学校に来るまでの間、少し不安を募らせていたが、その気持ちを払拭するように、あすなは元気に挨拶をしてくれた。あすなに昨日の夜、どうしていたのか、さりげなく聞いたら塾があったが早めに終わったと言っていた。
やはり、私の見間違いのようだ。早とちりしすぎた。悪い方にばっかり考えてしまう。切り替えていこう。その次の日もあすなは元気に登校して、言葉を交わした。
この辺も空魔の出現数が減って、比較的に平和に過ごせていたのだが――
「何もしていないのに、減っているって絶対何かあるわ」
「何か、ねぇ」
「それにあの絶妙にムカつくリボン空魔も生きているだろうし、問題はたくさん残っている。気を抜く暇は無いのよ!」
休みの日の午前中、茉莉花と鉢合わせして特訓に付き合わされ、ようやく終わったところだった。お昼が過ぎてしまっていた。
決して茉莉花はこの状況が気に喰わないわけじゃない。空魔はまだいるし、油断は出来ないと言いたいのだろう。茉莉花にとっては、空魔が少なくなっただけでは意味がない。空魔がいるという可能性がある以上、かりそめの平穏を享受することなど出来ないのだろう。彼女の気持ちは分からなくもないが、気を張っていても疲れるだけ。ゆっくり過ごせる日があるのなら、体を休めた方がいい。
それでも、茉莉花は特訓を怠ることはなかった。たまーに霞が付き合っていたが、特訓後はほとんど死んだ目をしていたのが印象的だった。
「空魔の数は減っているけど、目新しい情報ナシ。あれ以来、クロユリも人型の空魔も出ない。私たちに出来るのは、出会った空魔を倒すことだけ……」
私が何となく呟くと、茉莉花は閃いたといった感じで顔を輝かせた。絶対碌なことにならない閃きだ。
「だったら、私たちが探すのよ! 午後は外出して、とことん調査してやるわ。どうせなら葵も霞も連れていこ!」
この時の私は、どうしてこんなことになったのか分からなかった。
茉莉花は目をキラキラさせながら、私を引きずっていった。そりゃあ、こうなるよね。
私はそっと、二人に対して謝るしかなかった。
~数分後~
「二度寝したかったのに」
あくびをしながら霞は、大きく伸びをした。休みの日にゆっくりしたいという気持ちは痛いほど分かる。出来ることなら私もそうしたかった。けど、一度火のついた茉莉花を止めるのは私には不可能だった。
「外出の名目は、遊びで夕方までにしたが」
葵の方も乗り気ではなさそうだったが、強く反対はしなかった。茉莉花の説得が面倒という感情が勝ったのかもしれない。
「どうして調査するってこと、言っちゃいけないのよ」
「僕らの仕事じゃないでしょ。下手にかき回されても迷惑だろうし。絶対却下されるって」
四人で外出するとなると、さすがに目立つので二人ずつ分かれて出てきた。あくまでも、私たちは空魔退治専門で、情報を集めるのは大人の仕事。空魔の戦闘時に何らかの情報があれば報告するのみ。馬鹿正直に言って、監視の目がキツくなるのは良いことではない。これは内部をよく知っている葵の判断でもあった。目を付けられるのは嫌だし、やるなら慎重にやるというのは間違いではないだろう。そもそもやりたくなかった――というのはこの際言っても仕方のないことだった。
今は研究所から少し離れたところで、四人で合流した。
「で、調査って何するのさ」
「俺は知らない。というか、茉莉花が言い出したんだろう」
「そうねぇ。この間の廃墟はどう?」
「装備もないのに、空魔が出たらどうするの」
私の問いに茉莉花はハッとした。忘れていたのか。
ハーツは基本的に討伐時以外に持ち出すことは出来ない。研究所内だったら、特訓で使う事も出来るが、外出時は禁止されている。昼間に空魔が出ることはないため、ルールとしてはっきりと決められていた。
「えぇ? この間の人型だったら殴れそうじゃない?」
「……出来るなら見てみたいよねー」
霞は明らかに引いていた。私も同じく無謀なことだと思った。クロユリの戦力も分からないのに、武器無しで真正面からぶつかるなど、正気の沙汰とは思えない。
「危なすぎるから禁止だ。どうせなら、あまり人がいない所を見回るだけでいいだろう。町のはずれにある雑木林とか……というか、そもそも情報収集が目的だっただろ」
「それなら聞き込みとか?」
「絶対怪しまれるから辞めた方がいいね。エンプティにも伝わるかもしれないし」
「……しょうがないわねぇ。雑木林にしましょうか。うーん、何があるか分からないという点では調査対象にピッタリかも」
行かないという選択肢はないのか。無性に悲しくなってくる。
私の気持ちも虚しく、紆余曲折の結果、雑木林へ行くことになった。これじゃあまるで散策だ。何のために行くのだろうか。もはや、目的から遠のいている気さえする。前向きに自然の空気を吸うのも悪くないと思うしかなかった。
雑木林は廃ビルのあった場所から少し離れた場所にある。一応、夢深町内にある場所で、木々が生い茂っており散歩コースに丁度良い場所だった。人気は少ないが、全くいないわけでもない。ただ町外れにあるため、わざわざ来る人は少ない。木漏れ日が差し込む中をひたすら歩いていく。
「初めて来たけど、良い感じの場所だね」
「あぁ。気分転換にはいいな」
「ちょっと、散歩で来ているわけじゃないんだけど?」
「多分、そう思ってるの茉莉花だけだと思うなぁ」
「そんなわけ……紫苑はどうなの?」
「そもそも私は最初から乗り気じゃなかったし。こういうのでもいいんじゃない」
当初の目的なんてどうでもよかった。葵ですら、自然の空気を一身に感じているのだから。茉莉花は不満そうだったけど、そのうち黙り込んでしまった。
それからしばらくした後、大きく息を吸って喋り始めた。
「元はと言えば情報収集がしたかったわけで、雑木林に来たかったわけじゃない。ならば、ここでやることはない。ここまで来てしまったからには、すぐに帰ってしまうのも、もったいない。というわけで、情報収集も兼ねて散策するわよ。もしかすると、何か収穫があるかもしれないし!」
どうやら茉莉花も情報収集よりは、普通に楽しみたいようだった。回りくどい言い方をしなくてもいいのに。
「分かった」
「イイトオモウヨー」
茉莉花の言い訳じみた、提案に霞と葵は賛成の意を示した。霞の方は隠す気も感じられないくらい、投げやりな言い方に聞こえた。
「説明っぽく言わなくても、みんな分かってたと思うけど」
「説明じゃないし。何言ってんのよ」
その割には前置きが長かったような気がするが、それ以上は言わないでおくことにした。散策自体は別に悪くない。情報収集はあまり見込めないだろうけど、普段は行かないような場所を見るのは純粋に楽しい。
「……にしても、緑が多いわね。迷いそう」
「そこがいいんじゃないのかなぁ。山も近いし、空気が美味しい気がするよ」
「まさに穴場だな」
「山の山頂まで行けば、もっと開放感ありそう」
「……まさか、山へはいかないよね?」
「何言ってんの? 何の準備もしてないし行くわけないじゃない」
さすがに軽装で山のぼりをするつもりは無いようで安心した。ただ、こっちが馬鹿にされたような気がして、若干腑に落ちないけど。
それにしても、自然の空気に圧倒される。変な所に行ったら迷子になってしまいそうだ。一応、通り道が出来ている場所を通っているので外れなければ迷子になることはない。
風の音と葉擦れの音が重なって、別世界にいるような気分だった。
みんな、あまり喋らなくなってきた。
茉莉花も自然の空気に癒されているようだった。
「……あれ」
静かすぎる――と思って、振り返ればそこには私以外誰もいなかった。
決して道を外れたというわけでもない。この感覚には覚えがある。同じ場所のようで、同じ場所じゃない。また、どこかへ飛ばされたのか。この場を動かない方がいいのか。
しばらくじっとしていたが、何も起こらない。どうやら、進むしかないようだ。道は示されている。まるで、私を誘うかのように。
一本道を進んで抜けると、そこには大地を埋め尽くすように花畑が広がっていた。淡い青色の花が咲いている。そっと近づいて観察してみる。私は花の種類に詳しくはないが、見たことはある。この花の名前は、確か――
『約束の地へようこそ。だけど、今はまだその時じゃない』
ノイズ交じりの声が聞こえてきた。最初に変な場所に飛ばされた時の雰囲気に似ている気がした。声はクロユリの声ではないのは確かだった。最初に会った空魔だろうか。そういえば、最初に会ってから、あの空魔には会っていない。再会したのか、それすらも分からないまま、私は花畑を眺めていた。この世のものとは思えない光景だ。
「ここは……」
『始まりの場所にして約束の場所』
「意味が分からないんだけど」
『今はまだ、分からなくてもいい。だけど、忘れてはいけない』
穏やかな空気の流れが一瞬にして変わった。全てを飲み込む様な強風が花畑を大きく揺らす。
『君が一度、捨てたものを――』
その声は驚くほど冷たく、それでいて切なく感じてしまう。
声に合わせて風が一層強く吹き付ける。視界は大きく遮られた。
――全ては私が招いた災い。全て終わらせよう。跡形もなく消してしまおう。
風の中に乗って聞こえてきたのは、幼いながらも凛とした少女の声。さっき喋っていた何かとは明らかに違う。少女の言葉には強い決意が込められている。
私には何のことかさっぱり分からないし、全てを終わらせると不穏なことを言っていた。あまりにも不穏すぎる言葉。咎められることは間違いないだろう。
それでも、私は彼女の願いが叶うといいな、と思った。
結局あの後どうなったかと言えば、みんな変な夢を見ていたらしい。語りかけてくる夢だとか。ただ、みんな同じ夢を見ていたわけでもないようで、内容は様々だった。霞は狐につままれたようだった、と言っており、茉莉花はというとうーんと唸ってばかり。葵もよく分からないことを言われたとか、そんな感じだった。
ただ、みんなあまり詳しく話そうとはしなかった。私も同じ気持ちだし、深く追及することはしなかった。これを報告しようとすれば、私たちが勝手に情報収集しようとしていたことがバレてしまうし、みんなで話し合った結果、伏せておくことにした。
「やっぱり自然は怖いわね。変な力があるの? いやいや、そんなこと……」
「……そういう事じゃないと思うけどね」
「なんか言った?」
「今日は何だかんだ楽しかったなぁって」
「ほら、外に出て正解だったでしょ!」
後ろで茉莉花と霞の話声が聞こえる。いつも通りの光景だった。
さっき茉莉花が見たものは、姉の姿だったと、言っていた。ただ、見ていた景色は穴だらけでよく分からなかったらしい。霞はというと、知らない人が語り掛けてきたとか。内容は雑音が酷くて聞き取れなかったようだ。聞かせるつもりが無いなら、大したことじゃないだろうと言っていたが、果たしてどうなのか。
「あの花って……」
私が見たもの――語り掛けてきた声よりも印象に残っていた。ぼんやりと考えていると、葵が呟く。
「あまり、気にしない方がいい」
「葵は気にならないの?」
「気にはなる。だけど、考えたってどうせ分からないんだ。無駄だ」
はっきりと言い捨てる葵の表情はどこか暗かった。みんな何かを見た直後様子がおかしかったが、その中でも特に葵の様子は変だった。
「それに分かっていても、どうしようもないこともあるしな……」
彼の瞳には諦めにも似た暗い感情が宿っているようだった。葵は一体何を見たのだろうか。きっと、今の葵は何も言ってくれないだろう。
そう思っていたが、葵はどこか悩むように呟く。
「道を決めろって言われても、どうにもならないだろ」
ぽつりと漏らした葵の本音らしきもの。普段は真面目に取り組んでいるが、吐き出せない気持ちはたくさんあるだろう。私はその中の一つを垣間見た気がした。独り言なのか、あるいは葵があの森の中で見たものに、起因しているのか判断に困るが、私から言えることは一つ。
「何を言われたのか知らないけど。葵がやりたいように、やればいいんじゃない」
「……だよな」
笑みを見せながら肯定してくれたが、納得しているのか分からない。彼がどんな思いでエンプティにいるのか知らないし、無責任なことは言えない。それでも、選択肢の上に立っているときに、やるべきことは一つだ。そういう立場になった時に、自分の意志で選択出来るか分からないけど、私はそうありたいと思う。
「やりたいように、か」
そう呟く葵は依然として、迷っているようだった。これ以上は私も何も言わなかった。言うのは簡単だけど、実行に移すのは難しいだろうから。あまり追い詰めたくはなかった。それに私自身も、ずっと迷っているような気がするから。
迷いというよりは、忘れ物なのかもしれない。
空魔の動きも心配だが、これからどうなるのか、不安と期待が交錯する。
ただ、私はこの時忘れていた。現実という道は変えたい時に、容易に変えられるものではないことを――