「はぁ。どうしてあんな不愉快な噂が立つワケ?」
心安らげるはずの昼休みだというのに、茉莉花は苛立っていた。いつものことだけど。
とは言っても、今日は殺気が一段と増していた。というのは、クラスの女子から僕と付き合ってるのか聞かれたらしい。その時の茉莉花の顔を見てみたかったけど、何となく想像が出来た。そんな噂が立つのもこうやって、昼休みに二人きりで話しているのを目撃されているからだろう。茉莉花は僕のことを好ましく思っていないけど、相談する相手がいないから、仕方なく僕に話しかけてくる。大抵は空魔の話と愚痴なのでクラスメイトに出来るわけがなかった。捌け口にされるのは構わないけど、当の本人は何も気にしてないみたいだから、指摘されて初めて自分がどう見られているか気づくようだ。鈍いというか、馬鹿と言うべきか、何にせよもう少し言動に気を付けた方がいいと毎度ながら思っていた。
「人って案外、見てるものだよ。嫌ならここで話すのをやめるのが一番だけど」
「そうなんだけど……研究所じゃ誰が聞いているか分かんないから」
これまでの愚痴の内容からすると、そこまで気にするレベルだと思えなかった。いちいち水を差したら進まないので言わないでおこう。
「話なら紫苑でもいいじゃん」
「わざわざ呼び出すのも悪いじゃない。それに紫苑って、ぼーっとしてるし、話聞いてるのかよく分かんない。明確な反応が欲しいの」
「あはは……」
あれでも紫苑は聞いてると思うけどね。内心で色々考えるタイプだと個人的に思っている。口に出さないと分からない茉莉花とは相性が悪いかもしれない。だからといって、あまり快く思っていない僕の方に来る心理はちょっと分からない。
「嫌ってる人間に相談するのはいいんだ」
「え、何言ってんの? 嫌ってるって……あんたのこと? 別に嫌ってないし、嫌ならとっくにパートナー解消してるっての」
不意を突かれたような気持ちだった。確かに、本気で嫌なら茉莉花の言う通り、すでにパートナーを解消していただろう。それでも、続いているから茉莉花はそこまで嫌っていないということなのか。
でも、僕に対する彼女の態度は刺々しい。紫苑にも若干、当たりは強いものの僕ほどじゃないだろう。僕だけが特別なんだろうか。今までにない、不思議な感覚が芽生える。ただ、僕がこうやって考えても茉莉花の気持ちなど分かるはずもなく、所詮憶測でしかない。
「それもそうか。で、今日は何の話?」
「……空魔って何なのかなって、思ったのよ。新しいタイプも出たとか言われてるし」
さっきまでははつらつとしていたのに、急にしおらしい口調になった。彼女にしては、珍しく不安そうな表情を見せる。
「人型空魔とか噂されてる奴? 確かにびっくりだね」
「人の形をしてたら動けるか不安になってきたの。紫苑には強がって『容赦なく空魔なら殺せるじゃない』って言ったけどさ。あーもう! よくよく考えたら人の形してるワケでしょ? 血とか流れるのかなーとか、色々考えたら怖くなって……人の形をしてなかったら、元が人だったとしても倒せるけどさ。さすがに人間の姿してたら、ちょっと……ねぇ」
空魔のことは憎んではいるけど、空魔だからと言って容赦なく殺せるほど、彼女も非情ではないようだった。今回、茉莉花が悩んでいるのは個人的な心の問題ということになるのだろう。だけど、話によれば空魔だと確定はしていないはずだ。
「まだ空魔って決まったわけじゃないし。もしかしたら、宇宙人かもしれないよ」
「それはそれで困るし、つーか何馬鹿なこと言ってんの」
茉莉花に馬鹿と言われると少し複雑な気持ちになる。そもそも冗談だし。あーだこーだ言ってたけど、人の形をしたものを殺すのが怖いってことだろう。
「要するに、自分がちゃんと役目を果たせるかが心配なんでしょ。そんなに不安なら僕がやるよ」
「は?」
茉莉花は目を丸くして、呆けた顔をしていた。そんなに、あり得ない提案でもないだろうに。そりゃ、やるときはやるさ。
「茉莉花が迷うなら、僕がやる。茉莉花は何もしなくてもいいから」
「……なーんか。癪に障る言い方なうえ、納得いかないんだけど」
借りを作るのが嫌なのか、茉莉花は眉をひそめた。
けれども、彼女は僕が考えるより遥かに馬鹿だった。馬鹿と言うか思考回路があまりにも違いすぎた。
「何も出来ないって決めつけがよくないのよ。後、見ているだけが一番嫌い。霞がピンチになったらそういうこと言えないし、やっぱり私が動く! 決めた!」
何言ってんの。怖いんじゃなかったの? 出来ないかもしれないってさっき言ったのに。
「本当に出来るの?」
「決めたからにはやる。出来ないとかじゃない。やるのよ」
茉莉花は当然と言うように返答した。気合で何とかなればいいが、世の中そんなに甘くない。どうして、そういうことを真っ直ぐに言えるのだろうか。出来るか分からないことを、そうやって言い切れるのか。
「別にピンチになったら、放って逃げてくれてもいいのに」
「そんなことするわけないでしょ。あーもう何でエンプティ全体見てて思うけど、みんな自分に無頓着すぎるっての! そういうのが本ッ当に嫌なの!」
あぁ、茉莉花が常に嫌悪の目を向けていたのはそういうことか。別に僕が特別じゃなくて、僕が一番茉莉花の近くにいて、話をするから辛辣になってしまうんだろう。彼女からすれば、僕を含めエンプティの子どもたちの大半は異端で理解出来ない存在なのだ。
「……茉莉花も似たようなものだと思うけどね」
「一緒にしないでよ」
茉莉花は不服そうに否定する。
けれども、彼女の精神は傍から見れば狂っているとしか言いようがない。僕がそう思うのは彼女がエンプティに入った理由だ。恐らく、聞いた大半の人間が納得はするものの、理解は出来ないと思う。
「普通さ、姉が空魔に殺されたからって、復讐しようと思う? フツーさ、そんな化け物怖いし、戦おうとか思わないって」
「それは……」
「エンプティには志願してくる人もいるけど、数はとても少ない。どうやって人員を補っているか知ってるだろ?」
死んでも誰も困らない存在を集める――そのためにエンプティという名の孤児院は存在している。空魔の存在はあまり知られず、倒している人間はもっと知られていない。そのような存在、表で生きる人間には関係のないことだ。だから誰も気にも留めないし、いなくなっても困らない。
エンプティはここでしか生きられない者にとっては、唯一の居場所であり、死に場所でもある。
「僕がお姉さんや家族の立場なら、空魔に関わらないで普通に生きてほしいと思うけど」
「…………」
茉莉花にも思うところはあるようだ。彼女にはまだ両親がいるだろうし、こんな場所に娘を送るのは反対するはずだ。別に親と仲が悪い様子でもないし、そう思うと何で彼女はここに来られたのだろう。これまであまり気にしたことはなかったし、茉莉花が言うまでは聞かない方がいいような気がして触れては来なかった。
売り言葉に買い言葉とはいえ、ここまで言い合ったのは初めてだった。茉莉花は少し間をおいてから呟き始めた。
「……空魔は憎い。この世から消えるべきだと思っている。関わらない方が、幸せなのも分かる。だけど……知らないまま死ぬのはもっと嫌なの」
茉莉花の揺れる瞳の奥。そこには空魔を倒すという強い意思と同時に、空魔へ対する好奇心や恐怖が混在していた。死ぬのが怖いのは当たり前のことだ。死んだら、そこで全てが終わってしまうのだ。これまでの思いは全て無駄になってしまうと思うと身が竦むだろう。
それでも、彼女は知りたいと言う。知ったうえで空魔をこの世から消したいと願った。僕には、そこまで言い切れる意思も自由もない。そんな彼女がどこまでも、眩しく思えた。それこそ、目を覆いたくなるくらいに。
「やっぱり、合わないな」
「今更、何言ってんの?」
「改めて思ったんだよ」
「真剣に語った後の感想がそれ?」
「僕がこういう人間だって知ってるだろ。空魔退治に使命感を持ってやってない。死んだらそれまで。空魔の存在とか正直どうでもいい。ここにしか居場所がないから、やってるだけ」
前向きとは言い難いものだったが、別に死にたいというわけでもない。ただ、何の目的もなくふらふらした、空虚な人生。物足りなさがあっても、それを変えようとは思わない。結局、その方が楽だから。多少の差異はあるだろうけど、孤児院に来た奴はみんな同じような考えだと思う。
「でしょうね。エンプティの人たちって、諦めた感じだもの。あんたも例外じゃないってだけよね。知ってた……こんな話に付き合わせて、悪かったわ」
僕の言い分を聞いた茉莉花は、どこか失望したような表情に見えた。
そして、やり場のない気持ちを抑えるように、一切目を合わせずに去っていった。去り際、茉莉花は僕にどんな気持ちを向けていたのだろうか。
「……エンプティ内では普通なんだけどね。理解してくれる人はいないと思う。葵は親身にはなってくれるけど、合理的だし。紫苑は……ちょっと不思議なところがあるから何とも言えないか」
エンプティには様々な人間がいる。だが、孤児院で育った子どもの多くは何もかも諦めている。ここ以外に居場所を知らないからだ。逃げる術も知らない。全てはエンプティの、研究所の管理下にある。自由はない。そんなものがあることすら知らない奴もいるだろう。
そんな場所に来るなんて変わり者もいいところだ。人間というものは自分と違う考えを持つ者を異端者として見てしまう傾向がある。
実際、命を天秤にかけてまで憎い相手のことを知りたいと思うなど、どうかしていると思う。
ただ、僕はそこまで彼女に対して否定的ではない。先程はああは言ったものの、茉莉花の抱く気持ちが決して間違いではないのは分かっている。それでも彼女への苛立ちが募るのは、やはり僕が茉莉花のことを十分に理解してないからだろう。
「相互理解ほど難しいものはないな。僕ら案外、似た者同士だと思うんだけどなぁ」
誰にも理解されない感情、気持ち。自分の全てを理解してくれる人など、いるはずがない。人の心が分かったとしても、それを理解出来るかはまた別の話だ。分かったとしても、頭で納得できないことは多々ある。
けど、何かの拍子で間違って自らの存在を理解してくれる人に出会えたら、初めて幸せというものを感じることが出来るのだろうと、何となく思ったのだった。