「う、う、うぅ……」
悪夢のような場所から、次にレイラが目を覚ました場所は、堅いベッドの上だった。何が起きたのかさっぱり分からなかった。体を起こして辺りを見渡してみたが、普通の家のようだった。ただ、家にしては最低限の家具しか置かれていない。壁を見ると、木材で出来ておりログハウスのような造りになっている。
「何がどうなっているの……? 夢でも、見ているの?」
「夢ではないよ。紛れもなく君が生きている世界だ」
「だ、誰?」
レイラが声のする方を見ると、そこには帽子と赤いマフラーを纏った少年がレイラを見定めるように、腕を組んで立っていた。問いかけには応じず、静かに出方を窺っているようだった。
何の反応も出来ず、レイラがぼけっと見つめていると、少年の方が先に口を開いた。
「僕はルーン。しがない魔法使いだ。よろしく……レイラ姫」
「どうして私のことを? はっきり申し上げますと、怪しさしかありません! 私に何が起きたんですか!?」
「まぁまぁ、落ち着いて。質問には言える範囲で答えるよ」
落ち着いていられるか――と叫びたい気持ちもあったがそこまでの気力は無かった。
レイラはルーンに対して、フレンドリーな雰囲気はあるものの、腹の底では何を考えているか分からない、といった気味の悪さを感じていた。笑っているようで、笑っていない――少し苦手なタイプだった。
しかし、それと同時にどこか懐かしさも感じる。記憶の中に似たような人間がいた覚えはない。ますます、混乱しそうだった。考えても仕方ないと、思考を振り切って質問に集中することにした。
「質問に答えてくださるようですが、まず第一! 封印を解いたのはあなたですか!?」
「はいそうです」
ルーンはさらっと肯定した。封印を解いたこと自体、大したことでは無さそうな様子である。レイラはさらに頭が痛くなった。本当に何がどうなっているのかさっぱり分からないでいた。
「なんかもう、あなたが説明してくれると有難いんですが」
「僕が勝手にべらべら喋っても、内容が頭に入らないだろ? それに質問してくれたほうが楽」
「自分都合じゃない」
「でも、自分が知りたいことを質問した方が、頭の中で纏めやすいでしょ」
封印を解かれたことは自体は理解しているが、頭が追いついていない。ルーンの言う通り、勝手に目的を話されても、理解出来る気がしなかった。
そもそも、質問したところで理解出来るかと言われたらそれも分からない。話の内容によるとしか言いようがない。質問に答えてもらえるなら、と最終的にレイラはルーンの意見に従った。
「気を取り直して。まずはあなたの目的を教えてもらえますか? もっとも、あの場所の封印を解いた時点で嫌な予感しかしませんが」
目の前にいる魔法使いは、神殿に何が封印されているのかを理解していながら解いたように思える。まず、魔縁の神殿は普通の魔法使いでは、立ち入ることすら出来ない場所だ。そのような場所に難なく近づける者など、ただの魔法使いではない。
それに、封印されていたものを考えると、ルーンに正当な目的があるとは思えなかった。
ルーンは警戒しているレイラに対して、特に気にせず目的を告げた。
「姫様の予感は大当たりだと思うよ。目的というより、お願いかな。姫様には世界を破壊してもらいたいんだよね」
「は、はかい……?」
何を言っているのか理解出来なかった。遥か予想の斜め上を行く回答に唖然とするしかない。
呆気に取られているレイラを尻目に、ルーンは続ける。
「文字通りの意味だよ。姫様が手に入れた災厄の力を使って、この世界を破壊して欲しいんだ」
頭があまり回っていない状況ではあったが、さすがにあの場所であった出来事は忘れるわけがない。だからこそ、レイラは不信感を抱いた。
「……どうして災厄の力を手にしていると知っているのですか?」
あの空間での会話は、グラス以外聞いていないはずだ。聞いていたとしても、あの場所にいたのはヴェーダと行き場のない魂くらいだろう。
少し考えて、レイラはグラスが言っていたことを思い出す。グラスは外に人間がいると言っていた。もしかすると、ルーンがその人間なのかもしれない。他にも何か企んでいるといったニュアンスのことを言っていた気がするが、いまいち思い出せない。
ルーンはというと、少しだけ驚いた表情をしながらも笑っている。
「まさか、君自身に自覚があるとはね。いやはや、さすがヴィオレットの姫君。まぁ、そうなるように仕向けたからおかしくはないか」
「そうなるようにって……あなた、自然の力――グラスを操っていたのですか?」
“グラス”という言葉にルーンは大きく反応を示した。先程よりも衝撃的なようだった。
「グラスだって? グラスを知っているということは……うーん。ちょっと想定外だ」
「な、何ですか急に……」
「姫様の言う“グラス”って、魔力の源のことだろ? 今となっては死語の。姫様がそこまで知っていたとは思えないし、あの場所で何があったか、聞かせてもらえないかな。ごめんねーこっちからの質問になっちゃって」
質問に答えると言ったルーンが逆に質問をしてきたので、レイラは思わずたじろいでしまう。ルーンがグラスという言葉を廃れたと言っている時点で、かなり博識の魔法使いであることは間違いなかった。
しかし、グラスについて知っているということは、この場所について深い知識や、関わりがあるのではないかという疑念が、レイラの中に湧いてくる。
黙っていようかと思ったが、ルーンの様子を見る限り簡単に逃してはくれないだろう。災厄の力があるとはいえ、レイラは全く魔法を使えないので、争いになったら勝ち目がない。穏便に済ますほうが互いに良さそうだとレイラは考え、封印されていたときのことを伝えようと思ったが、いざ説明しようとするとかなり難しい。
「グラス――災厄の力が喋りだして、私に力を与えると言っていました。詳しく話すと長くなるのですが……」
封印が解かれる前にどのようなことがあったのかを簡単に説明した。何もない空間にひびが入ったところからグラスに出会うまで――ヴェーダについては面倒なので省いた。
「核が意思を持つとは。なかなか興味深い話だ」
「今の話を信じたのですか?」
「あり得ない話じゃない。神様は暇を持て余してよく喋る。そういうことさー」
ルーンは僅かに驚きを見せたものの、納得しているようだ。どこか、身に覚えがあるような言い方にも聞こえるのは、気のせいだろう。
「てっきり、あなたがグラスを操っていたのかと思いました。どうなのでしょうか?」
レイラの考えでは、ルーンがグラスを操って力を制御したと思っている。
しかし、グラスが言うには人間が制御出来るものではないらしい。だとすれば、ルーンが行ったことは何なのか。先程、仕向けたと、言っていたが何を仕向けたのか。疑問はどんどん湧き出てくる。
「僕は独自の魔法で自分の杖と、姫様に災厄の力をねじ込もうとしたんだ。結果として、半分機能したようで」
「半分?」
「あぁ。この杖にも災厄の力が宿っているんだよ。姫様に関しては、グラスと独自に契約のようなものを結んで力を手に入れたようだけど……」
ルーン曰く、固着魔法と呼ばれるもので、指定した対象に力を定着させる魔法の一種らしい。他にも、色々な術をかけたようでその効力は全て発揮しているらしい。ただ、固着魔法だけは、グラスの力で上書きされたらしい。効力は同じなので、ルーンもレイラがグラスについて話すまで、気付かなかったようだ。
「グラスの意識が姫様の中にいるなら、計画がスムーズに進みそうだね」
「そうですかね。それであなたは結局、何がしたいのでしょう」
「世界の破壊さ。他に質問は無い?」
他に質問はないかと言われて、聞きたいことは山ほどあったが、レイラは“世界の破壊”というルーンの目的を反芻していた。
ルーンの態度は軽いが冗談を言っているわけではないのだろう。到底信じられない話である。文字通りの破壊なのかもっと裏の意味があるのだろうか。そもそも、本気でそんな物騒なことを考えているのか。ただの遊びなのか――
「世界を破壊と言いましたが、本気ですか?」
「本気だよ。そのために君の協力が必要なのさ。だから頼むよー」
親しい友人に話を持ちかけるような軽々しい態度でルーンは頼んできた。何を考えているのか一向に分からないその表情に、レイラはずっと警戒していた。
だが、警戒したところで反抗する気力は湧かなかった。今の状況が全く理解出来ていないし、そもそも、封印されてからどれくらい経過したのかすら分からない状態だ。地上に出られたらどうするか――希望だったはずの世界は色褪せて見えていた。
結局、地獄から脱出してもまた別の地獄が待っているだけだった。自分が一体何をしたと言うのか、みんな消えてしまえばいいのに――破壊が願いを叶えてくれるなら――レイラはほんの少しの憎悪を隠して返答した。
「お役に立てるかは分かりませんが、私の力が必要なら貸しましょう」
「え、いいの? マジで? どうして?」
レイラがあっさりと承諾したことにルーンは驚いていた。自分から提案しておいて何を言っているんだろう、とレイラは思った。
「別にいいかなって思っただけですよ。どうでもいいっていうか……何でしょうね。おかしな話です。本当ならきっと、断るのが正解なのかもしれませんが、私にはもう何が正しいのか分かりませんから」
兄に裏切られ、地獄のような場所に放り込まれた日から全てが狂っていった。亡者の声、叫びなのか怒りなのかも分からない、声にならない声。鳴りやまない怨嗟は正常な思考を遠ざけていく。
「……地上に出ても私の居場所はないのに。あの場所にいたほうが、良かったんじゃないかって――あなたはどう思います?」
“世界の破壊”という言葉を聞いてから、レイラの心はますます深い闇に嵌っていくようだった。縋るような目で、レイラはルーンへ問いかけた。
「少なくとも、僕には姫様の力が必要だ。僕の目的は姫様がいないと達成出来ないからね」
「目的のため、ですか」
「冷たいかもしれないけれど、それ以上の言葉はかけられない」
「その方が、本音っぽくて安心します。今の私では優しい言葉をかけられても、疑ってしまうかもしれませんから」
「いやー疑ったほうがいいと思うよ。世の中悪人だらけだからね。だから……災厄の封印を解くような僕のことも、信頼しない方がいいよ」
ルーンはどこか焦っているようにも見えた。ただの勘違いかもしれない。
だが、ルーンもまたレインのように裏切る可能性があると言いたそうだった――それでも、レイラは気にしなかった。
「肝に銘じておきますね」
裏切るか裏切らないかはレイラには、もはやどうでもよかった。今、必要としてくれるのならそれでいいのだ。自然と笑みが零れる。少しだけ元気は出てきたものの、まだまだ本調子には遠かった。
「あ、そういえば。話は変わるんだけど……」
ルーンは少し気まずそうにレイラへひそひそと問いかける。
「あそこにいる魔女っぽい人は誰だろうか。姫様の友達かな?」
ルーンが指をさした先には、いつの間にか見知らぬ金髪の女性がいた。