと思っていた。万が一、敵に会っても対処できる力を持っているはずだ。
しかし、レイラ一人となると話は別だ。彼女は今現在、力を十分にコントロール出来ていない。レイラが捕まったら計画が台無しになってしまう。
「……早くしないと」
ラパンが森の外で感じ取った匂いは、かつて施設が燃やされた時に嗅いだのと同じであった。焦げ臭いというわけではない。個人が持つとされる匂いである。匂いというものは本人の特徴がよく現れる。外にいるときはひしひしと感じていたのに、中に入った途端狂わされた。感覚を麻痺させる術もかけられているのかもしれない。
しかし、ラパンが間違えるはずがなかった。この森の中に奴は絶対いる――ラパンは己の感覚を信じていた。
「……どこまで行っても邪魔するのか」
ラパンは曖昧になっていた記憶を掘り返していく。弱い自分に負けたくないと、目を逸らしてきた過去と向き合うことにした。
――そう遠くない過去の記憶――
毎日誰かの悲鳴が鳴りやまない、悪夢の箱庭での出来事である。
施設に預けられた後、ラパンは肉体強化の魔法に成功し、施設の中でもある程度の地位を獲得していた。地位と言っても、施設内を自由に動けるぐらいだ。少し前まであった痛ましい実験は少なくなり毎朝、魔法のテストと検査を受けるだけになった。自由になっても、ラパンの心は軽くならず、どこか空虚であった。空を見ても何も感じず、自分と同じ境遇の仲間を見ても何も思わなくなっていた。この状況が永遠に変わらないと、心の片隅で思っていたのかもしれない。
しかし、この世に永遠などないように、ラパンの日常は呆気なく崩れ去ることになる。
『こんにちは。でいいのかなぁ』
それは子どもの闖入者だった。資料室前を通りかかると、嫌な感じの匂いがしたので、ラパンはこっそり覗いた。
そこには、資料室の棚を漁る少年の姿があった。ラパンの気配に気づいていたようで、挨拶をしてきたが、返すことはなかった。その少年は、施設にいる子どもとは明らかに雰囲気が違った。施設の警備は厳重で簡単には侵入できないはずだ。何らかの魔法を使ったと考えるのが妥当だった。そして、侵入する際に人を殺している可能性――そのせいかラパンは訝しむような目つきで問いかけた。
『誰?』
『名乗らないと失礼かぁ。ボクは×××』
『……どっちでもいいし、どうでもいい』
『何だぁ。それなら言うんじゃなかった。どうでもいいなら見逃して欲しいなぁ~』
『……ご自由に』
この時は関わったら面倒なタイプ、程度にしかラパンは思っていなかった。足早に立ち去ろうとした時だった。
『ねぇ、キミはここの生活に満足してるのぉ?』
ラパンの足は止まった。嫌味を言われているような気がしてならなかった。ここへわざわざ侵入したいうことは、それなりに施設のことを把握しているはずだ。不快な気持ちになりつつも、見逃すことは出来ないラパンは問い返した。
『何が言いたいわけ?』
『文字通りの意味だよぉ。ボクには分かるよ……キミの力はこんな場所で潰されるものじゃないよねぇ~』
『……余計なお世話。私はずっとここにいる』
『そっかぁ。残念だなぁ~』
そう言いながら少年はいきなりラパンの腕をつかんだ。突然のことでラパンは思わず固まってしまい、ひたすら睨みつけることしか出来なかった。
『……何?』
『……なるほどねぇ。ふふ、ふ』
『離してよ。気持ち悪い』
『ごめんねぇ』
少年は呆気なく手を放した。一体何がしたかったのか分からないし、とにかく気味が悪かった。ラパンは掴まれた部分を少し手で掃った。一刻も早く、この場から離れたいラパンは今度こそ目もくれず、走っていった。
『またねぇ』
背後から聞こえた言葉に一抹の不安を残して――晴れない気分を紛らわす為に、ラパンは施設から遠ざかり空を見上げた。いつも通り変わらない日常。それだけで十分だった。何も望まない、過ぎた願いは虚しくなるだけ――逃げたくても、力を振るえない自分では意味がない。ラパンの腕にはめられている魔法を抑制する腕輪は決して逃がさないように、彼女を縛り付けていた。
(なんか、嫌な予感しかしない……)
その予感は的中して、焼けるような匂いが漂ってきた。施設が建っている方角を見ると、夥しいほどの黒煙が空に浮かんでいた。何が起きているのか――施設の仲間は大丈夫なのか――様々な思いが駆け巡る。
『……何でだろう。私、何で走っているんだろう』
突き動かすものが分からない。分からないけれど、走っていた。休むことなく走り続けやがて、施設の一角が見えてきた。
『は……?』
何が起こっているのかラパンは理解が出来なかった。疲弊した足に鞭を打ち、施設の入り口付近に辿り着いた彼女が見たものは、赤い炎に包まれた建物だった。炎はすべてを包み、何もかも飲み込んでいく。焦げ臭さの中に肉が焼けた匂いも混じっている。ラパンは声にならない声を絞り出すのが精一杯だった。
『あ、あ……あ……』
施設の中には大勢の人間がいた。子どもはもちろん、大人もそれなりにいたはずだ。誰一人逃げられなかったのだろうか。揺らめく炎を呆然と見つめていた。その炎の奥に亡霊のようなものを見つけた。ゆらゆら動く影との距離は縮まっていく。
『……やぁ』
ラパンはその声を聴いた瞬間、本能的に走り出していた。力も十分に出せないが、一刻も早く遠ざかりたい気持ちが強かった。施設の防衛機能はもはやその機能を果たしておらず、簡単に逃げ出せる状態だった。山の中まで逃げたラパンはぜぇぜぇ、と息を吐く。匂いはいまだに焼き付いて離れなかった。施設は恐らく、跡形もなく消えてしまうだろう。自由になれたというのに、なぜかラパンの気持ちは晴れることがなかった。それもそうだ――自分は真っ先に逃げ出した。仲間を見捨てて、遠くまで逃げた臆病者なのだ。罵倒を浴びせられても仕方がない。
(戻ら、なくちゃ……)
ラパンはふらふらと再び施設がある場所へ歩き出した。こんなことでは誰も助けられない――もしかすると誰か生き残っているかもしれない。歩くのをやめてラパンは力強く走り出した。
ラパンが施設へ辿り着く頃には、見るも無残な姿となっていた。施設はほとんど原形をとどめておらず、炎は未だに揺らめいている。当然、焼け焦げた肉のような匂いが立ち込める。感覚強化の能力が無くても分かるレベルの匂いに、ラパンは思わず顔をしかめた。建物の前には一人の人間が立っている。ラパンは思い切り、その人間を睨みつけた。建物の前にいたのは、先ほど出会った少年だった。少年はまっすぐラパンを見つめていた。焼け落ちた建物などどうでもよさそうだった。
『な、何、これ。お前がやったの……?』
『資料はあらかた回収したから、実験台になってもらったんだよぉ……それにここがある限りキミは一緒に来てくれなさそうだったから……うへへ』
『…………は……?』
ラパンは思わず絶句した。何を言っているのか理解出来ない、頭が思考を拒否した。何が起こっている!? 何が、何がなにが――
『前からここには目を付けていたんだけどねぇ。キミの力に興味があるんだぁ……付いてきてくれるなら、その腕輪……壊してあげるよ……? 悪いようにはしないからさぁ~』
少年はラパンの力を目当てに来ていたようだった。ラパンは力があっても施設を離れようとはしなかった。腕輪のせいもあるが、両親に見捨てられた以上、帰る場所も行くべき場所などなかった。少年がこの施設のことをどこで知ったのかは不明だが、ラパンはここから出る気などさらさらなかった。この場所で命を終えようと覚悟していたぐらいだ。
しかし、その思いは逆に災いを呼ぶことになったようだった。ラパンがおとなしく少年についていけばこのようなことは起きなかったかもしれない。そう思うと、体の震えが止まらなかった。
『…………ねぇみんなは、みんなどうなったの』
『んー……焼死体になってるんじゃない? あ、でも一部は材料として持って帰るから、きっと寂しくないよぉ~』
何を言っているのだろう――目の前にいるのは人間なのか。ラパンはそれすらも疑わしくなっていた。戻ってきたのに何も出来ない。今のラパンは無力だった。死を悼むことすら出来ない。大人達は死んでも良かったが、他の仲間達は何もしていないのに、どうしてこんな目に合うのだろう。仲間達が一体何をしたというのだ。
それもこれも、全て――自分が間違えてしまったから?
(わ……私のせいだ。私が殺した。本当に殺した? まだ、誰かいる……かも。誰か、誰か、ねぇ)
ふらふらと施設の中へ入ろうとしたが、少年に腕を掴まれた。ラパンは必死に振り払おうとしたが少年の力は強く、振りほどけなかった。さっきは振りほどけたのに、どうしてなのか。
『……あの中に入ったら、二度と出られないよ』
『それでもいい! 死んでもいい!! 私は、生きていたくないッ……!! 私は逃げたんだ――ならもう一度やり直すしかないじゃない……みんなと一緒に、死ななきゃ……』
『うーん……それはダメ~ほんと、死んじゃうし』
『離して! うるさい! うるさい!』
『……キミには死んで欲しくないんだよぉ~他はいいけど、キミはダメ。ボクはキミの力が欲しいからぁ……』
『お前の事情とか知るか!! だったらお前が死ね!』
『それは嫌だし、そんなこと言わないでよぉ……』
なりふり構わずラパンは暴れて、ようやく解放された。息を切らし目の前にいる少年を睨みつけていた。炎の勢いは収まらず、燃え続けていた。ラパンはこの状況から脱出する方法を必死に考えた。仲間を助けることが出来ない、死ぬことも許されない――悔しい気持ちで炎を見ていると、次第に頭の中がクリアになっていくようだった。頭が冷えていくような感じがした。
『……私の力なんて大したことないよ。あんたが思っているようなものじゃない』
『それはボクが決めることだし~』
『それに、私には腕輪が付いている。これがある限り私の力は十分に発揮されない。どうやっても壊れなくて――』
『なるほど~』
分かっていたかのように、流れるような手際で少年はラパンの腕についていた腕輪を壊した。少年が触れただけで腕輪は簡単に粉々になってしまった。
『助けに行くの~? あの炎も強化すれば潜れたりするのかなぁ~それとも焼き肉になっちゃうのかなぁ~?』
『っ、お前……!!』
試されているような気がした。死にたいなら死ねばいい――そう言っているような気がした。自分の力が正直、どこまで適用されるのかは分かっていない。一か八かで潜るのは危険だった。死にたいと思っていたのに、いざそのタイミングが来ると躊躇している自分がいた。何を躊躇っているのだろう。みんなが気になるなら、見に行けばいい――駄目ならみんなと一緒に死ねばいい。それだけなのに。
『君の選択、楽しみだなあ~ああでも……もう、遅いかもしれないけどぉ……』
――記憶は再び現在に戻る――
あの後、ラパンは再び逃げ出したのだった。今度はなんのしがらみもなく、力をフルに活用して全速力で逃げた。サバイバル生活をこなしながら、少年に出くわさないように、地獄の果てまで逃げるつもりだった。
そして、いつしかルメイユ山まで来ていた。あれからどれほどの月日が流れたのかは分からない。ボロボロになりながらも、逃げるように生きてきた人生――そのツケがようやく回ってきたようだった。
「はぁ……頭が痛い」
再びラパンの景色は暗闇の森へ戻る。能力を使おうにも、感覚強化はほとんど使えない。自分の思った通りに進むしかない。幸いにも五感だけが狂わされるようで、肉体強化は大丈夫だった。
「……逃げも隠れもしない」
過去は消えず、いつまで経っても残り続ける。ラパンはケリを付ける為に走り出した。