夜の帳が降りるころ。私の――月宮紫苑(つきみや しおん)の日課は始まる。
 街はまだ明かりが差しており、人の波は衰えない。人の営みなど気にせず奴らはやってくる。出来るだけ街から離れておびき出したしたものの、動きは全く読めない。人の心を土足で踏み荒らし、飽くまで食らいつくす迷惑極まりない存在。

(……来る)

 どこからともなく、真っ黒な影のようなものが襲い掛かってきた。影はどこまでも伸びていき、食らいつくそうとする。大鎌で追い払うが影は際限なく湧き出てくるため、倒してもキリがない。
 本体をぶった切るのが手っ取り早いか――そう思った矢先に、影を真っ二つに切り裂く閃光が放たれた。切り裂かれた部分は溶けて砂のように消えていく。

「大丈夫か?」
「問題ない」
「そう言うと思った」

 私の仲間である時津葵(ときつ あおい)は、素早い動きで影を翻弄した。彼の武器は剣である。オーソドックスな武器で扱いやすく動きやすさも、含めて弱点が少ないといえる。
 対して私の武器は大鎌。隙は大きく扱いにくいが、大抵の敵は薙ぎ払える。私たちが倒すべき存在『空魔』は定められた形を持っていない。正確には、姿形を自由に変えられる。伸びたりもするし、隠れる事も出来る。
 空魔は人の心が抱える憎しみ、怒り、嫉妬といった負の感情から生まれてくるとされている。後は人間が空魔になるパターンもある。両者とも違いはそれほどない。感情も理性も知性も失い、失ったものを求めるように人を喰らう。もっと正確に言えば人の心を喰らう。人間が心を抜き取られると、空魔になってしまうことがある。そうなってしまった場合は殺すしかない。そういった人間を救うのも私たちの仕事に含まれる。決して気持ちのいいものではないが、誰かがやらなければ空魔が跋扈する世の中になってしまう。

「よっと。動きは派手だが鈍いな」
「切り落とすから、核を狙って」

 空魔の弱点には『核』と呼ばれる部分がある。核は二重構造になっているらしく、外側を壊せば大体の空魔は核諸共消える。その時、稀に核が残る場合がある。ハーツはその残った核を材料にして作られる。核が残る空魔は珍しく、素材を持ち帰るのすら困難だ。ちなみに残った核は空魔化することは無い。おまけみたいなものだ。核が何で出来ているのかは不明だが、核はハーツでしか壊せない。

「ちっ」

 空魔に情けという言葉はない。傍若無人に襲い掛かってくる。乱雑な動きは、読めないこともないが時に思わぬほうから攻撃が来ることもある。丁度今のように――
 掠ったところを見ると、血が流れていた。滴り落ちる血は、止まることなく溢れてくる。これくらいなら、まだまだいけるだろう。空魔の攻撃は止まらないが、構わずに突っ込む。攻撃はたまに当たるが、痛みは感じない。そのおかげで怯むことなく、空魔の腕のようなものを切り落とせた。空魔の動きが止まり、核のある部分へ葵が切り込んでいく。

「これで、終わりだッ!!」

 葵が核に剣を突き刺すと、空魔の姿は砂のようになって消えていく。完全に空魔の討伐は完了した。核は砕けて消えてしまったが、空魔を殺す方が優先事項のためどうしようもない。空魔との戦闘が終わって自分の腕を見ると、次から次へと血が流れていた。空魔を倒しても、怪我が治るわけではない。当たり前のことだった。
 最初の頃は、加減が分からず倒れるまで動いていた。今の私には痛覚が無い。深く傷を負って出血したとしても、全く痛みを感じないのだ。いつからそうなったのかは覚えていない。初めて訓練を受けた時に怪我をしても、まったく気付かなかった。周りから指摘されようやく知った。当然のごとく不気味に思われた。普通の人間なら苦悶の表情を浮かべる怪我でも、平然としているのだから、傍から見れば空魔と同じような異形の存在に見えるだろう。
 そんな仲間たちと間を取り持ってくれたのは葵だった。葵は部隊の中でもリーダー的な存在だったからか、同情かは知らないが、差別することなく接してくれた。今では私とペアを組んで討伐に出ている。

「怪我、大丈夫なのか?」
「問題ない。さっさと帰って治療すればいい」
「……そうか」

 今日も何事もなく、一日が終わる――ふと見上げた月は雲一つなく、地上を照らす。月を見ていると、心がざわつく。理由は分からないけれど、月に潜む何かのせいなのか。単に兎が跳ねているだけかもしれないというのに。
 くだらないことを考えていると、急に視界が暗くなっていった。雲がかかったわけではない。月を遮るように、巨大な影がそびえ立っていた。

「何だ、これは……」
「空魔なの?」

 葵と私は臨戦態勢に入っていた。空魔なのか――それにしてもまとわりつく空気が重い。明らかに普通の空魔とは違う気がする。もっと、恐ろしい何かがいるような。影としばらくにらみ合いを続けていると、不意に声が聞こえてきた。

「――見つけた」
「どちら様?」

 少しくぐもっていたが声は声変わり前の少年のように聞こえる。ただし、そこに年相応の幼さはなく、どちらかと言えば獲物を見つけた獣のような鋭さがあった。

「僕は君で君は僕。君が置き忘れた半分はここにある」

 黒いシルエットは空魔のようにも見えたが、人の形をしていた。背丈は自分と大体同じくらいになっていた。顔は全然認識出来ず、黒い影にしか見えない。何かの術が働いているのかもしれない。そもそも人間の姿をした空魔など聞いたことがない。話によれば理論上はあり得ると言われているらしいが、実際に見た人物はいないとのこと。
 もし、空魔だとしたらこの場で殺さなくてはいけないのだが出来るだろうか。

「あれ?」

 空魔と戦う前に葵は大丈夫なのかと、周りを見渡したが今になって気づいた。風景がガラッと変わっていた。ピンクに近い紫のようなグラデーションがかかった空が広がっていた。一言でいえば異空間に飛ばされていたのだ。

「ここは……」

 ハーツを取り出そうとしたが、いつの間にか空魔の影のようなものに腕を掴まれた。ちょうど怪我をしたところを掴まれたが、何故か痛みは感じない。特殊な場所に飛ばされたら変わるかと思ったけれど、そうでもないようだった。
 空魔はいつの間にか私の目の前にいた。心臓を掴まれたように動けなった。
 顔は分からないのに、私を見据えているような気がした。

「殺すつもりはないよ。それが目的じゃないから。ただの挨拶さ」

 そう言って拘束を解いた。
 私の心臓は珍しく、バクバクしている。得体のしれない化け物に主導権を握られ緊張感が走る。
 一瞬、死を覚悟したのだがその気持ちは一転して無くなっていく。相手に殺意が無いからだろうか。それ以上に、何か別の感情もあるような感じもした。
 初めて会ったのに、どこかで会ったかような――竦んだまま、恐る恐る声をかけた。

「貴方は、何なの?」
「僕らは亡霊……君たちの、敵だよ」

 そう言って影は闇の中に消えていった。それほど言葉は交わしていないのに、気の遠くなるような時間が経過しているように思えた。

「何だったんだろう、あれ」

 私が動けないなんて……よくよく考えれば、私は完璧ではないし超人でもない。ただ、痛みを感じないだけの人間だ。
 それよりも気になるのは、彼の発言だ。明確に私たちの『敵』だと言った。私が何者かを知っているとすれば、空魔の可能性が高い。他にも気になることは山ほどある。

「『僕は君』ね……」

 単に頭のおかしい人なのかもしれないが、何故だが無視出来なかった。痛みを忘れた心がどこか疼く。帰ったら報告すべきだろう。『殺すつもりはない』という言葉を鵜呑みにするほど私は能天気ではなかった。

「紫苑、聞こえているのか!? おい! 大丈夫か!?」
「え?」

 さっきまでいた謎の空間は消えてしまい、いつの間にか闇に包まれた夜の世界に戻ってきていた。一気に現実へと引き戻され、しばらく何も発せずにいた。

「影が現れた時からずっと動かなくなったから、変な術でもかけられたのか? 影は途中でいなくなったのに、動かないし……」
「そうなの? 私変な世界に飛ばされていたみたいなんだけれど」
「どういうことだ?」

 葵は疑問に思っていたようだった。葵の情報から察するに私はずっと棒立ちで微動だにしなかったようだ。触ってもピクリともしなかったらしい。そんなことになっているとは知らなかったため、私は自分が体験した出来事をありのままに伝えた。
 葵は釈然としないようで首を傾げた。葵の疑問はもっともである。そもそも私自身、未だに信じられないのだ。

「異世界か。空魔もいるならあり得るのかもしれないが、謎だな」
「帰って報告しましょう」
「そういえば、お前怪我していなかったか?」
「えぇ……って、あれ?」

 傷ついた腕を見ると、そこには裂かれた部分があるものの、出血はなくなっていた。痛みを感じないためまったく気付かなかった。いつの間にか傷が治癒していた。自分で治した覚えはない。というかそんな力は持ってない。

「傷が、治ってる……」
「それ、大丈夫なのか?」
「私にも分からない。検査した方が良いかも」
「そうだな、それも含めて報告するか」

 怪我は治ったのはいいが、あまりにも不可解である。あの空間に治癒の力があったのかそれともあの空魔が――考えたところで情報が少ないため確かなことは何一つない。
 ただ、あの空魔のような影はどこか寂しそうに見えた。何かを求めているかのように、腕には掴まれた感触が残っている。触ってみるも、特に変わった様子はない。
 それでも、私の心はいつまでもざわついていた。これまでにない感情に戸惑いを覚える。

「胸騒ぎしかしない」
「あまり、気負うなよ」
「分かってる」

 気負うなと言われても、気にせずにはいられない。得体の知れない感覚を振り払うように、寄り道せず研究所まで駆けていった。
 私の中ではさっきの出来事が頭から離れない。失った痛みに関係があるのか――突き刺すような夜風が頬を撫でていく。