Certa mittimus dum incerta petimus.

 夜が明ける直前、新しい朝が始まろうとしていた頃――

「……空木は死んだ」
「何があったのよ! ねぇ! 何が……何が起こってるのよ!」

 ほんの数分前の話だ。私は気づいたら、研究所にある医療室で横になっていた。何でも海辺で気を失っていたそうだ。五月七日さんから事情を聞いて、連絡が無いのを不審に思った水城さんが隊員を派遣したら、倒れていたのを発見したとのこと。倒れていたのは私一人だけ。霞はいなかったらしい。私の話を聞いた後、柊さんは気まずそうに視線を逸らしながらも霞の死を告げた。
 それを聞いた私は、事実をすぐに受け入れられなかった。泣きじゃくりながら、私は柊さんに詰め寄った。

「落ち着け。俺たちも調査中だ」

 聞き分けのない子どもに言い聞かせるように、柊さんは語る。霞は高層ビルの近くで死体となって発見された。ただ、その死体が奇妙な状態だったのだ。空魔にやられたというよりは、飛び降りて受けた損傷らしく、現場は騒然としたらしい。空魔と戦っている以上、死と常に隣り合わせで、避けられないのは分かっている。私だって空魔と戦って死んだのなら、ここまで詰め寄ったりしないと思う。問題なのは、霞が飛び降り自殺した可能性があるということ。強い空魔と戦った際にどうしようもなくなって、自殺行為に走ることは過去にもあったらしいが、彼に限ってそんなことがあるだろうか。

「……まさか」

 海岸で聞いた霞の話。私は結局、霞の手を掴むことが出来なかった。あの時、手を掴んでいたら――私は。

「私が引き留められたら……」
「お前のせいじゃない。気負うなよ」

 柊さんはそれ以上、何も言わなかった。全て憶測でしかないのだ。霞が何を思って、飛び降りたのか私には分からない。分かりたくもなかった。あれだけ言ったのに、霞は私を置いて遠くへ行ってしまった。
 
「どうして、みんな……」

 エンプティ内は混乱を極めていた。空魔の数が増えてきて、処理が追い付いていないらしい。幸い、研究所は被害にあっていないが時間の問題だ。国中どころか世界中で、パニックになっているらしいが、私はそれどころじゃなかった。

「一体、何が起こっているのよ! 何で……」
「……すまない。詳しいことはまだ分かっていないんだ」

 柊さんにあたっても、何も解決しないのは分かっている。
 けれども、抑えられなかった。別で動いていた紫苑は空魔に連れ去られたらしく、葵はかなり消耗していた。何があったのかは、まだ詳しく聞いていない。紫苑の行方やら霞の死やらで、頭がいっぱいだった。

「混乱しているのも分かるが、落ち着け。不用意なことは考えようとするな。必要な時は呼ぶ。今は待機してくれ。空魔の処理が追い付かない以上、むやみに隊員の数を減らしたくない」

 柊さんは申し訳なさそうに告げる。みんな、手が回らないんだ。ただでさえ、複雑な状況なのに私が足を引っ張るわけにはいかない。ここにいても、力になれることはなさそうだった。私が今やるべきことは、冷静になる事。いつもなら霞が諫めてくれただろうけど、もう彼はいない。いないから、私が自分でどうにかするしかない。真実から目を背けてはいけない。私は空魔を倒さないと――

「ごめんなさい。頭を冷やしてきます……」

 そう言って、私は涙を拭い逃げるように作戦室を後にした。作戦室から出ると違和感を覚えた。今の時間は、朝のはずだった。気を失っていたからとはいえ、時間の感覚は間違っていないはずだ。間違っていないはずなのに――外へ出て、私はその違和感が正しいものであると思わざるを得なかった。

「え」

 空が、この世界が――まるで夕焼けのようにオレンジ色に染まっていた。
 まだ、夜が明けたばかりのはずなのに。一瞬、朝焼けかと思ったが、光の加減が違う気がした。私の頭上に広がる空はまるで、この世の終わりのように、切なく黄昏に染まっている。

「やば……何これ」

 私が慌てて建物に入ろうとしたときだった。聞き覚えのある声が、通り抜けていく。

「や、どうしたの。そんな血相を変えて……まるで、この世の終わりのような、顔をしているじゃないか」
「蘇芳さん……」

 そこにはいつもと変わらない笑みを浮かべた蘇芳さんの姿があった。普段なら気にもしないけど、今の状況でもこの人は平然としていた。まるで、異変など起きていないかのように自然に佇む。明らかに不自然だった。私だけに見えているのだろうか。何を言おうか迷ったけれど、意を決して尋ねた。

「この空、おかしくないですか。今、朝のはずですよね……」
「別に空が何色でもよくない? 空魔を倒すことには関係ないし」

 そりゃ関係ないかもしれないけど、そういう問題じゃない。何だか、いつもの蘇芳さんとは雰囲気が違うような気がした。全く別の何かと話しているような感覚だ。空の色などお構いなしに、蘇芳さんは話しかけてくる。

「そういえば、霞君が亡くなったって聞いたけど。ホント?」
「はい……でも、空魔にやられたんじゃなくて、自殺と言われています。私は納得出来ないけど……」

 空魔と戦うと言っていた以上、自殺は考えにくい。百歩譲って自殺だったとして、空魔を倒した後に自殺したとでも言うのか。ますます分からない。倒したなら無事に帰ってくるはずだ。

「死を選ばないといけない、理由があったんじゃないの。思い当たる節は無い?」

 どんな理由があって、そんなことに。霞が死に憧れているようなことは言っていたけど、別に死にたいというわけではなかったはず。あくまで憧れは憧れで――どうして、みんな消えてしまったの。理由――私がずっと探しているもの。あるいは、真実と呼ばれるもの。不変の心。

「……そんなこと」
「あるわけないって断言出来る? 出来ないよね。疑問に思ってしまった以上、見過ごせないだろ。この空も、何もかも」

 蘇芳さんはそう言って、空を仰いだ。夜明けが来ないまま、朝が消えてしまった世界。私には今何が起きているのか、さっぱり分からない。知りたくても、知る術がない。

「……この空はある少女の嘆きだよ。誰にも理解されない少女の――絶望」

 黄昏に染まった空は、どこまでも続いている。世界を塗りつぶすほどの絶望とは一体、何なのか。私が追い求める真実はどんどん増えていく。何一つ分かったことはないまま、処理しきれない感情だけが積もっていく。そんな私の心を見透かすように、蘇芳さんは私の耳元で囁いた。

「知りたいなら、全部教えてあげてもいいよ、霞君のことも、祀莉のことも」

 私は思わず息をのんだ。どうして、この人が知っているのか――更なる疑問が湧いてくる。

「ただし、条件がある。ここでは言えないけどね」

 蘇芳さんの『条件』という言葉に、二の足を踏む。ちょっと前までの私なら、すぐに飛びついていただろう。
 蘇芳さんのことは信頼しているけど、この時ばかりはそのまま乗ってもいいのかと疑問に思ってしまった。不用意に動くなと言われたし、柊さんも聞いた方がいいだろうと思ったけど、私の考えなどお見通しだと言わんばかりに腕を強く掴んで蘇芳さんは言った。

「言っとくけど、柊に相談するのは無しだよ。断るならこれで話は終わりだ」

 何故かすぐに頷けなかった。私の直感が危ないと言っている。
 けれど、このまま立ち止まっていてもいいのか。私にはもう考える気力もなかった。何をどうしたらいいか分からなかった。本当にこの人は全て知っているのか、分からないのに、どうして――私は前に進んでいるんだろう。

「本当に、本当に知っているの?」
「知ってるよ。そのために会いに来たんだよ」

 私の目を見てはっきりと、言い切った。人の心はよく分からないけれど、その言葉に嘘は無さそうだった。騙されたとしても、蘇芳さんだし特に何もないだろう。ここまで来たら落としたものを、全て拾わないと気が済まない。それがたとえ、嫌なものだったとしても、私は全てを知って、そのうえで答えを出したい。

「私は全部知りたい……蚊帳の外なんて、嫌」

 私が答えると、蘇芳さんはもう片方の手で帽子を被りなおして、こらえるように嗤った。

「……本当に期待を裏切らないから、好きだよ」

 言葉に含みがあるような気がした。電流が走ったような感覚が通り抜ける。咄嗟に離れようとしたけど、離れられない。
 だって、身動きが出来ないくらいの力で、抱きしめられていたから。

「真実を知ったところで誰も幸せになれない。それでも、知りたいなら――」
 
 私はまた、どこかで間違えてしまったのか――後悔するもすでに遅く、私の意識は緩やかに落ちていった。