時は遡る――柘榴が空魔になったばかりの頃――夜の帳が降り始め、世界は黒くなっていく。柘榴は河川敷にかかる橋から、世界を見渡していた。
「願いは叶った……これ以上無いくらいにね」
紫苑に記憶を取り戻させ、真実を教える――柘榴は最初から紫苑のためと、一貫して行動していた。痛みや苦しみを引き受けたのはあくまで一時的な処置だった。紫苑が死に向かわないための、救済措置である。ミオネとミュオソティスの力を使い、柘榴は世界を飛び越え空魔となった。
その際に、空魔がいない世界の、紫陽とクロの思いが混じり、空魔『柘榴』の元となる基盤が出来た。決して、黒猫がそのまま空魔になったわけではない。空魔がいる世界のミュオソティスは、そのことに気付いていなかったようだった。多少、違和感を覚えていたかもしれないが、追及されることは無かった。そもそもミュオソティスは駒として柘榴を助けたようなので、あまり出自については気にしなかったのだろう。都合が良かったので、自分から言うことは無かった。
「ミュオには感謝してるよ。でなきゃ紫苑、ぶっ壊れてたもん」
「痛みを引き受けるのは、相当辛いことでしょうに……一体なぜそこまで、彼女に入れ込んでいるのでしょうか? 前の世界から追い続けていましたが、さっぱりです」
傍らにいるのはミュオソティスにそっくりな少女――しかし彼女はミュオソティスではないという。自身のことを『ミオネ』と名乗る少女は柘榴の隣で、橋の欄干に座っていた。
「人の心が読めるんじゃなかったの」
「読めますが、理解は出来ないのです。機械の使い方は分かるが、構造は知らない――そんな力ですよ」
どうやら、ミオネは人間のことを理解したいようだった。
だが、柘榴は人間でないし、元々が猫である。人間の気持ちなど分かるはずがなかった。
「一生そのままでいいんじゃない? 理解したところで、どうにかしてくれるわけじゃないんだろ」
「えぇ、私が手を貸すのはあくまで、月宮紫苑です。彼女のおかげで、私の欠片をこの世界で見つけられたのですから」
「まぁ紫苑の味方なら、今は何も言わないけど」
「彼女はそこまで、大それた人間ではないと思いますが、本当に謎です。世界の七不思議にしても、いいかもしれません」
「くだらないこと言うなよ。紫苑が大層な人間じゃないことくらい、よく知ってるよ。散々僕に愚痴ってたし、紫陽の記憶でもほぼダメダメだったし」
それでも、見捨てることは出来なかった。出来るはずが無かった。そもそも、紫苑は元からあんな自己評価が低い人間ではなかった。昔はもっと元気で明るく、紫陽を引っ張っていた。いじめられていた紫陽を庇ったこともある。
「……紫苑が覚えているかは、分かんないけどさぁ。僕にとっては何よりも、忘れられない記憶なんだよ。恋か愛か……どうだっていいんだよ。僕が好きなら好きでいいんだ。紫苑に助けられたのは間違いなく真実だ」
クロも紫陽も紫苑に助けられた過去がある。死にかけていたところを、紫苑が救ってくれた。紫苑に邪な思いがあったとしても、事実に変わりはない。
そして、両者とも紫苑のことを好いている。だからこそ、シンクロしたのだろう。
「だから思うんだよ。空魔の“僕”って何だろうって。根底には心があるはずなのに、空っぽなんだよ」
「本能のまま動き、永劫に満たされないから空魔なんですよ。絶対に彼女が安息――満たされる日は来ない。終わらせるにも、呪いによって終われない。地獄のような苦しみでしょう」
永劫に満たされないからこそ空魔であるとミオネは語る。ミュオソティスの出自をミオネから聞いた時は驚いたが、そういうものだと受け入れてしまえば、特に問題は無かった。彼女が満たされる日は未来永劫訪れないと、ミオネは断言していた。
「彼女が消えるには、この世界ごと葬り去るしかないのですよ。空魔のいる世界なんてものが、そもそも異常なんですから」
「身も蓋も無いね。でも、紫苑はこの世界を選んだ」
「いずれ、彼女にも選んでもらわなければなりません」
「心を束ね――先に進むか、止まるか」
ミオネの役目は心を束ね、未来を紡ぐというものらしい。ミオネが望めば、描きたい未来を生み出すことが出来るという。
だが、基本的にミオネは人類に寄り添うもの。自ら進んで変えようとはしない。そんな彼女がどうして、変えようと思ったのか――それこそが紫苑の存在だった。ミオネが落としてしまったものを、見つけてくれた紫苑への恩返しというわけだ。
ただ、このミオネの力はとても不安定なものらしく、世界に生きている人間が多ければ多いほど、照準がブレやすくなるという。簡単に言えば、人がいればいるほど、任意の未来に辿り着けなくなるという。
では、どうすればいいか――答えは簡単だった。
「ミュオソティスに世界を滅茶苦茶にしてもらった方が、都合がいいってことだよね」
「極端なことを言えばそうなります。数を極限まで減らせば、精度はかなり上がりますので」
ミュオソティスが人類を空魔化させれば、人間の数はおのずと減っていく。一つの世界を滅びに導けば、願いが叶う――実に分かりやすい構図だ。
「人間寄りかと思ったけど、わりと非情なんだな」
「そもそも、私の弱さから生まれた世界なので。いずれ始末を付けなければいけないと、思っていましたから」
「君は本音を言えば、この世界が存続しても構わないんだろ。それが紫苑の選択だったら受け入れるつもりなんだろう?」
紫苑の味方を名乗るのなら、必然とそうなるだろう。紫苑がこの世界で良いと言えば、ミオネは受け入れるはずだ。
だが、ミオネの答えは思わぬ形で返ってきた。
「……貴方としては、むしろその方が良いのではないのでしょうか?」
「…………」
柘榴はすぐに、ミオネの問いかけに答えることが出来なかった。この世界が消えれば、柘榴は間違いなく消える。紫苑を好きだった感情も全て無かったことになる。また新しい世界で彼女が笑って暮らせるのなら、それでもいい――その方が良いに決まっている。それなのに、胸のなかで淀んだ靄が停滞していた。
「何にせよ、貴方に出来ることなど限られています。精々、良い未来のために頑張ってくださいな」
「……言われなくとも、頑張るよ」
ミオネは呆れ返るくらい、他人事のようにエールを送りつつ、その場から消えた。実際、彼女にとっては他人事だから何を言っても仕方が無い。何かを変えるには、自分が頑張るしかないのだ。他人がどうにかしてくれると思っていたら、大間違いだ。誰かに期待したって、世界は変わらない事の方が多い。
「あーあ。人の世界は面倒だな……」
そして時は今に戻る――
柘榴は紫苑とミオネが話している間に仕掛けをしていた。この勿忘草の花畑は幻影を見せるという。そもそも、ここは始まりの場所――ミュオソティスとエルフィンが出会った場所だ。不思議な力が集まりやすく、空魔と人間が通じ合えるという。もっともこれはおまけだが。
とにかく、ここは曰く付きの場所であるというが重要なこと。当然、星影竜胆が知らないわけがない。だからこそ、彼らはここに来たのだろう。
「少し、話でも聞いていかない? 面白いことになってるからさ」
目の前にはエンプティの残党が来ていた。かなり数が減っているようだ。彼らの目の前には会話する紫苑とミュオソティス、ミオネの姿が見えているだろう。会話の内容も聞こえるようにしてある。気付いていないのは恐らく、紫苑とミュオソティスだけだ。ミオネは分かっていて話を続けているに違いない。
見て見ぬ振りをしてきたもの同士、仲良くしようではないか。
「君たちにとっても、悪い話ではないと思うよ。この世界の秘密と彼女について、ちょうど話している最中だから」