理真の糸は、寸前のところで止まっていた。彼女の意識を完全に僕の方に向けて、ハーツの動きを読ませないようにした。心は読めても道具の気持ちまでは読み取れないだろうし、僕のハーツがどこまで出来るのか、僕も分からなかったから、賭けに近かった。結果的には、ハーツは僕の思いに応えてくれて、彼女の糸にはじかれても全力で核を追跡してくれたようだった。やられても、彼女はただ静かに笑っていた。
「大正解……勝負は負けね」
不気味なくらいにあっさりと、負けを認める。
「灯台下暗し、か――普通こんな場所に核を置こうと思わないって。頭おかしいでしょ。弱点丸出しとかあり得ないって。馬鹿なの」
「……言ったでしょう。私は普通の空魔とは違うの。それに核は特殊な武器じゃないと壊れないし」
僕は手のひらにある髪飾りを眺めた。赤と黒の配色で真ん中にひびが入った、可愛らしいくも見えるが、幼さも見えるハートの髪飾り。一見、核には見えない。ただのアクセサリーだった。ただ、ちょっと薄い傷がいくつかついている。昔から大事にしていた物なのだろうか。
「それねぇ、真ん中で分かれるの」
理真の言う通り、簡単に離れた。どうやら磁石でくっついているようだ。
「お守りみたいなものよ。一つだけじゃ成立しない……」
その言葉を聞いて、理真が欲しかったものが少し分かった気がする。きっと、これは一人で持つものではない。大切な誰かと分け合うために、分かれるようになっているんだ。巡り合わせが悪かったのか、彼女にはそのような相手はいなかった。というよりは、自分で探そうとしなかったのだから当たり前だった。己が全てで、自分しか愛せない彼女では、時間をかけても手に入らなかっただろう。
「私はただ愛されたかっただけなのに、上手くいかない。本当、この世ってクソだわ」
きっと、彼女が本当に求めていたのは見返りもない真の愛。空魔になった理真は運命を求めていた。自分と地獄まで飛んでくれる運命の相手を。誰でもいいわけではなかったのだろう。
でも、僕は理真の運命じゃないし、関係ない話だし、思いっきりハーツで叩き割った。その瞬間、僕の中でも何か割れた気がした。
髪飾りを粉々にしたら、理真は大の字に倒れこんだ。やられたくせに、満ち足りた顔をしやがって。
「けど霞のおかげで、最期は良い感じになったわ。貴方なら私を壊してくれるって信じてた、あは、あはは、はは」
最後まで思惑通り――にさせるかよ。お前の考えは分かってるんだよ。
「昔のことを思い出すなんて、走馬灯ってゆーの? ウケる。でも、悪くないわ。とっても最高だもの。気持ちよくて、逝っちゃう。もう、これ私の勝ち確定」
理真は酷く満足気だった。勝ちが確定というのは、僕が理真を殺すということだったのだろう。
ここで、殺さないという選択肢も選べなかった以上、どう転んでも彼女が喜ぶ結果にしかならなかった。その事実が少しだけ、僕の感情を波立たせる。
「よかったね。こっちは最悪な気分だ」
「どこまでも一緒ね。私たち」
「一人で逝けば?」
「寂しいのよ。ねぇ、繋がっているから分かるでしょ。私の気持ち」
もう、核は壊れた僕を縛るものは何もない。
僕の目の前にいるのは、欲望に呑まれ化物になった哀れな女だ。
「分かるよ。君が頭の弱い女だってね」
「意地悪なこと言うのね。そんなの分かり切ってることじゃない。愛を囁いて欲しいの」
「……愛してるよ」
中身の伴わない、空っぽの言葉。
「もっと、もっと――足りない」
「愛してる」
こんな言葉で満足するんだから、男から甘くみられるわけだ。都合の良い女ほど、扱いやすいものはない。
「もっと、もっと、もーっと――ちゃんと愛してくれないと……」
「愛してる」
理真は腕を掲げる。そこには何もないのに――彼女は一体何を見ているのだろう。
「もっと、貴方の全てちょうだい。そうすれば、私は――」
「一人で逝きな。僕にそういう趣味はないんでね」
世話になったところもあったが、それ以外はどうでもいい。というか、はっきり言わせてもらうと、好みのタイプじゃない。用が無ければ話しかけすらしない。下心丸見えの女。不愉快さの方が上回る。理真はしばらく黙っていたが、そのうち壊れたように、げらげらと笑い出した。
そして、予想通り穏やかに語り掛けてきた。
「……くたばるのは霞もよ? 分かっているでしょう。私たちは一心同体。私が死ねば――霞も死ぬ。最初から決まっていた運命なのよ」
「そんな気はしてたよ」
ここに来る前から何となく察していた。あれだけ、殺されることに拘っていたのだ。何かあるんだろうなとは思っていた。ずっと僕なりに考えたんだ。どうすれば、この未来を少しでも変えられるかって。
「どこまでも一緒って言ったでしょ? 星空を見ながら二人で逝くなんて、ロマンチックだと思わない?」
あともう少しで、髪飾りは消え、彼女の命も消え、僕も死ぬのだろう。二人仲良く破滅というわけだ。
理真が望んだ結末は、愛しい相手と一緒に死ぬこと。どこまでも、二人で墜ちていく悪夢のような世界。
このままここで仲良く死ぬわけないだろう。
もう、能力の枷は消えている。生死は理真に依存しているようで、死ぬまでにまだ少し時間がある。予想通りだ。
「生憎だけど、君は一人で死ぬ運命だよ」
僕は最後の力を振り絞ってビルの柵の上に乗った。もう、体は力が抜けていくばかりだった。
「ちょっと、何する気……」
「僕の心の中を見て、分からなかったなら一生理解出来ないだろうね。一時だけど、楽しかったよ」
少し固まっていたが、彼女は僕の意図に気づいたようだった。彼女は死ぬ瞬間も一緒だと信じて疑わなかった。特殊な空魔であるがゆえに、消えるまでに時間がかかる。
そして、核を壊した時に繋がっていた糸消えた。能力もかけられない。死の呪いは解けなかったけど、それだけで充分だ。僕の命は彼女が死んだら、同じように後を追うはずだっただろう。けど、同じじゃない。それが僕の答え。最期の悪あがき。
理真と一緒に地獄に飛びたくない。僕は僕が逝きたいように逝く。
あの日見た光景、今ならきっと――
「いや、側にいて、誰でもいいから、私を一人にしないで――あぁ――あぁあぁああああああああああぁ!!」
背後に聞こえた理真の悲鳴は彼女にとって最初で最期の絶望なんだろう。いい気味だ、ざまぁみろ。理真の核が消えてしまう前に僕は夜の空へ身を投げ出した。今ならどこまでも飛べそうだ。
「あぁ……」
僕は自分の抱いた感情を許されたかった。自分のやってきた行いが倫理に反していることくらい分かっていた。
それでも、自分が綺麗だと思ったものを、否定されたくなかった。何でも受け入れてくれる、理真はちょうどよかったんだ。僕の願いを程よく満たしてくれたのは他でもない理真だけだった。そこに愛があるかないかで言えば、きっと少しはあったと思う。ただそれは、玩具をもらった時の感覚に近いものだった。
ただひたすら愛されたい彼女は、愛してやれば何の口答えもしない。
でも、それは理真が望む愛ではない。壊れた核を見て、彼女は何を思ったのだろう。僕の愚痴には親身になってくれるし、都合の良い女だったよ。他人のことなど、どうでもいいくせに、他人にしか依存出来ないから質が悪い。
人は独りでは満たされない。
彼女が欲しかったものは自分を愛するだけじゃ、満たされない。僕が欲しかったものも、自分の中に閉じ込めているだけでは手に入らない。
今になって、所長の言いたかったことが分かる。あの人、本当に一体何だったんだろう。全部知ってたのかな。考えても分かる気がしないや。色々と心残りはあるけど、僕にはどうする事も出来ない。僕が手放してしまったから。
「さすがに後悔は残る、か」
終わりにはどうして、綺麗なものとそうじゃないものがあるのだろうか。ずっと、悩んでいた。
でも、ようやく分かった気がする。幸福度の違いなんだろう。僕が綺麗だと思ったものは大抵、満足そうな顔をしている。この世に未練などないと、はっきり言い切きるような清々しくて安らかな表情。まぁ多少の後悔はあるだろうけど、世界を憎むほどではない。終わりから逃れられない以上、幸せを求めるのは当たり前のことだ。誰だって、不幸なまま死にたくはない。生まれてから死ぬまでの間、どれほどの幸福があったか。
きっと、空魔になった人間も全てを憎む前に、幸福な時間があったはずだ。空魔の核が綺麗に見えるのは最期に、その景色を思い出しているからなのかもしれない。
幸福を塗りつぶしてしまうほどの不幸――想像も出来ないな。
全部僕の主観と憶測でしかないけど、少なくとも僕が追い求めた答えは今ここにある。世界に感謝すら覚えるくらいに、僕の心は晴れやかだった。暗闇の中を歩き続けてきた甲斐があったというもの。
今なら冷たい地上の世界に口づけしたって、構わない。だって、その時には全て終わってしまうんだ。
「最期まで輝いて見えるよ」
僕を包むように、朝日は昇るだろう。今なら眩しいとは思わない。むしろ、心が洗われるようだった。
どんどんと速度は増していく。あぁ、何も怖くない。もう僕に暗闇は来ない。長く続いた、暗く寂しい夜は明けたから。
「さよなら――僕の世界」