黄昏の下、出歩く人はほとんどいない。もちろんカフェに来る客などいるわけが無かったのだが――
「はぁ~どうにでもなんないかなぁ。生まれ変わるなら、自分じゃない誰かになりたい。人生辛い」
戯言を繰り返すものの、全然酔っている様子は無かった。この場合は酔いたいけれど、酔えないというのが正しいのだろうか。
「何杯目よ……全く。金は構わないけれど、どうしたのよ。いきなりふらっと来て酒を要求するなんて」
来店したと思ったら、いきなり酒を要求してきて、飲んでばかりの蘇芳に対してアヤメ呆れきっていた。
店のメニューにアルコール類は無いが、店には常時様々な種類の飲み物が用意されている。どこから用意されているのかはアヤメ以外知らないし、得体の知られないものが多く、仲間内以外で出すことは無い。変な副作用があるかもしれないが、空魔になれば原料など知ったことではないので、蘇芳は気にせず出された酒を普通に飲んでいた。
「願ったことが全部叶う世界だったらなー」
「願いの価値が下がりそうね」
「そうかもしれないけど、でもその方が良くない?」
「現実がそうなったら、生きる意味が無いわね」
全て叶うなら、夢を見る必要もない。ひたすら、永遠に夢の中を泳ぎ続けるだけになるだろう。満たされ続け、誰も何もしなくなる世界。全てのものに意味がなくなる気がした。
「……現実は間違えたら、やり直しが出来ない。やり直しがきくこともあるかもしれないけど、最初に望んだ結末とは絶対に異なる。努力でどうにか出来る話じゃない」
「で、ぐだぐだ言っているけど、現実は最悪ってことでいいのかしら? まぁ、空魔になっている時点でそうでしょうけれど」
最悪だと言いたいわけではないことは重々分かっていた。ただ、話にオチをつけないと延々と愚痴を言い続けそうだったので、適当に流した。
「空魔になったけど、何がしたいのか分かんなくなってきた――本当にこれでよかったのか分からなくなってきた、っていうのが本音か」
空魔になった自分が今更、正しかったのか疑問に思ったようだ。他人の心が見えても、自分が分からないようでは元も子もない。アヤメはそういう部分で、蘇芳はかなり危うい存在だと感じていた。
「俺が見たのはあくまで事実。彼女の心は何一つ分からなかった。彼女が望んだ結果だとして、どうして彼女はその結論へ至ったのか――未だに分からないんだ。人の心が読めるようになって、残留思念も読み取れるようになったのに、肝心なことは何一つ分からないままだ」
空魔になって思うような結果が得られないことに疑問を思っていたようだ。蘇芳はあまり空魔という存在自体に興味を持ってはいない。空魔の生態を知ろうとすることはなかった。それがここに来て、ようやく気になったようだ。蘇芳がどうして満足していないのか、アヤメには分かっていた。
「貴方の場合、確か思考や感情それに付随する会話は読み取れないのよね。その場であった出来事だけを読み取れる、だっけ? 無声映画みたいな認識でいいのかしら」
「そうだねー」
「……はっきり言わせてもらうけれど、それが貴方の望んだことだからよ」
アヤメは的確に指摘する。空魔になった者に付与される能力は、本人の資質や願望が反映されやすい。どんな能力になるのかは、空魔にする者も分からない。何なら自分が一番詳しいはずなのだ。
「貴方自身が彼女の気持ちを知りたくなかった。感情など不確かなものではない、確かな真実だけを求めた結果。その点で言えば、貴方達が授かった力は望み通りの力のはずよ」
「……はは。そんな気はしてたよ。ぶっちゃけ心を見るのは好きじゃないからなぁ。力も仕事以外ではほとんど使わなかったし……便利なのは確かなんだけど」
「そうだったの。貴方みたいな人の心が分からない人は多用すると思ってたのに」
「興味ないから知る必要もない――ってのは建前だよ。本質を知るのが怖いんだよ。本当は何を考えているかとか、見たくないだろ普通。親友だと思っていた奴が本当はうぜぇ、鬱陶しいって思ってたのを見たら、今まで通り笑えるか? 無理だろ。そいつが何を言っても、俺の心には何も届かなくなる。何も信じられなくなるよ」
「繊細ねぇ。女々しいというか、そういうのが人間だと思っていたのだけれど」
「傍から見て冷え切っていた関係でも、本当は愛があって、子どものことは心底どうでもよかった……とか示されたら、もう立ち直れないね」
もしも、そうだったら――自分が真実を求めつつも、真実から目を背け、無意識の力が働き、願いを遠ざけた。知ることを恐れた蘇芳は空魔になって授けられる心を読む能力自体を忌避していた。自分の中にある真実がひっくり返されたら――知ってしまったら元には戻れない。蘇芳はありとあらゆる手で真実というものを封じ込めていた。聞こえない振り、見ない振り。自分に関係あるものから目を背けていた。結果的に、一番知りたいことは真実に直結してしまうため、答えに辿り着けないままというわけだ。
「それに、空魔は永遠に満たされない存在。満足してしまったら、空魔として終わりなのよ」
空魔は満たされないから喰らい続ける。飢えが満たされた空魔はどうなるかと言えば、結論から言えばそもそも、そういう空魔は存在しない。もしも飢えが満たされても、さらなる飢えがやってくる。際限ない渇きを満たすために、本能を晒け出し喰らい続けるのが空魔。どうしようも出来ない渇望を抱き続ける存在。
人型も例外ではない。
「やっぱりそういうことなんだな。あの人に言われた時はピンとこなかったんだが、最悪だな俺。どうしよーもねー」
「はいはい。分かったらさっさとやるべきことをやって来たら?」
「待ってくれよ。まだ聞きたいことがあんだよ。核って……やっぱ変な力でもあんの? これ取り出したら、茉莉花が幻覚を見たらしいんだけど」
蘇芳はおもむろにハーツを取り出して、カウンターの上に置いた。ハーツは相変わらず黙したまま何も語らない。
どうして、あの時茉莉花の目の前でこれを見せたのか。自分でもよく分からない。心のどこかで、茉莉花なら何か分かるのではないかと期待していたのだろうか。それなら、期待通りの結果が得られたと喜ぶべきはずだ。
だとしたら、蘇芳は何に失望したのか。
「……変な力というより残留思念に近いわね。そもそも、空魔が核を残す場合は強い思いがあった場合なのは知っているでしょう。残った核には少なからず人の思いが宿っている。稀にその思いが幻覚や幻聴を見せたりすることがある。見せる光景は大抵、自分の心だったり、生前の記憶だったりする場合が多い」
空魔の核は一際強い思いを持った空魔しか残さない。その正体をざっくり言えば、心を結晶化したようなもの。核に触れるということは、人の心に触れるようなものである。
「武器にしても、触れなくても伝わるもの?」
「強ければ強いほど干渉力は強くなる。触れなくても見えたのなら、自分の思いをその子に伝えたかったのでしょう」
思い残すことがあった場合にはその傾向が強くなる。祀莉の核は少なくとも、秘密にしたいとは思っていないということになる。
「だとすると……柊も知ってたのかな」
「知らないけれど、核を触らせたのなら知っていたかもしれないわよ」
蘇芳は他に核を触らせた人間を思い浮かべた。裏切ってしまったが、唯一無二の親友だった。自分が空魔になったことに気づいていたはずなのに、何も言わないでいた。核のことも知っていて黙っていた。柊は空魔になったことや祀莉の件に関して、蘇芳が全てを理解していると思っていたから、何も言わなかったのかもしれない。
「定めか……貴方の能力の部分もあるけれど、貴方には教えたくない、知られたくないってことじゃない」
「隠蔽した俺が恥ずかしいじゃん。俺だけピンポイントで知られたくないとか。あはは、はは……」
真実を遠ざけた結果、望んだものは手に入らない。知ることを恐れる深層心理。祀莉のために秘密を守っていたのに、彼女はそんなことは望んでおらず、それどころか自分にだけは伝えたくない――巡りに巡ってきた真実はあまりにも、無情で残酷だった。自業自得と言えば、それまでなのだがあまりにもやるせない。
「地獄への道は善意で敷き詰められている……とはよく言ったものだわ」
「結局、俺は貫けばよかったのかね」
「どっちにしろ貴方の場合、結果は変わらないと思うけれどね」
アヤメに言われても不思議と怒りは無かった。それもそうだ。蘇芳も同じ意見だったのだ。外見だけ飾っても、中身の伴わないものに何の意味も無い。良かれと思ってやっていても、少しでも怠惰の心があればあっという間に地獄を見る。蘇芳自身、嫌というほど味わってきた。その結果が今のあり様だ。何も手に入れられないまま地獄へ落ちてゆく自己。
「どうにか出来ないもんかねぇ」
「その核を食べたら分かるんじゃない?」
アヤメが視線を落とした先には、真っ黒なハーツがあった。柊に頼んで作らせた器。所有者の心を映すように、黒く染まった心。核を喰らう空魔もたまにいるらしいが、蘇芳もそこまで節操無しではなかった。
「さすがに無いわ」
蘇芳が呟いた後、店内にはしばらく沈黙が続いた。この間にも時間は流れていく。取り返しのつかない場所まで行こうとしていた。
「……最期に言わせてもらうけれど、誰にでも終わりは訪れる。どうするかは、貴方次第よ蘇芳」
アヤメは静かに瞑目した。ほんの一瞬の出来事だった。彼女が再び目を開いた時、蘇芳はすでにいなかった。カウンターの上にのせられていたハーツも無くなっている。代わりに酒の代金と思わしきものが置かれていた。なんだかんだで律儀な人間だ。人型の空魔の中では割と常識的だったと、アヤメは思っていた。蘇芳は全ての決着をつけにいったのだろう。真実を知った彼はどこへ行くのか――
「真実を知りたいなら、目を逸らしてはいけないのよ。ねぇ、そうでしょう――」
誰かに語りかけるように、アヤメは空のグラスを撫でた。