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 どこかにある古めかしいカフェ――店の主人であるアヤメは物憂げな表情で、窓の外を眺めていた。外は物音一つもしない静かな世界が広がっている。店内には客が一人カウンター席にいた。
 しかし彼は客ではない。客ではない者は人の形をした空魔で名前は桔梗(ききょう)。桔梗は不愛想な表情で店内を見渡していた。アヤメは桔梗の動きを感じ取ったのか、ぽつりと呟いた。

「……ここも静かになったわね」
「うるさい奴らが消えたからだろう。それがどうかしたか」
「いいえ。別になんでもないわよ」

 仲間が消えても予定調和だと言わんばかりに桔梗は平然としていた。アヤメ自身もそこまでショックを受けているわけではないが、思うところはあった。己が願いのために集まって、最期は消える運命。決められていたとしても、そう簡単に納得出来るものではないだろう。仲間内でも玖金理真は決められた運命に従いつつもずっと反発していた。そんな理真と相反するように、桔梗は自分で決めたことだと泣き言も何も言わず納得していた。反発していた理真は最期まで最高の幕引きを探していたようだが、果たしてどうなったか――考えたところで、アヤメに出来ることは無い。アヤメはただの空魔で、彼女もまた閉じた箱庭の中にいる無力な道具だった。店内の静寂を裂くように桔梗が問いかける。

「主は今どうしている?」
「どこか遠くを見ているわ。相変わらずよ」
「……そうなのか」

 桔梗は期待と諦め交じりに落胆の色を見せた。桔梗は主――ミュオソティスを崇拝していた。その光景は仲間内でも異質だった。
 一方で、桔梗がミュオソティスに恩義を感じる気持ちは分かる。彼が空魔になった理由を聞いて、納得するくらいには分かりやすい理屈だった。アヤメは別に知りたくて知ったわけではない。桔梗自らが話したことを記憶していただけである。
 けれども、心の中から外まで詳しく知っている者はミュオソティス以外にはいないだろう。アヤメは桔梗のことをそこまで知ろうとは思わなかった。知ったとしても、どうせ消えてしまう運命にあるのだ。
 それでも少し思い返すとすれば、面倒な性格だというのは紛れもない事実。理真とは違った方向性の面倒さに加え、気難しさがある。アヤメから見た桔梗は、ストレスをため込みやすい性格をしているように思えた。何があっても自己責任として背負う性質。それを他人に対しても押し付け、周りから嫌われる。正しいと思ったことはずけずけ言って、自らが失敗したときは自身の行いが悪かったからと自責の念に駆られる。他人のせいにしないのは立派なものだが、全てがそうとは限らない。本人は分かっているのか、分かったうえで見て見ぬ振りをしているのか――アヤメには関係の無いことだった。
 そんな桔梗は、ミュオソティスに心酔しているものの、微塵も相手にされていなかった。空魔にしておいて酷いものだと思うが、こういう輩は付け上がりやすいので冷めた態度の方がいいのだろうと、最終的にアヤメは思っていた。こうやって考えていたら筒抜けで終わりだと思うが、意外とそうでもない。空魔になった人間はあまり人の心を読みたがらない。便利だとアヤメは思っているのだが、蓋を開けてみれば他人に興味ない、情報が増える、余計なことを考えたくない、と言った意見が見受けられた。桔梗も同じような意見らしく、あまり心を読みたがらない。
 だからこそ、アヤメは色々と考えられるので有難いと思っている。有難さを感じたついでに、アヤメはあることを思い出した。それは桔梗にとって、好ましい話だった。

「そういえば、思い出したわ。一つ貴方にミュオから伝言があったわ」

 アヤメの言葉に、桔梗は思わず身を乗り出していた。ミュオソティスからの言葉ということもあって、先程の諦めた瞳に光が注がれたようだった。

「自分らしく散れ。そうすればお前は私の役に立つ――この言葉を実行するかしないかは、貴方次第」

 アヤメからすれば『死ね』を尊大に遠回しに言っているだけのこと。
 しかし、桔梗からすれば神の言葉に等しいものだ。何の疑問も抱かない――はずだったのだが。

「主からの言葉であれば、拒否する理由は無い。しかし、自分らしくとは……どういうことだ?」
「貴方自身がよく知っているんじゃない?」

 桔梗らしく――アヤメは少し考えた。どうすれば、ミュオソティスの役に立って死んでもらえるか。このまま突き放して消えてもらってもいいのだが、もう少し有用に活用したいところだ。アヤメは普段動かないミュオソティスの意思を代行している部分がある。この指示にも少なからず意図があることを知っていた。

「助言するなら空魔らしさか、人間らしさか……そういったところかしら」
「絶望していた俺を生まれ変わらせてくれた、主に報いたい。俺の中ではそれだけだ」

 桔梗の中では、ミュオソティスのために死ぬというのが決定事項であった。普通に死ぬだけでもいいのだが、自分らしくとオーダーを受けている。単純に死ぬだけではミュオソティスの期待を裏切ってしまうと思っているようだ。
 しかし、桔梗にはミュオソティスの心が分からない。どうすればミュオソティスは喜ぶか――それだけを最期に望んでいるようだった。

「主の意向に沿う形にしたいのだが、あの方はあまり何も語らない。お前は俺よりも長い付き合いだろう。あの方の心が多少なりとも分かるだろう。どうすればいいんだ」

 桔梗の問いかけに、アヤメは少しばかり間を置いた。アヤメの中では、如何にして有用に桔梗を死なせるか。彼女のためにどうするのが正解か――アヤメの中に一つの考えが、舞い降りる。それは天啓か、自分の考えか神の考えなのか今のアヤメには分からなかった。この先の終わりがどうなるのかは桔梗次第、アヤメは見ているだけ。全てはミュオソティスのため――桔梗はそれだけを望んでいるのだ。お望み通り言ってやればいい。余計な感傷などいらない。アヤメはゆっくりと結論を述べた。

「……大本を断てばいいのよ」
「何?」
「空魔研究所、あるでしょう。そこの所長、星影竜胆を殺せば、彼女はとても喜ぶでしょう。なんせ彼は明確な敵だもの。悪よ」

 アヤメの纏う空気は冷ややかで、冗談で言っているようにも見えなかった。桔梗は意外そうに思いながらも、納得していた。話には聞いていたが、やはりミュオソティスは竜胆のことを憎んでいて、殺したいと思っているのだと改めて桔梗は思ったのだった。

「主よ……竜胆を消せばミュオソティス様も少しは認めてくれるだろうか」

 わずかな期待や希望を胸に宿して桔梗の声は上がる。その様子を見たアヤメは柔らかく微笑んだ。

「倒せなくとも、敵と戦って散ったとなれば、彼女は貴方の功績を認めるでしょうね」
「そうとなれば、さっそく行動だ。あの方のために華々しく消える。この世に未練は無いからな、あいつらと違って嘆いたりはしない」

 思い切りがいいというべきか、単純馬鹿なのかアヤメには判断がつかない。この選択は本当に彼にとって良いものであるか。客観的に見れば、どれほど酷いことを言っているか。気付かない方が幸せなこともあるだろう。それに嘘は言っていないのだからと、言い聞かせるようにアヤメは静かに目を伏せた。

「……いってらっしゃい」

 桔梗を送り出した後、アヤメは一人ぼんやりと天井を見つめていた。

「話は終わった?」
「えぇ」

 天井を見つめていると、桔梗と入れ替わりで柘榴が現れた。柘榴はずっと店の奥にいたのだが、桔梗は最後まで気づかなかった。柘榴が本気で身を隠していたのと、桔梗がそれほど仲間に対して興味を抱いていなかったのが要因である。柘榴はというと桔梗が面倒くさいので、静かに聞き耳を立てていた。店の奥から出てきた柘榴はさっきの話を全て聞いており、聞いているこっちが居たたまれないといったように、うっすら笑っていた。

「あいつ、意味分かってんのかな」
「何のことかしら?」
「……意外と薄情なんだな。あいつがどこで何しようが僕には関係ないけど、少し気の毒に思うよ」

 アヤメの言葉は嘘ではない。ミュオソティスの意思であるのは確かだということは柘榴も知っていた。ミュオソティスとアヤメの関係はそれほどまでに密接なのだ。彼女が意見を言えば、ミュオの言葉にも等しい。だが、その事実を知っているのは、ほんの一部しかいない。桔梗はもちろん知らない。いくら桔梗がミュオソティスを崇拝していても、ミュオソティスからの信頼は一切無い。それでも、桔梗はミュオソティスの言葉であるなら従うだけ。彼にとっては疑問に思う事すら罪なのだ。ミュオソティスからすれば、都合よく動いてくれる駒という認識だ。だからこそ扱いやすい。

「……ミュオの意思なら残酷だなーって。あいつ、ミュオのために頑張ってんのにさ」
「死ぬのは変わらないんだから、どうせ死ぬなら竜胆とぶつかって死ねってことでしょう。ミュオが自ら道を指し示してくれたのだから、彼も満足でしょう」

 桔梗に勝手な行動をされるより、明確な敵を示して動いてもらう方が、都合がよいと考えたようだ。竜胆のことは前々から話しており、今更けしかけたとしても、そこまで不自然には思われないだろう。なかなか、酷なことをすると柘榴は思っていたが、ここまでくるとさすがに桔梗が哀れに思えてくる。

「勝手な行動されるより、明確に指示を下した方がいいのは分かるけど。でもさぁ、ぶっちゃけ桔梗なら言われなくとも同じ選択してたと思うけどねぇ。基本的に主に害をなす奴はぶっ潰すみたいな感じだし。あと馬鹿だし」
「彼女は不確かなものには頼らない主義でね。心ほど信用出来ないものは無いわ。特に、人の心は。私たちは心を見ても操れるわけじゃない」

 人の心移ろいやすい。不変を証明出来るものは存在しない。アヤメの主張か、ミュオソティスの主張か――柘榴はアヤメの言葉を聞いてニヒルに笑う。

「……空魔なのに信用無いね」
「空魔だからこそ、でしょうね。本能で動く生き物だもの。気が変わらないなんて、あり得ると思う?」
「ないとも言えない。とか、言ってたらキリがないな」

 間髪を容れずに答える柘榴。アヤメから見た柘榴はとても気まぐれで、気分屋。
 けれども、譲れないものは持っているのは知っていた。目的のためなら手段は選ばない。興味ないものはとことん興味ないが、気になることは調べつくす。今ここにいるのも、何らかの興味でいるのだろう。そんな柘榴はおもむろにカウンターの上に行儀悪く座った。アヤメはその行為を見ても注意しなかった。というのも、今の柘榴の心情が見過ごせなかったからである。彼は静かな水面に石を投げつけるように語る。

「君たちの望み通り、運命は歪な形で引き寄せられる。そろそろ、夢から覚めてもいいと思わない?」
「そう言われてもね。正直なところ、彼女も奥底では気づいているの。だけれど、今のあの子は夢を見続けることを選んでいる。だったら、私はそれに従うしかない。貴方がどんなに投げかけたとしても、あの子……ミュオソティスには届かないの。私に言っても、もちろん無駄。あの子の意思は私の意思だから」

 柘榴はアヤメの答えを分かっていたかのように、それ以上追及はしなかった。彼にも思うところはあるのだろう。心地よい夢の中に居られるのなら、ずっといたいと思う。人間の大半はそう思うだろう。揺り籠に籠り続ける神も例外ではなかっただけのこと。
 しかし、あくまでも夢は夢。現実ではない。夢から覚める瞬間は必ず訪れる。

「夢はいつまで続くのかな」
「彼女が望むまで――では答えにならないかしら」

 ミュオソティスは今も黙したまま。独りぼっちの神様はどんな表情で世界を見つめているだろうか。アヤメたちはどこまでいっても盤上の駒。彼女の手のひらで踊る人形。柘榴はどちらかというと理真寄りで今の運命に不本意なところもある。だが、同時にミュオソティスの気持ちも痛いほど分かっていた。

「さっきさ、覚めてもいいって言ったけど……正直に言うと、半分は覚めないで欲しいって思ってるんだ。自分でも馬鹿げていると思うよ。あんなこと言っておいて馬鹿らしいだろ」

 生意気そうな姿は消え失せ、痛ましく笑う柘榴。アヤメはその姿を見て思わず目を背けたくなった。まるで、自分を見ているかのようで目をそむけたくなる。

「終わるのは嫌だよ。いつまでもここにいたいって思うよ」

 空魔になった柘榴にとって、世界は新鮮だった。いつも見ている景色が少し高くなっただけで、心が躍った。見たことのない景色をたくさん見てきた。何よりも彼女と同じ景色が見られることが、嬉しくてたまらなかった。いつまでも続けばと思ってしまうくらいに――

「けどさ、どこにいても僕の夢って叶わないんだよ。空魔になった以上、決められたこととはいえ、たまーに何も考えず理真みたいに叫びたくもなるよ」
「……ご愁傷様ね。私からは何も出来ないし」
「期待してないからいいよ。信じられるのは自分だけだ」

 高望みしても手は届かず、ハードルを下げても満足は出来ない。叶わなくとも、妥協はしたくない。やれるだけのことはやる。柘榴が胸に抱いている本能は、空魔になったとしても尽きることなく燃え続けていた。