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「閉じた世界って……どういうこと?」

 全く要領を得ない話に茉莉花は首を傾げ、柊は険しい表情をした。あれだけで理解出来る者がいるのなら、見てみたいところだがそんな人物はそうそういないだろう。

「そもそもさ、ここはミュオソティスの箱庭なんだよ。さっきは脱却と言ったけど、単純にミュオソティスをどうにかしたいってだけのことさ」
「ミュオ、ソティス?」

 茉莉花や柊にとっては聞きなれない言葉だった。空魔の主の名前というのなら、当たり前のことだ。誰もその存在を知らないのだ。誰も見たことも無いのに、不思議と確実にいると思わせるその名の響きはどこか切なく感じられる。

「この世界は彼女の都合の良いように出来ている。もっとも、本人はここに身を置いていないようだけどさ」
「都合の良いようにって、そいつは神か何かなのかよ」
「神様に近い存在と言うべきか。ほら、現人神っていうのもあるだろ。彼女自身が望んでなったのかは、分からないけどさ」

 神ではないが、それに近い存在だと竜胆は語る。どのような経緯で神に近い存在になっているのかは、不明だが少なくともこの世界はミュオソティスの思いを反映させていた竜胆にすら分からない神様の素性に、柊は頭を抱えるばかりだった。

「素性とかどうでもいいから、そいつを叩けば全て解決するってこと?」

 茉莉花としては、空魔の主がどういったものかよりも、それを倒せば全ての空魔が消えるのか――平和が訪れるのか気になっていた。空魔を根絶したいと言っていたのだから、そこに嘘は無いと思いたかった。

「理論的にはね。ただ、さっきも言ったけど、彼女は今この世界に身を置いていないし、彼女にとってさらに都合の良い世界。こことは別の世界……って、異空間とでも言うのかな。ほら、蘇芳のくれた情報にあるだろう。空魔は固有の世界を作れるって」
「固有の世界?」
「恐らく、空魔にとって居心地の良い世界なんだろうね。ずっと、籠ってくれたらって思うだろ。でも、ここに籠っていても空魔は現実に影響を及ぼしている。質が悪いのさ」

 空魔の能力の一つに、自分にとって都合の良い空間を作れるというものがある。ほとんど、決まった世界が広がっているらしいが、クロユリの場合は紫苑を別の空間に切り離したりしていた。器用な場合だとそういった芸当も可能なのだ。
 茉莉花は竜胆の話を聞いて、何か思い出したようだった。

「ひょっとして、蘇芳さんが私を連れ込んだ場所って。もしかして、それかも。部屋にしては窓が無くて、変な感じがしたし……」
「悪用しまくりじゃねぇか」
「そうなんだよね。そこに入られると、何にも通じないっぽくてさ。探知出来ないのさ」
「そういうことか……」

 空間に入られてしまえば、空魔を探すことは困難。ましてや、空魔の親玉がそこに籠り続けているとなると、お手上げ状態だ。

「どうにかなんないの?」
「どうにか……ねぇ。こればっかりは、どうしようも出来ないのさ」

 どんなに知識があったとしても、ミュオソティスが表舞台に出てこない以上、竜胆には何も出来なかった。それを分かっていて、ミュオソティスは籠っているのだろうと竜胆は思っていた。自分への当てつけだろうと、せいぜい苦しめと言っているようだ。

「そういえば、空魔の主……ミュオソティスの目的って何なんだ? 世界を空魔で埋め尽くしたいなら、自分でさっさと空魔化させた方が手っ取り早いだろ」
「都合の良いように出来ているから、わざわざ出向かなくても、勝手に世界が破滅に向かっていくだろうね」
「はぁ!? マジで言ってんの!?」
「そういう可能性もあるってことさ」
「やたら軽いな。というかもう、驚く気力も無いぞ……」

 柊は出来るだけ情報を整理しているが、許容量に限界が来ていた。タブレットに目を落とすも、全く情報が頭に入らない。一瞬だけ、寝た方が良いかと、関係ないことを考えてしまった。
 茉莉花はこの世界が滅びるなど、信じられるわけがなかった。彼女としては空魔を倒せば全てが解決する。それでよかったはずなのに、どんどん話が逸れていっているような気がしてならない。ミュオソティスという存在がいるとして、それ自体は別に疑っていないのだが、世界が滅ぶという可能性については、悪い冗談としか思えなかった。

「ミュオソティスが滅びを望んでいるのか、僕には分からないからね。彼女とは深い繋がりはあるけど、僕は嫌われてるっぽいからさ」

 竜胆は遠くを見つめながら呟く。嫌われている、という言葉に柊は疑問を覚える。

「嫌われてるって、ちょっと交友関係あったような言い方だな」
「……あったんだよ。色々」
「詳しく聞いた方がいいやつ?」
「今はまだ、聞かないでくれると有難いかな」
「へー何があったの?」

 茉莉花は容赦なく竜胆に問いかけた。お前の事情など知ったことかと言いたげだった。

「茉莉花もかなり強くなったね。部下の成長に涙が止まらないのさ」
「……で、言うのか言わないのか」
「どっちにしろ制約があるから詳しくは言えないけど、彼女がこの世界にいたいと思う限り世界は滅びないと思うのさ。後は……紫苑次第か」
「どうして、そこに紫苑が出てくるのよ」

 紫苑は報告によれば、空魔に連れ去られたはずである。どこへ行ったのかは不明。紫苑を連れ去ったのは柘榴である。茉莉花は柘榴と会っているが、紫苑に関しては詳しく教えてもらえなかった。

「恐らく、紫苑は今空魔の懐にいるだろうからね」
「それって、ミュオソティスの空間ってことか? どうしてそう思うんだよ」
「彼女は彼女で、向き合わなければいけない真実があるだろうから」
「紫苑の真実……」

 茉莉花は柘榴の言葉を思い出していた。紫苑は無事だと言っていて、元に戻すと言っていた。元に戻す――ここに帰すという意味だと最初思っていたが、もしかすると別の意味というより、言葉通りの意味だったのか。紫苑が何かしら抱えているものがあると、何となく茉莉花も感じ取っていたが、空魔に関連することなのか。いずれにせよ、柘榴を信じるしかない。

「僕もそうだけど、空魔の中にはミュオソティスの考えに否定的な空魔もいる。逆に、肯定的な桔梗というのはかなり珍しい。熱狂的信者らしいのさ」
「空魔のコミュニティも複雑なんだな……」
「それでも……誰もボスには反抗しないのね」

 反発心を抱いていても、ねじ伏せるほどのカリスマでもあるのかと、柊たちは思ったが竜胆から返ってきた答えは至って普通のものだった。

「ミュオソティスは全ての空魔の動向を把握しているからね。自由にはさせてくれるけど、度が過ぎれば痛い目に遭うのさ」
「それにしても……」

 ここまで聞いていて不思議に思っていた。竜胆は空魔に詳しいを通り過ぎて、全てを知っているかのようだった。さすがに空魔の主である、ミュオソティスについてまでは把握していないようだが、少なからず関りはあるようだ。柊からすれば、関りがある時点で怪しいし不可解だ。

「そこまで関わって、知識もあって詳しいのに、あんたは何もしないんだな」
「……ミュオソティスと会ったとしても、僕じゃ殺せないからね。誰にも終われない。彼女を殺してくれないと、終わらない。悪夢は続く」
「どういうことだよ」
「色々と制約があって言えないんだよ。僕も結局は駒の一部だからねぇ。悲しいね」

 半分空魔である竜胆もまた、人型空魔のように縛られているようだった。制約というものが、どういったものかは分からない。迂闊に言ったら致命的なダメージを受けるのかもしれない。柊も思うところはあるが、そこまでは望んでいないので、深く追及出来なかった。

「本当に倒すつもりがあるの?」

 茉莉花はミュオソティスのことよりも、竜胆の意思が気になるようだった。いつも何を考えているか分からない竜胆の瞳。空魔に対するスタンスを、はっきりさせたかったようだ。

「あぁ。空魔は絶対に消す。僕に出来る唯一の贖罪さ」

 縛りはあるものの、空魔を倒すという意思は揺るがないようだ。何とも不思議な感覚だったが、茉莉花はひとまず安心した。
 しかし、竜胆は自分にミュオソティスは殺せないと言った。柊は純粋な疑問を竜胆に投げかける。

「あんたに出来ないなら、どうすんだよ」
「逆に言えば、僕以外の人間だったら可能ってことさ」
「どういった理屈なのかは、この際スルーさせてもらうが……弱点とかは普通に核なのか」
「そこまでは分からないのさ。ただ、核はある可能性が高いだろうね」

 核が弱点なのかは不明のようだった。さすがにそこまで知っていたら、本格的にヤバいと柊は思っていた。空魔の主に詳しい時点で充分おかしいのだが、それに突っ込んだら話がもっとややこしくなること間違いなしだった。茉莉花は純粋にミュオソティスに対して憤りを覚えているようだった。

「何なのよ! ミュオソティスって……こんな世界にしておいて、未だに引きこもっているとか。何がしたいのよ!」
「ホントだよね。まだまだ、自ら気付いて動こうとした榠樝の方が立派さ」
「そういえば、榠樝さん大丈夫なの? 帰ってこないけど」
「確かに。まぁ所長がいるから来ないかもしれないし、一応確認してみるか……」

 柊が榠樝の居場所を調べるためモニターを操作すると、とんでもない光景が映し出された。榠樝が空魔と戦っているではないか。しかも、かなり分が悪そうだった。まさか、あの後から空魔と戦闘になっているとは、夢にも思わなかった。柊は目を丸くしつつも、冷静に茉莉花へ声をかけた。

「……おいおい。あの人、マジか……茉莉花! 今すぐ外に出るぞ!! 外に空魔がいる」
「えぇ!? いきなり!? わ、分かった」
「榠樝さんが危ねぇ」
「何で!?」

 茉莉花は何が起きているのか、全く分かっていないようだった。ただ、榠樝がピンチになっていると聞いて放っておけるはずがなかった。

「空魔と戦っているって、情報が入ってきた。所長……分かってて止めなかっただろ」
「榠樝が望んだことさ。止めたけどね、無理だったさ。彼女もまた空魔に狂わされているからね」
「お前っ……」

 どこまでも他人事のようにいう竜胆の態度に対して、さすがの柊も怒りを抑えられそうになかった。

「批判は倒してからいくらでも受けるさ。今は早く彼女を助けてやってくれ」

  柊は竜胆の胸倉へ掴みかかろうとしたが、言ってんの曇りもない表情の竜胆に思わず怯んでしまった。普段は何を考えているか分からないうえ、濁り切った瞳をしていたのに、この時だけはいつもと違って見えた。
 柊を怯ませたのは、間違いなく竜胆の強い願いだ。あのような目で言われたら、従うしかない。こうやっている間にも榠樝は死ぬかもしれないのだ。争っている暇はない。

「……ちっ。行くぞ」
「榠樝さん……!」

 二人は急いで作戦室から出ていった。竜胆は榠樝を助けてくれといっても、動こうとしなかった。行ったとしても出来ることは無い。榠樝は恐らく、自分に来てほしくないだろうと何となく感じていたというのもある。
 どちらにせよ竜胆が行っても、行かなくても空魔の未来は決まっているのだ――全てが終わってから、行こうと竜胆は思っていた。
 誰もいなくなった部屋で、竜胆は独り呟いた。

「どうやっても、僕には人に好かれる才能が無いのさ。そういう柄でもないのは、分かっているけど……」

 所長になっても、人と最低限の関りしか持っていなかった。普通の人間とは少し違うからという理由でもなく、単純に不器用だからだ。竜胆は人と話すことがあまり好きではなかったが、目的のために空魔に関する研究所を建てたり、学科を開設したりした。色々な人間と関りを持ったが、後にはほとんど何も残らない。大半の人間は、不気味に思い竜胆から遠ざかっていく。嫌悪や恐怖の感情を隠しもせず、曝け出して罵倒する者もいた。されても仕方の無いことをしているから、その点に関してはどうも思っていない。
 竜胆が様々な人の感情を見て、思うことはただ一つ――

「改めて思うけどさ。素直に思ったことを吐き出せて、自分の中にある感情を信じられるのって、すごく幸せなことなんだよね。眩しくて、羨ましく思うよ。君も、そう思わないかい?」

 仲間を――同意を求めるような視線の先には、いつの間にか黒い剣を手にした少年が睨むように立っていた。