「めんどくせぇ仕事ばかり増やしまくってよぉ……」
柊は蘇芳に電話をかけた後、研究所へ戻って情報を整理した。研究所はいつにもましてせわしない状況だった。こんな時でも所長である竜胆は音沙汰無し。現場は案の定混乱していた。柊は混乱の中でもありとあらゆるものを駆使して情報をかき集めた。
そしてまた研究所から出て、一歩二歩進んだ地点で柊は空を仰いでいた。空は相変わらず気味悪く赤橙に染まっている。今の状況は柊が考えうる限りでも、最悪な状況だった。
「お疲れですね。私もかなり疲れまして」
榠樝がやれやれと肩をすくめながら、寄ってきた。いつものように面白がっている様子は無かった。彼女もまた、振り回されているのだろうと柊は思っていた。
「茉莉花は?」
「見当たりませんね。どこへ行ってしまったのやら」
茉莉花から返事が来ず、蘇芳からはあしらわれたので、榠樝に探しに行ってもらっていたのだが、彼女の姿はどこにもなかった。施設は広く見逃しもあるかもしれないが、隊員が行ける場所は限られている。それでも、見つからないのだ。その結果を聞いた柊は確信した。彼にとっては最悪でこれまでの行いを悔いるばかりだった。
「思い当たる節があるようですね。聞いてもいいでしょうか?」
「蘇芳だろうな。あいつ……空魔だし、そういうことも出来ると思う」
榠樝ぐらいの人間なら見抜いているだろうと思い、さらっと言ってしまった。榠樝ほど鋭い人間なら蘇芳の変化にも気づいているはずだ。
「あら、そうだったのですか。びっくりです」
榠樝は大げさなリアクションをとったが、それほど驚いている様子でもなかった。どこまでいってもわざとらしい反応だ。それを証明するかのように、口元はうっすら笑っている。やはり、蘇芳の違和感に気づいていたのだろう。どちらもとんだ道化だ。
「変わったのは祀莉が亡くなった直後だな」
「そうですねぇ。あれほど分かりやすいものはありませんね。本人が隠しているようなので、何も言いませんでしたが」
「絶対面白がってただろ。しかし、そんな分かりやすいもんかね。俺ですら半信半疑だったのに」
「客観的に見れば微々たる変化ですよ。親しくなければ分からないくらいでしょう。けど、私は昔からそういうのに敏感なので」
柊は変わったと言っていたが、親しくなければそんなに気づかない変化だと思っていた。実際、祀莉が亡くなってからも周りの研究員や仲間に蘇芳のことを聞いても、特に変わらないと言っていた。自分がおかしいのかと思ったが、絶対に違うと己の勘が言っていた。あまりにも不確定要素が多くて誰にも相談出来なかった。柊が確信を持てたのは長年の付き合いや、ある出来事からだったのだが、榠樝はそれを抜きにして見抜いていた。彼女はカウンセラーも兼ねているので、そういった変化にも鋭いのだろう。
「何かが欠けた感じがします。空っぽの心――まるで空魔みたい。まさか本当に空魔になっていたとはね。水城君はどこで分かったのですか?」
「……さぁな」
榠樝が興味津々に聞いてくるが柊は軽くあしらった。無関係な人間にべらべらと喋っていいものではない。柊の中では、誰にも知られてはいけない秘密だった。蘇芳も真実を知っているのなら、同じような行動をするだろう。だからこそ、秘密を探ろうとする茉莉花を蘇芳がどうにかしようとするのは、必然だったのかもしれない。
「つまらないですね。この空のように並につまらないですよ」
「つまらないってそういう問題じゃないだろ」
「そういう問題ですよ。酔っているだけ、面白みも無い。閉じた空」
忌々しそうに榠樝が吐き捨てた。柊はそこまでは感じないが、彼女には何か思うところがあるのか。それとも、これの原因を知っているのか。
「あんたがそこまで言うとか珍しいな」
「この空は身勝手に嘆いているのですよ。歪な心と世界ですね」
柔らかな笑みを浮かべながらも、心では笑っていない。この現象を引き起こした者に対する当てつけのように聞こえる。
「一体、何が起こってるんだ」
「所長が一番詳しいと思いますよ。私は知りたいことしか知りませんから、知っていることは限られます」
榠樝は答えをはぐらかす。彼女の言い方からして、竜胆が何かを知っているのは確実なようだ。ただ柊は竜胆の姿をここ最近見ていなかった。正直、普段から何をしているのか不明だ。柊の中では探そうと思っても見つからないのが常識になっていた。
「で、その所長はどこへ行ったんだ?」
「どこかで見ているのではないのでしょうか。あの人は自由人ですからね」
さすがに榠樝もどこへ行ったのか知らないようだった。ふらっと現れてはいつの間にか消えており、謎が多い。あまり深く考えたことは無かったが、この状況でもどこにいるのか分からないのだから、不審に思うのも無理は無い。
「ホントあの人一体、何だよ。俺にめんどくせぇ役を押し付けて……本当は武器とか作っていたかったのに、いきなり指揮官になってくれとか、おかしいっての」
「そーいえば、水城君は元々私の管轄でしたねぇ」
元々柊は技術者として入っていた。呑み込みが早く榠樝も一目置いていた。慣れてきた頃に竜胆から指揮官をやってくれと言われ、現在のポジションに据えられた。指揮官は他にもいるが、わりと戦闘に慣れた者が多い。その中で柊は間違いなく浮いていた。技術畑出身もあってか、かなり舐められていた。今は多少マシになったが、それでも柊の存在はあまり重要視されない。上を目指そうという気も無いので、柊としてはちょうどよかった。
「戦闘経験も運動神経もないのに、実働部隊の指揮とか正気かよ」
「けど、水城君は知識が豊富ですからねぇ。私の方にも話は来ていましたが、二つ返事で了承しましたっけ。面白そうだったというのが本音ですが」
「あんたのせいか! 断れよ!」
「私もよかったと思いますよ。指揮官の方々は戦闘経験があっても、頭が固いところありましたから」
「はぁ……」
すんなりと納得出来ず、脱力するばかりだ。
榠樝は技術部顧問で柊にとっては元上司だが、敬語を使う気にはなれなかった。正確には入りたての頃は使っていたが、だんだんと溜口になっていった。畏まらなくてもいいと言ったのもあるが、彼女がどこまでも享楽主義者で、他者を面白さでしか測れない人間だと気づいた時からだろうか。
ただ、実力は本物なので尊敬している所はしている。こういう部分が無ければ素直に尊敬できるのにと、いつも思っていた。
「色々と思い出すだけで懐かしく思えます」
「あー……って、こんな話をしている場合じゃねぇ! 戦況は不利になりつつある。エンプティも消耗しているし、他もギリギリだとか」
「そうですねぇ。ここもいつ陥落するか……」
戦況報告を見て状況は絶望的だと知る。
しかし、その報告を見てもあまり頭に入らない。状況がひっ迫しているのは重々分かっている。それでも今は消えてしまった蘇芳と、茉莉花の方が気になっていた。態度はきついが、柊は決して人付き合いが嫌いなわけではない。むしろ、関係性を大事に思ってしまう質で情にほだされやすい。指揮官に向いてないどころか失格だろう。
「どうしたらいいんだよ、もう。何もかも混乱しまくってやがる」
「貴方の思う道へ行ったらいいと思いますよ」
榠樝は優しく声をかけたが、柊は首を横に振った。
「どっちにしろ、行ったとして俺が出来ることなんかない」
蘇芳の下へ行ったとして、空魔である蘇芳には太刀打ちできないし、何も言えないだろう。柊が踏み込むのを恐れるくらい、蘇芳の心は遠くに行ってしまったのだ。もはや取り返しがつかないところにまで堕ちている。悩んでいる柊に対して、榠樝は追い打ちをかけるように更なる情報を告げた。
「……茉莉花さんは、本当に真実が知りたかったのでしょうね。あの子の行動力には感服します。情報室へ侵入するくらいですから」
「あいつ、そんなことしてたのか!? ったく、何やってんだ……」
「そこまで機密というわけではないので、見せられるものは見せてあげましたよ。必死だったのでついつい」
柊は茉莉花の行動に驚きを隠せなかった。まさか、姉のためにそこまでするとは思ってもいなかった。だとすると、その情報経由で蘇芳が怪しいと睨んだのだろう。榠樝に余計なことをするな、と言いたかったが全て何も言わなかった自分の責任だ。
「蘇芳が空魔になっていることに気づいておきながら、焚きつけたか」
「結果的にはそうなってしまいますね。茉莉花さんも知りたがっていましたし、私も気になっていましたので少し賭けてみたのですよ。上手い具合に転がればいいのですが」
悪びれずに榠樝は堂々と語る。利用して利用され、どちらにせよ茉莉花は真実に辿り着ければいいと思っているだろうし、気にしないだろう。柊はつくづく自分の愚かさを思い知らされる。
そして、榠樝は格好の獲物を見つけたかのように、柊へにじり寄る。
「ずっと気になっていたのですが、水城君は祀莉さんについて本当に何も知らなかったのですか?」
深淵を覗くような赤紫の瞳が柊をじっと見つめる。好奇心の塊と化した榠樝は容赦なく言葉を続ける。
「先程、空魔になったと言い切りましたね。私も薄々気付いていましたが、確信は持っていなかったのです。水城君、貴方何を知っているのでしょう……気になりますねぇ」
榠樝の言葉を聞いて、完全に墓穴を掘ったと柊は感じていた。自分の不始末だが勝手に語るのはさすがに出来ない。それに自分の持っている情報が本当に正しいのか分からない状態だ。蘇芳に聞くのが一番だが、絶対に答えてくれないだろう。
「あんたのそういう所が嫌なんだよ。面白半分で踏み込んでいいものじゃねぇ問題だよ。ぶっちゃけ、俺にもよく分かんねぇし……」
柊も知りたくて知ったわけではない。貰い事故のようなものだった。ただ、柊が知ったということはある意味伝えたかったのかもしれない。だったら、直接伝えろとは思ったが、肝心の本人はこの世にいない。
「……なるほど。水城君の言い分は分かりました。ここまでにしておきましょうか」
もっと追及してくるかと思いきや、しおらしく引き下がった。その態度が逆に不気味に思えた。
「やけにあっさり引き下がるな」
「追及して欲しいですか?」
「いや、いい。止めてくれ……頭が痛くなる」
柊は警戒していた。もっと、しつこく食い下がってくると思っていたが、拍子抜けだった。当の榠樝はというと泰然自若としていた。柊から離れた研究所の扉に手をかけながら、振り向きざまに告げる。
「真実は知りたい人の下に来るものですわ」
悪戯っぽく微笑む榠樝。榠樝は柊が真実を知っていると確信を持っているようだった。それならば、わざわざ説明しなくてもいいではないかと思ってしまう。自分の中にとどめておいて欲しい。だが、人というものはどうしても誰かと共有したくなる。本音を言わずにはいられない。
「来るかは分からないが……もしも」
柊は榠樝の言葉を肯定も否定もせず、ただ遠くの空を見つめた。止まった時が、動き出すのを待つかのように――