ここで語るのは表裏ある世界の中でも裏の話。相棒である茉莉花にだって一度も話したことは無い。話したとしても、彼女はきっと軽蔑するだろうし、認めないだろう。
僕は、僕という存在を誰かに理解して欲しいとは思っていなかった。何故かと言えば、僕自身が認めたくなかったから。認められなくてもよかった。受け入れられなくてもよかった。高望みはしない主義だった。どうやっても空に手は届かなくて、這いつくばって泥水をすするしかない――そう思っていた。
明けない夜はないと言うけど、僕はずっと深い暗闇の中にいた。
あの時までは――
初めて彼女に出会ったのは、人々が行き交う夢深町の街中。学校帰りのことだった。雑踏に飲まれながら歩いていると、一人の少女と目が合った。髪は鮮やかな恋の色をしていた。ハートの髪飾りが愛らしく見える。少女を象徴するもののように思えた。美少女というわけでもないけど、目が離せなかった。普通より上くらいの容姿だと思う。なのに、どこか異質さを醸し出していた。存在感はあるのに、彼女だけ世界から切り離されているように見えた。僕以外、誰一人として彼女の存在を認識出来ていないのでは? と思ってしまうくらいに彼女の存在は目を引いた。
生きてきた中でこんな感情を抱いたのは初めてだと思う。一目ぼれ? 少し違う気がする。そういう対象には思えなかった。客観的に見れば少し可愛いで終わるレベルだ。
でも、僕は彼女から目が離せなかった。と……ここまで思っておきながら、僕は自分から声をかけることはしなかった。そのまま寮へ帰って、せいぜい不思議な出来事があったな、と思い出すようなありふれた日常の一部でしかない。普通ならそれで終わるはずだったのだが――
「そういう運命だったのよ。ふふっ」
「運命って言葉、軽くて好きじゃないな」
「だったら、今どうしてここにいるの?」
「僕にも分からない。何となく足が向いた。呪いにかかったような感じだよ」
玖金理真(くがね りま)――僕の目の前で蠱惑的に微笑む。その笑みは奥底まで見透かしつつも、僕であって僕ではない何かを見ているような気がした。
「私は気にしないけどね。霞がここに来て、愛してくれるだけで充分だから」
「あんなので満足なんだ」
「あー十分ってのは、嘘。もっと欲しいよ? 壊れるくらいに、ヤってくれてもいいのに。こんなに気持ちいいの、久しぶりだもん」
「久しぶりって……どっか入ってたの? ワケありっぽいし、見るからにやらかしてそうだけど」
理真は少し間をおいて語りだした。適切な表現や、言葉を選んでいるようにも見える。
「……んーそんな感じかな。私の自由だけど真の意味では自由じゃない。それを承諾したのは私の意思なんだけど……まぁまぁ、それはそれ。私のことが知りたいなら、もっと深くまで潜って来て――待ち遠しいのよ。早く……」
「…………」
この世に愛が溢れているのなら、せめて今だけは許してほしいと思う。
何も考えず情欲の海に溺れることを――
どうしてこんなことになったのかって? 単純な話だ。僕が惨めで、弱くて、狡い人間だったからさ。
そのまま立ち去るはずだったのに、花に吸い寄せられた虫のように、僕はふらふらと彼女のそばに寄っていた。
そんな僕に少女は躊躇いなく声をかけてきた。屈託のない笑みを浮かべて――
『ねぇ、そこの君。今、私のこと見てたでしょ?』
『見てたよ。浮いてるなぁって、思った』
『ヤバーい。そう見えるんだ。あはは! 気に入っちゃった。私は玖金理真。貴方は?』
『霞だよ』
『よろしくね、霞。唐突だけど、私の家に来ない? 一緒に遊ぼっ!』
『いきなりだね。けど、生憎そういう話には興味ないんだ』
『……本当に?』
『本当だよ』
『嘘つき。でもでもぉ、そういうのもいいかなぁ。過去にあまりいなかったタイプだし……わりと新鮮。美味しそう』
『何を考えているのか知らないけど、お断りだよ。気持ち悪い』
『あれ、処女が好きなの? 困ったなぁ。そーゆー感じも出来なくも無いけどー』
『……話が通じない相手って疲れるな』
『私はとっても楽しいんだけどなっ。だってぇ、一目ぼれ……しちゃったから』
『とても正直だね』
『ええ、私は自分に嘘はつかないの。貴方と違って、ね?』
『何を……ッ』
瞬間、とても柔らかいものに触れた――彼女の唇だと理解するまでに時間はかからなかった。
触れた直後、僕の中にぶわっ、と濁流の如く何かが流れ込む。息をつく暇もなく、決壊しそうなくらい注がれる。
僕の中に流れてきたのは、玖金理真という少女の情報だった。彼女の感情や思考が、全て僕の中に入ってきた。知りたくもない情報だったけど、奇しくも僕はその情報を通じて、知ってしまったのだ。
きっと、彼女なら――玖金理真なら全て受け入れ、許してくれるだろうって。