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 柊に所長の場所はどこかと言われて、思い当たる場所を惚けたが榠樝は知っていた。夢深町の外れにある勿忘草の花畑だ。雑木林を抜けた先にある小高い丘の上に花畑は広がっていた。地元民からの認知度が低いが、ある一面を持っていた。なんでもここに来ると幻が見えたり、謎の声が聞こえたりするらしく曰く付きの心霊スポットとしてひっそりと知られていた。いつからそのような噂が出来たのかは分からないが、所詮は噂。地元の人は全く知らない眉唾ものだ。実際、この近くに住んでいる榠樝はここに何度も足を運んだが、そんなものを見たことがない。
 それでも彼は――竜胆は言う。ここは特別な場所だと。

「ここは特殊な場所さ。あちらとこちらを繋ぐ場所。真実に至る場所」

 榠樝の読みは当たって、のんびりと竜胆は空を見上げていた。空が真っ赤になって空魔が蔓延っているくらいで何を騒いでいるのか、大したことは起きてないというような態度。今の竜胆には何が見えているのだろうか。今もまた、榠樝は何も感じない。花畑も別段美しいとは思わないし、何の感慨も湧かなかった。目の前にいる竜胆の態度だけが気に喰わなかった。

「私が全てを理解していると思わないことですね」
「君は元より分かっているから、何も見えない。見る必要が無いから、見えないだけさ」
「……遠回しに馬鹿にされているのは、さすがに分かります」
「そんなつもりはなかったんだけどな」

 榠樝は人の心を見抜く目に優れているが、人間なので外れる時もある。別にそれを煩わしく思ったことは無い。ただ、特に竜胆相手だと何も見えない。見ることを邪魔するかのように、思考にノイズが走る。まともに考えるなという警告だと思い、考えるのを止めた。それでも、気になるものは気になる。理解出来ないものを知りたがるのは研究者としての性かもしれない。

「相変わらず何を考えているのやら……」
「何も考えてないのさ。空魔のようにさ」

 榠樝が知っている空魔の情報は、ほとんど竜胆経由だ。かといって、竜胆の話が本当なのか榠樝には分からない。灰色の世界が少しは面白くなればいい――その気持ちだけで彼女は現在にまで至る。
 しかし、今の状況はそれどころではなかった。

「面白くなってきましたが、些かやりすぎではないのでしょうか」
「僕は別に面白くしたいわけじゃないのさ」

 面白半分でこんな結果を生み出したわけではない。彼には彼なりの信念というよりはもはや執念というべきもの。自分でもどうにも出来ないほど、遥か昔から刻まれた記憶が突き動かしていた。誰にも言えない、理解出来ない秘密。榠樝とは研究所を作る前から、旧知の仲であるものの、教えたことは無かった。

「人の心は儘ならない。完全に操るなんて人には出来ないんだよ」

 心というのは不思議で見えないのに、間違いなくそこにあるのだ。見えないのに、人へ多大なる影響を与える。空魔になったとしても、人は真に解放されることは無い。非情に厄介なものである。この空も心に縛られている証拠だ。竜胆はどうして、このような状況になったのか分かっていた。けれども、彼にはどうする事も出来ない。他人が介在する余地のない、心の在り方の問題だからだ。
 しかし何も出来ないからと言って、ただ見続けているだけというのもつまらない。

「それで今はどんな状況なんだい」
「世界は混乱。エンプティも戦力が減りつつあります。茉莉花さんは蘇芳さんに連れていかれまして。月宮さんは……」

 竜胆は聞いてみたものの、世界が混乱に陥ることは分かっていたのだ。早いか遅いかだけの話だ。

「大体想像通りさ。なるようにしかならない」

 榠樝の言葉を遮り、概ね想像通りの結果だと語る竜胆。こうなるように仕向けたわけではない、全ては人の思いが描いた現実だった。

「空魔になっても心は僅かに残る。それは時として仇になるわけさ」

 空魔になっても完全に心が消えるわけではない。過去が変わらないように、深層だけが残り正体を現す。それが空魔という存在。余計なものをそぎ落とし、極限まで切り詰めた状態。

「……茉莉花さんは殺されてしまうのでしょうか。菜花君は空魔になってしまっているようですし」
「さっきも言っただろう。空魔になっても心は残る。連れて行ったのは、殺すのが目的じゃない。その反対さ」
「殺されるためだと言うのですか」

 榠樝にはさっぱり理解出来ないようだった。さすがにいない人物の心を測ることは出来ないし、これまでの蘇芳の行いからも想像出来なかった。

「そういうものなんだよ。どうやっても自分一人じゃ終われないからね。彼らは、願いと引き換えに運命を受け入れた……はずだと思うんだけど」
「歯切れが悪いですね」
「僕でも知らないことはあるってことさ。特に人の心は万華鏡のように移ろうからさ」

 竜胆は勝手に話を進めているが、榠樝はそこまで分かってはいない。ただ、分かってはいなくとも大体の想像は出来る頭を持っていた。ある程度、知っている情報から話をまとめていた。
 茉莉花に関してはそこまで心配はいらないということ。蘇芳はどちらにせよ死ぬ運命にある。殺してもらいたいから、茉莉花を連れて行った――詳しい理由まではどうでもいい。竜胆でも知らない情報がまだあるというのは興味深いと感じた。榠樝はただ、好奇心で話を聞いているだけだ。理解するつもりはなく、面白そうだから知りたいだけ。

「面白くなるかは分からないけど、きっと君が描いた通り、真実には辿り着くだろうさ」
「それは僥倖ですね」
「自分で描くのも悪くないだろう?」
「悪くありませんが……大変です。すごく疲れます」

 楽しいことは好きだが、思った通りに描くのは難しい。誰かがやってくれるのなら、それに乗った方が楽だとすら思っている。榠樝は基本的に受動的な人間だった。あまり自ら動こうとはしない。人の描いた物語の上で踊るのも別にどうも思わない。
 けれども、そんな彼女にも譲れないものはある。そんな榠樝の心の内を暴くように竜胆は呟く。

「君の物語は君が主役なのさ。思い通りにならないなら、君が作るしかないんだよ」
「……そうですね。そうするしかないのでしょうね」

 榠樝の言葉の端々からは苛立ちが滲んでいた。それはこの狂った世界への怒りと、竜胆に対するやり場のない感情。竜胆は榠樝の気持ちなど、ものともせず続ける。

「気を悪くしたら、申し訳ないのさ。ただ――」

 花畑にある勿忘草を摘み取って、竜胆は空を染め上げる黄昏を見上げた。

「空に描いてもどうにもならないこともあるってことを、忘れないで欲しいのさ。都合の良い世界はここにないんだ」

 竜胆が振り返った先には、誰もいなかった。榠樝はいつの間にか花畑から立ち去っていた。竜胆の言葉を聞いていたのか――竜胆は考えるまでもなく、榠樝を遠くから見送ったのだった。