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『この姿になったのは、ひさしぶりね。原形っていうのかしら。他の人型空魔は原形そのままが多いけど……私はミュオソティスの感情から出来た純粋な空魔。決まった形は無いの』

 おぼろげにアヤメのシルエットを取りつつも、真っ黒な存在が目の前に現れた。世界を飲み込むような大きさに、一同は呆然とするしかなかった。茉莉花は半笑いで竜胆に問いかける。

「ね、ねぇ。アレ倒すの? 倒せるの?」
「しかないだろうねぇ。一応、記憶の中だと八体くらいあんなのがいたみたいだけど、ほとんど討伐されたみたいだ。彼女は生き残りなんだろうねぇ」
「えっ!? あんなのが八体も!? 馬鹿じゃないの? どうやって倒したのよ」
「あの頃は人が多かったみたいだからね。人海戦術さ。さて、今回は一匹だけど……」

 一匹とはいえ、これまでの空魔とは規格外の大きさを誇っている。核の場所を探そうにも、範囲が広すぎる。

「あんな空魔、見たことねぇ。所長、本当に大丈夫なのか? これ」
「なるようになるさ。大きい分攻撃が当たりやすいだろ?」

 標的が大きくなれば、確かに攻撃は当たりやすくなる。茉莉花のハーツでも動きを捉えられるだろう。そう思った、茉莉花は自身のハーツを大きくさせた。

「そ、そうね! こっちも武器を大きくすれば!!」
「あっ……おい。茉莉花!! いきなりは――」

 柊が声をかけるが、茉莉花はすでに前に出ていた。アヤメの一部に思いっきりハーツを先程と同じように当てたが――

「あれ? 手応えが、無い……」

 アヤメの身体に攻撃を当てたはずなのに、感触が無かった。すり抜けた感覚に等しい。目の前にあるのに、ダメージは全く負っていないようだった。

『確かに、攻撃は当たるわよ。意味無いけれど』
「ぐっ」

 アヤメの攻撃が茉莉花の肩に突き刺さる。苦悶の表情を浮かべながらも、茉莉花はアヤメを睨みつけていた。

『……その目、嫌いじゃないわ。空魔には無い真実を追い求める瞳。蘇芳が貴方を眩しく思うのも仕方ないのかもしれないわね』

 アヤメは懐かしむように語る。茉莉花はその言葉に苛立ちを覚える。勝手に語るなと言いたかった。

「あの人はちゃんと、向き合ったわ。あの人は、空魔じゃない……前に進める人よ」

 茉莉花の言葉を聞いたアヤメは、ふふっと笑う。馬鹿にしているようにも聞こえるが、どちらかといえば自虐の意味合いにもとれるようだった。

『あらあら、耳の痛い話だわ。空魔は基本的に停滞を求めるもの。満たされたら終わりなのよ。夢から覚めてしまうから。叶ってしまう夢はそこで終わってしまうから。あぁ、あぁ可哀想な人間タチ。夢を見ていれば幸せなのに――どうしてアナタタチは進むの? 苦しいのに、どうして現実に生きたがるノぉ?』

 アヤメの形はドロドロに崩れていき、周囲飲み込んでいく。気付けば研究所は消え失せて、茉莉花たちはぐるりと囲まれていた。

「茉莉花、大丈夫か。応急処置しか出来んが……」
「ありがとう、ございます」

 茉莉花はアヤメに手も足も出ず、柊から処置してもらって態勢を整えた。

「さて、ひとまず状況を整理しようか」

 アヤメの本体というか影のようなに囲まれ、倒すまでは出られないといった状態になっていた。ただ、このまま押しつぶしてしまえばいいはずだが、そうはいかないようだった。理由は単純。竜胆がいるから。死なないとはいえ、そのまま押しつぶしてしまったらさすがにマズいのだろう。竜胆は死なないらしいが、完全な空魔ではない以上、頑丈ではないという。

「囲まれてるし……普通に詰んでるだろう、これ。所長がいるから、迂闊に攻撃出来ないのかと思ったが、狙いを定めることも出来るっぽいしな」
「遊ばれているんだよ。彼女そういうところあるんだ」

 竜胆の言葉に反応するようにノイズがかかったような、アヤメの声が聞こえてくる。

『私としては、人間に恨みは無いから穏便に済ませたいのよね』
「だったら、ここから出しなさいよッ」

 茉莉花が力任せにハーツを振るうが、やはりヒットした感覚は無い。振り回しても、闇からは抜け出せない。

『あまり暴れないで欲しいわ。さすがに、やられるままっていうのは気持ちよくないから、返してあげるわ』

 そう言った途端、刺のようなものが容赦なく降り注ぐ。雨のように覆う刺から茉莉花は全力で離れる。
 茉莉花は何とか避けたが、他人を守る余裕は無かった。どうなったかと思い、辺りを見渡すと柊に寄り添う竜胆の姿が見えた。

「柊、大丈夫かい? 思いっきり腹に刺さってるけど」

 どうやら刺は柊の腹に刺さったようだった。柊は腹を抑えながら、苦悶の表情を浮かべていた。

「柊さんッ……!! ごめんなさい。私……!」
「いいよ、別に。あーいってぇな。しっかし、よくこんなん耐えられるよな……」
「喋らない方が良いさ。刺は……あ、消えた。とりあえず止血しないと」

 竜胆は自身の上着で柊の傷を抑えた。だが、傷口が大きいのか血はなかなか止まらない。

『どうせ、全員消えるんだから。気に病まなくてもいいのよ』
「くっ……」

 茉莉花は動きたくても動けなかった。動いたら先ほどのような攻撃がまた降ってくると思うと、何も出来なかった。ハーツを握りしめる手が強くなる。何も出来ずに、立ち尽くしていると、葵がいつの間にか前に出ていた。
 そして、アヤメを見上げる。

「やはり化物は化物だ。人間のフリしたって、どうしようもない。空っぽで、何も無いのが空魔だからな。そのなかでもお前は、ミュオソティスを映す鏡。何者にもなれないんだよ」
『そうね。私は鏡。私は無。人を見たって、真人間にはなれない。なれないの。私は人じゃないから――でも、人と関われば、少しは何か変わるかもしれないじゃない』

 茉莉花にはアヤメの言葉が、どこか希望を抱いているようにも聞こえた。それは、アヤメの心かミュオソティスの心か――機微など持たず、本能で動くのが空魔。
 だが、確か人型空魔は自我が多少なりともあると柘榴は言っていた。その表れなのだろうか。
 しかし、ミュオソティスの感情から出来た純粋な空魔であるアヤメは、分類としては普通の空魔と何ら変わりないはずだが、彼女にも強い思いがあるというのか。あるいは、変化というべきものなのか。葵はアヤメと会話していたが、攻撃をすることは無かった。無意味だと言わんばかりに――代わりに竜胆へ話しかけた。

「……お前のことだから考えてるだろ。なんせ、記憶に情報があったんだ。こっちとしては、最初からお前に全部ぶん投げたかった」

 葵は忌々しそうに吐き捨てる。最初からどうにか出来る手段があるかのような言い方だった。茉莉花はどうして――というように竜胆へ顔を向ける。

「本性が見たかったのさ。彼女のミュオの心を映す鏡じゃないアヤメの本質をね」
『……ナにヲ?』
「空魔の核は基本的には人の心から出来るのさ。感情から出来た空魔だって、元を辿れば人。何かしらあるはずなんだよ。絶対にブレない“何か”がさ」

 空魔の核は人の心の結晶、そのもの。記憶をも映し出すことがあるし、干渉することもある。核の形や場所は様々。道具を核にすることも可能だったりする。とにかく、その人にとって重要なものである場合が多い。

「僕の予想だとね、君はミュオソティスの希望……期待を司る感情だろうと思っているんだ。君だけが消えなかったのは、ミュオソティスがまだ希望を抱いているからに他ならない」

 その瞬間、アヤメが大きく揺れた。竜胆の言葉が突き刺さったかのように見える。どうやら、アヤメは物理的な攻撃よりも精神的な攻撃に弱いようだ。

『アハ、は。そんなこと言われたのは、初めてよ。そこまで見抜くのも、ね。あの子は気付いているのかしら。どう思う?』
「分からないさ。それこそ、彼女以外には」
『……ミュオの、期待を、希望を現実にするには、真実を叩き込まなければならない。でもミュオは夢を見たがっていル』

 茉莉花は竜胆が話している隙に、柊の下へ駆け寄っていった。柊の具合はあまりよくなさそうだったが、この状況だと柊に効くしかなかった。二人の会話が全く、分からないから。

「ね、ねぇ柊さん。所長たちが何言ってるか分かる?」
「分からんが……良くも悪くもみたいな、方向に行っているのか、これは……」

 柊も会話は聞こえているようだったが、分かっていないようだった。
 しかし、悪い状況には転がっている雰囲気ではなさそうだと思っているようだった。
 
『アハハ、ははハハハハハハハッ。希望は壊れた。期待は外れた。ミュオはこれで、ふフ、あはアハハッ』

 アヤメの笑い声が響いてくる。だが、不愉快なものではなかった。むしろ、晴れやかな――自身を縛り付ける鎖から解放されかのような高笑いだった。次の瞬間、がくんと地面が揺れた。最初のときのような、不穏さを覚えたが最初とは決定的に違うことがあった。アヤメの姿はどんどん小さくなっていくのだ。しだいに姿は最初に出会ったときに戻っていた。
 だが、一番の変化は彼女の身体にひびが入っていたことだ。