どんな言葉も届かないのなら、私が何したって関係ないのに、どうしてあんなことを言ったのでしょう。本気で心配してくれていたとでも? 冗談よしてくださいよ。柄にもないことをやったら、あっという間に死んでしまいますって。とか言っても本人はいないし、どうやっても死なないと豪語していますし、ひとまず安心しておきましょう。
結局、最後まで所長の真意が分からないまま、私は研究所の外へ出ていました。空魔を刈るなら、外に出なくてはいけませんからね。外の空気は中より一層重たく感じられます。嫌な気配がすると言うべきでしょうか。不気味なくらい静かでした。研究所は広大な敷地が広がっています。舗装された道は遠く外まで繋がっていますが、見渡す限り誰もいません。研究所内は人がいてそれなりに慌ただしかったのですが、外は全く人の気配が感じられません。世界が丸ごと眠りについてしまったかのようです。
もしかすると、この辺もすでに空魔の手が伸びているのかもしれません。ぽっと出てきた空魔に食べられて終わりということもあり得そうです。あれだけ息まいといて、情けないオチは避けたいところですね。
「けれど、死んだところで、私は彼女と同じ場所にはいけないでしょうね」
空を見上げれば、相変わらず濁り切った夕焼けが広がっていました。かつての景色が再現されているようです。くすんだ世界の色は私を嘲笑っているようで、忌々しい。過去からはどうやっても、逃げられないのですね。別に逃げも隠れもするつもりはありませんが、見せつけられると少し感傷的になってしまいます。
私は欲求を満たすために他人を利用し続けた。色のない世界に色を付けたかった――言ってしまえばそれだけのこと。他人からしてみれば、理解出来ない理由かもしれませんが、私にとっては重要な問題だったのです。私は世界が酷くつまらないものだと思っていました。今思えば、私がそう思い込んでいただけで、周りを見ようとはしなかったからだと思います。
いつも閉じた世界に独りきりでした。幼い頃も、両親の期待に応えるために勉強して、同世代の子どもたちとは親が認めた人としか接することが出来ない。友達と呼べる人は一切いませんでした。敷かれたレールの上を進んでいくのが本当に幸せなのか、私は考えるようになっていきました。外れたらどうなるのか。外れた先に何があるのか。このまま進んで、私は本当に私でいられるのか――漠然とした不安。
思えば私の世界は最初から色褪せていた訳ではなかったのです。いつからか少しずつ、消えていったのです。知らず知らずのうちに、心が擦り減って、色が剥がれ落ちてしまったのでしょう。何も感じていないわけではなかったのです。私はいつからか世界を穿った目で見ていたのです。そんなものがあるわけないと、自分でも気づかないうちに夢を諦め、理想を否定していたのです。
そして誰にも興味も関心も持たず、誰も世界を変えてくれる人はいないと思い込んで――絶望に近いのかもしれません。マイナスの意味で、私は他人に期待していなかったのです。
その果てに辿り着いた答えは、世界を変えるのは自分しかいないということ。そのためにはどうしたらいいか――考えた末、私は世界を旅することにしました。今まで築き上げた地位など惜しくも無く、金目のものをありったけ持ち出して、ノープランで家を飛び出しました。
飛び出してからは他人を欺きながら、笑いものにしたり、武器を開発して売りつけたり、その結果を見届けることを繰り返してきました。理由と言う理由はありません。生きていくうえには金が必要でした。けれども、それ以上に世界はくだらない、取るに足らないものだと認識したかったのです。こんな愚かな人間が蔓延る世界では色がつくはずがない。私の生きる世界はちっぽけで大したことない――私はそう思い込みたかったのです。
そんな矢先に私はある人と運命的な出会いを果たしました。旅の途中で『空魔』という存在を知ったとき、私の世界は呆気なく崩れていきました。アレには私の武器も一切通じなかったのです。私の築き上げてきたものを、全て壊していったのです。旅の中で初めて命の危機を感じましたね。こんなところで死ぬなんて――割と本気で思っていました。万事休す、死を覚悟した私の目の前に現れたのは――今となってはよく知った人。
『空魔は普通の武器じゃ倒せないのさ。馬鹿みたいな存在だからね』
所長――星影竜胆でした。私は情けなく腰を抜かしてしまいました。こんな存在いるわけがないと、はっきりと目の前で目撃したとしても言いたかったです。私は所長と出会って、空魔について教えてもらいました。本当に彼が言った通りの存在だと思いました。心を喰うなど、馬鹿げていますし、何よりもこの世界を根本的におかしくしているような気がしてならない不気味さが私は嫌でした。
私は長々と説明を受けた後、所長からスカウトされました。空魔以上に訳が分からなくて、思いっきり訝しむ様な視線を向けました。所長は私の視線など気にも留めず、私を勧誘してきました。
『どうせ、行く当てもないのなら、いいじゃないか。案外、色づくかもしれないよ?』
恐らく所長は心でも読んでいたのでしょう。ただ、この時の私はそんな事情も知らなかったので、思いっきり動揺していました。過去に一度たりとも見透かされたことも無かった心の奥底に秘めた感情を読まれているのですから、警戒しないはずがありません。
『……いきなり何を言っているのでしょうか。というか……貴方星影って、噂で聞いたことはあります。東洋の財閥でしょう?』
色んな分野に片っ端から手を出して成功を収めている、一族だったでしょうか。ここの系列会社は最先端の技術も多く、少し興味が湧いたのです。
『そうさ。けど、僕は継ぐ立場じゃないからね。勝手にやらせてもらってる。僕としては空魔の研究を進めたいのさ。そのためには何だってするのさ』
『私は全く空魔について詳しくありませんし、お役に立てるとは思えませんが』
空魔など今知ったのに、私に何が出来ると言うのか。私が首を傾げると、所長は意気揚々と告げました。
『空魔に対抗出来る武器を作ってもらいたいのさ』
『武器なら貴方がさっき使っていたではありませんか』
『あれは一度使ったら使い捨て。僕は量産出来る体制を作りたくてね。金と知識はあるけど、それ以外はどうしようも出来ないから、ちょい人材探し中なのさ』
『……それを抜きにしても、どうして私なのでしょうか』
『噂で戦場を渡り歩いて武器開発に携わり、劇的な成果を上げる謎の学者がいるって聞いてね。暇なのかなと思って。それに……』
いつの間にかそんな噂が立っていたのが驚きでした。同時に、身の振り方を考えるべきだと心底思いました。所長の言葉はまだ続きがありそうでした。私は噂については言及せず、言葉の続きを待ちました。
『気になるだろう。空魔という存在について、知りたいと思わないかい?』
普通の人なら世迷言を言っているように聞こえるかもしれません。
けれども、この時の私には不思議と魅力的な話に聞こえきたのです。空魔については確かに気になります。存在を認めたくないものの、謎は解き明かしたいという気持ちはありました。あの一瞬だけで、空魔は私の中に強烈に存在感を刻み付けていったのです。
それに所長の言葉――色づくかもしれないと言った、あの人の言葉の真意が知りたかったのです。まるで、私の心を見透かすような掴みどころのない雰囲気。少しだけ癪に障りますし、騙されているという可能性もあるでしょう。それでも、私の心は自然と惹きつけられていました。
『……空魔とやらに関われば、世界は灰色から少しは変わるのでしょうか』
『それは君次第だよ、榠樝。あまり他人に期待しない方がいいのさ。世界は自分の力で変えるのが一番だ』
所長の言葉は心に少しだけひびを入れたような気がしました。所長は、きっかけだけを残して、それ以上は何も言いませんでした。
私は結局、悩みに悩んだ末、所長についていくことにしました。
私が連れてこられた場所は、星瑛大学と呼ばれるところでした。何でもここは星影財閥が運営する学校らしいです。新しく空魔に関する学科を設立したいらしく、その手伝いという名目で私は入りました。設立後は大学内にあるものの、特別部門扱いらしく学内でも知らない人がいるような秘密学科でした。限られた生徒しか入れないようにするとかなんとか言っていましたね。
そんな経緯で大学を出入りしていたのですが、その時に彼女――玲菜と出会いました。最初に会った時は、明るくて元気な子。ただし、それ以上でもそれ以下でもない。どこにでもいるありふれた存在。普通の人間と変わらない。色など変わるはずがないと、私はずっと灰色の日を続けていくのだと思っていました。
けれども私が描いていた未来は奇しくも打ち砕かれることになるのです。最初、玲菜は私を学生と勘違いして仲良くしてくださいました。訂正するのも面倒なので、しばらくそのままにしていました。彼女はこれまでの人生の中で、私の周りにいなかったタイプでした。とても積極的で、彼女の周りは笑顔が絶えない――輝かしい世界が広がっていました。天性の才能なんでしょうね。ほとんど人と関わらない私に対しても、臆せず話しかけてくるのですから、困惑していたのは今でも覚えています。皮肉を言っても笑顔で受け流されてしまいますし、決して頭が悪いわけでもなく、本当に相手のことをよく見ているようです。玲菜は友人もたくさんいるのに、私のところによく来ました。
彼女は私が心に欠陥を抱えていたことに気づいていたのでしょう。私は特に何も考えず、玲菜に相談しました。あまり期待せずに、彼女に自分の見ている世界を打ち明けたのです。
そうしたら、彼女は親身に聞いてくれるではありませんか。こんなこと普通だったら鼻で笑われる話でしょうに。彼女は真剣に聞いてくれました。
そして、彼女は私に言ってくれたのです。
『わたし、榠樝の世界を変える手伝いをする!』
『別にそこまでしてくれなくても……』
『世界はこーんなに綺麗なのに、知らないまま生きていくとか、めっちゃ悲しいって。それに、ずっと悩んでいたんでしょ? だったら、解決しないわけにはいかないじゃん!』
『変わらないかもしれません。私個人の問題ですし、貴方の手を煩わせることでもありません』
『そんな、寂しいこと言わないでよ。変わらないって言うなら、変わるまで付き合うまでよ。わたしはこの世界の良いところたくさん知ってるから、大丈夫、大丈夫! 榠樝もきっと分かるよ!』
彼女の自信に満ち溢れた表情は今でも覚えています。もしかすると、玲菜なら――私は心のどこかで思っていました。
そんなこんなで、彼女と親交を深め色んな場所をめぐりました。最初は特にも感じませんでした。対して玲菜は色んな場所へ行く度、目を輝かせ、心を躍らせていました。彼女曰く、一歩踏み出すのにドキドキして、どんな出会いがあるのかワクワクするとのこと。聞いた当初は全く分かりませんでしたね。
でも、私は万華鏡のようにころころと変わる彼女の表情を見ているうちに、同じように感じたいと強く思ったのです。私はその時から、視野を広げるように心がけました。
これまで気にしてこなかったことに目を向けると、私はこれまでにない高揚感を味わいました。どんなものにも、物語があって、色んな色があるのだと、私はその時初めて気づいたのです。街を歩く人々、目に映る風景、したたかに生きる動物――どんなものも、等しく世界の一部。私だけが苦しい思いをしているわけではない、誰もが何かを思い前を向いて生き続けているのです。
私がこの結果から得られた答えはごく単純なものでした。色づかない、嘆き、諦めていた私自身が世界を閉じていたというだけのこと。どこにでもある小さな幸せすら見えなくなって、閉ざしてしまっていたのです。世界を変えるのではなく、自分を変える――所長の言葉は正鵠を射た指摘でした。これでも、所長にも感謝していたのですよ。本人には直接言いませんでしたが。
けれども、温かく輝かしい日々はいつまでも続かない。終わりは唐突に訪れる。私の世界に色づいたものの、彼女がいなくなった世界はかつての灰色を思い起こさせてくれます。これが真実だというのでしょうか本当にどうしてこんなことになってしまったのでしょう。
「……懐かしいことを思い出してしまうのは、私が死ぬ間際だからでしょうか。どう思われます? そこの空魔さん」
「気付いていたのか」
「これでも数多の修羅場を潜り抜けてきてますので。悪意には敏感なんです」
散々嫌な目に合ってきたので、嫌な気配には敏感になってしまいます。特に空魔に対しての私のセンサーはかなり精度が高いです。所長がおかしいのも、出会った直後ぐらいには気づいていましたからね。そもそも、私は戦闘班ではないですし、ほとんど使いどころがなかったのですが、ようやく役に立ったというべきでしょうか。
「単刀直入に聞く。星影竜胆はどこだ」
「さぁ。知りません。それよりも……」
私の目の前にいる青年のような空魔。服には返り血のようなものがついています。空魔って本当に最悪ですね。人のことなど全く考えてない。恐らくここの研究所の人達は何人かやられてしまったのでしょうね。ご冥福をお祈り申し上げます。
「今更、ここを襲撃なさるなんて、どのようなお考えをお持ちなのでしょうか。主の指示ですかね?」
「お前には関係ない話だ。それよりも、お前は居場所を知っているだろう」
「教えると思いますか? というか……空魔なら、心でも見ればよいでしょう」
「俺は生憎と見ない主義でな。小賢しい真似をしたら、それ相応の罰が下る」
「あっはっは。罰ですか。空魔が? それ言います?」
あまりにも滑稽で、笑わずにはいられません。空魔のくせに真面目ぶっても意味ありませんのに。どうせ、本能に囚われた化物ですもの。どんなルールも破って越えてくる存在ですのに、おかしくて調子狂いますわ。目の前の空魔は当たり前のように、不快感を示していました。人間らしいと言えば、人間らしいのですがね。
「何がおかしい」
「だって、空魔なんて存在そのものが罰じゃないですか。死にもせず、人を喰らい続ける浅ましい怪物。恥知らず」
「侮辱と捉え、敵対しているとみなすが――」
「えぇ、そうよ。お前たちは人に劣る存在。全て知った気になっている、哀れな化物」
「威勢だけはいいな。ただの人間に何が出来る」
何もかも普通ですね。つまらなさそうです。常識的な面が捨てきれていない、中途半端さが際立っています。
「これだったら、まだ菜花君のほうがまだマシですね。秋永桔梗(あきなが ききょう)さん?」
名前を告げると、空魔は少し驚いていました。菜花君の情報も嘘ではなかったのですね。感謝です。それにしても、目の前にいる空魔からは、譲れないものを感じられない。空魔にしては普通と言いますか。あくまでもパッと見の評価なので、今後覆る可能性はあります。
でも私の勘では、覆らない確率の方が高い。己の過ちに気づけないようでは未熟もいいところです。
「どうやら、お前は俺を煽っているようだが、そんなものは響かん」
「あら、そうですか。ならもっと言ってあげましょうか。落ちこぼれ空魔さん?」
「何がお前をそこまで駆り立てるのが知らんが、お望み通り相手してやる。どうせ、全て消えるんだ。早いか遅いかだけの問題だ」
響かないと言いつつ、効いていますね。分かりやすい人は好きですよ。単純で思考回路が読みやすくて、扱いやすい。空魔にしては、人間らしさが目立っています。これなら少しだけ、希望があるかもしれません。私は純粋な人間ですから、これくらいのハンデはあってもいいですよね。