13

 いつだって世界は正しい行いをしている者を見ている。悪いことが起こるのは己のせいだ。自らの行いが悪かったからだ。非行に走った兄は、真夜中にバイクで暴走した挙句トラックに轢かれて亡くなり、窃盗を自慢していた同級生は色々な噂が広がって、未来を閉ざされた。悪事を働けば必ず天罰は下る。因果応報、自業自得。悪事でなくとも、度を過ぎた行いは身を滅ぼす。目の前にいる人間もそれが分かればいいと、桔梗は思ったのだが、その思いは無駄となる。

「話はまとまったのか。タネが分かったところでお前たちは殺意を抑えられない」
「そうですね。人々の命を奪う空魔。消えて欲しいと日々祈っておりますよ」

 桔梗が授かった能力は相手の悪意や殺意を相手へ跳ね返すものだった。相手が悪意を持って陥れようとしたり、自分を殺そうと思って向かってくれば、攻撃が自分に返ってくる。因果応報を体現した力だ。ただ、コントロールが少し難しい。自分の他にも、相手の感情に左右されやすい能力なので、扱いづらいと言うのが桔梗の中での評価だった。相手が腕試しや、遊び程度の気持ちしかなければ発動せず、他にも相手の方の意思が勝れば、無効化されることもある。それに加えて、自分が加減を間違えてやりすぎてしまえば、その分自らダメージを受ける。どんな理由であれ、自分の中で正当性が無ければ、攻撃は自分に全て返ってくるのだ。能力が強い分、課せられた制約も多かった。心を見れば正確にカウンターを出せるのではないかと思うだろうが、その時点でフェアではない、狡いという認識が桔梗の中にある以上使えなかった。
 そんな能力を授かった桔梗が願ったことはただ一つ――正しさが証明される世界。空魔になりたての頃は、人の心を喰らうのに躊躇していた。最初の頃は浮足立っていたが、空魔になるという意味をだんだんと知り始める。自分はもう人間ではないのだと、思い知らされたのだ。人の輪の中には当然入れないし、人間ではありえない化物みたいな力が備わっている。人など簡単に殺せてしまう。桔梗はとても悩んだ。これでよかったのか――と。死んでしまった方がよかったのではないかと。苦しくなり、無礼や恥を忍んでミュオソティスに自分の思いを告げた。自分は空魔になるような器ではなかったかもしれない、と。
 けれども、ミュオソティスはそんな桔梗に怒るどころか、優しく語りかけた。

『私にはお前が必要だ。間違ってなどいない、お前は選ばれたのだ。恥じることは無い。人間でありたいなら、人間でもいい。私のことは気にするな。お前は自由だ。どのように振舞ってもいい。そのための能力だ。お前が願った、自らの正しさに準じる並々ならぬ思い……その力は必ず、お前の助けとなるだろう』

 ミュオソティスの言葉に、桔梗は胸を打たれた。自分の気持ちをここまで分かってくれる人間を見たことがない。ここまで気にかけてくれる人間に会ったことがない。まさしく、神のような存在だった。この時から、桔梗はミュオソティスに絶対の忠誠を誓うこととなった。彼女のためなら人間を殺すことも、死ぬことさえも厭わない。
 何故ならミュオソティスは神であって正しい存在だから――間違っているはずがないのだ。桔梗は考えた末、街中にいる悪事を働く連中を餌にした。悪いことをしている奴らは裁かれて当然、殺されても仕方の無い存在だと――桔梗の能力はどんな悪者の攻撃も跳ね返した。絶対的な真実と、忠誠心に目覚めた桔梗はミュオソティスの言う事には何でも従った。話をすることすら叶わず、遠ざけられても桔梗の忠誠心が揺らぐことは無かった。今もそうだ。ミュオソティスの為、彼女が喜ぶことを第一に行動していた。星影竜胆を殺せば、きっと心も晴れるだろうと、信じて桔梗は怯まず進み続ける。
 こんな所で人間共に、時間を割く暇などないのだ。終わりはすぐそこにあるというのに、もどかしい。

「はぁっ!」
「何度やっても同じことだ。お前達に俺は倒せない」

 何度も何度も同じように、攻撃を仕掛ける。効かないと分かっていても、愚直に攻めてくる相手に不気味さを覚える。茉莉花はその様子を感じ取ったのか、不敵な笑みを浮かべた。

「空魔って、核が壊れなければ死なないんでしょ?」

 普通の空魔にしろ、人型の空魔にしろ、核が壊されなければ死ぬことは無い。頭を吹っ飛ばされようが、心臓を打ち抜かれようが、そこに核が無ければ、再生出来る。

「どうして攻撃を避けるの? 正当な理由があるなら跳ね返せばいいじゃない。痛いのは嫌なのかしら?」
「……っ」

 茉莉花の指摘に桔梗は僅かに動揺の色を見せた。空魔に備わっている力の一つに痛覚遮断がある。だが、桔梗はあえてしていなかった。別に制約があるわけではない。本人の気持ちの問題だった。痛みを忘れることだけは、出来ないようだった。これを遮断してしまったら、能力のコントロールが困難になるからというのもあったが、一番は忘れてはいけないものだと思っていたからに他ならない。

「前はそこまで空魔のことなんて考えなかった。ただの人に仇を為す化け物だって思ってた」

 茉莉花は蘇芳や祀莉、柘榴のことを思い浮かべていた。今までに見たことのない空魔の存在。祀莉にとっての空魔の存在。正しいのかは分からない。そんなことを考えても、意味は無いのだ。

「でもね、色んな出来事があってちょっとだけ見方が変わった、変えられた。何もかも、ひっくり返ったようだったわ。空魔の存在は悪いのは今でも変わらないけど、少しは考えるようになったのよ」

 元は心を持った人間なのだ。空魔になったとしても変わらない、変えられないプライドや信念はあるだろう。蘇芳が空魔になっても捨てきれなかった、真実や思いがあったように、きっと誰にでもあるものだ。空魔が空っぽで満たされないと言われるのは、根幹に強い願いがあるから。ただし、その願いは空魔になったとしても叶わないこと。それだけが約束されていた。

「あんたさ。元は人間だったんでしょ。空魔になった今でも、人間としての正しさ、規範を求めている。未練タラタラじゃない」
「……知った風な口を聞くな。人間風情が」

 茉莉花に言われて、桔梗の心は揺れていた。
 人間だった頃――人はなんにでもなれると思っていた。子どもの頃に見たマジックショーはまさに、体現したようなものだった。魔法使いなどあり得ない。それなのに、目の前にいる人間は魔法のような技を次々と披露するのだ。将来はマジシャンになりたいと思った時もあった。
 しかし、何度やっても上手くいかず不器用だったため、諦めてしまった。だが、諦めた理由はそれだけではなかった。何よりも、桔梗には見せて反応してくれる相手がいなかった。一人でやっても全然楽しくないのだ。人間だった頃の桔梗には友達と呼べる存在がほとんどいなかった。正しいことは正しいと思い、悪いことは悪いと指摘し続けてきた。正論を言っているだけなのに、どうして相手が怒るのか理解が出来なかった。自分は正しいことしているだけなのに、理解されなかった。別に子どもの頃は友達がいなくてもなんとか出来るので問題は無かった。それが狂いだしたのは、大学に進学した時だろうか。成長するにつれて桔梗にとって、理不尽なことが多くなってくる。そうなったとき、桔梗は自分の行いが悪いからだと思った。全ては自分で選んだ道。自分が決めたのだから、自己責任だと思い続けてきたのだが――勝手に押し付けられた仕事でミスをしたとき、桔梗の中で何かが割れた音がした。ただの失敗ならまだしも、会社の根幹にかかわる問題だったのが運の尽きだった。
 
『なんで、俺が悪い。悪いんだよ。違うって言ってくれよ。誰か、みんな知ってるだろ!? どうして誰も何も言わないんだよ!!』

 誰も桔梗のことを擁護しなかった。誰もが口を揃えて「お前が悪い」と言った。因果応報、これまでの行いか――誰よりも正しく生きてきたはずなのに。世界は正しいはずなのに。自分が悪いのなら仕方がない。これ以上、何をしても無駄なんだ――ビルの屋上に上って最期の夜空を見ようと思っていた時に、桔梗はミュオソティスと運命の出会いを果たした。
 そこからは、やはり自分は見放されていなかったと、神は見ていると桔梗は喜んだ。世界は正しく動いていると、確信したのだ。空魔になった当初は少し悔んだりもしたが、自分で決めた道。今となっては、文句を言っていたこと自体が恥ずかしい。この世はこんなにも正しく動いているというのに、疑って悔むなど恥知らずの行い。桔梗は今現在、最高に幸せを感じているのだから。

「人間だろうが、空魔だろうが、どっちでもいいんだよ。今の俺が真実だ」
「本当に?」

 茉莉花が問いかけた瞬間、鉄槌が容赦なく振るわれる――明確な殺意をもって。そして、当然のように桔梗はカウンターを発動させ防ごうとするが――

「ぐっ」

 何故か攻撃が全て防げなかった。茉莉花の鉄槌を受けて吹っ飛ばされる。これでも、威力は半減しているようだが、何が起こったのか桔梗は混乱していた。そんな桔梗の様子を見て、榠樝は心底楽しそうに笑っていた。実験動物を見るような目は、嘲るように語る。
 
「認識のズレ……貴方の不器用さでは修正が難しいでしょうねぇ。ふふ。自分を偽るっていうのは、かなり高度な技術が求められるのです」
「何だ、と?」

 このようなこと今までなかった。自分が返せると思った時に、九割は返せていた。心を見なくても、表情や言動を見て判断出来るように訓練もした。

「タネも仕掛けもありませんよ。貴方は目測を見誤ったそれだけのこと。今の貴方は自らを人間だと思ってしまった。空魔である矜持を捨てていたのですよ」

 人間だった頃を思い出してしまったから、空魔としての力が半減した――と言いたげだった。まだ、人間の心を捨てきれない桔梗への痛烈な皮肉だった。

「カウンターは他者の心よりも、貴方の心に左右されるのではと、思いましてね。ちょっとした悪戯ですよ」
「これで勝った気になるとは、甘いぞ」
「思っていませんって。まだまだパーティは始まったばかりです」

 本番はこれからだ。この作戦自体読まれていた可能性もあったが、あの自信を見る限りそういったことはしないだろうと考えた。そこに榠樝は賭けていた。ここで重要なのは攻撃が通用するという認識を与えること。この一手に全てをかけているわけではない。まだ何かあるのかと、桔梗は警戒していた。

「……本当に、やるんですか」

 茉莉花は未だに信じられないような様子で問いかける。榠樝から作戦を聞いた時は耳を疑った。今でも嘘なら止めて欲しいと思っている。
 しかし、榠樝の決意は揺るがない。

「えぇ。読まれていたとしても、空魔にはどうする事も出来ないはずです」
「私は正直、榠樝さんのこと苦手です。どこか遠くを見ているような目が苦手。現実じゃなくて、向こう側っていうか……霞と似た雰囲気あるし」
「仕方ありません。誰しも、現実から目を背けたくなることはありますから。私も今見ているものが現実でなければと、どれほど思っていることか」

 榠樝はじっと、夕暮れに染まる空を見つめた。玲菜に出会って、変わったと言っても簡単に割り切れることなど出来ない。現実に生きている以上は、前を向いて進まないといけないのは重々分かっている。それでも、過去はいつまでも心に残り続ける。忘れられない――というよりも、忘れてはいけないものだ。自分がどう思うのも、ただの自己満足でしかない。いなくなった玲菜が望んでいるわけでもない。
 自分がやりたいからやっているだけのこと。むしゃくしゃしているのも半分は本当だ。
 だが、一番は大切なものを奪った空魔が憎い。一矢報いたい――五月七日榠樝の偽ざる本音だった。

「クソみたいな現実です。少しくらい面白おかしくしたって、いいでしょう」
「面白く、ないわよ。笑えないわよ!」

 茉莉花は泣きながら、声を荒らげる。
 しかし、榠樝の歩みを止めようとはしなかった。茉莉花の方も、打つ手がない以上、榠樝に賭けるしかなかった。榠樝が失敗したときは自分が何とかするしかないのだ。

「虚飾の世界と本当の世界、どちらも綺麗でしょうけれど……真実は一つだけ」

 榠樝は悠々と空魔に向かって歩いていく。その心は誰にも測れなかった。

「真実を知ったうえで嘘をつき続けるのは、相当苦しいと思いますよ。嘘のためにいずれ真実を吐くかもしれません」
「まだ、主を愚弄する気か……」
「いいえ。貴方に仰っているのですよ」

 止めるには榠樝を攻撃すればいい。それなのに、桔梗は攻撃出来なかった。恐らく、今の榠樝へ攻撃をしたら、こちらに跳ね返ってくる――そんな気がしたのだ。

「くそっ!」

 攻撃が全て当たっている。殺意が無いなどそんなことあり得るのか。何度やっても跳ね返せない。殺意を消すなど、普通の人間にはあり得ないはずだ。
 しかし、桔梗が攻撃しなかったのは、正しい選択だった。

「まさか……」

 指し示す真実は一つ。桔梗の能力が十分に機能していないということ。先程の攻撃で桔梗の力は不安定になっていた。桔梗の能力は簡単に言えば、殺意を跳ね返すもの。
 しかし、その仕組みはかなり複雑だ。最終的な判断を下すのは桔梗だが様々な要因が絡んでくる。桔梗の中では今自分が空魔なのか人間なのか――アイデンティティが崩れかけていた。さっきの攻撃では物理ダメージはそれほど負わなかったが、精神的なダメージはかなり受けたようだった。

「全ては己の未熟さが招いたこと――まさにその通りです」

 桔梗の力が安定していたとしても、今の榠樝へ攻撃したら致命傷になりかねない。
 なぜなら、今の榠樝は本当に殺意が無かったのだ。哀れな化物を眠らせるが如く、銃も捨て慈悲の心で近づいていた。榠樝自身も驚くほど心が凪いでいた。たとえ、心の中が分かっていたとしても桔梗には何も出来ない。人の心は簡単には操れない。榠樝はその様子を見て、さらに追い打ちをかける。

「これくらいで動揺するとは情けない。これまでのように、傲慢に不遜に振舞えばよいでしょうに……空魔らしく」

 榠樝は戸惑っている桔梗の目の前まで来て、桔梗の手に持っているトランプのような形をした武器をひったくり、躊躇なく自分の首を掻き切った。切れ味は鋭く、榠樝の喉元からは勢いよく血が噴き出た。

「ガっ…アぁあああああッ!?」
「はぁ、はっ…はは、ははは笑えますよ。最ッ高にその顔……」

 武器も持たない無抵抗で殺意の無い人間を攻撃したらどうなるか――無防備な榠樝に攻撃を返したら――榠樝が勝手に奪い取ったものだが、トランプは正しく桔梗の一部。どんな理由であれ、あってはならないことだ。この能力の真骨頂というよりは大きな落とし穴だ。殺意でも悪意でもなく、本当に鍵になるのは桔梗の心に委ねられる正当性――桔梗ですら能力を授かって、しばらく気付かなかったものだ。桔梗の力は相手の悪意を桔梗自身が判断して、跳ね返す。正当防衛も兼ねた報復行為だ。逆に言えば相手が無力で殺意のないまま近寄ってきだだけで、桔梗が反撃しようもののなら不当だと判断を下し、自らダメージを被る。桔梗の中ではそれが正しい姿なのだ。正しいことは認められ、不当なことは罰せられる――桔梗が心から願った祈り。
 たとえ故意ではなく、相手が勝手にやったことだとしても、自身の武器で無抵抗な人間を手にかけたのは事実――神は無慈悲に判断を下す。気付いてもわざわざやろうとする人間はまずいないだろうと思ったので、特別な対策はしていなかった。

「お前達、正気じゃ、ない……ぞ。ぐっ……」
「正気じゃない相手に、正気で挑む馬鹿などいませんって」

 桔梗からすれば狂っているとしか言えなかった。自らの首を何の躊躇いもなく掻き切るなど常軌を逸している。能力に気づいたとしても、正解なのか分からないのに、平然とやってのけるなど信じられなかった。
 
「榠樝さん! 榠樝さんッ!」
「さっさと、倒しちゃって、くださいよ。あれならもう大丈夫でしょう、ありったけの殺意をぶつけても……」
「くそがアっ、お前……気づいて……」

 桔梗は自分の能力について分かってはいるが、臨機応変が聞かない。そのために入念な準備をしているが、こういう時もある。桔梗も分かっていた。
 しかし、榠樝が首を掻き切ったのは幸運だった――そこに核は無いのだ。桔梗は自分が神から見放されていないと判断した。

「空魔は、核が壊れなければ、死なないッ!」
「ちぃッ。しぶといわね!!」

 これだけの殺意を向けられたら、殺されても文句は言えない――桔梗が茉莉花に向かおうとした時――

「お前の核は心臓だろう。覚悟の足りない人間崩れめ」

 どこからか聞こえてくる謎の声。桔梗は声の主を探すのより早く、自分の身に起きている異変に気が付いた。胸の当たりが痛むのだ。人間の急所が――心臓がひりひりと痛みを増していく。

「世界はそれほど正しくないし、都合良く出来ていない。人間だからだとか、空魔だからだとか、関係ない。誰にでも等しく、理不尽なことは起こりうる。そもそも、神は何も約束していないからな」
「……あ、あぁあ、あ」

 体から力が抜けていく。虚しく空を掴む手。言葉を発しているのが、誰かも分からないが、その通りだった。桔梗がどれだけ正しいことをしても、周りから認められることなどなかった。むしろ、どうして酷い目に合うのか。日頃の行いが悪いかったから、自分が気を付けていれば――それだけでは防げないことだってある。因果応報では説明出来ない、不幸は必ずある。明らかに悪くないのに、罪をかぶせられた時点で、自殺を選んだ時点で――桔梗の心は修復不能なほど折れていた。それでも進み続けたのは、ミュオソティスが認めてくれたから、自分の生き方を、存在を肯定してくれたから。
 そして、彼は現実から閉じた夢の中へと入っていった――嘘でも構わなかったのだ。たった一つ、ミュオソティスが認めてくれたという真実さえあれば現実など、どうでもよかった。そのはずだった。
 心臓を貫かれ、人として死んだのか空魔として死んだのか。そんな些末なことは、もはや関係なかった。本音から、真実から目を背けた時点で桔梗は道を踏み外していたのだ。世界を疑わずに、生きられたらどれほどよかっただろう。このようなことを考えている時点で、桔梗の正しさは破綻しているのだ――天より与えられた答えは、どこまでも公正で無慈悲だった。