8

「呪い?」
「貴方もよくご存じのはずです。貴方がずっと戦ってきた相手……空魔ですよ――エルフィンの死から生まれた思い。ミュオソティスが抱いた人への悲しみ、憎しみ、恨み、辛み……希望を失くした、哀れな少女の末路」

 ミオネが語る“空魔”という言葉は、私の心を大きくかき乱す。

「何かが、抜けていくようだったんだ。エルが死んだとき、私の中にある何かが、溢れて止まらなかった。私はあの時、初めて人の感情を理解した。私はあいつが好きだったんだ……消えて欲しくなかったんだ。いなくなってから、気付いたんだ」

 ミュオソティスの感情から生まれた怪物――空魔。空魔はあっという間に、世界を侵食していった。人々の記憶に植え付けるように、心を喰らっていった。途切れることなく、今でも続いているから恐ろしい。

「足りないものは補えばいい。亡くしたなら、取り戻せばいい。希望が無いなら、絶望で満たせばいい。世界はそうやって、変わっていく――そうなるはずだった」
「空魔は飢え続ける存在です。なぜなら、生みの親であるミュオソティスが満たされないから。エルフィンが側に居てくれたら――けれども、絶対に叶わない夢。永遠、にね」

 ミュオソティスは、苦しそうに顔を歪めていた。ミオネの言葉はミュオソティスの心を確実に抉っていた。こうして見ると、やっぱりミオネはミュオソティスに対して良い感情を抱いていない気がする。

「それに、呪いは空魔だけではありません。エルフィンが子孫へかけた、あまりにも理不尽な呪い」
「……どういうこと?」
「星影竜胆はエルフィンの記憶を背負っているんですよ。彼女を忘れないように――これは彼以前の代から続く、記憶の継承。呪いですよ。悪魔の所業です。ずーっと、頭に謎の記憶と、知らない女の顔が浮かぶのですから」

 ミオネによると、所長は魔法使いの記憶を背負っているという。ミュオソティスを忘れないようにと、魔法使いが呪いをかけたらしい。生きている限り、続く呪いの唄。色々な事実が重なって、いよいよ頭が混乱してくる。これまでよく持った方だと思う。

「貴方の目線で言えば、星影竜胆は最初からミュオソティスのことを知っていて、そのうえで動いていたのです。彼の目的は最初から一貫して、ミュオソティスを消すことですから」

 色々と企んでいるとか思っていたけど、そんなことを考えているとは。いや、そんなことって言ったら、アレだけど。ミュオソティスと繋がっていると柘榴から聞いていたから、怪しいと思っていたが、疑って悪かったなぁ。
 でも、半分は所長も悪い気がする。いるだけで不安になるし、不気味だし。と、考えたところであることを思い出した。

「ん、そういえば所長って半分空魔っていう話を聞いたんだけど、結局どういうこと?」
「あーそれはですねぇ……」

 ミオネが喋ろうとして、ミュオソティスが牽制するように声を重ねる。

「許可なくペラペラと語るな。竜胆を空魔にしたのは私だ。竜胆がまだ子どもの頃に、奴の右目を奪って、私の目をはめ込んで半空魔にした。繋がりを持たせた。あまりにも、似すぎていたから――抑えられなかったんだ」

 唖然とするしかなかった。そこまでするもの?黙って話を聞きいてみると、所長を初めて見た時、ミュオソティスはかなり驚いたという。魔法使いがかけた呪いは、代々受け継がれていくが、ミュオソティスはこれまで子孫と出会ったことが無かったらしい。
 そんな中、出会ったのが星影竜胆だったという――偶然か必然か、幸か不幸かあまりにも魔法使いにそっくりだった。ミュオソティスは、所長に魔法使いの影を追い求めていくようになったという。
 しかし、所長からすればミュオソティスなど、見たことも聞いたことも無い少女だ。突然迫られたら、運命どころか恐怖の方が勝るはず。拗れた関係性は、ミュオソティスが所長を襲った日に決定的となる。所長はよく知らない人間と重ねてくるミュオソティスを忌み嫌い、ミュオソティスは応えてくれない竜胆を憎むことになる。正直、所長が理不尽な目に合っているとしか思えなかった。少し同情する。というか、ミュオソティスが酷すぎる。境遇には同情するが、さすがに所長の件に関しては擁護出来ない。

「本当に、星影竜胆は大変な目に合っていますよ。妻を殺してしまうわ、息子からは嫌われるわ……」
「え?」

 聞き捨てならない台詞というよりも、信じられないことを言った気がする。さらに頭が混乱してくる。

「あの人、既婚だったの!? 半分空魔で!? そのうえ、子どももいたの!?」
「突っ込み所がそこですかぁ。ともかく、星影竜胆は純粋に人を愛することが出来ないんですよ。忌まわしい呪いによって」
「全ては私の弱さが招いたものだ。弁解するつもりもない」
「弁解はいいけど、説明くらいは欲しいかも」
「……呪いの副産物だ」

 所長には奥さんと子どもがいたが、どうやら所長が奥さんを殺してしまった。魔法使いがかけた呪いによるものだとミュオソティスは語る。ミュオソティスが直接手を下したわけではない。ミュオソティスの思いに、呪いが共鳴したものらしい。

「竜胆の妻である玲菜には、私が見えていたんだ。明るくて、私の存在を見たとしても、他の人間と同じように分け隔てなく接してくれた。竜胆のことを語る玲菜は太陽のように眩しくて、目が眩みそうだった――同時にその光を遮ってしまいたいと思った」

 有体に言えば、ミュオソティスは所長の奥さんである玲菜さんに嫉妬した。その嫉妬心が呪いをかけられた、所長の心まで蝕んでいった。所長はミュオソティスと繋がっているから、どす黒い心に同調したのだという。結果、所長は玲菜さんを手にかけてしまった。眩しすぎた光を遮るように――

「玲菜が死んだときに感じたのは悲しみではなく、安堵だった。そんなつもりは無かったのに――私が抱いた思いは全て、現実だった」

 憧れた人間に絶望したミュオソティスが最終的に抱いたのは、嫌悪した人間と同じ醜い感情だった。揺るぎない真実として、ミュオソティスの世界を包んでいく。

「玲菜の死を境に、私と竜胆の溝は深まっていった。しかし、繋がりだけは断てない――その繋がりだけを私は縁にしていた……」

 そりゃそうだ。所長からすれば、ミュオソティスが殺したようなものだ。振り向くどころか、憎悪を抱いてもおかしくない。だけど、所長からはそんな素振りは微塵も感じなかった。怪しい、胡散臭い、不気味とか言われ放題だった。祖先が魔法使いなら仕方ないのかもしれない。そういうことにしておこう。
 それにしても、壮絶な人生だなと思う。馬鹿みたいな感想しか出ないのは、きっと情報量に脳が疲れているからだよね。そうだと思いたい。

「余談ですが、星影竜胆の子どもは母親が殺される現場を見ていたのですよ」
「……トラウマものね」
「ちなみに、玲菜の本名は時津玲菜――どこかで聞いたことありませんかね」
「ときつ、れいな――って。まさか……そんな」

 いくら鈍い私でも、ミオネが何を言いたいのか、さすがに分かった。にわかには信じられないが、こんなところで嘘を吐いたって仕方がない。

「葵――時津葵は、星影竜胆と時津玲菜の間に生まれた子。実子なのです。本人たちは面倒なので隠していたようですね」
「葵と所長が繋がってるなら、空魔に詳しいわけか。なっとくー……って、もう驚く気力も湧かないよ」

 やたら空魔の生態に詳しかったり、大人しか知らなさそうな情報を持っていたりしたのはそういうことなんだろうな。死に対して敏感なのも、親が目の前で殺されているからなのか。それにしても、親子か。どんな会話してるんだろ。そもそも二人で会話していたのか謎だ。

「葵か。あいつは私をかなり憎んでいた……」
「狂わせた本人だし。当然と言えば当然でしょ――って、葵と会ったことがあるの?」
「玲菜といた時だったか。子どもというのは怖いな。何か感じる力でもあるのだろう。初めて会ったときから、良い印象を抱いていなかった」
「……そうなんだ」

 家族が崩壊した瞬間を見てしまった葵はどんな思いを抱いて、生きてきたのだろう。葵にそんな過去があるなど、知らなかった。頼れるリーダーくらいにしか思ってなかった。本気で心配してくれていたのに、私は暢気に「大丈夫」ばかり言っていた。本当に分かっていなかった。何も知らないということがどれほど、罪なのか思い知る。

「知らなかったのは、仕方ありませんよ。隠していたのなら、暴くのも忍びないですし」
「ならどうして今、私に教えたの」
「選択に必要だからです」

 ミオネは真っ直ぐに私を見つめる。運命の渦のような瞳が射抜く。

「この世界――このまま行けば滅びに向かうだけ。この刹那を死ぬまで味わうか、細く繋がれた可能性に賭けるか」
「……神気取りか」
「形骸化した貴方に資格はありませんので、黙ってそこで見ているといいです」