14

 一人になりたくて選んだ場所は海岸だった。出て来たときには、すでに夜になっており、人はいない。このまま海の中に飛び込んでしまっても構わないと思った。
 自分の中にあるものが、あんなに汚らわしいものだったなど、認めたくなかった。いや、本当は気づいていたんだ。どんなに御大層な理由を並べても僕が、どうしようもない存在であることに変わりはない。それほどまでに、僕が求めた景色は残酷なものだった。生あるものが死ぬ瞬間をもう一度見たくて、命を奪っていった。
 でも、僕が見た景色は美しいものばかりじゃなかった。目を逸らさずに見れば、自分の業の深さが跳ね返ってくるようだった。それでも、僕は手を伸ばさずにはいられなかった。飛び降りた同級生は輝いて見えて、空魔は核を壊せば眠りにつくように消えていく。僕もあんな風になれたらなぁ、と心のどこかで思っていた。
 多幸感に満ちて死ねたら――そんな僕の感情を見透かしたからこそ、彼女は僕を見つけたのだろう。理真は壊れるほど愛されたい、僕は死ぬ瞬間が見たい。確かに彼女となら、何度でも見られる。都合の良い道具同士、泥沼のような関係だった。思い出すだけでも馬鹿らしい。まんまとハニートラップに引っかかったなど、間抜けにもほどがある。茉莉花に言ったら馬鹿にされそうだな。当て所もなく、茫洋とした海を眺めていると、聞き覚えのある声が聞こえてくる。

「霞! こんなところで何してんのよ。まさか、死ぬ気じゃないでしょうね」

 思いっきりバックを放り投げた茉莉花に、がしっと肩を掴まれた。抵抗する気もなかった。彼女は思いっきり怒っていた。そりゃそうだろうな。一応今日は任務中なのに、夜になっても戻らなかったから申し訳ない。

「誤解だって」
「それならいいんだけど、本当に何してたの? つーか何それ血!? 大丈夫なの!?」
「あーうん。大丈夫。返り血みたいなもの」

 茉莉花は慌てていたが、別に怪我はしていない。制服についた血は全部理真の血だった。あそこで起こったことを茉莉花に言えるわけがなかったので、血についてはそういうのを噴き出す空魔と説明しておいた。茉莉花はうーんと唸っていたけど、怪我をしていないという言葉に安堵したのか、ため息をついた。

「武器もないのによく無事だったわね……」
「まぁギリギリかな。倒すことは出来なかったし」

 相手が茉莉花でよかったと心底思った。あながち嘘ではないからいいんだけど、葵や紫苑だったら普通に怪しまれていたと思う。

「夜になっても帰ってこないし、手間かけさせんじゃないっての」

 そう言いながらも、茉莉花は泣きそうな顔をしていた。そんな顔しないでほしい。どうしたらいいか分からないから。

「……本当に不思議だな。嫌ってるのに、そんな心配するの」
「別に嫌ってないって言ってるじゃん。後、好き嫌い関係ないし。それに霞は私のパートナーだし。目の前から急にいなくなったら嫌よ」

 曇りないまっすぐな瞳で茉莉花は言った。彼女の言葉に嘘はない。本当はもう分かってるんだ。茉莉花は別に僕のことを嫌ってない。どうも思っていない。僕がそうやって切り捨てようとしていただけなんだ。
だからこそ、苦しい。僕は彼女に本当のことを言えないままだ。このままでいいのだろうか。言ったとしても、きっと茉莉花は拒絶するだろう。どうやったって、相容れない存在だから。僕が何も言わないでいると、痺れを切らしたように茉莉花は口を開いた。

「あのさぁ、前々から思っていたけど、あんたのそういう態度が最初からムカついていたの。全て分かり切ったような目……何も言わないくせに、分かってもらおうだなんて図々しいにも程があるわ。言いたいことがあるなら言いなさいよ」

 その言葉に傲慢さを感じてしまう。自分の全てをぶつけられる相手など、そうそういるわけないのに。

「茉莉花に分かってもらいたいとか思ってないよ。他人のことなんて、理解出来るわけないし。ましてや苦手に思っている相手に言ったって無駄でしょ」
「私は……気に入らないとは言ったけど、話くらいなら聞いたわよ。話してくれたら、聞いた」

 どこまでも分かりやすい答えに笑うしかない。罵倒するかもしれないが、しっかりと話を聞いてくれたと思う。だって、そんな気が無ければ、相談に乗るとか言い出さないだろうし。鈍そうな茉莉花に分かるくらい、最近の僕はこの世界に不満を持っていたんだ。
 もうどうにでもなってしまえ――どうでもいいなら、どうなってもいいだろう。半ばやけくそだった。

「じゃあ、今聞いてくれる? この前の借りを返すってことでさ」
「……は」

 茉莉花は虚を突かれたような表情をしていた。向かい合ったまま、世界は静かになる。
 漣の音が、僕の背中を押してくれるようだった。静寂に包まれた世界を壊すように、茉莉花に本音を告げる。

「本当の僕っていうのかな……願望だったんだけどね。ずっと人が死ぬ瞬間が見たかった」

 それが僕の中で一番、美しいと思ったものだったから。その奇跡に立ち会えるのなら、なんだってしたと思う。

「でも、ただ死ぬ瞬間じゃなくて。満足そうに死んでいく人を見ていたかった。人だけじゃなくて、生物とか空魔もそうだ。空魔が消える時って、浄化されるような感じだろ。そういうのを見たかったんだ。何度でも見たくて、人には言えないようなことをたくさんした」

 僕の罪を全て彼女に吐き出した。こんな日が来るなど思ってもいなかった。茉莉花はずっと黙って聞いていた。僕は海をずっと眺めて語っていた。彼女が今どんな気持ちで、聞いているのか、どんな顔をしているのか、見るのが怖かったのだ。

「僕が出会った空魔は、僕よりも僕のことを理解していたよ。空魔は僕の本音を引きずりだした。まんまと嵌められた」

 現に理真は僕の願望を、見抜いて実現させた。
 彼女は何回でも、穏やかに死んだ。僕は飽きるまで殺しつくした。その時に感じた快感は、筆舌に尽くし難い。こうしたかったんだろうって悪魔のように囁かれ――思い知らされて、抗えなかった。
 確かに彼女は叶えてくれた。
 でも、それと同時に虚しさも一気に訪れた。あのまま、溺れ続けていたらあっという間に僕は死んでしまっていただろう。満たされたら、後に待つのは際限のない欲望のみ。空魔になっていたかもしれない。
 きっと、僕は中途半端だったから、ここにいるんだろう。振り切れることが出来たら、こんなことしてないだろうし。思っていることは全て吐き出したのに、僕の中にある呪縛はどうやっても、切れなかった。未だに理真と繋がっているのが分かる。この会話も全て分かっているはずなのに、どうして彼女は何もしてこないんだ。最初からこうなるのが分かっていたようないや、違う。こうなると分かっていても、理真からすれば然したる問題ではないとすると――そうか……そういうことか。

「ははっ、繋がるって最悪だな」
「……いきなり笑わないでよ。ていうか、懺悔は終わったの?」
「一通りは」

 やけにあっさりとした物言いに、思わず茉莉花の方を見てしまった。茉莉花は思った通り、反応に困るといった表情をしていた。僕の話の五割も理解して無さそうだ。

「はっきり言わせてもらうけど、どうしようもないし最低。普通に引くし軽蔑する」

 茉莉花は冷たく言い放った。当然のことだったけど、彼女にしては淡々としていて少し拍子抜けだった。
 そして、茉莉花は曇りない瞳で僕に告げた。

「私は……霞がどういう人間だろうが、死んだら悲しい。私は霞の良いところも悪いところも知ってるから。あんたのやったことは許されることじゃないかもしんないけど、私は裁く立場にないからこれ以上は言わない」

 罰する立場にないから、何も言わない。思っていた答えとは少し違った。僕は何を期待してたんだろう。何かが崩れた音がする。

「けど空魔なら話は別。霞を傷つけたことは許さない。絶対倒してやるわよ」

 茉莉花は深く追及することは無かった。どちらかというと、空魔に対する思いの方が強いのか。もっと手酷く拒絶してくれたら楽だったのに。いや、はっきりと軽蔑すると言っていたし、本当に何も無いのかもしれない。
 僕は思いを吐き出して、茉莉花はしっかり聞いてくれたはずなのに。どうして、腑に落ちないのだろう。

「空魔を倒すことしかないの?」
「空魔を倒せば霞も一歩前進出来るでしょ? とりあえず、あんたの服とかハーツを物色して持ってきたわ」
「……ありがと」

 やたら、大きいバックを持ってきていると思ったら、そんなものが詰め込まれていたとは。やりたい放題だな。

「ほら、さっさと着替えて。私は海でも見てるから」
「はいはい」

 僕は茉莉花に言われるまま、急いで着替えた。この流れだと僕が会った空魔――理真と戦うことになるのだが、正直茉莉花は連れていきたくなかった。

「着替え終わった?」
「終わったよ」
「よしよし!」
「……僕は倒し損ねた空魔を倒そうと思っているんだけど」
「うんうん」

 期待しているようで悪いが、こればかりは譲れない。

「付いてこないで欲しいな」
「分かった、分かった……って、そんなこと出来るわけないでしょーがッ!!」

 分かっていたことだけど、説得するのが面倒だな。茉莉花と理真は絶対相性悪い。それ以上に、人型の空魔だし特殊なタイプだ。下手に連れて行って、彼女が死んでしまったらと思うと――自分が許せない。

「言うと思ったよ。でも、本当にやめて欲しい。これは僕の問題だ」
「……そんなこと言われたら、なおさら放っておけないわよ!」
「そこをなんとか!」

 必死に手を合わせてみるも、彼女は聞く耳を持たない。知ってるさ、この程度で止まるような人間じゃない。彼女は僕がどう言おうが付いてくるだろう。

「駄目ったら駄目! 置いてかないでよ。今の霞、手を離したらどこかに消えちゃいそ……で」

 埒が明かないと思ったとたん、茉莉花は膝から崩れ落ちるように倒れこんだ。

「茉莉花!?」

 慌てて声をかけたが返事は無い。一体何が起きたのか、顔を上げたらそこには、悠然と佇む理真の姿があった。

「感謝してよね。迎えに来てあげたんだから」
「…………茉莉花は」
「寝てるだけよ。殺していないわ。好きでもない奴にそこまですることないし」

 確認してみると、確かに息はあった。茉莉花は無事なようで安堵するものの、それ以上に厄介なことになった。彼女を守りながら戦うのは難しい。そう思っていると、見透かすように理真は笑う。

「ここでやるつもりはないわ。その女をそこへ放置してくれるのなら、最高の場所へ案内してあげる」

 拒否権は無かった。茉莉花を安全な場所まで送りたかったけど、それすら許されないようだ。
 僕が黙ってうなずくと、ものすごい勢いで何かに引っ張られた。理真の糸に繋がれているらしく、僕はいつの間にか夜空の中を泳いでいた。理真は一言も発さず、自由に空飛んでいた。空魔って何でもありだなとつくづく思う。何とか地上に目を向けたが、茉莉花の姿を確認することは叶わなかった。
 
「……ごめんね」

 直接、茉莉花に別れを告げることも出来ず、僕は彼女が手繰る運命の糸に縛られたまま、最後の場所へ来てしまった。