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 行き場の無い感情から、戦いの火ぶたは切って落とされた。避けられない争いでもあり、止めることの出来ない争いだった。どこへ終着するのか、先の見えない未来を見守るしかなかった。紫苑は巻き込まれないように、遠巻きに眺めていた。その側には、ミュオソティスやミオネもいた。

「半分くらいは僕の責任さ」
「うわっ。いつの間にこっちに……」
「そんな引かないでくれよ。巻き込まれそうだから来たのさ。危ない危ない」

 紫苑の真横に竜胆がいた。竜胆がいたところを見ると、茉莉花たちの遺体は無かった。巻き込まれないように移動させたようだった。紫苑は半分空魔でも人の心はあるんだな、と大変失礼なことを思ってしまった。

「それにしても、あの空魔。相当根に持っているねぇ。君を保護したこと」
「私は別に気にしてないんですけどね。というより、あまり記憶がない……もう滅茶苦茶なんですよ。頭の中が、ぐちゃぐちゃで世界とか、手に負えませんって……」

 紫苑は色々なことが起こりすぎて、何をすればいいのか分からなかった。正確には、迷っているという方が正しいだろう。ミオネから、それなりに真理を教えてもらっているが、未だにはっきりとした答えが出せなかった。

「空魔が消えるならそれが一番いいさ。世界がどうなろうと、どうでもいいよ。というかさ、君の言う通り、僕じゃ手に負えないし」

 どこまでも軽い調子で竜胆は語る。
 だが、空魔を消すこと自体は諦めていない様子だった。半分無くなってしまった、竜胆の残された原動力なのかもしれない。

「所長は一貫してそのスタイルなんですね」
「今も昔も変わらないよ。空魔が消えるなら、自分が消えたって構わない。その覚悟で生きてきた」
「……私にはそこまでの情熱は無いです」

 紫苑は思い切って、これまで自分が体験したことを竜胆に洗いざらい話した。竜胆は時折、面白そうに相槌を打ちながらも、最後まで茶化さずに聞いていた。聞き終わった後の感想は至極単純だった。

「大丈夫ですか? アホみたいなこと言ってますけど……」
「そこまで大きな話だとは思わなかった。というか、ミュオソティスも知らないってさぁ……笑えるよ」

 そう言いながら、竜胆は横目でミュオソティスの方を見やる。ミュオソティスは気まずそうに視線を逸らしていた。

「私はこの世界で、自分は人間だと思って生きてきた。ミオネとか……他の世界のことなんて知らなかった」
「だろうね。君の視野の狭さを考えると納得さ」

 竜胆がさり気なく酷いことを言っていたが、ミュオソティスは反論することも無かった。元気が無くなっているというより、ミオネの話を聞いてからもはや無気力状態になっているようだ。

「世界が終われば、私たちも終わる。はは、ようやく願いが、叶うな」

 ミュオソティスは力なく呟く。その瞳は希望に輝いていなかった。彼女の心にはもう、二度と希望の光は灯らないのだろう。

「私は何も出来ない。私がこの世界の全てだと思っていた。とんでもない驕りだった」

 そう言ってミュオソティスは、顔を上げた。自身のこれまでの行いを、顧みるように語り始めた。

「……私はずっと現実から目を背けてきた。覚めない夢の方が幸せだと、本気で思っていたよ」

 希望を持って歩き続けていたものの、本心は消えたかった。どうして自分が人とは違うのか真剣に悩んでいたミュオソティス。
 けれども、その考えは竜胆の先祖――エルフィンと出会って変わっていったという。

「エルとの出会いは救いだったが、同時に呪いでもあった。こんなことになるのなら、最初から出会わなければよかった……そう思ってしまうくらいに私は弱かった」

 エルフィンが亡くなって、世界へ溢れ出たミュオソティスの負の感情は『空魔』という形になり、あっという間に世界を飲み込んだという。最初に巨大な七体の怪物が、世界を黒く染めたという。
 しかし、希望を抱いた人間に倒されていき、原初の空魔の中でも現代まで残ったのは、アヤメだけらしい。

「それか長い月日が経ち、竜胆に出会って、少しだけ私の中に希望が芽生えた。もう一度、私に微笑んでくれると思った。けれども、上手くいかなかった。最初から、上手くいくはずが無かった――竜胆とエルは違う人間だから……」

 今度こそ何も無くなってしまうと恐れたミュオソティスは、自分が忘れ去られないように竜胆に呪いをかけて、世界に空魔を放った。呪いはまた、少しずつ世界を蝕んでいった。

「心の奥底では、気付いていたはずだった。お前とエルは違うと――けれども、私は認められなかった。認めたくなかった」

 その後の流れは、現在へ繋がっていく。淀みなく憎悪は流転するのだった。

「私が悪かった。取り返しのつかないことをしてしまった」

 ミュオソティスは深く頭を下げて、謝罪の言葉を口にした。対象は竜胆だったが、見向きもしなかった。

「大切なことって、後悔しないと気づかないのって、どうしてだろうね」
「何が言いたいんです?」
「大した意味は無いよ」
「思わせぶりに言っておいて、そう言いますか……」

 はは、と竜胆は苦笑していた。取り繕うように竜胆の視線は葵へ向いていた。感情に飲み込まれた子を憂う瞳をしているようだった。

「正直言うとさ、僕よりも葵の方がミュオソティスのこと憎んでいると思うよ。僕としてはもう顔も見たくないし、話しかけないで欲しいとか、僕の人生に関わって来ないで欲しいくらいしか、思ってないからさ」
「又聞きでしかないんですけど、あれで憎まずにいられたらすごいですよ」
「だろうねぇ。それでも葵は抑え続けてきた。僕は……紫苑と同じように分からなくなっていったんだ。憎んでいるのは確かだ。でも、葵よりは憎んでいないのさ。恐らくね……」

 葵よりは憎悪の感情が少ないと竜胆は言う。竜胆は憎悪を、研究への情熱――という表現が正しいかは不明だが――へ向けたのだろう。
 しかし、葵には憎しみを逸らす術が無かった。だからこそ、純粋に空魔を憎んでいるのだろう。記憶も感情も消してしまいたいと願ったくらいだ。どれほど辛い思いをしたのか想像に難くは無かった。

「葵は僕のことはあまり恨まず、その分空魔に憎しみをぶつけていたのさ。僕はそんな葵を利用し続けていたんだ。葵も分かっていたんだよ。それくらいの関係がちょうどいいって。そうでもしないと、葵は自分を保てなかったんだよ」

 葵は父が母を殺したことは、理解していたらしく、空魔の呪いがあったことも聞かされているという。
 そして、竜胆が少なからず、母である玲菜を疎ましく思っていたことも――そんな葵が全部知ったうえで、選んだのがエンプティの戦闘員だと、竜胆は語る。自分の父親が母親を殺したなど、信じたくなかったのだろう。だからといって、母の死を不幸な事故だったと、片付ける事も出来なかったのかもしれない。色んな感情と板挟みになっても、真面目に生きてきたと思うと、葵は自分なんかより立派だと紫苑は思った。その一方で、葵の気持ちに気づけなかったことを恥じた。仕方の無いことかもしれないが、少しくらい葵の気持ちに寄り添えることが出来たら良かったのに――そう思わずにはいられなかった。

「……葵は私を見捨てなかった。パートナーになった時でも、私のことを一番に考えてた」
「真面目な子だからね。責任感は強いよ」
「そういう人間ほど、心に暗いものを抱えやすいんですよね」

 ミオネは暢気に呟く。あまり葵たちの関係には興味無さそうだった。

「本当に申し訳ないことをした。償いきれないことをした……」

 ミュオソティスの目は少し潤んでいるように見えた。さすがに可哀想かなと紫苑は思ったが、これまでの経緯を考えるとやりきれない気持ちもあった。たくさんの人が人生を狂わされたのだ。

「ミュオソティスのやったことは、許されるわけじゃない。僕がやったこともね」

 きっかけは空魔だったのかもしれないが、玲菜を殺したのは竜胆であることに変わりはない。
 紫苑は自身を戒める竜胆を見て、胸に手を当てながら、紫陽を殺した時を思い出していた。あれは自分の弱さだったと思う。何も信じられず、大切なものを奪う世界が憎いと、消えてしまいたいと思っていた。
 しかし、心はさらに歪んでいき、歪な願いは道理を捻じ曲げて現在に至る。犯した罪は消えない。消せない。だからこそ、人は後悔するのだろう。
 今も、昔も――未来のために。

「芯の強いこと。けれども、取り返しのつかないことをしてしまったのは事実です。だって……ほら」

 ミオネが指し示す先は、泥沼の争いを繰り広げている二人の姿。

「あの様子だと、どちらか死ぬまで終わらないでしょうね」

 血で血を洗う戦いは、果たして彼らに救いをもたらすのか。終わる世界で紫苑は、最良の未来へ向かうよう、祈るしかなかった。