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 空魔が動き出す夜――ここ最近、空魔は出るものの、どの空魔も大人しく手ごたえがない。強い相手を求めているわけではないが、退治したという実感がわかない。肩透かしを食らった気分である。
 核が残らないので、元々人間である可能性は低い。人間であっても、強い思いが無ければ核は出ないようだし、正確な判断は出来ない。それでも、最近は行方不明者がほとんどいないらしいので、感情由来の空魔の可能性が高いと言える。それが良いことなのか悪いことなのか、嵐の前触れかただの杞憂に終わるか――

「何も無いが一番だろうけど、釈然としないかも」
「油断禁物だ」

 そういったものの、本当に何も出てこない。出てきてほしくはないが。多分こういうことを思うと、逆のことが起こる。例えばそう――

「平和だね」

 柘榴の暢気そうな声が背後から聞こえる。空魔の声が聞こえる柘榴のことだし、近くに空魔がいるのかもしれない。けど、柘榴はそんなことを言っていない。今日も私たちをからかいに来ただけなのか。
 葵はさっそくうんざりした表情をしている。

「……何であいつがいるんだ」
「気にしたら負け」
「冷たいね。この間みたいに優しい言葉かけてくれてもいいじゃん」
「必要ないでしょ」

 あの時は怪我をしていたから心配しただけだ。特に意味はない。どんな人間であれ、空魔の戦闘に巻き込まれたなら、守らなくちゃいけない。最後まで面倒を見られなかったから、少し心配していたが、必要なさそうだった。というか、心配して無駄だった。

「誰かに思ってもらえるのって、結構嬉しいものだよ」
「……一体、何の話をしているんだ」
「さぁ?」

 葵が怪訝な視線を向けるが、私がどうしようもないだけの話だ。あの時の会話をわざわざ言う必要もない。ぶっちゃけ言いたくない。

「紫苑が頑張っていたって話だよ。気になるの?」
「お前がわざわざ聞いて欲しそうに語るからだ」
「君には聞いて欲しくないけど」
「じゃあ、喋るな。鬱陶しい」
「どんな話しようが僕の自由でしょ。あはは」

 言葉に端々から葵に対する敵意をにじませながら、柘榴はけらけらと笑う。葵はというと、これ以上話しても無駄だと言わんばかりに、だんまりを決め込んでいた。
 こういうのは徹底的に無視するのが一番だと分かってはいるのだろうけど、いざ出くわすと、あれこれ言いたくなってしまう。言われっぱなしも嫌だし難しいところだ。

「空魔も出ないから、私たちは帰るから」
「……帰っちゃうんだ。出来ればいいね」

 その瞬間、柘榴の瞳が怪しく光ったような気がした。

「何を、」

 ズンッ――

 私が言いかけた時、ものすごい振動が起きた。私たちは空き地にいたのだが、煙の奥に何かが見える。あれは間違いなく――

「空魔!? いつの間に?」

 振り向けば柘榴はそこにいなかった。彼はやはり分かっていたのだろうか。空魔は声にならない鳴き声を上げていた。花のような形をしているが、攻撃はして来ない。
 私たちを見定めているような気がした。

「ボサっとするな!」

 葵が切り込んでいったが、空振りに終わったようだ。空魔は唐突に私たちの目の前に出現し、忽然と姿を消した。その後空魔が現れることはなかった。一周回って不気味だった。

「不気味だな……」

 葵の方も私と同じ感想を抱いていたようで、呆然としていた。先程の空魔は倒したわけではない。きっとまたどこかに現れる。そんな気がした。

「ありのままに報告するしかないか」
「えぇ……」

 柘榴がいつの間にかいないことなど、どうでもよくなるような、不思議な空魔だった。何しに来たのだろうか。わざわざ私たちの目の前に現れて、消えて。まるで、何かを確かめるような。空魔を逃した悔しさよりも、動きの方を気にしてしまう。

 そして、気になることはもう一つ――
 

 帰還して水城さんに報告を済ませた。その場には菜花さんもいた。つまらなさそうに書類をパラパラと見ていたが、私たちが入ってきたら一変して笑顔で出迎えてくれた。私たちの報告を聞いて、水城さんはペンを頭に当てて、思案しているようだった。

「消えた空魔か。退治したわけじゃないんだな」
「恐らく。倒した感覚は無かったので、どこかへ消えたと思います」
「今後も出る可能性が高いな。何も攻撃してこなかったというのが、不可解だが」

 水城さんが横で考えているのをよそに、菜花さんはくすくす笑っている。まるで、全てを分かっていて、反応を楽しんでいるように見えた。

「空魔にもそういう時があるんじゃない? 気分転換とかさ」
「感情、理性がないっていう前提はどうなる」
「知らないよ。そういうの考えるのが柊だろう? どうしてもって言うなら協力しなくもないけど……柊は理屈っぽいからねぇ。分かんないかも。ハハッ」
「あぁ? 何言ってんだてめぇ。喧嘩売ってんのか」
「いっって。角はないだろ角は……」

 水城さんは持っていたタブレットの角で思いっきり菜花さんをどついた。滅茶苦茶痛そうだったけど、わざと癪に障るような言い方していたし、自業自得だと思った。

「見方を変えるしかないな」

 すっきりした表情で何事も無かったかのように水城さんは話題を戻した。

「その空魔が消えたってことは少なからず、何か目的があったかもね。そう思うと理性的か。それすらも、本能で有るが儘に動いている結果だったら、最終的に理性は無いって帰結するけど。自分で言っててワケ分かんねーなこれ」

 菜花さんが言うことは分からなくも無かった。
 空魔に感情があるかないかなど、調べようのないことだ。無いというのが常識ではあるものの、未だにはっきりとした答えは出ていないと聞く。人間には喜怒哀楽がある。それが私の中で感情の定義だった。普通の空魔を見れば、そんなものは見られない。彼らが何かを考えているとも思えなかった。
 ただし、最近はクロユリの存在もある。彼女は言葉を発し、人間に対して憎悪を向けている。あれを感情がないと言い切るには、難しい。それに柘榴のいう空魔の叫びも気になる。

「最近人型の空魔もいるって話じゃん。きっと、空魔もちょっと進化しているんだ」
「興味深いと言いたいところだが、空魔にそういった能力が備わるとしても、どうしてこのタイミングで」
「空魔を操っている側に、変化があったのかもしれないね」

 心境の変化というものか。感情と理性が無いという前提を取っ払ってしまった方が、考えやすい気がする。一つのことに囚われて、大事なことを見落としてしまったら元も子もない。

「操っている側って、黒幕がいるのでしょうか」
「……全部もしもの話だよ。いたら面倒だね」
「面倒とかそういう問題じゃないだろうが。ただ、ここ最近の動きはかなりきな臭い。いずれ何かが起こる可能性は高い」
「うへ、やべぇ。どうなることやら」

 空魔は減少傾向にあるというのに、何とも言えない状況。水城さんは何かが起こる可能性が高いと言っていた。その意見は私も同じだった。何かは不明だが、そんな予感がするのだ。空魔が無秩序に暴れているものでなく、作られているのだとしたら、話は大きく変わってくる。クロユリの存在、彼女が匂わす他の仲間の存在も含めて、油断出来ない状況だ。

「情報は俺たちが集める。お前らは普通に巡回して、空魔がいたら倒せ。深追いだけはするな。茉莉花たちにも言ったが、情報収集はお前たちの仕事じゃない。この間の外出の件は目を瞑るが、今後は余計なことをするなよ」

 やはり気づいていたようだ。葵の言う通り、セキュリティの厳しいエンプティは内部の動きにも敏感だということの証明だった。私たちは特に秘密を漏洩したわけではないが、独断専行にあたる行動だと思われても仕方ない。

「偶然見かけてねーおや、って思ったんだ。悪いけどちょっと尾行させてもらったよ。特に危険なことはしていないみたいだし、途中から放置してたけど。でも柊には報告させてもらったよ」
「いいえ、こちらこそ。お手数をおかけして申し訳ありません」

 葵が申し訳なさそうに頭を下げたので、私も一緒に下げた。これで何かあったら大変なことになっていたのは間違いないし。

「俺は特に気にしないが、他の職員とかに目をつけられたら、お前たちが大変だからな。そこだけは理解してくれ」

 水城さんは特に怒っている様子もなさそうだった。エンプティで働いている大人の中でも比較的緩い。もちろん、ここはそんな人ばかりではなく、厳しい大人の方が多い。自分たちの管理下にいないと気が済まないといった感じだ。指揮官はグループごとに分かれており、厳しいところは外出すら許されていないだとか。そこに配属されなくて心底良かったと思う。
 というか、そもそも事の発端は茉莉花が言い出したことなのだ。

「やたら茉莉花が気合入れていて、断りづらかったんですよね」

 幼稚な言い訳だし、流されて同行したことには変わりない。けれど、水城さんたちはすごく納得している様子だった。むしろ、気を遣われた。

「だろうね。茉莉花って、そういうところあるよね。決めたら一直線。もうちょっと周りを見た方がいいのにね。」
「……どういうことでしょうか」

 菜花さんの言葉は何だか、含みのある言い方だった。

「特に深い意味はないさ。というわけで、俺も柊も別に怒ってないからゆっくり休むといいよ」

 はぐらかすように笑っていた。今回の件は気にしていないというのなら、必要以上に蒸し返す必要もないだろう。菜花さんの言う通り、早く休んだほうがいいだろう。
 指令室から出て葵は大きくため息をついた。それから、ゆっくりと歩きだした。

「……気づいているとは思っていたけどな。隊員のスマホには位置情報が入っているし」

 バレても葵はそこまで動揺はしていなかったのは、そういうことだったのだ。どちらにせよ、こちらの動きはほぼ監視されているといっても過言ではない。本当にマズいことだったら、多分葵は本気で止めていただろう。

「そうなんだ。そういえば、菜花さんはどこまでつけていたんだろ。何も言っていなかったけど、私たち変な夢を見ていたじゃない。あそこまでついてきていたのなら、どう見えていたのかなって」
「さぁな。何も言わないってことは、見ていないかもしれない。報告したとしても、どうせ幻だからな」

 見たものがそれぞれ違う幻の情景。言ったところで、私たちにもよく分からないのだ。空魔に関係あるのかもわからないもの。ただ、私はあの場所で見た全てを誰にも言わなかった。現実と夢が混同しているような世界での話だ。私の夢は私の中だけであってほしい。何もない日が続いてほしい。おかしいのは私だけでいい。周りまで狂う必要はない。

「これから、何か起こるのかな」
「分からない。が、警戒するに越したことは無い」
「時間が止まれば、安心出来るのに」
「……何も解決になってないな」

 葵が珍しく口元を緩めた。別に、笑わせるつもりで言ったわけではなく、純粋な感想だったのだが。ただ、止まってしまったら進む事が無いから、何もかも終わってしまうだろう。終わるというより、止まるという方が正しい気もする。

「だが、解決しないのも、一つの選択肢ではあるけどな」
「それって――」

 私は問いかけたが、分かれ道に来てしまった。葵はあまり見せない、困った笑みを私に向けた。

「また明日な」

 そのまま葵は、寮へ向かっていった。葵の言動が何となく頭から離れない。解決しなければ、状態は維持されるだろう。それを続けて続けて続けて……永遠に続いたら、どうなるんだろう。永遠など無いのに、どうしてこんなにも、切ない気持ちになるのだろう。

~その後

「何かが起こる、ねぇ」

 二人が出ていった後、資料を見ながら蘇芳は呟いた。決して暇ではなく情報収集の仕事があるのだが、一向に出ていこうとしない。柊はタブレットを見ながら、相変わらず険しい表情を見せている。

「俺じゃなくて、竜胆さんがよく言ってるけどな。つっても、俺も同意見だが」
「……あーそう。それにしても、茉莉花大丈夫かな。先走って巻き込まれないといいんだけど。というか、茉莉花変わっちゃったよ。かなしーね。空魔関係を断ち切って普通に学生生活送ってくれた方が、こっちは嬉しいのに。祀莉もそう思ってると思うけどなぁ。どうよ?」

 本心なのか、上辺だけの言葉なのか柊には判断がつかなかった。長い付き合いではあるものの、柊は菜花蘇芳という人間をよく分かっていない。彼が話す『祀莉』は茉莉花の姉。空魔に殺されてしまった同僚だ。蘇芳とは親しくしていたが、恋仲ではなかったと記憶している。それでも、柊にしてみれば、未だに蘇芳が祀莉の存在を深く引きずっているように思えた。当の本人は、もう気にしてないと言っているが、果たしてどうなのか。茉莉花に祀莉の姿を重ねているのではないかと、思ってしまう。

「意思は尊重してやりたいが、危険なことはして欲しくない。祀莉は知らんが、お前と似たような意見だよ」
「なーんだ。何にも考えてないかと思った」
「んだよ、それ。俺だってな、割と気にしてるんだよ。これでも厳しめに言ってる。だが、あいつはそれで折れるような性格じゃない。ったく、姉妹揃って頑固過ぎるっての」
「それには同感かな。まぁ、いざとなったら俺が何とかするから」
「俺も何か出来ればいいんだがな。これ以上はどうしようもない」
「見ているだけ、戦えない柊じゃ盾になるしかないもんなーハハッ」

 蘇芳の言葉に、柊は何も言えなかった。それ以上に普段の蘇芳からは感じられなかった、苛立ちを垣間見た気がした。

「お前さ、いや……何でもない」

 柊は蘇芳の言葉に怒るどころか、哀れみのようなものを覚えていた。その哀れみの理由を指摘出来ない自分がさらに嫌になる。

「冗談だってば。怒った?」
「……うぜぇ。茉莉花をどうにかしたいなら、さっさと有益な情報をよこしやがれ。お前、なんか隠してるだろ」
「どうしたんだよ。急に」
「思っていることを言っただけだ。今なら深く追求するつもりはないから、遊んでいる暇があったら行ってこい」
「えー雑すぎ」

 文句を言いながら、蘇芳は扉の前に立った。どうやら、ようやく出て行ってくれるようだ。それは同時に喋りたくないという意思表示でもあった。

「情報は必要な時に、必然的に集まるものだよ」
「だったらいいんだけどな。手遅れにならない程度にあればな」
「やれやれ。ご機嫌ななめっぽいし、出かけるね。じゃねー」

 蘇芳がいなくなり、指令室に一人残された柊。足音が聞こえなくなって、ようやく落ち着いた。先程は少し先走った感じがあった。不審に思われなかったかと、思い返す。

「……真実は見えているのに、遠いな」

 吐き捨てた言葉は誰にも届かない。自分の心など、自分にしか分からない。蘇芳の心も蘇芳にしか分からない。柊は周りに興味がないと思われることも多いが、そんなことはない。周りのことはよく見ている方だ。だからこそ、長年の友人である蘇芳の変化にも気づいていた。
 しかし、それを指摘することは本当に良いことなのか。普通の人間には誰が何を考えているか分からない。力になりたいと思う気持もまた、独りよがりな感情であると、柊は際限の無い感情の沼に嵌っていた。