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 それから私は猫の世話に明け暮れた。授業や人の話とか、全部どうでもよくなって、私は逃げるように通い詰めた。何もかも嫌なことを忘れてしまえるから。実際はもっと酷かった。人間の言葉も分からない猫に愚痴を吐けば、少しでも気が晴れるだろうと思って――虐待にも等しい、最低なことをしている自覚はあった。
 それでも私には必要な行為だった。そうでもしないと、私は私を保っていられなかった。私の心が休める場所はここしか無い。私に興味無いなら、どこへ行こうが気にしないで欲しいよ。本当に、私のことを思うのなら、そっとしておいてくれたらいいのに。
 
「……クロ。どうして人って余計なことを考えるんだろうね?」

 私はいつの間にか猫のことを『クロ』と呼んでいた。黒猫だからクロ。安直なネーミングだと我ながら思う。人のペットの名前を聞いて、もっと考えてあげたらいいのに――なんて思っていたけど、いざ自分が同じ場面に遭遇したら、良い名前が思いつかなかった。想像力の貧困さが露呈したようだった。
 でも、クロは文句の一つも言わない。だから好き。

「全部消えちゃえばいいのになぁ」

 心というのはどうしてあるんだろうか。喜怒哀楽は人生に必要なものなのか。個が統一されていればいいのに、人はどうしてこんなにもバラバラなんだろう。十人十色、千差万別……人の価値観は様々で絶対的な正しさは無い。
 だからこそ、ずっと揉めたり争ったりしているんだろう。衝突して分かり合えることは滅多にない。現実に向き合ったところで、理解出来たところで、他者に受け入れられなければ意味が無い。無理して争ったところで、埋められない溝が出来て、癒えない傷が増えるだけ。無駄に傷を増やしてどうするの。

「歩み寄ろうとしないのが、悪いって思うんだろうけど……世の中、認められないことってあるでしょ。正しかったとしても、無理して認めなくてもいいでしょ。認められないことを、認めて欲しいのに」

 柴陽が思っているのは、間違いなく哀れみだから気に入らない。私を下に見ているあの目が気に入らない。何でも卒なくこなす弟が嫌い。私より出来の良い弟の存在が許せない。一番嫌なのは、母さんも父さんも、友達も柴陽しか見てない。私が頑張っても、紫陽がさらにその上を行くから、惨めな思いをするだけ。努力も嫌いになってしまった。誰も私に興味がない。私に、誰も興味を示すはずがない。

「あはは……何で、今更。涙なんか……」

 何が悲しいのか分からない。クロはただ、そんな私を慰めるように鳴いていた。どれだけ話を理解しているのだろう。意思疎通も出来ないのに、何故だかクロは分かっているような気がして。このまま誰もいない世界で、クロと一緒に朝日を見て死にたい――そんなことを思ってしまうのだった。