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 今の状況がどうなっているのか、紫苑はすぐに理解出来なかった。黄昏の空の下、突然目の前に茉莉花が現れて紫苑に声をかけていた。茉莉花の他にも柊、竜胆と葵がいた。茉莉花たちの表情を見ると、あちらにとっても、想定外の出来事のようだ。互いに驚きつつも、冷静に状況を把握しようと、紫苑は周囲を見渡した。
 紫苑からすると、茉莉花たちが突然出現したという、不可解な状況だった。何かの罠かと勘ぐってしまう。茉莉花たちが、わざわざそんなことをするとは思えない。竜胆が何かした可能性も捨てきれなかった。
 だが、これまでの話を聞く限り、竜胆が今更回りくどいことをする理由が見当たらない。他に思い当たるとすれば空魔の存在だ。そう考えると、答えはおのずと見えてきた。紫苑は途中から姿を消していた、柘榴に疑惑の照準を向けた。きっと、茉莉花と同じタイミングで戻ってきたのだろう。

「……どういうつもり?」
「近くまで来ていたから、案内しただけだよ。それと、話の邪魔されないように配慮しただけ」

 柘榴は配慮と言っているが、余計なお世話だった。何故、茉莉花たちに知らせる必要があったのか。紫苑は柘榴がただ、面白がっているようにしか思えなかった。紫苑は頭を抱えながら、深いため息を吐くしかなかった。柘榴の行動を咎めたところで反省するような性格ではないと、紫苑も分かってきていたからだ。そんな紫苑の気持ちなど、知るはずもなく茉莉花が抱く疑問の矛先は、紫苑に向けられる。

「ちょっと、紫苑。これどうなってんの? どういうこと?」
「正直、こっちが聞きたいところだけど、答えられる範囲なら答えるよ」

 茉莉花の詰問に、あくまでも平静に対処しようと紫苑は心がけた。ここで話をややこしくするより、相手の要求を呑んだ方が、話を進めやすいと思ったからだ。

「……紫苑たちが話してたことって、全部本当なの」

 茉莉花がどこからどこまで聞いていたのか――ミュオソティスに関するところまで聞いていたのなら、余計な説明は省けるのだが。紫苑が黙っていると、ミオネが突如割って入ってきた。

「真実とは変わらないから、真なのです。空魔やミュオソティスが消えたところで、この世界の終わりが早まるだけ。それほどまでに、この世界は終わっているのです」
「誰、あんた。さっきからいるけど、何なの?」

 いきなり出てきたミオネに茉莉花は怪訝そうな視線を向ける。

「申し遅れました。私はミオネと申します。この世界の終わりを見届ける存在です」
「意味分かんないんだけど!? いきなり出てきて、いきなり終わりを見届けるとか、もう、勘弁してよ……」

 すごく普通の反応で紫苑は安心してしまった。茉莉花の気持ちは痛いほど分かる。いきなり、色々な情報を出されたら誰だって、混乱するだろう。
 だが、そんな人間の気持ちなど、ミオネは知るわけもなく、話を強引に進める。

「残念ながら、覆すことの出来ない現実ですので。この世界の可能性は、とっくに無くなっているのですよ。貴方が何をしようが無意味なことなのです」

 ミュオソティスが諦めてしまった世界は滅びに向かうだけ。そこに光も、希望も無い。可能性が途絶えた先に待つのは、虚無。

「何それ……私に出来ることは、もう無いの!?」
「ありません」

 茉莉花は怒りを滲ませながらも、泣きそうな顔をしていた。空魔を倒せば解決すると、心から思っていたのだろう。それが、何の意味も無いと言われたら、これまでやってきたことは何だったのだろうか。紫苑も多少思うところはあるが、茉莉花ほどショックは受けていなかった。矛盾を抱え生きてきた自身と同じくらい、この世界がどこかおかしいことに、ぼんやりと気付いていたのかもしれない。

「冗談じゃねぇぞ……クソったれ。んな、クソみてぇなことあるかよ! 死んでいったヤツらが報われねぇだろうが!」

 滅多に怒鳴らない柊が、珍しく感情を露わにしていた。大切な人たちが死んでいったのだから、当然の反応だろう。ここまで来るのにどれだけの犠牲を払ったことか。
 しかし、人間の犠牲など、常に神の視点から見下ろしているようなミオネにとっては、瑣末なことなのだろう。ミオネは一向に人の気持ちに寄りそうことなく、淡々と茉莉花たちに語っていた。

「……人は生まれたときから、終わりに向かっているのです」
「はぁ? 何言ってんの」
「生まれた時点で、死は約束されています。早いか遅いかだけの話。人はいずれ死ぬ」

 一瞬だけ、ミオネはミュオソティスの方を見た気がした。人間でないミュオソティスへの当てつけだろうか。

「こうやって改めて、当たり前のことを言われると腹立つね」

 紫苑はミオネの態度に少し苛立ちを覚えていた。上から見下ろすような態度もそうだが、確実に茉莉花たちを煽っている。何がしたいのか不明だが、紫苑は成り行きを見守るしかなかった。この世界はミオネの言う通り、緩やかに終わりへ向かっている。紫苑に出来ることは限られていた。

「腹が立つどころじゃないわよ。何なのこいつ!? いきなり現れて、世界が終わるだの何だの……」

 しかし、この世界で生きてきた茉莉花たちからすると、知ったことではないし、当然怒るし文句を言う。怒りの矛先は確実にミオネへ向いていた。

「ミオネ……そこの俯いているミュオソティスは、そこのムカつくミオネの欠片。ミオネは心を束ね、未来を創るらしいよ」
「みら……い?」

 茉莉花は目を丸くしていた。近くで聞いていた柊も驚きを隠せないようだった。竜胆と葵はそれほど驚いている様子は無かった。知っていたのかと紫苑は一瞬思ったが、知っていたというよりも、興味が無いと表現した方が正しいのかもしれない。
 けれども、その一方でどちらも大切なものを諦めてしまったような、悲しげな瞳を湛えているようだった。

「私は世界の心です。貴方たちが良い未来を望むのなら、良い方向に進むでしょうし、逆に言えば最悪を望むのなら、悪い方に進む……果たして、今の未来は最良か、最悪か。どちらでしょう?」
「最悪に決まってるでしょ!! だから、変えたいんじゃないの! 空魔を殺せばッ、どうにか……なるんじゃなかったの……」
「空魔を殺して、ハイ終わり――で済む問題ではなくなったのです。ステージが進んでいるのです。残念ながら、もう手遅れです」

 この世界はまるで、不治の病を抱えた人間のようだった。もしも、ミュオソティスが少しでも希望を抱いていれば、この世界は救われたかもしれない。茉莉花が望んだ最良の未来が待っていただろう。
 だが、もうその段階は過ぎてしまっていると、ミオネは言う。どんな治療を施したとしても、治せないほど、この世界は病んでしまっているのだ。たとえ、ミュオソティスがこの瞬間、再び希望を灯したとしても、二度とこの世界は取り戻せない。紫苑はミオネとの話で、そういうものだろうと、考えていた。考えうる限り、最悪の物語だ。

「そんな……」
「ンなことって、あるかよ……」
 
 茉莉花は絶望に染まった表情で、膝から崩れ落ちていた。あまりにも荒唐無稽な話だが、否定する材料も無かった。というよりも、触れてはいけない真理に触れてしまったようで、絶望に飲み込まれるしかなかった。この一帯に蔓延る諦観の空気は、どうやっても覆りそうにないように思われた。
 しかし、葵と竜胆の二人はどうやら別の思惑があるようだった。ミオネに対して、明確な敵意を向けている。

「こいつらは何もかも腐ってる。聞くだけ無駄だ」
「化物の言うことを真に受けたら駄目だよ。自分までおかしくなるだけさ」

 二人は話を信じていないのだろうか。紫苑には二人が何を思っているか分からないが、比較的冷静に見えた。ミオネを空魔と同等の存在として――忌まわしき者として扱っているように思えた。むしろ、余計なことを考えるよりいいのかもしれない。割り切って、悪魔として見れば大差ないだろうから――紫苑が空を見上げた瞬間、正体不明の黒い何かが過った。

「どうせ……みんな元からおかしいんだからさぁ。まとめて狂ってしまえよ!」

 声が聞こえた次の瞬間、紫苑の目の前に映ったのは、倒れこむ茉莉花と柊の姿。倒れる間際に見えたのは、黒い影が二人首と胸を貫いているという現実。穿たれた穴からは、静かに真っ赤な液体が流れていた。二人が血を吐き出しながら、倒れる様が紫苑の目に映り、その次には冷めた目をした柘榴がいた。

「なッ……!? がッ、は」
「ぐっ、あッ……テメェ、っ」

 狙いすましたかのように、柘榴は茉莉花と柊を正確に仕留めていた。ほんのわずかな間の出来事で、紫苑は何も出来なかった。それよりも、柘榴がこんなことをするなど、思いもしなかった。柘榴は直接手を下さないと思っていたのに、裏切られたような気持ちだった。

「茉莉花!! 水城さん!! 柘榴っ。どうして……」
「この期に及んで少しでも希望を持っていると、迷惑だから」

 柘榴は心底、憐れむような視線を向けていた。茉莉花と柊は悔しそうな表情で、為す術もなく横たわっていた。

「うっ、あぁ、何で、私が、こんな……」
「ここまでか、よ……。あいつに、悪ィ……なぁ」

 二人はそのうち、動かなくなってしまった。徹底的に希望を断ち切るような仕打ちだ。絶望を突き付けたうえに、さらに全てを奪い取る。人のすることではなかった。
 葵は動揺もせず、柘榴を睨みつけている。少し、眉間にしわが寄っているようにも見えた。竜胆はというと、考え込むような仕草をしていた。まだ、何か策があるのだろうか。紫苑は呆然とするしかなかった。あっという間に消えた二つの命に対して、悼む気持ちよりも、何故このようなことをしたのか――という疑問が纏わりついていた。

「これも、私のためなの?」
「そうだよ。今の紫苑には出来ないことだから」
「必要なことだったの、これが!?」
「あぁ、そうだよ。全部必要なんだ。君の願いを、叶えるには――これしか無いんだ……あはは、ははは」

 柘榴は壊れたように笑っていた。茶番劇を続けている人形のように、滑稽だと言わんばかりに、空を仰ぎながら笑っていた。

「……残りもどうにかしないと、いけないんだけど」

 そう言って、驚くほど冷たい視線を、葵と竜胆へ向けた。どうして、あの二人だけ残したのか。紫苑は疑問に思っていた。柘榴ならまとめて殺せるかもしれないのに、回りくどいことをしたのだろうか。葵と竜胆――特に竜胆はミュオソティスと連動しているので、簡単に殺せないのも分かるが、葵はどうして残したのか――葵は答えを知っているような気がした。

「……跡形もなく消してやる。畜生め」
「らしくなってきたじゃん。その方がイイよ、お前」
「葵っ!!」

 紫苑が二人の間に飛び込もうとしたが、それを止めるように葵のハーツから繰り出された炎が降りかかる。紫苑は咄嗟に避けたが、それよりも葵の行動に驚いていた。

「紫苑、出てくるな。こいつは俺が殺す。邪魔するなら、お前も殺す」

 葵は憎悪に満ちた感情を振りまいていた。冗談ではなく、本気なのだろう。紫苑は思わず後ずさりをしていた。本能的に話が通じない状態だと、悟ってしまった。相棒として一緒に行動をしていたが、あのような恐ろしい瞳をした葵は一度も見たことがなかった。

 きっと、誰にも止めることは出来ない――紫苑は葵の覚悟を強く感じていた。