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 夢を見ていた。なんてことない、ただの日常風景。ありふれた日常なのに、どこかもの悲しさが漂う世界――

 オレンジ色が溶け出した空の下、私はずっと黒猫に話しかけていた。傍から見れば可哀想な人間にしか見えないだろう。肝心の猫は話しかけても鳴き声一つ上げない。
 とにかく、私は猫が理解していないことをいいことに、酷いことを言っていた気がする。酷いとは思うが、肝心の内容は靄がかかったかのように、思い出せない。内容は分からないけど、間違いなくよくないことを言っていた気がする。ろくでもない話に黒猫は文句も言わず、聞いているのか、いないのか分からない態度でひたすら私の瞳をじっと、見つめていた。
 私はお構いなしに吐き出すだけ吐き出して、お礼に餌をやって帰っていく。無責任に餌付けするくらいなら、飼ってしまえばいいのに――

 でも、私の家では飼うことが出来ないので、置いて帰るしかなかった。
 
 夢はそこで途切れた。

「案外、夢じゃなかったりして」

 人が行き交う夢深町の中心地。冬の色に染まり始めた街路樹の下で、私と霞は夢の話をしていた。主に自分の見た夢の内容である。
 夢の中の話とはいえ、妙に現実味を帯びているように思えたのは、夢の内容をはっきりと覚えていたからだろう。そのことを学校の帰り際に偶然出会った霞に話すと、実際にあったものではないかと、冗談めかして言った。私としては夢の方がよかった。あまりにもはっきりしすぎていて、不気味だったからだ。

「黒猫かぁ。そういえばこの辺りって、野良猫とかそんな見かけないよね」
「そんな見ない以前に見たことないけど」
「割と整備された町だからね」

 夢深町は商業施設が並んでいる。都会と呼べるほどではないが、そこそこ栄えている。新興住宅地もあるので、どちらかといえばきっちりした場所だと思う。住みやすいと噂になっていて、少しずつ人気が上がっているとか。
 それはまた置いといて、とにかくそこまで不衛生なイメージはなく、野良猫が住み着きそうな場所もない。夢か現実か分からないまま、しばらく猫談義が続いた。

「あと、黒猫といえば不吉ってイメージがある」
「僕は逆に幸運の象徴っていうのは聞いたよ」
「どっちが本当なんだろう」
「さぁ。幸不幸と言っても所詮は、迷信だしね」

 自分で不吉と言ったものの、黒猫が横切る以前に変なことが起こっているのであまり関係ないと思う。幸運は……特に感じられない。所詮は迷信。真に受ける必要もない。
 というか、私がしていたのは夢の話で、夢の中で黒猫はじっとしてたし、横切ってすらいないことに今更気づいた。

「僕としては、夢の内容を忘れていないっていうことの方が、重要な気がするな」
「何か意味があるってこと?」
「断言は出来ないけど、何かあるんじゃないかなぁ。あぁそれか、実際に起こったことじゃなくて、これから起こる……予知夢とか?」

 黒猫に好き勝手言っていた醜い私。醜い感情の行き場にされた黒猫。予知夢だったとして、何を暗示しているのだろう。私の知らない、本当の私があの夢の中に眠っているのか。

「ま、良い方向へ行くのか悪い方へ行くのかは、最終的には紫苑次第じゃないかな」
「選択肢は限られてそうだけど」
「そう悲観的になることないよ。世の中には選べない人だっているんだから」

 霞は私の発言をたしなめる。彼の言う通り、私以上に不幸な人はいっぱいいて、選べる道も狭い人もいるだろう。不幸の度合いを比べたってどうしようもない。自分は自分、他人は他人――私は他の誰かになれやしないのだから。

「なかなか興味深い話だったよ。暇つぶしになった」
「それはどうも、って暇つぶしって。これからどっか寄るの?」
「ん……そんなとこかな」

 少しだけ間があったのが気になるが、それ以上は何も聞かなかった。根掘り葉掘り知りたいとは思わなかったから。

「私は先に帰る」
「そういえば、葵。元気になった感じだよ。何かいいことでもあった?」
「思い当たる節はないけど、それなら良かった。それよりも、逆に茉莉花は少々元気過ぎるんじゃない?」

 流れで菜花さんと模擬戦したことを伝えると、霞は一言。

「いつものことだよ」

 あの勢いについていけるのは素直にすごいと思う。人のことは言えないけど、少し茉莉花には危うさを感じていた。

「少し走り気味じゃない?」
「それでいいんだよ。僕は色々考えすぎるから、ちょうどいいんだ」
「そうなんだ……」

 そんなこんなで、最後に変な会話をして今度こそ別れた。霞を見て思ったが、制服で自由に寄れるのは羨ましいと思う。私もやろうと思えば出来るけど、先生が巡回してたらと思うと、面倒くさい。とにかく目立ちたくない。まっすぐ帰ろうと帰路を急ぐ。
 研究所前まで来て私は足を止めた。研究所の入口付近で、じっと建物を見つめる女性がいた。花のように鮮やかなピンク色をした髪の女性だった。女の人は何を思っているのか、憂鬱そうな表情で見ている。
 やがて、私の視線に気づいたのかふっ、とほほ笑んだ。私は何となく女性の方へ近寄ってみた。

「変な人だと思ったでしょう」
「そんなこと……はちょっとあります」

 正直な感想を言っても、女性は腹を立てることなく、上品な笑みをむけてくれた。

「中がどういった感じになっているのか気になったの。遠目から見ると、研究所っていうよりちょっとした街に見えるから」

 研究所は夢深町の中にある。研究所の敷地内は広く、色んな施設があるせいかそう見えなくもない。学校内に色んな施設が併設されているところもあるみたいだし、そんな珍しいことでもないだろうけど、初めて見た人は少し驚くかもしれない。

「ただ見ていても全く分からないわね。セキュリティもしっかりしているみたいだし」
「そんなに中が見たいんですか?」
「興味半分よ。貴方はここの関係者……じゃないわよね、さすがに」
「通りすがりです」

 女性はくすくす笑った。バリバリ関係者だが普通の人に話したら危ないから言わなかった。一般からすると空魔研究所とか意味不明だろう。看板は掲げられているが、ここの研究内容を詳しく知っている人は、この周辺でほとんどいないと思う。

「どこまでもいっても、籠の中ねぇ」
「何か言いましたか?」
「……独り言よ。話に付き合ってくれてありがとう。素敵なお嬢さん」

 女性はそう言って立ち去って行った。何とも不思議な女性だった。物腰は柔らかで、綺麗な人だったけどちょっと変な人だった。残念美人? 私が研究所の前で立っていると背後から誰かの気配がした。振り向くとそこには葵が不思議そうな顔で私に問いかける。

「……お前こんなところで何してたんだ?」
「何って、女の人がいたから話してたんだけど」
「どこにもいないぞ」
「あれ?」

 女性が去った方を見たが、そこにはもう誰もいなかった。見通しのいい道路だし普通ならまだ確認出来そうなものだが、それらしき姿は見当たらなかった。

「その、色々と……大丈夫か?」
「え、あ……大丈夫だって。調子悪くないし……本当」

 葵には見えなくて、私に見えていた女の人ということになる。これが幽霊というものなのだろうか。霊感はある方ではないが、最近おかしなことばかり起こる。やっと、一段落したかと思った矢先にこれだ。
 けど、今回はそんな不気味な感じはしない。一瞬で消えたのは幽霊みたいだけど、それまでは普通に会話をしていた。あれは確かに現実だったはず。けれども、第三者に指摘されてしまうと私に異常があるように思えてしまう。
 私の見ている世界は本物なのだろうか。ひょっとして今も夢の中にいたりするのだろうか――あり得ない。そんなこと。だってここは現実なんだから。

「現実――だよね?」

 問いかけに答える者などいるはずもなく、虚しく木枯らしの中に消えていった。