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「はは……そうか。そうだった。私は空っぽの存在。何も持たないまま、この世に生まれ、流され、生きて、生きて――」

 ミュオソティスは力なく笑っていた。自分が何者だったのか、思い出したのかな。

「人間への憧憬で生まれたミュオソティスですが、本来は人を間近で見るための観測器でした。けれども、人の心に触れていくうちに、自我が芽生えていきました。もう一人の私として――」

 ミオネが言った「私とは違う世界に生きる、ミュオソティス」は、そういう意味だったんだ。ミオネはもう、ミュオソティスを独立した一個人として捉えているんだ。
 けど、その一方で同一人物とも言っている。ミオネは一体、ミュオソティスに対して、何を思っているんだろう。彼女の言葉の端々からは、若干刺のようなものが窺えるが、真意は分からない。

「私はこの世に落ちて、地獄のような日々を送っていたよ。何のためにここにいるのか分からないまま、人間の中で暮らしてきた。だが、私は人間とは決定的に違う。父親も母親もいない。それどころか、みんな私を置いて死んでしまう。これまでずっと、独り取り残されてきた」

 ミュオソティスは懐かしむように語る。聞いていると、とても過酷な日々を送ってきたことが分かる。死なない者の苦しみ、人間との違い――彼女はどこまでいっても孤独だったんだ。

「私はここにいるのに、誰にも見えていないし、覚えていない。忘れ去られていくだけ。同じ場所には留まれないから、旅を続けた。いつしか、誰もいない場所を探すようになったのは、本末転倒だな。人間への憧れから生まれたというのに」

 人と生きる時間が違うミュオソティスは、人と共に生きられない。世界に彼女の居場所は無かった。見通す者として、祭り上げられることもあったという。
 しかし、年月が過ぎれば化物と忌み嫌われ、石を投げられる。いつしか、誰からも必要とされなくなり、忘れ去られていく。
 それでも、自分が何者かも分からなくとも人の心を見て、人を理解しようと歩み続けた。彼女はどんな苦難に折れず、諦めずに進み続けた。空っぽのまま、誰にも必要とされず、誰にも覚えてもらえなくとも、きっと理解してくれる誰かが“いつか”来ると信じて――私はミュオソティスの話を聞いていて、他人事に思えなかった。私も似たような気持ちを抱いていたから――

「虚ろなまま、荒野を彷徨い続けていたある日、私は出会った。奴と――エルフィンと」
「……誰?」
「アレです。ほら、星影竜胆の先祖様です。エルフィンは魔法使いだったのですよ」
「えっ。そうなの? どんな人だったの?」

 所長の先祖――魔法使いとは、なかなか胡散臭い。異質な感じはそういったところから来ているんだろうか。

「あいつは本当によく似ているよ。それこそ、私が執着するくらいに……」

 ミュオソティスによれば、魔法使いとの出会いは運命的なものだったという。魔法使いは各地を放浪していて、その場所で起きている問題を解決しながら生きてきたとか。ミュオソティスからすると、人の悩みを聞き続け、導いていた頃を思い出すようで、親近感を覚えたという。
 しかし、その魔法使いも所詮人間。いつかは置いて行ってしまう。心を開けずにいた。しつこくて、面倒な奴だとすら思っていた。つれない態度のミュオソティスに対して、魔法使いはめげずに話しかけ続けたという。聞いていると、所長の印象からは程遠いような気もする。全くの同一人物ってワケでもなさそうだし、当たり前か。結果、ミュオソティスは根負けして、側にいることを許容したという。個人的な感想を言うなら、よくありそうな話だと思った。

「ここから、全てが始まって、狂いだした。世界は一瞬にして変わっていった」
「世界は変わっていません。貴方が変わったのですよ」
「……そうだな。世界は変わっていない」
 
 ミュオソティスは、自嘲するような薄笑いを浮かべる。ミュオソティスの威厳はすっかりなくなって、非力な少女にしか見えなかった。
 だが、彼女を突き動かした執念は尋常なものではないことは分かる。この世界を黄昏に塗り替えてしまったのだから。それでも、世界は変わっていないという。未だに空っぽの心を埋められないまま、彷徨い続けているんだろうか。

「ミュオソティスの願いは続いているのですよ」
「……こんな世界にしてまで?」
「何も変わっていない。あの日から、全て止まったまま――エルが死んでから私の時間は止まっている。動き出したかと、思ったのになぁ」

 やっぱり、他人事とは思えなかった。ミュオソティスの気持ちは痛いほど分かる。私も、クロがいなくなって全て止まってしまったまま、ここまで来てしまったから。

「……エルフィンさんは、亡くなってしまったんですね」
「あいつが何も言わずに私の目の前から消えたとき、何も考えられなくなってしまった」

 ミュオソティスは続きを話してくれた。
 ある日、魔法使いはミュオソティスの前から姿を消したという。ミュオソティスは動揺しつつも、必死で探した。歩き続けるのは慣れていたから、諦めることは無かった。戦乱をかいくぐり、ミュオソティスはひたすらに魔法使いの足跡を追い続けた。人間はどうしてこんなにも愚かなんだろうと、揺らめく戦の炎を見ながら――
 やがて、旅の果てに魔法使いを見つけたが、かつての姿は見る影もなく、魔法使いは衰弱しきっていた、いつ死んでもおかしくない状態だったらしい。身体は元々弱く、戦にも参加していたというから驚きだ。そんな魔法使いの姿を見た、ミュオソティスの中に不思議な感情が芽生えたという。その感情の名前は分からないが、魔法使いの側にいれば分かるかもしれないと思い、その場に留まることを決めたようだった。
 そしてミュオソティスは、魔法使いが命尽きる最期まで看取った。最期に彼の心、記憶を覗いたことは秘密にして――こうしてミュオソティスはまた独りぼっちになってしまったとさ――何とも後味の悪い話だった。
 話はそれで終わるのかと思ったが、ミオネが「そんなことはありません」と首を横に振った。

「エルフィンは死ぬ間際にミュオソティスへ、魔法をかけたのです。寂しくないように、人々が貴方を忘れないように――呪いをね」