見た目はあすなそのものだったが、彼女の瞳は虚ろで何も映していないように見える。クロユリは彼女のそばで囁き続ける。内容はきっと――
「あすなから離れろ!」
「邪魔は良くありませんわ!」
鎌で切り裂こうとするも、クロユリの足で弾き飛ばされる。外見に似合わず強靭な足を持っている。ハーツも私もかなりの衝撃を受けた。
「このままでは、アナタもいずれ殺されてしまいますわよ! 親友の仇を討ちたいでしょう? ふふふ。キャハハハハハハハ!! 愚かなゴミ屑どもをブチ殺せぇえぇええエ!」
彼女の声と共にあすなの姿は変化していく。もう取り返しのつかない場所にいるのは分かっていた。彼女は空魔にされてしまっている。それも最悪な形で。心も無くして、人間の形すら無くなる。黒い闇が彼女を覆いつくしていく。何を言われたのかは、想像がつく。どう足掻いても、過去からは逃れられない。
私の視界に映ったのは黒い花のような空魔――それには見覚えがあった。
「葵、あれ」
「消えた空魔は紫苑の友人だったのか――しかし、一度空魔になったら人間には戻らないはずじゃ」
私は一応あすならしき姿を確認している。嘘とは思えない。
「戻りませんわよ。あくまで人間に擬態出来る力を与えただけですわ。持続効果は薄いので一日一回が限界ですけど、紫苑ちゃんを惑わすだけなら十分ですから! 人間の割には実験体としても、釣り餌としても優秀でしたわ」
時折見かけたあすなの姿はクロユリの仕業だったのか。うっとりとクロユリは空魔となったあすなを眺めている。彼女が唆したのは紛れもない事実。本来なら関わる事すらなかったはずなのに。私のせいだ。
形は変化して、どんどん葉が増えて大きくなっていく。葉はここから飛び立ちたいのか、翼のようにしなやかに揺れている。あすなは恐らく空き地で出会った時には空魔化していたのだろう。
こんなことになっても、私の心は落ち着いている。あすなが行方不明になった時よりも落ち着いていた。もう、探し物は終わったから? そんなこと、ない。こんなことになっているのに、落ち着いていられるはずがないのに。
「何が目的」
「……アナタを待っている人がいるのですよ。人間ってば都合の良いことはすぐ忘れる生き物で、羨ましいですわぁ」
クロユリは意味深な笑みを浮かべた。会話を試みようとした私が馬鹿だった。クロユリへ向かおうとしたが、あすなによって阻まれる。もう、彼女はあすなじゃないのに――心を失ってしまった空魔なのに。鞭のように植物の蔦のようなものが伸びてくる。
「紫苑!」
「……あいつ、許せない」
「あぁ」
「様子見とかしたくない」
「……分かってる」
葵は何も聞かなかった。ある程度会話を聞いていて、察してくれているのだろう。交戦せずに逃げろと言われているがこんなところで、退けるわけがなかった。正義の心も、才能も力も無いけど、友達を冒涜されたまま、おいそれと逃げるなどという選択肢は持ち合わせていなかった。
あすなのためにも、この世のためにもここで終わらせるしかない。
「空魔になったっていうことは、少なからずアナタを憎んでいたんですよう。お友達を殺されて、さぞかし悲しかったのでしょうねぇ」
やはり、許せるわけがないのだ。友を奪った殺人者など、傍から見れば理不尽に命を奪われただけだ。どうせ、クロユリのことだから、嘘は言わずとも悪意あるように説明したのだろう。クロユリは私の心を見透かすように告げる。
「ワタシ親切なので、証拠映像付きで教えてあげたんですよう。ショックを隠せなかったようでしたね。見ていて面白かったですわぁ。あの時の再現出来なくもないですけど……見たいですかぁ?」
「殺すからもう喋らなくていいんだけど」
クロユリは最高の玩具を見つけた子どものようにどこまでも無邪気に笑う。その笑みには、純粋さと邪悪さが入り混じっているようだった。
「友達思いの紫苑ちゃんへとっておきの情報ですわ。友達の件が無くても、この子結構病んでいましたよ? どちらかというと、そっちの方が強いかもしれませんね。家庭とか人間関係とか諸々ですかねぇ」
親と折り合いが悪いとは聞いていたが、そんなことまで分かるのか。クロユリはどこまでも人を不快にすることに長けている。分かりやすいくらい人間への憎悪が感じられるが、何をここまで駆り立てるのか。
「アレコレ言いましたが何よりも、この子は家のしがらみもなく、クラスでも浮いていることを気にしない紫苑ちゃんに、嫉妬していたみたいですよ! 自分で選んだことなのに! 馬鹿らし! キャハハ!!」
楽しそうにクロユリはあすなの真実を暴露していく。
クロユリの言葉に嘘は無さそうだった。言葉に呼応するように空魔は不協和音を奏でる。
「知らなかったんですかぁ? 彼女は紫苑ちゃんを下に見ていた。心の安寧を保つために、底辺にいる紫苑ちゃんに話しかけて自分の感情を制御しようとしたのですわ。自分よりも憐れな人間がいるって――ね」
人は輪に入れない者を省いたり、見下したりする。学校内では珍しくない光景だ。まれにそこへ、面白半分で手を出したりする人間もいる。そして、相手の反応を見て心の中で嘲笑う。
「アナタもアナタで虚しいですね。お友達に馬鹿にされていることを知らないまま暢気に喋って。ま、見るからに幸薄そうですもんね。キャハハ!」
「…………」
あすなと最初に話したのは、転校してきて一週間ぐらい経った時だっただろうか。最初に話した時、彼女に抱いた印象は明るい子という何の変哲もないものだった。最初は他愛のない会話だったけど、次第に一緒に出かけるくらいの仲になっていった。そこにどんな理由があったとしても関係ない。話しかけられたら答えるだけ。自分が分かっていれば傷つくことはない。最初から希望を抱かなければ、期待することはないし、絶望することもない。昔から自然に学んでいた。こんな風に考えているせいか、悩んだり穿った見方をしてしまうこともある。ネガティブとか織り込み済みだ。話しかけられるのは嫌じゃないし、私は最後まで友達でありたいと思っている。クロユリの言葉は関係無い。どうでもいい。
私の真実は一つだから。
「貴方、人間に期待しすぎじゃない?」
「アナタがどう思うと、彼女が嫉妬していたのは事実ですわ。空魔は負の感情から出来るもの。彼女の憎しみをワタシが増幅して差し上げましたわ。いい感じに育ったので嬉しいですわ。本ッ当に馬鹿な人間!」
「とことん下劣な空魔だな」
葵は不快そうに吐き捨てる。クロユリさえいなければ、あすなは普通に過ごせていたはずなのだ。誰しも暗い感情は抱えている。そして、空魔になるような人は例外なく負の感情を持っている。けれども、それは忘れてはいけないものだし、簡単に捨てられるものでもない。きっとみんな、奥底に隠して生きている。当たり前のことだ。
空魔がやっているのはそれを無理やり引きずり出すということだ。人の尊厳を踏みにじり、感情を弄ぶ悪魔の所業だ。無理やり暴かれた感情はどうなるか、私たちの目の前にいる空魔を見れば明らかだった。
一体何を考えてこんなことをしているのか――
「ワタシたちはある程度、人間の考えていることが分かるんですけど。ワタシたちの考えなど、言ったところで理解出来ないでしょうね」
はっきりと『ワタシたち』と言った。やはり、仲間が複数いるのか。それに考えていることが分かるといった。なるほど。会話の端々からこちらの思考を読んで、発現しているような部分があったのはそういうことか。とことん性格が悪い。
「元はと言えば、お前たち人間が腐った感情を宿すのが悪いのよ。耐えられなくなったら誰かに押し付けて、楽になろうとする。ゴミを押し付けられたモノの気持ちなど分からないでしょうねぇ!?」
そういった後、空魔の攻撃が激しくなる。空魔は操られているのか。クロユリが空魔を生み出せるのなら、操ることも可能かもしれない。それにしても、先程のクロユリの語り。何のことを言っているのかは分からないが、明確な憎悪があった。これまでとは違って、彼女の真実が少し見えた気がした。
「だからといって、踏みにじっていい理由にはならない」
「だったら、早く彼女を止めてあげたら? どうせ、救いなんてないんだから」
空魔はクロユリの言葉に呼応するように、刺を降らせてくる。彼女が空魔の力を増幅しているのか。だったら、クロユリの力を出来るだけ削いだ方がいいのかもしれない。刺の雨は容赦なく降り注ぐ。
葵に視線を送ったが、葵も同じように思ったようだ。
「あいつ、空魔の力を底上げしているのか」
「どうだろう。分からないけど、どっちか担当する?」
「俺がクロユリをやる。お前は……救え」
「……分かった」
分担を決めたが、クロユリの踵落としが私に直撃した。重く響く攻撃は、跳ね返すので精いっぱいだった。
「駄目ですよう。紫苑ちゃんの相手はワタシがするんですから」
「何故私にこだわるの」
さっきから、クロユリは私に対して絡んできている気がする。彼女とはあの廃ビルで初めて会っただけ。ウザ絡みされる覚えは全くない。むしろ迷惑なんだけど。
「……さて。何故でしょ~? ちょっとだけヒント与えるなら過去にあるかな。底辺を生きていたアナタたちは本当に、笑えないくらいどうしようもない人間でしたからね。それはもう、このワタシが同情するくらい」
クロユリの『アナタたち』という、言い方に違和感を覚える。私と他の誰かが関係しているのか。彼女の発言をまともに受け取るなら、私たちは過去に出会っているということになるのだが、そんな記憶はない。思い当たるとすれば、私の中にある空白の記憶。彼女はその一部を知っているとでもいうのか。
「意味が分からない」
「分からなくても結構。これはワタシ個人の事情なので。もう一つ理由を挙げるなら……ワタシの役目だからというべきでしょうか。ワタシはアナタを地獄へ導く門番なのです」
「門番だったらさっさと道を開けたら?」
「門が簡単に開いたら門番失格でしょう」
クロユリはひたすら手足を使って、私の体に攻撃を当てている。見た目に似合わない攻撃方法だった。だが、その力は凄まじい。単純な力ほど怖いものは無い。もっと、不思議な力を使ってくるかと思っていたが、完全に武闘派だった。空魔のくせに、どんだけ力を持っているんだ。ハーツで応戦するが、攻撃はひらひらと避けられる。もっと、ハーツを良い感じに改良しないと無理そうだ。
「ワタシ自身が武器ですわ。それに勝るものなどありませんもの」
「随分と自信があるのね」
「事実ですからぁ!!」
「がッ……」
素早いクロユリの回し蹴りが、腹に炸裂した。痛みは無いけど、吹っ飛ばされた衝撃で山道の周りに生えている木に打ち付けられる。思いっきり、血の混じった吐しゃ物を振りまいた。彼女の言葉に偽りは無さそうだった。内部はかなりのダメージを受けているはずだ。ちらりと、空魔のいる方を見ると、葵が戦っているのが見えた。空魔はおぞましいオーラを出している。
あれが、あすなと言われても信じられない。
本当に空魔になってしまった人間は戻せないのだろうか。話しかけても答えてくれないのだろうか。私が真摯に向き合っていたら、彼女は空魔にならなかったのだろうか。そもそも始めて話したとき、無視して彼女の手を取らなければ、こんなことに巻き込まれることもなかったのか――
私の中で渦巻く感情は不思議なことに、どこまでも凪いでいる。
考えても後の祭り。過去には戻れない。少なくとも、あすなと話した思い出は嘘じゃない。消えることは無い大切な記憶。私がケリをつけるしかない。
それが私に唯一出来る、償いだから。