僕がどうして今の場所にいるのかと考えた時、一番に思い出すのは、死の匂いだった。僕には祖母がいた。祖母はとても優しかった。笑顔が素敵な人だったと覚えている。僕はそんな祖母が大好きだった。
ある日見舞いに来た時、祖母は死を待つ状態だったらしく、家族に看取られ安らかに息を引き取った。その顔は今でも覚えている。命が消えそうなのに、祖母は取り乱したりもせず、じっと静かに待っていた。
僕はその姿を心のどこかで美しいと思い、同時に羨ましく思った。
そして、僕の中に一つの波紋を作り出す。
僕が死に魅入られた瞬間だった。それ以降、僕はどうしても、その時をもう一度見たくて、色んな生き物を捕まえては殺してみた。
けれども、あの日みた景色以上のものは見ることが出来なかった。昆虫や小動物だから違うのかなと、馬鹿真面目に理由を考えていた。親には見つからないようにしていたけど、しっかりバレていたようで、母は気味悪がって悩んでいた。どこで間違ってしまったのだろうって――今でも母の絶望に満ちた表情は幼心にも覚えている。気持ちを抑えられることもなく、僕は再び人が死ぬ瞬間を目撃することになる。
ある時、死にたいと言っていた同級生がいた。会話はたまにするくらいで、仲が良かったわけでもない。別に虐められているわけでもなく、何となく死にたかったらしい。
でも、一人で死ぬのは怖いと言っていた。僕はそんな同級生に、
「一人が嫌なら最期まで見てるから、やってみたら?」
と、軽い気持ちで告げた。同級生は僕の言葉で勇気が出たらしく、死ぬ決意を固めた。朝日が上るころに学校で会おうと言った。すぐじゃないのは、準備でもするんだろうなと思っていた。僕は全然手伝う気はなかったけど、死ぬ瞬間が見られるなら、なんでもよかった。
期待を膨らませていると、あっという間に決行時間になった。学校の警備はゆるいなぁ、と思いながら校舎に向かっていった。
そこには、笑顔の同級生がいた。屋上まで行くから一緒に来てほしいといった。僕はその要望を断った。屋上からだと遠くなるし、死ぬ瞬間が見たかっただけなので、地上からの方がずっと見てられるからと、適当な理由を言った。同級生は納得してくれたようでそのまま屋上まで行った。
運が悪ければ生き残るだろう高さ。同級生は、手を振って屋上から飛び降りた。さすがに着地点付近はいろいろ飛び散るだろうから、少しだけ離れた場所で見届けた。
落ちていく同級生の表情は少し見えたけど、全てか解放されたように笑っていた。
――今の君はとても輝いているよ。
そう思った瞬間に、ゴッと、鈍い音がした。駆け寄ってみるとひくひくしていた。血だまりが出来てきて、顔面から落ちたようで顔の損傷が激しかった。僕が思っていたのとは何かが違った気がした。
もっと、美しいものだったはずなのに――夢に見ていた幻想が打ち砕かれたような気持ちだった。
でも、同級生はこの結果で満足しているのだろう。
この結果から僕が気付いたことは、美しいのは死そのものじゃなくて、生から死へ向かうまでの間だったということ。現に死ぬまでの同級生は輝いていたと思うし、それに関して異を唱えることはない。
むしろ実行に移せる行動力に憧れすら抱いてしまう。僕もあんな風に死ねたらなぁ、と憧憬を抱いた。
結局、その後は色々あって普通に騒ぎになってバレた。親は僕を人殺しだと罵った。どうしてこんなことをしたのかと、聞かれてありのままに答えたら両親は罵倒すらしなくなった。人ではないものを見るような目をしていた気がする。
事件の後、家族はバラバラになって、僕は施設に預けられることになった。預けられた施設こそエンプティのある星影研究所だ。
そこには、親から見捨てられた子とか行き場のない子どもがたくさんいた。その頃には僕の中にあった、衝動は嘘のように鳴りを潜めていた。そのまま消えてくれたらよかったけど、ここに来たのが運命のように思えた。
空魔退治は僕の欲求を完全にとはいかないけど、ほどよく満たしてくれた。元々は人だったものが倒して消えていく。その姿はあの日に見た、景色に近いものがあった。空魔はきっと救われていたんだと思う。
そして、たまに空魔が落とす核の存在。あれは魂の輝きのように美しかった。求めていたものはここにあるような気がした。親に感謝すら覚えてしまうほどだった。
そんな風に考えていた頃、僕は自分の中にあるものを改めて、自覚させられるのだった。きっかけは、定期健診の後のことだった。研究所の廊下では大人とすれ違うことが多い。普通は何も声をかけられないはずなのだが、今日だけは違った。
「君は奥底に隠してしまったんだね」
「…………」
「おっと、失礼。僕は星影竜胆。ここの所長さ。ここにはいるけれど、表立ってはいない。いるようでいない存在さ。幽霊じゃないよ」
名前だけは聞いていたけど、実際に話をしたのはこれが初めてだった。独特な雰囲気を醸し出している。一見、穏やかに見えるが全てを見透かすような瞳は初めて会っただけでも苦手と思えるほどだった。
「はぁ……」
「僕の話は良いとして続けようか。君の望みは愛着があればあるほど、輝くんだろうね。美しいと思うのは君にとって価値があるから。美しいと思えないのは、価値が無いから。合理的だが、残酷なものさ」
勝手に話を続けられた。でも、所長の言いたいことは何となく分かった。僕には愛着というものが少ない。こだわりもあまりない。僕が何も持たない空虚な存在だから、相手に価値を求めるんだと思う。
祖母が亡くなった時が一番輝いて見えたのは、身近で僕自身が祖母の存在を好ましく思い、認めていたからに他ならない。と、色々考えた後に、所長は思いもよらぬ言葉を僕にくれた。
「アドバイスをするならそうだな……人生はリセット出来ないし、一度しかない。その中で運命の人を見つけた方がいいってことさ」
満面の笑みで何を言っているんだろうこの人――運命の人って言ったら、そういう意味なんだろうか。意図を読みかねている僕に、所長は愉快そうに続ける。
「難しく考えなくても、文字通りの意味さ。どんな形であれ、運命は人を狂わせる。ただし、君が望めばの話だけれど……」
ますますよく分からない。けれど、放置してもいけないような気がして。心の中に、石を投げ込んだまま、所長はどこかへ行ってしまった。取り残された僕は呆気にとられたまま、動けなかった。
それからしばらくした頃、僕のパートナーが死んだ。合同任務でそれぞれ別のチームに参加していた時だったので、死ぬ瞬間は見ていない。こういう場所だしそういう時もある。隊員が死んだ時の反応は大きく二つに分かれる。涙を流し悲しむ人、全く悲しまない人。仕事としては、後者の方が向いているだろう。僕は後者の人間だった。ここにいる人間に愛着などないし、ここにいる限り死と隣り合わせなのだから当たり前のことだと思っていた。
だからといって、悲しむ人を否定しようとは思わない。仕事を抜きにして感情的には、涙を流す方が自然だろうから。僕には無いものを、涙を流せる人は持っているのだ。馬鹿に出来るはずが無かった。
パートナーがいなくなって、僕の出番はしばらくなかった。けれども、時間たたないうちにまた組まされることになった。
その相手が茉莉花だった。
最初のころの茉莉花はエンプティでは珍しいタイプに変わりないけど、今みたいに尖っていなかったと思う。パートナーが亡くなって、気落ちしているかもしれないと思ったのか結構気を遣ってくれた。戦闘時は不慣れでも、積極的に前に出ようとしてくれた。その態度がどうにも煩わしくて、気にしなくていいと言った。
でも、茉莉花はそういう気持ちが理解出来ないようだった。人が亡くなったら悲しいのは当たり前のように彼女は言うから――
「どうせいつか人は死ぬ。僕だって明日にはいなくなっているかもしれないんだ。こういう場所だし、いちいち気にしてられないでしょ」
その言葉が多分トリガーだったんだろう。彼女は激しく怒った。暑苦しいなぁと思いつつも、怒られても気にしなかった。その時は茉莉花にそこまで興味なかったから。その態度が余計気に喰わなかったのだろう。それ以降は僕の一言に、突っかかってくる茉莉花をいなすのが恒例になった。エンプティ内でもたびたび見られていたせいか、同情されることもあった。葵は気にかけてくれて取り持とうとした。
僕としては、嫌っているつもりはなかったけど、心のどこかではうんざりはしていたと思う。だからといって、パートナーを解消しようとは思わなかった。僕は単純に面倒だったからなんだけど、茉莉花はどうだったんだろう。茉莉花の方も解消したいという話を持ち出すことは一度もなかった。
戦闘時は特に支障がないからだろうけど、あれだけ嫌悪しておきながら、不思議だとは思った。
今でも、謎は解けない。茉莉花が何を思っていたのか、僕には分からない。知りたくても、もう彼女には触れられないから。彼女の心は分からないけど、僕は差し出された手を自ら放してしまった。残された真実はそれだけだ。
――時間は現実へ戻っていく。
長い夢を見ていたかのようだった。今でも夢の中を泳いでいるような気がしてならない。現実と夢の境界が曖昧なまま、目を開けてみれば、赤く染まったベッドのシーツ。滅多刺しにされた理真の姿。これでも死んでないっていうから、恐怖を通り越して乾いた笑いしか出ない。
理真は僕の下で呻き声を上げていた。さすがに、ずっと乗っているのもアレなのでベッドから降りた。
「本当に空魔なんだね。これだけやっても死なないとか。笑えてくるよ」
「そうよぉ……これで分かったでしょう。私は貴方の望みを叶えられるって……ぇ」
傷は治っているみたいだけど、服はボロボロになっていた。見れば見るほど、面白い光景だった。何度殺しても死なないから調子に乗りすぎたかと思ったが、痛みと快楽に悶えながら、全てを受け入れてくれた。
僕は彼女が満足そうに死ぬ瞬間を何度も見ては殺して、見ては殺して、その度に夢中になっていった。
だが、不死身だとありがたみも薄れる。一度きりだからこそ輝くのだと、改めて思った。所長の言っていたのはこういうことだろう。逝く姿は確かに綺麗だったけど、繰り返しているうちに飽きが出てくる。
「飽きちゃったのぉ? あれほど、見たかったのにぃ? 結局その程度のものなのねぇ……ひひ」
否定は出来なかった。僕は理真と目を合わさなかった。彼女の姿を見れば見るほど、僕の中にあったものがどれだけ醜いものか、分かってしまうから。楽しんでいた自分もいるのに、こうやって嫌悪する自分もいる。頭がトンでしまっているようだ。
「これでも痛いものは痛いのよ。痛覚はその気になれば遮断できるけれど、霞の趣味じゃないだろうから。生きた人間を壊してこそ貴方の見たいものが見られる。私はとっても、綺麗だったでしょ?」
「何回も見られるものに価値はないね。それに君に対して執着も何も無いから」
理真に愛着はない。ただ、僕らは互いに都合がよかっただけなんだ。それも全て彼女は分かっていたのだろう。その証拠に理真はいつまでも不遜な態度でいる。
「でしょうね。だから、私にとってはこれが最初で最期。霞にとっても、ね」
少しイラっとしたので、脳天に包丁をブッ刺してみたらあっけなく倒れる。
そして、しばらくしたら復活する。多分いくらバラしてもいつの間にか元通りになっているんだろう。どっかの研究所に引き渡して、実験台にでもなれば有益になるだろうに、と心のどこかで思ってしまう。
「都合がよかったとはいえ、人を殺してみたい奴とかいくらでもいるだろうに」
「好みだったから。それに普通の男は飽きちゃったし。もうちょっと、刺激が欲しかったのよね。私ってこれでも、尽くすタイプなの。自己犠牲はノーだけど」
理真は、胸に手を当てながら、視線を下に落とした。彼女が指し示す場所は、心臓部分だった。
「死への憧れと愛が入り混じった貴方を見て、私の終わりに相応しいと思ったのよ。今の私は人の心が見えるの……それこそ深層までね」
深層――彼女は全てを知っていた。僕が満たされていないまま、世の中に紛れ込んでいるのを見つけてしまった。
「貴方なら本気できっと、運命だと思ったの。壊されるくらい愛されてみたかったの。貴方の愛の形はそれに相応しかった」
運命……きっと所長が言っていたのとは違う。確信出来る。彼女からすれば些細なことかもしれないが、明らかな綻びだ。理真は勘違いしている。
「僕は理真のこと愛してないよ」
「それでも、貴方は私を受け入れたじゃない。あはは! 霞自身に気持ちが無ければ、こんなこと出来ないの。分かる?」
確かに僕は望んでいたかもしれない。望んでいたけど、決して抑えきれないものではなかった。誰かに勝手に扉を開けられたような感覚である。
「ある意味正解よ。心も体も操れるとは言ったけど、ほとんど強制力がなくて緩いのよね。心理誘導って言うのかな。向かわせたい方向へ自然に導くってーの? 感情を消したり、感情を作り出したりすることは出来ないのよ。つまり過程はどうあれ、霞は望んでここにいるワケ。貴方がどう取り繕うが変えられない真実なの」
どうやら心身操作は願望を引き出して操るものらしい。僕が持ちわせていない、願望を作ることは出来ない。出来るのは望みを引きずり出し誘導する程度。その結果が、ずたずたにされた理真だった。どういう結果であれ、僕が望んでいたことは達成されたのだろう。
ただ、その結果に僕が納得出来るのかはまた別の話だ。心が分かったところで、他人の全てを理解出来るわけがない。何だかなぁ。惜しいところだね。
「解説どうも」
「どーせ後から、嫌でも知るわよ」
理真は狩りを楽しむ肉食獣のような表情を見せた。彼女にも空魔になってしまったきっかけがあるのだろう。わざわざ、知りたいとは思わないし、触れたくもなかった。化け物に取り込まれた僕はもう、どこにも行けないような気がしたから。このまま朽ち果てるしかないのだろう。
「ちょっと疲れたな。外の空気吸ってくる」
「言っておくけど、どこへ行っても無駄よ。霞の行動は全て私の思いのまま――私は貴方を愛してるから」
理真は呪いをかけるように、そっと囁く。それは本当に愛なのか――問いかけたとしても、理真はきっと自信満々に愛と答えるのだろう。