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「貴方にそう言われると複雑な気持ちになりますね。私はそこまで理解しているつもりもないし、むしろ分かったら人として終わりだと思っているので」

 会って早々萎えるようなこと言わないで欲しいですね。何となく来そうだなという予感はしていましたが、実際に来られると微妙な気分です。水城君はすごく嫌そうな顔をしていますし、茉莉花さんに至っては何が起きているのか分からない、と言ったところでしょうか。あえて空気を読まずに登場するのは、もはやわざとでしょう。意地の悪い人ですからね。水城君はもう諦めたのか投げやりに問いかけます。

「んで、所長は今更何しに来たんですか? 散々行方をくらましておいて……散歩してたわけじゃないですよね」
「割と当たってるさすがだ。でも、それだけじゃないさ。説明が欲しいかと思って帰ってきたのさ」

 水城君の何だコイツと言いたげな表情など気にも留めず、話をどんどん進めていきます。マイペースここに極まれりです。

「説明って……お姉ちゃんのことですか?」

 茉莉花さんは呆然としていたかと思いきや、今はもう敵意むき出しにして睨んでいます。当たり前でしょうね。映像は見ていないので分かりませんが、話を聞く限り一番怪しいひとですもの。私もそのあたりは詳しくは知らないので、興味があります。ただ、絶対いい話ではなさそうですが。

「それもあるけど、色々とね。でもまぁ、この調子だと祀莉のことを先に説明した方が良さそうだね」
「教えてくれるんですか?」
「知りたいならね」

 所長の口元が僅かに緩んでいます。釣ろうとしているのが丸わかりです。私も人のことは言えませんがね。真実を知りたいといった以上は引けないでしょうし、嫌な感じに茉莉花さんの性格を突いていきますね。祀莉さんの件はそれほどまでに知って欲しいことなのでしょうね。

「茉莉花……やめとけ。これ以上、知ったらヤバい気がする」
「何よ、それ」

 水城君は察しがいいです。茉莉花さんは分かっていないのも当然でしょうか。私は知りたいか知りたくないかと言えば、知りたいと思います。ただ、あれ以上の話を聞いたとしても、私の中で大体の推測が可能なので、答え合わせをしたいというのが正しいです。私は祀莉さんの死に関して一切関わっていませんから。

「君たちが真実を受け入れるか入れないか。それだけさ」

 選択出来るように語りつつも、一択しか許さないような言い方。知ってほしいなら、さっさと喋ればいいのに、こういうところが嫌らしいんですよね。

「……ここまで来たら、洗いざらい吐いてもらいます。所長がわざわざここに来たってことは、大事なことなんでしょ?」
「そうなんだよねぇ。分かってもらえて嬉しいのさ」

 満足そうにしている所長の笑みは、若干不気味ですね。そういったところも含めて、水城君は苦手なんでしょうけれど。というか、この人と話していて楽しいって思える人は、あの子以外いないと思います。成り行きを見守っていると、所長が右手を掲げました。すると、右手は黒く染まっていきます。その手は私たちのよく見知った、空魔のように――

「僕は半分空魔なのさ。そして、人を空魔化させる力を持っている。人の形は保てるくらいには、今のところ正常だけどね。クロユリや蘇芳たちのような人型空魔みたいなもだと思ってもらえれば分かりやすい」
「「…………は?」」

 唖然としていますね。それもそうでしょう。私もどこから突っ込めばいいのか分かりません。とは言っても、私は知っていたので、あまり驚きはありませんが、初めて聞いたら同じようにぽかんと、口を開けてしまいそうです。私も初めて聞いたとき、そんなことがあり得るのかと思いましたもの。所長はそのまま、祀莉さんについて語り始めました。死を悼むような瞳ですが、本心は何を考えているのやら。

「祀莉から相談されたのさ……「生きているのが辛い、消えてしまいたい」ってね。彼女は自分を空魔化して欲しいと言った。自らの意思で心を捨てたんだ。」

 どう言おうが、空魔化させるなど言語道断でしょう――同意があったとしても、人として止めるのが普通だと思います。でも、よくよく考えたらこの人、半分人では無いんですよね。いくらでも痛いところをつつけそうですが見事に言いくるめられた、茉莉花さんは沈んでしまいました。本人からの要望だったという事実はかなりショックでしょうね。

「そんな。私の知っているお姉ちゃんはそういうことを言うような人ではなかった……」
「表面しか見えてなかっただけの話さ。君が知らないのも無理はない」

 普通の人には他の人の心は見えませんものね。本音など分かるはずがないのです。本人の口から吐き出されたものでさえ、信用ならないのですから。

「それで、あんたはどうして祀莉がそんな選択を選んだのか知ってるのか」
「柊、祀莉の友人が空魔化した話は知っているかい?」

 えーと確か、祀莉さんが高校生の時に、友人が空魔化してしまったという話ですね。私も以前、話を聞いたことがありますね。何でも、夜分に友達と話していた時だったとか。空魔が出る時間としてはおかしくないのですが、あれはとても不幸な出来事だったと思います。

「知ってる。それがどうかしたのか」
「じゃあ、祀莉とその友人の間に何があったのか詳細に聞いてるかな?」
「祀莉の核から少し聞いただけだ。何かあるのか」
「……人が空魔になる瞬間を見るって、なかなか無いものさ。すごいタイミングだよね。僕も長年研究しているが片手で数えられるくらいしかないんだ」

 それを聞いた水城君は思わず顔をしかめました。空魔になる人間は人知れず空魔化していることが多いのです。普通の人間は空魔になる瞬間を目撃することはほとんどありません。研究者ですら、狙って観察することは難しいのです。というか、これをやろうとするともれなく人体実験に繋がるので、どうしようもないんですけれど。

「……確かに。最初に聞いたのは高校の頃だったし、深く考えてなかったが……思えば、友人が空魔になったあたりから様子はおかしかったのは覚えている」

 なるほど。空魔に興味を抱くのも無理はない状況です。まるで、運命に導かれたようです。もっとも、祀莉さんの結末は地獄への片道切符だったわけですが。

「祀莉は同性の友達に告白されたんだけど。ただその時、友人の様子は少しおかしかったらしくてね、色々と彼女の心を抉ってきたわけだ。そんな状況下で告白された彼女の選択肢は、言わずもがな。絶望した友人の側に現れたのはクロユリ。僕はクロユリを追いかけて祀莉に会ったのさ。んで、クロユリが祀莉の友人を空魔にしたんだよ。正確には祀莉に告白する前から空魔になっていたらしくてね。状況を見るに、ご友人は無理やり負の感情を煽られたんだろうね」

 空魔になった件には関わっていませんでしたが、この時の話は覚えていました。所長からカウンセリングを頼まれたのです。それにしても、祀莉さんには同情してしまいます。彼女は最初から最後まで空魔に狂わされているのですから。茉莉花さんはその事実を聞いて憤慨していました。そりゃそうですよね。

「あいつッ……あの時、燃やしておけばよかったわ」
「つーかあんたやっぱ、人型の空魔知ってたんだな。ホント食えないぜ」

 水城君はもはや怒りすら忘れてしまっているようですね。ここまでくると、人間不信になりそうです。これに関しては私も知っていたので、同罪ですね。何だか申し訳ないです。
 ただ、ここで言ってしまうと話がこじれてくるの言いませんし、謝罪もするつもりはありません。どうせ、そのあたりは所長が説明してくれるでしょう。そのために来たのでしょうし。

「調査段階だったからね。空魔を増やしている以外は、直接攻撃してきたことが無かったから、放置してたんだよね」
「……いや、駄目だろ。結果的にとんでもないことになってるじゃねぇか」
「クロユリは倒せなかったの?」
「クロユリはすぐに消えたし、その場には祀莉もいたし、どうしようもないのさ」

 人型の空魔はレーダーに引っかかりません。見つけたとしても霧のように消えてしまう。錯覚を見せることもあるようですし、能力は未知数。隊員に教えていなかったのはキャパオーバーを危惧してのことです。あの頃は、ずば抜けた隊員がいませんでしたからね。茉莉花さんの話からすると、他にもいるようですが、詳細はさっぱりです。菜花君に関してはどこか怪しいとは思っていましたが、本当に空魔だとは思いませんでしたもの。前々から思っていたのですが、空魔研究所は秘密主義な人が多すぎなんですよ。それでも、自ら進んで話したい人間など早々いないでしょうけれど。

「あの夜、空魔という存在に触れた彼女は空魔に憑りつかれて、自分の在り方に疑問を抱いてしまうわけだ。心をずたずたにして、空魔にまでしてしまったのに、のうのうと恋して生きていられるかって祀莉は思ったのさ。正道から外れた行いは彼女にとって、耐えられない矛盾なのさ」

 友を空魔にしてしまったという、罪悪感にずっと苛まれていたのですね。別に、祀莉さんがやったわけではないのに。彼女は自分のせいだと――何もかも忘れて生きていいはずがないと思い込んでしまったのです。他人の恋心を否定しておいて、自分がいざ恋に落ちて、自分のやった行いがどれほど残酷だったのか気づいてしまった。友人が空魔に操られていて、狂っていたとはいえ、祀莉さんが友人へ放った言葉は紛れもなく本音で、彼女の心を的確に刺したのでしょう。人にはそれぞれ主張する権利がある――祀莉さんも友人の子も悪くないのに、どこまでも後味悪い結末です。

「空魔について熱心に研究していたのも、その反動か」
「研究すればするほど、自分の愚かさが浮き出てくる。見事に嵌ったわけさ」
「……耐えきれなくなって、消えたいと願ったのですね」

 彼女の気持ちは少しわかります。私も以前はそうでした。自分が認められなくて、死んでしまいたい、消えてしまいたい。祀莉さんは正しさを求めるあまり、少しでも引っかかると気にせずにはいられない。不運なことに彼女の心は脆く、壊れやすかった。菜花君がどうにかしてあげればよかったのに、とは言っても彼は彼で繊細ですしね。どちらも救われたい気質なのが災いしてしまったのですね。

「それで、お姉ちゃんを空魔に……したの? 頼まれたから?」
「部下の頼みだしね。これまで研究へ貢献してくれた彼女への礼も兼ねているのさ」
「どうにかならなかったの? もっと、何か……」
「彼女にとっての幸せがあれなら、どうも言えないのさ。どちらにせよ、祀莉だけの問題でもないのがちょっとね。蘇芳があの調子ならどう足掻いても、詰んでいたと僕は思うけど……」

 菜花君に告白して結ばれたとしても幸せになれるか――彼女の中で答えは決まりきっていたのでしょうね。彼は一人だけを愛せる人間ではありませんから。菜花君自身、対象は誰でもいいというワケではなかったのだけれど、それに気づくことが出来なかった哀れな空魔。

「あいつの中では苦しんで生きるよりも、空魔になった方がマシだったってことか……」

 水城君はやるせなく呟きます。こればっかりはどうしようも出来ませんもの。菜花君に聞かれたくなかったという気持ち、分からなくもないです。彼はああ見えて、恋心に関しては鈍いところがありましたから。特に己の気持ちにはとても鈍感でしたね。

「この際だから言っちゃうけど、空魔化は実験の一環として祀莉から提案されたんだ。祀莉は人が空魔化する際のメカニズムみたいなものを知りたがっていてね。最終的には自分が身をもって体験したというわけさ。空魔化なんて他人に試せないからね。動物でも無理だし」

 空魔化のメカニズムですか。恐らく、祀莉さんが選んだ道はとても辛く痛いものだったでしょうね。罰を欲していたという気持ちも少なからずあったのかもしれません。
 
「……そんな」
「空魔になったからこそ、思いを伝えられたんだから、祀莉はそれなりに満足しているんじゃないかな」

 空魔になってよかった、と肯定するような言葉。茉莉花さんは唇を震わせていました。祀莉さんが望んでいた以上は、自分が何を言ったとしても無駄ですし、かと言ってこの結果を良かったと本当に言えるか葛藤しているようです。水城君は表情には出ていませんが、静かに怒っているようでした。

「人を何だと思っているんだ?」
「美しいと思うよ。強く思える感情が、自分の中にあるって分かっている人間を尊敬している」

 所長が時折見せる、憂いを帯びた表情。理由は分かりません。私は彼のことを全て理解しているわけではありません。誰にだって、知られたくないことはあるのですから。問いただしたとしても、私にはきっと理解出来ないことなのでしょうね。

 だって『彼女』にも分からなかったんですから――

「……質が悪いでしょう。こういう人なんですよ。私もそこそこ付き合いが長いですが、所長のことは胡散臭いと思っていますし、嫌悪感の方が強いですから安心してください」
「最悪だな。仕事じゃなかったら関わりたくねぇよ、本当」
「酷い言われようさ。自分でも笑っちゃうのさ」

 微塵も傷ついている様子はなさそうですね。そういう人ではないのは分かっているのですが、どこか自嘲気味に笑っているのは、少しは思うところがあるのでしょう。さすがに祀莉さんが空魔化したいと言った時は忠告したようですし。それでも実行に移すあたり、充分おかしいと思いますけれど。

「……本当の思いなら尊重するべきなの? 悲しんで怒ったりするのは間違い? 良くないことなの?」
「良いとか悪いとかそういう問題ではないのさ。尊重出来ればいいかもしれないけど、世の中そう簡単に歩み寄れるような人間ばかりじゃない。そういうところも含めて人の心って難しいよね。ただ、僕としては茉莉花が納得出来ないと思う気持ちも間違ってないと思うし、祀莉が空魔になりたいと思った気持ちも間違いだと思わないさ。だって、真実を見たうえで悩みに悩んで出して考えた答えなんだから、善悪の二元論で括るのは失礼だろう」

 所長はやたら人の心を評価する節がありますね。それもこれも空魔だからでしょうか。他の人型空魔とは少し違うというのも、人間の部分がありますからね。まぁそれを抜きにしても言いたいことは分からなくもないです。
 人は善悪で割り切れない思いを抱えながらも、前に進んでいく。その過程で間違いを犯すことは誰にだってあるでしょうし。全てパーフェクトにこなせる人間などいるはずがない。ただ、それでも完璧を求めてしまうのが人間というもので、面倒ですよね、本当。だからこそ衝突したり、疑問に思ったりしてしまうのでしょう。

「人間の心を尊重する空魔とか、ちょっと気持ち悪いな。なんていうか、常識がひっくり返った気分だ」
「そう言っても半分は人間だからね。さすがに人の気持ちくらいは大事にするよ。だからこそ、人の心を喰らう空魔の存在は捨て置けないのさ」
「そこまで言うとか意外だな。正義感……っていうワケでもなさそうですけど」
「正義ねぇ、僕としてはあっても無くてもやる事は変わんないからな。しいて言うなら、私情で惰性さ。正直、全て投げ出せるなら投げ出してしまいたいくらいだ」

 その時、少しだけ所長の本音が見えた気がしました。どうしようもない運命に巻き込まれた哀れな人間のようで、何でしょう。この感覚。

「最終的に空魔をこの世界から根絶する――全てはそのためにある」

 所長は世界を見据えるような凛とした瞳で宣言しました。いつもの虚ろな瞳とは大違い。いつもこうだったら、いいんですけどね。隊員や研究者からはよく分からないと言われがちですがこの人、目的自体は最初から一貫しているのです。何を考えているのか分からないけれど、これだけは確実だと私は思っています。
 彼ほど空魔を心から愛し、憎んでいる人はいないと――