もしも、私が私でなければ

「……お前、何をしている」
「君には関係ないことさ。君にはね……」

 何か、話してる。声は分かる。葵と柘榴の声。何で、柘榴がいるんだろう。何かもう、考えるのも面倒だ。これ以上、考えたくない。頑張って動こうとしても、体は動かない。体全体が何かに包まれているようで、動けない。私一体どこにいるんだろう。上を見上げれば月が燦然と輝いている。いつ見ても綺麗だなぁと思う一方、私たちを見下しているようで、どこか落ち着かない。

「動くとどうなるか分かるよね」
「……話には聞いていたが、クロユリと同類か」
「まーねー最初に紫苑と接触したのは僕だよ。姿に関しては、挨拶代わりだったから見せなかっただけだ」

 最初……って。あれ? あれは柘榴だったのか。なんだ、思いっきり化け物じゃない。

「……俺たちに張り付いていたのは紫苑が目的か」
「そうだよ、と言いたいけど……二割くらいは葵だよ。心当たりあるでしょ? だって、ほら葵は――」
「黙れよ、化猫め」

 私はどこにいるんだろう。夜空が綺麗だけど、それ以上分からない。クロユリは消えたけど、葵と柘榴の声が聞こえる。会話は聞こえるけど、何を言っているのか頭で理解出来ない。靄がかかったように、理解することを拒否しているようで――もっと分かるように言ってほしい。分かったところで、今の私に何が出来るだろう。

「耳を塞ぎたくなる気持ち分かるよ。誰にだって知られたくないことの一つや二つあるものだ」
「……空魔如きが人間の振りをしたって、お前たちは所詮、心を捨てた化け物だ」

 私がもっとしっかりしてれば、こんなことにはならなかったのかな。何やっても駄目だ。私は迷惑かけてばかり、何の役にも立たない。友達を殺したって、何も痛くないし、罪悪感もない。もう、忘れかけている。あの時は、泣きなくなるほど叫びたかったのに、いまではもう、すっかりどうでもよくなっている。おかしいことだと思う。頭では悲しいと理解しているのに、涙は流れてくれない。
 本当は、とても苦しいことのはずなのに、胸は痛くならない。怪我をしたって、何も痛くない。辛いこと、痛いことが遠ざけられているようだ。私の痛みは本当に消えてしまっているのだろうか――

「僕はね……自分の願いが叶うのなら、全てを敵に回したって構わない。世界がどうなろうと構わない。これって、すごく人間的じゃない?」

 願い――それだけははっきりと聞こえた。私の願いといえば、なんだろう。普通に過ごしたい? 空魔が消えてほしい? どれも違う。今私が欲しているものは――

「紫苑を放せ!」
「それは出来ないね」
「ぐっ……」
 
 葵の呻き声が聞こえる。攻撃されているのだろうか。顔も動かせないし、本当何がどうなっているのだろう。柘榴の喋りはいつも通りイラっとするし、訳分かんないし。ハーツは手元にあるけど動かせないし……どうにかしたいなら、さっさとどうにかしてほしい。
 クロユリに何かされたのか――私の頭はぐるぐると渦巻いている。違和感のようなものが残って、気になってしょうがない。

「うーん……そろそろ、紫苑の方も限界みたいだし。帰らせてもらうよ。最後に一つ言わせてもらうと、個人的に君のことは好きにはなれないな」

 無茶苦茶どうでもいい感想だ。その割には結構話していたような気もするが、それも全て必要なことだったのだろう。柘榴が言い捨てた後、私はどこか引きずり込まれていった。やっと、葵の姿が見えたかと思ったら、手を伸ばす事も出来なかった。本当にごめんなさい。

 私、何にもなれなくて――

 今はどこにいるのか分からない。落ちているような、昇天しているような不思議な感じだ。一体私が何に掴まれているのか。未だによく分かっていない。

「変わんないね。やっぱり、紫苑は紫苑だ」

 私の体は全く動かないし、柘榴の声だけ聞こえてくる。柘榴の声はどこまでも優しく、私の中に染みわたる。なんだろう、変な感じ。

「……私をどこへ連れていく気なの」
「着いたら説明するさ。それより、一つ聞きたいんだけど――」

 ようやく動いたかと思ったら、柘榴の顔が目の前に現れた。どうやら、真正面で向き合っているようだった。初めてまじまじと顔を見たけど、やはりどこかで見たことあるような気がする。でも、こんな特徴的な金色の瞳。会ったことあるなら覚えていそうなものだけど――

「もしも、失った痛みを取り戻せるなら、どうする?」

 色々考えていたが、柘榴の質問によって全てシャットアウトされた。

「そんなこと……」
「出来たら、どうする?」

 この質問からは逃れられないようだった。私が何かを答えるまで、柘榴はきっと視線を逸らすことは無いのだろう。
 そんなの決まってる。

「出来るなら、戻したいよ。どうしてこんな風になっちゃったんだろう。友達を殺しても何も感じないとか、おかしい。こうやって、考えられる思考はあるのに、感情が追いつかない……自分でもよく分からない。どうしたらいいのか分からない。感情が無いってわけじゃなくて、でも涙は出なくて。痛みも無くて悲しくも無くて。そういう感情があるのは知ってる、知ってるよ。けど、どうにもならない。全て遠くに行ってしまうの」
 
 支離滅裂なことを言ってると思う。だけど、どうしようも出来ないもの。私は痛みを取り戻す術を知らない。理解出来るのに、実践が出来ないもどかしさ。悲しくならない人間とは違う。絶対に悲しんでいるはずなの。私はそういう人間で――あれ、私がいつも暗い思考に落ちた時は、どうなっていた? 深みに嵌る前に強制的に切り替わっていくようだった。誰かが、私の心を痛みから遠ざけているとでもいうのか――

「何かに……操られているみたい」
「……当たらずとも遠からずってところだね」
「どういうこと?」

 柘榴の呟きに、疑問が浮かぶ。そんな私のことなどお構いなしに、柘榴はまっすぐ私の瞳を見つめて、

「紫苑の願い、きっと叶うよ」

 言葉とは裏腹に、柘榴は痛まし気に笑ったのだった。

「だから、行こう。彼女の下へ――」

 柘榴は私の手を取って、白い靄の中へ飛び込んでいった。私はその手を振り払うことなく一緒に飛び込んだ。その選択が正解か不正解かなど、微塵も考えずに――

~花畑にて

「おい、いつまで傍観者気取りでいるつもりだ。そもそも誰のせいで、こうなっていると思ってるんだ」

 花畑に取り残された葵は一人、スマホ越しに怒鳴りつけていた。電話の相手は葵の眉間にしわがよるほど、愉快そうに話していた。葵は電話相手の思考を理解出来なかった。脳が理解を拒否しているのだ。これまでのくだらない茶番も含めて、あらかじめ決まっていたというのだ。紫苑が消えてしまったのも、クロユリが死んだのも、全ては予定調和。空魔が少なくなったかと思いきや増えだしたのも、人型の空魔が出たのも偶然ではない。順調に世界は動いていると言うのだ。これ以上、相手の思考に付き合ったところで、不毛なだけだ。葵は要点をまとめて伝えた。

「あいつは分かっているようだったけどな。お前のことも知っているようだし」

 柘榴は自分がどんな身の上か、分かったうえで接触してきたのだろう。ただ、先程の柘榴の言い方からすると事務的なもののようだったが。

「それで、どうするつもりだ」

 葵が問いかけると、電話の相手は嬉々として語る。すでにうんざりしかけていたが、最後に告げた一言で葵の表情は、一瞬で険しくなる。これ以上声を聴くのも嫌になった葵はボタンを押して、会話を強制的に終了させた。

「報いは受けてもらうぞ。化物ども」

 眼前に広がる勿忘草の花畑へありったけの、愛憎を込めて吐き捨てた。

~ユリカゴの中で~

「……外が騒がしいな」

 少女は城の外から月を眺めていた。ここの月は純白で何にも染まっていない。正確に言えば、月を模したモノだった。悠然と佇む月は裏も表も全て見ている。そして、少女の目でもあった。

「失ったものは戻らない。時は止まらない――果たして」

 揺籠の中で少女は歌う。
 思いは時に、人を縛る。
 けれども、解き放つことだって出来るはずだった。
 少女の願いはたくさんあった。両手に抱えきれないほどの願望を常に抱いていた。
 しかし、高望みした結果、多くの悲劇を生み出した。もう、少女は何も望まない。望んだ数より、すり抜けていった数の方が多すぎた。

「お前の希望は私が壊す――」

 白い月は、天秤のように揺れる世界をどこまでも見据えていた。