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 良いこともあれば悪いこともある。クロユリに会ったことは良いことなのか、悪いことなのか――運で言えば悪いことなのだろうけど、貴重な情報を得られたと見れば良いとも言える。とはいえ、あの存在はそれを帳消しにするくらい不愉快だった。最終的にこちらの運が悪かったと思わせるくらいに。
 あれ以来、廃ビルには空魔の反応は出ていない。やはり、クロユリが潜伏していたのと、彼女が作った空魔が原因のようだ。消えてしまった人たちは元に戻らず、全てクロユリの玩具にされ、私たちの手に寄って排除された。
 あんな風に一気に増やせるとなると、戦況は大きく変わっていくだろう。最近、少しずつ状況が動きつつあるのは気のせいだろうか。何事もなければいいのに。
 休日だが、研究所にいても落ち着かないので、気分転換に外へ出てみることにした。目新しい発見はなく、いつも通り人が行き交う交差点。客で賑わうショッピングモール。特に欲しいものもなく、何となく見回っていた。知り合いと一緒に来たら少しは違った景色が見られたのかもしれないが、今はそういう気分になれなかった。あすなもあの事件からまだ完全に立ち直ったわけでもないだろうし、誘うのも気が引ける。
 ちなみに茉莉花はあまりこういうのに興味がないようだ。そんなことしている暇があったら特訓、勉強だとか。普通に真面目だ。茉莉花がエンプティじゃなかったら、また違っていたのかもしれないけど。一通り、モール内を探索し満足したので外へ出た。まだ、日中で日差しが少し温かく感じられる。それでも季節の変わり目だからか、木枯らしが時折吹くので、冷たさもある。ぼんやりと舗装された道路を歩いていると、路地裏を見つけたので、何となく入ってみた。普段は通ることのない道をたまには行こうかなという気まぐれだった。路地裏にも店があるが、変な店や居酒屋が多い。しばらく、歩いていくとある看板が目に留まった。看板にはコーヒーカップの絵と店名が書いてあった。

「リ……メンバ?」

 何とも不思議な店名だった。店は上にあるようで、決して立地条件は良いとは言えず、売れているのか不明だった。初めて見た場所なので、スマホで検索してみたがヒットしなかった。そういう店もあるだろうと一瞬思ったけど、このご時世にネットに全く載らない店などあるのだろうか。怪しさが立ち込めるけど、なぜか目を引いてしまう。
 私はそっとレンガ造りの階段を上っていった。アンティーク調の扉まで行って手をかけたが――

『――あーーっもう! 何でアンタしかいないのぉ? 最悪。いい気分だったのに台無し!』
『うるさいな。それはこっちのセリフだ。好きでお前の顔を見る奴とかいるかよ。勘違いするなよ、詐欺女』
『キモ。喋んないで。陰気がうつっちゃう。ヤダぁ』
『お前馬鹿だろ。うつるとかどんだけ影響されやすいんだよ。これだから馬鹿は……』
『あ? 喋んなって言ってるでしょ。耳大丈夫? 死んでくんない?』

 店の雰囲気に反して中はとても騒がしいようだった。痴話喧嘩かと思ったが、明らかに異様な雰囲気が漂っていた。入るか迷っていたら――

『どっちもうるさいわ馬鹿共が!! しばらく寝ていなさい!!』

 第三者の怒りが最高潮に達したのか、その後二人の声が聞こえることはなかった。どちらにせよ、ヤバいと脳が警告していたので引き返そうとしたら扉が開いた。逃げるタイミングを完全に失った。

「ごめんなさいね。外にまで聞こえちゃって……あら」
「いえいえ、って……え」

 扉の向こうから出てきたのは、この間研究所の前で会った不思議な女性だった。向こうも覚えていたらしく、驚いた顔をしていた。どっちも想定外の出来事に、固まってしまったが――

「こんな所にこんなおしゃれなお店があるとは……意外な発見です」
「表立ってやるより、目立たずひっそりやりたいのよ」

 入ってみればなんてことなかった。
 お店の中はアンティーク風の道具で揃えられており、照明はそこまで明るくなく、ほんのりと暖かみのある光が照らしていた。私はカウンター席に座った。他にもテーブル席が三卓あったが、二卓はさっきの騒ぎの人たちが机の上に頭を伏せて寝ていた。二人とも別々のテーブルに座っているのが謎だが、知り合い同士だったのだろうか。
 店のゆったりとした音楽も相まって正直、店の雰囲気に似つかわしくない光景だった。私の気持ちを察したのか、やれやれといった風に語る。

「普段は落ち着いた店なんだけど。アレはね……ちょっと頭がおかしい人たち。気にしなくていいわよ」
「はぁ……」

 普通に頭がおかしいと言っているが、大丈夫なのだろうか。後ろで伸びているようで今のところは大人しいが、いつ目を覚ますか分からない。

「そういえば、名乗り遅れたわね。私は風祭アヤメ。自由にやっているわ」
「月宮紫苑です。学生です。風祭さん、この店素敵ですね」
「ありがとう。アヤメでいいわ。ここで会ったのも何かの縁、サービスよ。砂糖とミルクも付けておくわね。お好きなようにどうぞ」

 そう言って、アヤメさんはコーヒーをくれた。あまり飲んだことがないけど、たまにはいいかもしれない。最初は何も入れずに飲んだが、私には十年早かった。大人しく砂糖とミルクを追加した。

「香りもよくて、美味しいです」
「ありがとう」

 コーヒーの良し悪しはあまり分からないけど、ミルクを入れたら美味しかった。あと、ちょっとクセがある気がする。あまり解説されても、分からないし素直に感想だけを言った。

「それにしても、よく私が外にいるって分かりましたね」
「ああ見えて、センサーがついているの。扉に近づくと反応するのよ。最近、物騒でしょう?」
「なるほど……」

 見かけでは分からなかったが、個人の店でも普通なのか。そもそも、この店がいつからあるのかよく知らないけど、内装のせいか古めかしく見える。でも、最近だったらなおさらネットとかで宣伝していそうなものだが。ひっそりやりたいとはいえ、売り上げが全くなければやっていけないだろう。

「気を悪くしたら申し訳ないんですが、もっと宣伝すれば広まりそうですけど……広めるつもりは無いのでしょうか?」
「……そうね。さっきも言ったけど、あまり目立ちたくはないのよ。知る人ぞ知る、穴場とかそういうのってなんか素敵じゃない? 入る人がワクワクするような隠れ家のような店を目指しているの」
「確かに憧れますね。入るとき、ドキドキしました」

 どちらかというと、中から聞こえてくる声のせいでドキドキというのはあえて伏せておいた。

「それならよかった。そういうのを求めているの」

 時間が経つのも忘れて、私はアヤメさんと話していた。私からあまり会話を広げられないけど、アヤメさんが話を広げてくれるおかげで、楽しく話すことが出来た。
 そんな会話に水を差すように、後ろから苦しそうな呻き声と共に物音が聞こえてくる。

「あーいったぁい。何すんのよ……」
「何で俺まで……」

 見てはいけない気がするが、ちらっと振り向くと先程伸びていた人たちが目を覚ましたようだった。頭を押さえながらこちらを見ていた。

「あら、もう起きたの。ずっと寝ていてくれて構わないのだけれど。私の店で暴れるようなら一生出禁にするわよ」
「暴れてないし……」
「喋っていただけだ」
「それが迷惑なのよ。貴方達、普通にしゃべっていてもうるさいし、店のイメージが台無し」

 アヤメさんは心底迷惑そうな顔で、二人の男女に文句を言っていた。男の人は不服そうな表情でアヤメさんを睨んでいて、女の人の方は私と目が合って、すごく嫌そうな顔をした。

「んなの、知らないっつーの……って、なんか女が増えているじゃん。マジないわぁ」
「なんだ、客とか初めて見たぞ」
「貴方たちは滅多に来ないでしょうが」
「そうね。こんな黴臭い店好みじゃないもの。用が無ければ来ないのは当たり前じゃない」
「そうだな。もっと、明るい方が客足が伸びると思うぞ。今時こんな場所に構えるとか馬鹿だな!」

 店主に向かってこの人たちはとんでもないことを言ってるな、とアヤメさんの方を見てみると、どこまでも穏やかに笑っていた。笑っているのに笑っていないといった方がいいのだろうか。ちらっと見えたがナイフらしきものを持っていた気がする。大丈夫かな、あの人たち。

「何か、言ったかしら?」
「べ、別に言ってないわよ! ねぇ?」
「あ、あぁ。いい店だと思うぞ! 多分」

 多分ナイフでも投げられただろう。言葉の端々から焦りが感じられる。取り繕って語るが心にもないことは、目を見るより明らかだった。

「……まぁいいわ。ここに留まりたいなら大人しくしていなさい。これ以上、面倒事を増やさないで」

 凍り付くほど冷たい声に私も思わず身構えてしまう。アヤメさんは私の様子に気づくと、困ったように笑う。

「ごたごたして悪いわね。落ち着いているときに、気軽に寄ってちょうだい。あと、不定休だから閉まっていることもあるかもしれないけれど、そのときはごめんなさい」
「そ、そうですか」

 入ってきたときと変わらない笑みを向けてくれたが、なかなか警戒を解くのは難しい。
 何だか、やたらと緊張感あふれる店内になってきた。また、騒がしくないときに来た方がいいと思い。私は席を立ちあがった。

「あの、お会計……」
「サービスだからいいわ。その代わり、今度来た時に料理とか頼んでくれると嬉しいわ」
「また、来たいと思います。静かな時に……」
「それがいいわ。今日は無理やり入れた感じになって、本当にごめんなさいね」

 アヤメさんは申し訳なさそうに頭を下げて謝った。
 私自身、遠ざかる選択肢もあったけど、ドアに手をかけたのは自分の意志だし、アヤメさんは悪くない。

「大丈夫です。楽しかったです。こちらこそありがとうございます」

 私も頭を下げて、店を後にした。不思議な時間を過ごしたと思う。また来たいと思う気持ちは嘘ではない。
 ただ、もうちょっとゆっくり出来たらいいなと思う。今度来るときは、不用意にドアへ手をかけないようにしよう。そういえば、気になっていた名前の由来を聞いていなかった。また聞ける機会があれば、聞いてみたかった。

???

 紫苑が出ていった後、カフェは微妙な空気が流れていた。
 不貞腐れた女、ふんぞり返っている男。カウンターでアヤメは厄介者を見るかのごとく、ため息をついた。

「マリー、桔梗……やらかしてくれたわね」
「さっきも謝ったからいいじゃん。どうせ、いつかは私たちのこともバレるって。それにここに来たってことはぁ~潮時じゃない?」
「店を貶されたことに怒っているのか?」
「分かんなければ黙ってればぁ? 苛々するから」
「なんだと!」
「どっちもうるさいって、さっきから言っているでしょう。彼女にこの店がバレても問題はないけど……というかここに寄らせたのは十中八九あの子の仕業でしょうね」

 女の方はマリー、男の方は桔梗。二人はとことん相性が悪いようだ。顔を合わせれば、言い争いが絶えない。マリーは自分が一番大好きな男好き。桔梗は壊滅的に空気が読めない。アヤメは馬鹿馬鹿しくて、注意するのも億劫になっていた。

「あー……そういうこと。あの猫、何がしたいのかねぇ。ほんっと、ガキは何考えてるか分かんないし、うざーい」
「アイツもそうだが、お前も大概だ。阿呆だ」
「今私の話してないんですけど。空気読んで死ね」
「お前に言われて死ぬ馬鹿がどこにいる」
「はぁ。マジ怠いんだけど。アヤメどうにかして」
「……こっちに振らないでちょうだい」

 この二人が和解する日など一生来ないだろうとアヤメは思っていた。若干方向性は違うものの、お互いに自分が正しいと思っているのが致命的だ。二人にはお互い様という言葉が一切存在しない。おかげでいつもこのような状態だ。聞かされる身にもなってほしいところである。
 マリーはストレスが溜まっているのかイライラしているようだった。

「あーもう。いつまでこんな状態なの? もっとパーってやりたいんだけどぉ」
「お前は今でも十分にやっているだろうが。この辺で簡単に釣れる尻軽女がいるとSNSで噂が立っているくらいだ。絶対お前のことだろう」
「はぁ!? 勝手なこと言ってんじゃねーぞ万年童貞が」
「頭も弱いうえに、下品で低俗だな。だからお前には相応の男しか寄らないんだよ」
「お前の腸引きずり出して、突っ込んでやろうか? あーでも触りたくも無いから遠慮するわ。あはは!!」

 醜い争いが続いているがアヤメは一切関わる気は無かった。アヤメは主の意思を伝えるだけ。部下が裏切ろうが、部下が死のうが、主は何の感情も抱かない。その事実を粛々と受け入れるだろう。
 どこまでいっても、自分たちは駒の一つに過ぎないのだから。

「……マリー、桔梗。彼女の意思はただ一つ」

 アヤメが口を開いた瞬間、二人の言い争いが止まり彼女に視線が行く。
 時は満ちた。今こそ、心の本能の赴くままに動く時。これまで以上に、華やかに苛烈に火花を散らすがいい。

「それぞれの願いを掴め――」

 その言葉を聞き、心を遠い場所へ置き去りにした二人は笑いながら消えていった。
 膠着していたゲームは動こうとしていた。
 一人、店内に残ったアヤメはコーヒーとミルクを混ぜていた。世界が一つになっていくように混ざり合う。

「世界は、どうなるのかしらね」

 神のみぞ知る――果たしてこの世界の神は一体何を考えているのやら。アヤメは静かに瞼を閉じた。