『ホント馬鹿だよね。どうしようもないくらいに』
『貴方も同じ痛みを抱えている。分かるでしょう』
『私は、私は、どうしてねぇ。どうしてねぇ。答えてよ……ねぇ』
これは――夢? 幻? それとも――
「……は、っ」
変……というよりも不思議な夢を見て、目が覚めてしまった。部屋はまだ明かりが差していなかった。昨日から自分の部屋に戻らず、安静にしていたが疲れは取れない。さっき見た夢もそうだが、無駄に体力を削っていくばかりだ。痛みは感じなくとも、疲労は感じていた。痛覚に関しては、たびたび検査してもらっているが、異常はなく謎は深まるばかりだ。
「自分のことなのに、分からないことばかり……」
五月七日さんは「部屋にはいつでも戻っていい」と言っていたので、戻ることにした。先程の夢を見てから、どうにも落ち着かない。ここにいたくないという気持ちが強くなった。
着替えてから、部屋の外に出ると、真っ暗だった。運よくスマホを持っていたので、フラッシュライトを使い照らしながら廊下を進んだ。この建物は病院だから、誰かいるはずなのだが見当たらない。それにしても静まり返った病院は不気味で、何かが出てきそうだった。ゆっくりと進んでいくが、景色は変わらない。
やはり、夜明けまで待つべきだったか。振り返ってみれば、結構進んできたようで、今更引き返すのも面倒だった。止まることを忘れ、ひたすら誰もいない廊下を進んでいった。
「……出口ってどこかな」
案内を見ながら進んできたが、どうにも出口へ向かっている感じがしない。階段を降りれば下に向かっているということなので、出口に近くなっているはずなのだが。そもそも施設は一般向けに開放していないため、案内板が少なかった。これはひょっとして。
「そんなこと、ないはず」
スマホの充電はまだある。病院全体を探索するつもりはないが、とりあえず目に見える扉を動かして誰かいないか確認した。呼びかけもしてみたが、返答はない。病院のお世話なることは多いが、真っ暗な時に抜け出したことはなかったので、方向感覚が狂ってしまったのだろう。そんな迷う構造ではなかったと思う。
「最悪……」
こんなことになるなら、明るくなるまで大人しくしているべきだった。後悔しても遅かった。病院は落ち着かないので早く自室に戻りたいという気持ちが勝ってしまい、焦ってしまった結果が今のあり様だ。どうかしている。為すすべもなく、廊下のど真ん中で立ち尽くしていると、背後から突然足音がした。人がいる気配がする。足音が近くになるにつれて、思わず身構えてしまった。
「おや、何だか警戒されているみたい?」
「貴方は……星影所長?」
ライトを照らした先には見覚えのある顔が浮かぶ。あまり会ったことは無いけど、印象に残る存在。
「正解さ。覚えていてくれて嬉しいね」
病院関係者だろうと、思っていたらそれ以上の人に出会ってしまった。
星影竜胆(ほしかげ りんどう)――エンプティのトップにして、空魔研究所所長。そして、私をここに連れてきた張本人。
星影所長はどこかふわふわしていて掴みどころのない人だった。髪の毛は癖毛気味で、何よりも目を引くのは両目で色が違っていることだ。最初見た時は驚いたし、今でもかなり不気味だと思う。
所長は私の反応など意に介さず、どこまでも穏やかな口調で話しかけてくる。
「ここで調べものをしていたら声が聞こえて来てね。何となく気になったら君がいたのさ。こんなところでどうしたのさ」
「寮に帰ろうと思ったら……その。迷ってしまって」
取り繕っても時間を無駄にするだけなので迷ったことを認め、所長に話してみた。所長のことはよく分からないけど、真面目に聞いてくれて少し安心した。私の話を聞いた所長は、しばらくうーんと唸っていた。
そして、ポケットから小型の情報端末を取り出して操作し始め、それから間もなく口を開いた。
「……君、二階に泊っていたんだよね」
どこか不思議そうに眺める所長の視線に戸惑いを覚える。ここには何か不味いものでもあるのだろうか。
「……そうですけど」
「ここは、地下一階なのさ。行き過ぎたね。階段の表示見ていなかったの?」
「二階にいたことは分かっていたんですけど……頭が回ってなかったです」
いつの間にかそんなところまで降りていたのかと、自分でも驚くばかりだった。階段がやけに長いなとは思ったが、そういうことだったのか。とんでもなく寝ぼけていた。
「良ければ出口まで送ってあげようか?」
「そんな、わざわざ……」
「ここらへんを無駄にうろうろされても困るからさ。結構企業秘密のものが多いから」
「……すみません。お願いします」
下っ端の隊員の目に触れてほしくないもがあるのだろう。当たり前のことだった。私は所長のご厚意に甘えて、出口まで行くことになった。何とも言えない、緊張感がある。
「こんな所で迷子になるとはね。夜明けまで待てなかったの?」
「何だか落ち着かなくて、五月七日さんは、いつでも出て行っていいと言ったので……」
「そうかぁ。榠樝は適当だからね。仕方ない」
所長は怒ることもなく、笑い飛ばしていた。下の名前で呼んでいる限り、そこそこ親しい間柄のように思えた。これまでまともに話したこともなかったので、意外な発見ばかりだ。そもそもお目にかかる機会がないので、分かりようないんだけど。
「それにしても、痛みを感じないって不思議な体質だよね。そういう病気は実在するみたいだけどさ」
「そうなんですか」
「君の場合は後天的だし、しかもかなり稀なケースなのさ。大体こういうのは生活に支障をきたす場合が多いけど、そうでもない」
「気を付けていますので」
「……でも、君が痛まないのは体だけじゃないよね?」
私は反射的に睨みつけてしまった。この人はどこまで知っているのだろうか。体の痛みを感じないことは報告してあるのだが、精神面に関しては告げていなかった。どうしてこの人はここまで言うのだろう。試しているのか、私を。
「ただの確認さ。これでも空魔を研究しているからね。そういうのも気になるのさ」
「……冷たいだけだと思っています。良心が無かったり、心が痛まない人は一定数いると思いますので」
「なるほど。確かにそういう人はいるね。それなら特筆すべきことでもない」
そういうと所長は扉に手をかけた。どうやら、出口までたどり着いたようだ。夜はとっくに明けていて、外に出ると気持ちのいい朝がやってくる――はずだった。
「で、君はそれが自分の本質だと思う? 心のどこかでおかしいと思っているんじゃないのかな?」
全てを見透かすような暗い瞳で私をじっと見つめる。心臓を掴まれたような感覚だった。
まるで、今の私は本当の私じゃないみたい――この人は一体、私の何を知っているというのだろうか。
「ここまで送ってくれたのは感謝します。でも私の人格に関して、とやかく言われる筋合いはないと思います」
「そうさ。最終的に決めるのは……紫苑、君自身さ。人の心は人間には操れないからね」
釈然としない言葉を残して、星影所長は病院の中へ戻っていった。あの人はどうして、あんなことを言ったのだろう。
今の私は胸のムカつきや、ストレスは感じない。悩みはするし、疲労感は少しあるけど、しばらくすれば忘れてしまう。ため込みすぎて、爆発したりすることはない。
所長は確信しているようだが私は、体の痛みと共に心の痛みも感じない。心の痛みというのは、医学的にもはっきりしていないようだが、胸が締め付けられたり、引き裂かれたりするといったことが該当する。私はそういった心の痛みを感じない。
エンプティの隊員が亡くなったとき、私の中で煮えたぎる感情は湧き上がってこなかった。葵とかは悔しそうな表情するし、茉莉花は怒りを覚えたりする。
私はというと、死んだという事実が更新されただけだった。痛ましい出来事と理解出来るけど、感情が追い付かないような感覚だ。かといって、私に全く共感性がないというわけでもない。悲しいことがあれば、悲しいことと分かる。
所長の言葉が私の中でぐるぐる回る。
以前の私はどうだっただろう。
ここへ来る前――
『ねぇ、どうして。どうして。どうして――』
どうして、私は今の自分は痛みを感じないことを異常に感じているのだろう。個性なら気にすることないはずなのに、何で。私ってどうだったっけ。
人は変わっていく生き物だ。何もおかしくない。
決めるのは私。
何を?
私の本質――
月宮紫苑は月宮紫苑でしかなくて、他の誰にもなれない。
私は誰にもなれないけど、誰も私になれない。
そうだよね?
~~~~~~~~
紫苑が出ていった後、病院は再び静まり返る。
「……あら、所長。こんな所で何していらっしゃるのでしょう」
竜胆が振り返ると、榠樝が柔らかな笑みで出迎えた。
しかし、そこに歓迎する気持ちは一切なかった。
「僕の家みたいなものだし、どこにいても問題ないさ」
「質問に答えていませんよ」
研究所は星影財閥の所有物で、竜胆が所長のため問題はない。ただ、管理はほとんど榠樝がしているため、勝手に踏み荒らされると迷惑だった。他にも病院以外でもいると、萎えるという本音があった。
「分かってるって、ちょっと彼女の様子を見ただけさ」
「そうでしたか。資料室を漁っていたのかと思っていました」
「それもあるね。空魔になった人間の資料ってこっちの保管だからさ」
「それで、何か分かりましたか?」
「あぁ」
榠樝の問いかけに、竜胆は口角を緩める。
「僕らはどこまでいっても、駒に過ぎない……それだけだ」
竜胆は愉快そうに笑っていたが、子どもの遊びには付き合ってられない、と言いたそうだった。
「楽しいことは好きですが、誰かに無理矢理付き合わされるのは嫌なんですよね。ましてや、全く知らない人の遊びに付き合わされるなど、苦痛以外のなにものでもありません。はっきり言って、不愉快極まりない」
「それは僕も同じだよ」
ままごとのような世界。世界が思うように動くと信じて疑わない愚者。狂いだした世界は歯止めの利かないまま突き進んでいく。破滅を顧みず、世界を飲み込んでいく悪辣な願い。
「どうにかしたいけど、相手が悪い。この世の常識が通用しないんだから」
「あくまでも、どうにかしたいと思っているのですね……」
「そうさ。君もこんな世界は嫌だろう」
「えぇ」
榠樝には拭えない違和感が纏わりついていた。元々、本心が見えづらい竜胆なのだが、いつにも増して分からなかった。目の前にいるのは本当に竜胆なのか――彼女の違和感はそこから始まっていた。
榠樝も全てを聞かされているわけではないので、分からないこともある。好奇心から知りたいと思ったことはあるが、それに触れようとすると有無を言わさず、会話を終了させられるというより、話題を逸らされる。
引き際は弁えているので深く追及はしない。だが、忘れてはいない。竜胆にはまだ隠していることがあると、彼女の直感が告げている。
そして、聞いたら自分は戻れない領域に踏み込むことになるのではないかと、さらなる直観が告げていた。そこそこ付き合いはあるが、未だに竜胆の本音は読めない。過去を思い出して、榠樝は少し感傷的になる。
「いいえ、なんでもありません。今は……」
今はただ、流れに身を任せようではないか。世界の終わりが来ない限り、見守り続けよう。足掻いた運命の先を、鮮やかな色彩を放つ景色を――