憂いを帯びた表情で、少女は塔から真っ白な世界を眺めていた。水晶のおかげで煌びやかな風景が広がっているが、生き物はいない。退廃しているとも言い難く、かといって繁栄しているわけでもない。停滞していると言った方が正しいか。少女の心を表すかのように、大地からは鋭い大結晶が生えている。結晶は塔の周りだけではなく、いたるところに生えている。塔へ来る者を拒むように、立ちはだかっていた。それを抜きにしても、ここへ辿り着くのは困難だ。全ては少女次第な。こう言ってしまうと、結晶の存在も意味は無い。少女が願えば、どんなことも覆る。それだけが揺るぎない真実。
「あの二人を迎えるつもりは無いの?」
少女へ問いかけたのは、ピンクがかった紫色の髪をした女性だった。彼女はアヤメと呼ばれていた。空魔の中でもリーダー的な存在だ。アヤメの視線の先には外を眺める少女――ミュオソティスがいた。
「どうだろうな。それにしても、柘榴は何を思って連れて来たのだろうか……」
「分かっているでしょう」
アヤメは分かり切ったことだと言う。ミュオソティスも本当は分かっていた。だからこそ、ユリカゴの中に籠っていた。現実を見たくなくて、外に出たらきっと全て終わってしまうから。
「全く、どうしてこうも好奇心が強い奴ばかりで嫌になる。大人しく夢を見ていればいいものの。何故外へ出たがるのだ」
「夢は所詮夢なのよ。ここは夢じゃなくて、現実。叶わないこともある。蘇芳が嘆いていたわよ」
「……蘇芳、か。あいつは、アレで良かったのかな」
「満足したんじゃない?」
「そうか……」
大切な人の死の真相が知りたくて空魔になった男――ミュオソティスとしては、哀れに思う一方、ちょうどいいカモだった。研究所の情報も知りたかったところで、タイミングよく転がり込んできた。快く引き受けてくれたが、同時にこちらの情報を流すのは想定済みだった。ミュオソティスとしては情報の流出など、然したる問題では無かったからだ。
蘇芳は目的があって引き込んだが、他の者はとくにこれといった理由は無い。鬱だったとか、世界を憎んでいるとか――比較的空魔にしやすい感情を持ち合わせていた存在を選んでいた。人型空魔を作った理由は、ユリカゴの中に引き籠りたかったから。ミュオソティスには世界を征服するといった、大層な理由はない。空魔のいる世界を作り続けるには、現実世界へ介入しなくてはいけないが、なるべく現実に行きたくなかった。
しかし、自身の力が及ばない範囲に行けば力は弱まっていく。弱体化を防ぐために、人型空魔を作った。自分の手足となる存在が欲しかったのだ。ただし、元より時が来れば終わらせるつもりだったので、繋ぎでしかない。終わらせたいと願うのに、現実を見たくない。夢を終わらせたくない。ミュオソティスは傍から見れば矛盾の塊だった。アヤメは分かっていても指摘はしなかった。ミュオソティスの話を静かに聞いている。
「クロユリ、マリー、蘇芳、桔梗……皆、消えたな」
「そうなるようにしたのは、貴方」
最初からそうなるように計画していた。もちろん、後だしということはしていない。空魔にする前に事前に言ってある。それでも、彼らは選んだのだ。譲れない願いを持ち、空魔となって世界に爪痕を残した。
「そうさ。私が消した。残るは――」
再び、塔の外を眺めた。ミュオソティスの瞳には人間と空魔の姿が映し出されていた。
「もうすぐで進めるんだ。止まっていた時間は動き出す」
「……そうね。貴方はずっと待っていた……のよね」
アヤメは瞳を伏せたまま呟く。彼女もまた、願いを持つ空魔であるが、他の空魔とは少しだけ異なる。彼女は元々、ミュオソティスの感情から生まれた空魔。ミュオソティスの心そのものと言っても、あながち間違いではない。
ミュオソティスが抱いている希望に反して、彼女は酷く虚しい気持ちになっていた。それは彼女がミュオソティスの心を映す鏡でもあるからだ。ミュオソティスも分かっているが、彼女は素知らぬ振りをする。
これまで、ずっとそうしてきた。ミュオソティスは、時間を進めたいと願いながらも、夢を見ていたいと相反する願いを持っていた。痛いほど感じているアヤメだが、どうする事も出来なかった。アヤメは所詮ただの空魔。ミュオソティスの駒の一つ。彼女の言うことを聞くしかないのだ。主が間違っているとしても、指摘することは一切ない。主従ですらなく、ミュオソティスの一部でしかない。同一であるのに、遠い存在――それでもアヤメは願わずにはいられなかった。
「どうか、貴方に平穏が訪れますように……」
アヤメのささやかな願いは、ミュオソティスの耳に入ることも無く、虚しく散るのだった。