世界には全てを見ている神がいて、悪いことをすれば罰せられる――桔梗がアホみたいなことを言っていた気がする。そんなもん気にしてたら何も出来ないっての。神とかいるわけないだろ。あいつが崇める神――私を空魔にした存在――は何もしないし。馬鹿みたい。
「楽しく生きたいなら、自分を偽ったらダメよね」
人の在り方を糾弾する人間は切り捨てたらいい。そんな奴のために費やす時間は持ち合わせてないから。人は自分さえよければいい。誰だってそうに決まってる。どんな聖人だろうが、良からぬ感情は抱くもの。自分のことを一切考えない人間などいない。人の心は全て等しく空魔の餌となる。負の感情を持たない人間などいるわけがない。
「空魔の存在ってかなり画期的よね。人の心をぜーんぶ暴いて犯して晒すもの」
空魔が生まれるルートは二つある。
一つは人間の悪感情から生まれたもの。もう一つは人間が空魔に魂を抜かれて空魔になる。後者に関して私は、魂が抜けたら何も残らないじゃんって、思ったけれど彼女曰く、人間に残った一際強い願望――詳しく言えば、本能と呼ばれるものは完全に喰えないらしい。
結果、空っぽになったはずの空魔は暴れまわる。生まれたての空魔は、自分の本能を自覚していないから、動きが鈍い場合が多い。ごくまれに、ありのままの自分を受け入れられたのか、静かなままの空魔もいるらしいが大抵は暴れだすとか。
「ま、私には関係のない話だけどね。私は空魔になっても派手に暴れたりしないし、姿も可愛いまま。そういう点では運がよかったかも」
私は選ばれたの。彼女の言うことは癪だけれど、こういう形にしてくれたのは感謝している。好きなことをやっても、誰も咎めない。咎める前に殺せるんだもの。無力な私はいない。醜い女たちと会話する必要もない。男たちを貪り、喰らうだけで私は私でいられる。これほど幸福なことはない。
ないはずなのに、私はずっと満たされない。心に穴がずっと開いたまま塞がらない。彼女は何も言わなかったけれど、代償ってヤツなのかしら。あぁ最後まで忌々しい女。
「欠けたものを埋めるには、他で補うしかない」
振り向いた先にいるのはベッドの上に横たわっている、霞の姿。最期の晩餐にはちょうどいい男だった。なんてたって、自分の本能に抗おうとしている姿が愛おしく思ったから。人には言えない秘密を抱えて、普通の人として溶け込んでいるから。ちょっと虐めてやろうと思ったの。結果としては予想以上に嵌ってくれた。でも、最後の境界線だけは越えようとはしなかった。そこがまた良い。我慢している人間を誑かすのは楽しい。
「どうせ、起きているんでしょ。このまま続けさせてもらうけれど、私は人間じゃなくて、ご想像の通り空魔よ。空魔はね……核が滅ぼされない限り死なないのよ。この意味分かる?」
彼は何も答えない。
あはは、そのまま狸寝入りさせるわけないのに。
こっちだって、理由もなく連れて来たわけではない。蘇芳の事情はどうでもよかったのだけれど、躊躇いなく撃ったのは少し驚いたわ。あいつから喰らう前に話をさせてほしいって言われた時は、何をするつもりなのかと思ったけれど、ギリギリまでネタバレしたくなかったから要求は呑んだ。あいつ、顔は悪くないけれど経験上、過去を引きずる男に良い男はいない。桔梗よりも話は分かるヤツだけれど、信用は出来ないわね。
「私の心が分かるでしょう。どこにいても、貴方のことが分かる。相思相愛ね。今、私たちは運命の糸で繋がっているの。気持ち良いでしょ?」
「……吐き気がする。気持ち悪いね、何もかも」
ようやく口を開いてくれた。私の情報を流し込んでやったし、否が応でも反応せざるを得ないでしょうね。けれども、少々刺激が強すぎたようだった。
「仕方ないわね。これで少しはマシになった? 防ごうと思えば防げるんだけど、慣れないと難しいからね」
「これは、空魔の力?」
「心を見る力は大体の空魔に付いてくるけど、それとは別に私のような存在は固有の力を持っている。私は心身操作。繋がった相手の心や体を操る事が出来る。どこにいるのかも分かる。けど、私の力は貴方にも適応されている。貴方が私のことを分かりたいと思えば、同じことが出来る。一方通行じゃなくて相互通行。私ってばとっても優しいでしょ?」
「……だから、あの時動けなかったのか。あーあ、最悪だよ本当に」
苦々しく、霞は吐き捨てた。まんまと術中に嵌っちゃったから不機嫌なんでしょうね。ちなみに能力の発動は粘膜接触。一人にしか効かないわけでもないけれど、私ってば目の前の人間しか目に入らないから。便利な力――どんな人間も思い通りになる。最高の能力である。それなのに、私の器は穴が開いてるのか満たされない。空魔だからというのもあるけど、それ以上に満足出来ない。生きていた頃の快楽を味わえない。死ぬ前は色んな男と寝てもそれなりに満たされていた。
けれども、空魔になってからはどんなに男を喰らっても満たされない。自由になれたはずなのに。とても腹立たしい。これが罰というのなら、代償というのならそれすら越えてやるわよ。私はそんなものに縛られたりしない。クソ桔梗の戯言など知ったことか。
私の願いは愛して愛されたい。それ以外に何も望まない私はこれでも謙虚だから――最高の結末は目前に迫っている。
「私は全てが知りたいの。これは愛、それとも別の何か?」
キッチンへ行って、ある物を持ち出した。空魔は魂がご飯の代わりだし、私には無縁のものだけれど、私の欲望を満たすためには必要なものだった。
そして、そのまま霞のいるベッドへ近づいた。彼は私の能力で身動きが取れない。そのまま霞を押し倒す形で、馬乗りになる。
この能力は、行動制限も含まれている。相互通行なため、私もその気になれば相手に止められてしまうかもしれないけれど、能力を知りたてで、私を拒絶する貴方には一生使えないでしょうね。私は構わないわ。どんなに拒絶されようが、愛し尽くしてあげる。
「本当の貴方を私に見せてほしいの。分かるでしょう、私も、貴方も逃れられないのよ」
私の手に握られているのは、輝きを受けて煌めく銀の刃――とか言ってみたけど、どこの家庭にもあるごくごく普通の包丁だ。
「貴方の手で、私の全てを明かしてちょうだい」
耳元で呪文のように唱えると、霞は私の持っていた包丁を奪って――