ミュオソティスの気まぐれで出現したという塔。ここへ辿り着くまでどれほど歩いたか、と思ったが中へ入ればこれまた永遠に感じる、白い螺旋階段。吐き気がするような構造だ。空魔のテリトリー内だからか知らないが、ここまで一切空魔が出てこない。出てきても面倒なので出てこなくてもいいが、警備も何も無い。ミュオソティスが引きこもっている場所で、人間が容易に立ち入れない場所だし、厳重に守る必要もないのか。
「ねぇ、この馬鹿みたいに続く階段も、ミュオソティスの気分次第?」
「そうじゃないと思うけど……ほら、ゴールが見えてきた」
ゴールが見えてくると、やる気が出てくる――そう思っていた。階段を上り切ったら、どっと疲れが押し寄せてきた。これだと、対面前に力尽きそうだった。全てがどうでもよくなってくる。
「はぁ、はぁ……」
「試されているんじゃないかな」
「空魔は腹立つけど、ボスはさらにイライラさせてくれるわね」
どいつもこいつも、勝手に連れてきておいて、私が試されなければいけないのか。なんだろう、ここに来てからすごくむかむかしている気がする。それに、心の違和感がすごい。違和感といっても、そこまで悪い気はしなくて、少しだけ解放されているような気分だった。希薄だった感情が、前に出てきている? よく分からない。完全ではないものの、何かの兆しか――
「ほら、真実を知りたいんだろ。さっさと、行こう」
柘榴はそう言って手を差し出した。
しかし、私はその手を取らず、柘榴を追い越していく。
「ここまで来たら、後戻りは出来ないけど、それでもいいなら」
「当たり前よ。苦労して来たんだから、期待してもいいんでしょうね?」
私の目の前に広がる、扉も何も無い大広間。部屋は円形になっており、どこまでも真っ白。吹き抜けになっており、ここから見える景色はやはり、あの淡い紫やピンク色の空が映る幻想的な風景。大結晶が生えている大地がどこまでも広がっていた。
「ちょっと、誰もいないじゃ……」
「よく来たわね」
文句を言いかけたとき、背後から声が聞こえてくる。この声――
「貴方、は」
振り返った先には、見覚えのある姿。最近、出会って話をした女性。カフェを営んでいて、赤みのあるピンクか紫っぽい髪の色をした女性。私を温かく出迎えてくれた店主。
「アヤメ、さん?」
「あれ、ミュオはいないの?」
「いるわよ。そこに」
そう言ったアヤメさんの視線が差す方へ目を移すと、いつの間にか見知らぬ少女が立っていた。鮮やかな水色の髪をしており、何故かその色に見覚えがあった。思い出せないけど、見たことある気がしたのだ。少し目を離したすきに消えてしまいそうな――存在ごと忘れてしまいそうな危うげな境界に立つ少女。説明されなくとも、誰かはすぐに分かった。
「ミュオ、ソティス……」
「如何にも。私が空魔の頂点に立つ者。お前たちが倒すべき敵、といったところか。瑣末なことだがな」
少女は全く笑っていない。空魔の総大将たる堂々とした振舞いだったが、そこか素っ気なく見える。私にはあまり興味が無さそうだった。
「ちょっと、柘榴。何がどうなっているの。これ」
「簡単紹介するならアヤメは空魔。ミュオソティスの右腕みたいなもの。ミュオソティスはまぁ……僕らの主ってことで。やぁ、最近見なかったけど元気そうで何より」
「……ふん」
ミュオソティスは不愛想な顔で佇んでいた。あまり歓迎されていない様子だが、それにしても、最近会って無かったとはどういうことだろうか。
「空魔のボスなんでしょ。会ってないの?」
「彼女、元よりアヤメにしか心を許して無いんだよ。僕らは基本的に集まれって言われなきゃ、ミュオの下には来ない。アヤメの経営してるカフェは招集が無い代わりの、たまり場だね。情報交換がしたいときは、基本的にあそこに集まってたんだ」
「本来は個人的な情報収集と、人間社会を学ぶために開いたんだけどね。それがいつからか、不届き者のたまり場になっちゃったのよ。嘆かわしい」
はぁ、とアヤメさんはため息をついた。ひょっとすると、あの怒鳴られていたのが、空魔だったのかもしれない。どうやら、アヤメさんが営んでいたカフェは空魔の隠れ家だったようだ。だから、柘榴が働いてたのか。接点が不明だったけど、ここでようやく繋がった。
「ミュオは恥ずかしがりやで人前に出てきてくれないし、暇だから手伝ってたんだ。それに、普通にアヤメのやりたいことにも、多少共感してたからさ。人間社会、興味深いよね」
「言いたい放題だな。口が過ぎれば、お前の願い――叶えてやらんぞ」
ミュオソティスは、黙っていたがようやく口を開いた。
しかし、その口調はどこか苛立ちを覚えているようだ。どちらかというと、怒っているようにも見える。何か気に障る事を言ったかと、思ったが道中で言いまくってたな。これで機嫌を損ねたというのなら勘弁して欲しいな。
「次の段階へ進むには、避けられないことだ。君にとっても、ね。紫苑はそのための重要なキーだ」
それでも、柘榴は怯むことは無かった。それどころか、ミュオソティスに対しても、試しているかのような口ぶりだった。
「何を馬鹿なことを……」
「紫苑が真実を知れば、全て決まる」
私は柘榴とミュオソティスの会話に、違和感を覚えた。柘榴が何かをしようとしているのか――その真意はミュオソティスにも分からないようだ。
「お前の心を見ても、さっぱりだよ。何かが覆いかぶさっているようで読めない。だが私とて、全く分からないわけではない。お前は私の知らないモノを、掴んでいる――違うか」
ミュオソティスは心を読めるはずだが、何故か柘榴の心は分からないようだった。それでも、彼女は柘榴が自分の知らないことを知っていると、睨んでいた。私も同じことを思っていたから、間違いではなさそうだけど、質問に答えるつもりはさらさら無さそうだ。
「君にとって、悪い方へ転がらないことは保証するよ」
「どうだかな。それにしても、真実か……」
ミュオソティスは思うところがあるようだった。少し考える仕草をしてから、真っ直ぐ私を見据えた。全てを暴くかのような鋭い瞳に私は思わず身が竦む。
「お前は真実を知りたいようだな。そのためには、お前自身が封じている記憶を開放する必要がある」
突然声をかけられて、私は何も答えられなかった。記憶の、解放――ただ、ミュオソティスの言葉にはどこか不穏な要素があった。その理由はすぐ分かった。
「しかし、封じているということは、恐らくお前にとって良くない記憶だろうな。記憶を開放したとき、お前が自我を保っていられるかはお前次第だ。それでも開くか」
封じているということは、かつて私は耐えられなかったということ。何もかも壊れてしまったのだろう。
だけど、いつまでも逃げているわけにはいかない。私が封じた記憶はずっと、私の中で渦巻いている。完全に忘れることなど出来やしないのだ。
「当たり前よ。失ったものは取り戻す。捨てても、必要なら取り返すまで。たとえそれが、自ら捨てたものだとしても――」
「心意気だけは評価しよう。だが……」
ミュオソティスは私の額に手を当てて、酷く冷たい微笑を向ける。私に対する当てつけのようで――ミュオソティスは私と重ねているのかもしれない。
「失ったままの方が良かった真実もあることを忘れるなよ。人間」
「……っ」
ミュオソティスが、私の額に手を触れた。その瞬間、私の中に電流のようなものが走る。
『……お前は運命から逃れられない。真実から、感情からは逃れられない。お前の本質は――』
かつて投げられた、クロユリの呪いと共に私は、深い眠りに堕ちていった。
紫苑が眠りについた直後――
「まさか、アヤメがいるとは思わなかった。まぁ世界があんな風になったら、営業どころじゃないだろうけど」
柘榴はそこまで意外そうにはしていなかったが、想定外だったようだ。ミュオソティスは基本的に人を寄せ付けない。アヤメも信頼されているとはいえ、彼女は心配されるのを極端に嫌がっていた。その中でも、桔梗は特に避けられていた。単純にうるさいのもあっただろうが、やはり踏み込まれたくないのだろう。
「客も来ないし、いてもいなくても変わらないし、あそこにいてもつまらないしね。それよりも、柘榴貴方一体、何を企んでいるの」
「企んでいるっていうか。僕の願いは変わってないよ。全ては紫苑のため……」
あくまで変わっていないという柘榴。元より、アヤメは柘榴に対してあまり良い印象を抱いていなかった。裏を返せば、ミュオソティスもそう思っていたということになる。だが、それでも目を背けられない、無下に出来ない何かが柘榴にはあったのかもしれない。だからこそ、柘榴はアヤメを除いた他の人型空魔と違って最後の方まで残されていた。胸の中に疼く、言いようのない、感情の理由を知るために――
「立ち位置は忘れるな、と忠告はしたはずだが?」
「忘れてないよ。僕は空魔で紫苑は人間。溝は埋められない――というかさぁ、そういう君こそ、もっと自分の感情に素直になったらいいんじゃないの?」
「何を言って、いる」
「だってさぁ、本当はこんなところに閉じこもっていたくないんだろ? 外へ出たいんだろ? 出なきゃ始まらないもんね」
ミュオソティスは明らかに動揺していた。この先、喋らせたらよくない。ミュオソティスは、それでも目を逸らせなかった。柘榴はクスクスと笑っている。嘲り、嬲るように、深く刻まれた傷をさらに抉るように。墓穴に埋めたものを、掘り起こす所業にアヤメは思わず口を出した。
「柘榴ッ、貴方――!」
ミュオソティスが一番触れたくない記憶。見て見ぬ振りをし続けた思い。
「いつまでユリカゴに籠っているつもりなんだよ。表の世界は空魔に飲み込まれようとしている。君がそう望んだから!」
「違う、私は――っ。全てを終わらせようと」
「そうだねー終わらせたいなら、自分で動かすしかない。君には願いがあるんだろ? 終わらせたいだけじゃないだろ? 終わらせたいなら、さっさとやればよかったんだよ。でも、君は臆病だから出来なかった」
上げたらキリがない。願いの数々。でも、本当に大事なのは一つだけ。ミュオソティス自身がずっと、捨てられなかった思い。
「君の本当の願い……僕は知ってるよ」
本当は知っていた。気付いていた。心が見えるのだから、当たり前だ。自分の心が分からないはずがない。ミュオソティスの願いは、自身の思いを抑制すれば、どうにでもなる些細な感情だった。彼女の力をもってすれば消すことも可能であったが、しなかった。自分が捨てたくなかったから、忘れたくなかったから――
「……やめろ、言うな!」
ミュオソティスがその場で頭を抱えてうずくまった。
「柘榴、それ以上喋ったら、殺す。紫苑さんも含めて」
アヤメは柘榴へ明確な殺意を向けた。ミュオソティスの右腕にして、心。彼女の心の安寧を一番に思っている空魔だからこそ、今の状況は見過ごせなかった。
「そんなに向き合うのが怖いのか。彼も本当にお気の毒だね」
「何……?」
「可哀想だよホント。巻き込まれて、大切な人を失って――誰かさんのせいで」
これ以上、喋らせたらいけないと、アヤメは思ったがその口を塞げなかった。それは、誰よりもミュオソティス自身が、無意識に拒んでいるかのようだった。彼女なりに前に進もうとしていると、捉えていいものか、アヤメは少しうろたえた。だが、当のミュオソティスは時が止まってしまったかのように、動かない。
「君はそうやって自分を欺く。覚えていない、知らない振りをする。でもねぇ、君が覚えてなくても、彼は覚えているし、気になるなら直接聞けばいい」
柘榴は全て分かっているかのように、ミュオソティスを嘲笑う。これまでも人を喰ったような態度をしてきた柘榴だが、今回はそうではない。明確な悪意があるように思えた。アヤメは柘榴の心を覗こうとしたが、靄がかかって見られない。何かに防がれてしまう。そんな力――空魔には備わってはいないはずなのに。
「何で心が見えないのかって、顔してるね。当たり前だよ。心なんて見えるわけないだろ。見せようとしなければ、いいだけのこと。所詮、この世界に生まれた者はこの世界の常識でしか動けない」
「何を言っているの……?」
「こっちの話だ。君が知らない世界の話。世界って君が思うよりも、広いんだよ」
世界――この世界が全てではないと言いたげだった。視野の広さを言っているわけではないのは、アヤメは分かっていた。だが、柘榴の真意は全く分からない。どうして、心も分からないのか、何もかも理解が出来ない。
「貴方の意図、本当に分からないわね。本当に紫苑さんのためになっているの? 貴方の願いも疑わしい」
「色々と複雑なんだよ。僕個人の願いは……しいて言うなら、」
柘榴は瞑目しながら呟いた。様々な思いがあるようだが、答えは一つしかないと言うように。
「海から昇る朝日が見たい――それだけだよ」
柘榴は静かに語るものの、アヤメはどこか痛々しく思えてしまうのだった。