『この話ももそろそろ終着点だ。けれども、僅かに時間があるから……昔話をしようか。これはある少女達のお話だ。振り返ることを知らない――無敵だった少女達の記憶。聞きたければ聞けばいいし、聞き流してくれても構わない。どうせ、この話はすでに終わってしまっていて、結末は変えようが無いからね……』
力が純粋な評価ではなかった時代――無能な人間も平等に評価される時代。強き者は弱き者を助け、模範となるように規律正しくしなくてはならなかった。定職に就き人々の役に立つように――自分の為だけに魔法を使うなど語道断――良くも悪くも規律と平等に縛られた世界だった。
当時のサランド大陸では魔法が使えない人間が多く、平等を謳いながらも最終的に弱者が優先される傾向にあり、力を持って生まれた者にとっては息苦しい世界であった。
対してメジア大陸は魔法の使える人間が順当に力を持ち、支配する弱肉強食の世界だ。正当に力が評価されるといえば、聞こえはいい。サランドで生まれ、力を持った人間は当然、メジアに移住しようとする。だが、過度な干渉を嫌うメジアはサランドからの移民を快く思わなかった。元より、メジアの民は排他的だったいうのもある。その為、メジアに渡るのは命がけと言われていた。力を持っていようが、選択肢を間違えれば地獄行き――それでも、メジアに渡ろうとする者は絶えなかった。
「馬鹿らしい……」
――どうして力を自分の為につかってはいけないの。少女の純粋な疑問に答えられる大人は少ないだろう。
サランドで力を持って生まれた少女――ヴェーダはずっと疑問に思っていた。自分のものなのに、自由に出来ないなど道理にそぐわない。
彼女は強大な力を持って生まれたが、他者とは決定的に違う点があった。それは普通の人間ではあり得ない、魔物の血が流れていることだ。耳も人とは違い少しだけ尖っていた。その事実を知ったのは、孤児院の院長に拾われた際、身体検査をした時である。ヴェーダ自身、父親も母親の顔も覚えていない。初めて聞かされた時は驚いた。
ごくまれに魔物に襲われた人間が身籠ることがある。決して多くはない事例だが、あり得ない話ではないという。魔物といっても高い知性を持ち、人の形をしているものいる。魔物は人間よりもグラスの力の影響を受けやすい――ヴェーダは人間でありながらも魔物の血を継いでいた為、普通の人間を大きく上回る力を持っていた。
幸い孤児院の院長は差別するような人間ではなかった。ただ、彼女に『人の中で生きたいのなら、ルールを守りなさい』と言った。自分勝手な振る舞いをしてはいけない。他人と同じように生きる。道から外れてしまったら人ではなくなってしまうから――とヴェーダに言い聞かせた。ヴェーダは幼いながらも院長の言葉を理解していた。
しかしヴェーダは理解したうえで、自由に生きたいと願った。魔法学校に入ってからその思いは一層強くなっていった。
学校ではルールに反したら罰を受ける。当たり前のことだった。決められたこと以外してはいけない。授業以外で魔法を使ってはいけない。授業で教えた以外の使い方をしてはいけない。魔法に関して探求心の強いヴェーダは罰せられることが多かった。
だが、成長するにつれて罰を受けるのが馬鹿らしくなり学校内では最低限のルールを守ることにした。正当に評価されたかったわけではないが、そうしてからのヴェーダの評価はかなり上がっていった。知識も技術も一般の生徒より上回っており、素行さえよければいつでも上位に入ることが出来たが、あまり目立ちたくなかった為、制御の特訓も兼ねて、学年で十位以内を維持出来るように努力した。
そんな彼女に人生の転機が訪れる――あれは、学園に入学してから幾度目かの春を迎えたときだった。
「どうしたら貴女のような魔法使いになれるのですか? 一体、どのような勉強をされているのですか!?」
「貴方は私になれないから、一生無理ね。さようなら」
突然ヴェーダに話しかけてきた同級生――桃色の髪をなびかせ、キラキラと輝きに満ちたをしていた。ヴェーダとは対照的な印象をだった。その頃のヴェーダは近寄りがたい雰囲気を出しており、同級生とは授業で必要な会話以外したことがなかった。当然友人もおらず、コミュニケーション能力は皆無だった。
突然話しかけられたヴェーダはつっけんどんに返した。それで終わらせるつもりだった。
けれども、相手は執拗に食い下がってきた。
「待って! お話だけでも……!」
「しつこい。私に構う暇があったら、努力でもしたら? 人にしがみついていたって何にもならないわよ」
「……そ、そうですよね。私、頑張ります! お時間取らせてしまい、申し訳ありません!」
納得できる答えだったのか、少女は一礼だけして風のごとく去っていた。あっと言う間の出来事だった。やっと解放されたと思ったのも束の間――
「私はルネと言います。この間は名乗らずにごめんなさい」
「……別にいい。はい、さようなら」
「な……お待ちください!」
その後何故か、ルネに付き纏われることになった。ヴェーダはあまり人付き合いが好きではない。特定の誰かと群れることも嫌いで、いつも一人でいることが多かった。
そんなヴェーダの気持ちもお構いなしに少女――ルネはぐいぐい攻めてくる。
「そんなことを言わないでください。私は貴女のことが知りたいのです。貴女の強さの秘密を知りたいのです」
ルネはヴェーダと似て、探究心には溢れているようだった。目立ちすぎたか――とヴェーダは面倒くさそうにルネへ答える。
「知っても貴方が強くなれるわけじゃない」
「分かっていますわ。でも、参考にはなるでしょう?」
「別に私じゃなくてもいいでしょう」
「貴女が成績上位者だから聞いているのです」
成績の順位など興味もないのでほとんど確認していなかったが、一位ではないことぐらいは分かっていた。二十位以内に入るくらいを維持していたと記憶している。それならば一位の人間に聞いた方が良いのではないかとヴェーダは純粋に思った。
「首席ではないし、そこまで秀でているつもりもないけれど、どうして私に拘るの?」
「貴女の魔法を拝見しました。その……何というか、貴女の魔法は他とは少し毛色が違うように見えました。決して、悪い意味ではありません。多くの魔法使いの中で、ひと際輝いていたような気がしたのです。言語化が難しいのですが、とにかく光るものを感じたのです。私も貴女と同じ生徒ですので、何を言っているのだと思われるでしょう。けれども、感じたのです!」
「褒めてくれるのは結構だけれど、買い被り過ぎ」
「失礼ですが……貴女は実力をあえて隠しているのではないでしょうか? 貴女自身の本質を見せていないのでは?」
ヴェーダの表情は一瞬だけ顔をしかめた。ルネの見る目は確かなようだった。教師ですら、ヴェーダのことを過少評価している者が多かったというのに、生徒の立場で見抜いてくるとは――油断しすぎたとヴェーダは内心焦る。
確かにヴェーダのは魔物の血を引いているから魔力は強い。だが、バラしてしまえば排斥されるのは目に見えている。不公平だと喚かれるだけだ。
だが、この力を使いこなすには相当の努力が必要だった。力が強くても制御できなければ意味はない。ヴェーダもただ力を持っているわけではなかった。ルネがそこまで見抜いているとは考えにくいが、適当にあしらっても喰いつかれそうだった。
「……気のせいじゃない?」
「力もそうですが、後は……人間性ですかね。派閥を作らずいつも一人でいる貴女に興味があります。成績上位者でも将来の為に繋がりを持とうと、必死になっているというのに。貴女自身が先導者になるつもりですか? そうであれば、是非……!」
「今のところは無い。面倒ごとは嫌いなの」
「そうですか……」
ルネは残念そうに肩を落としていた。卒業したら就職するのが常識のサランドでは、コネクションが魔法の次には重要視されていた。今のうちから、大手の就職先へいく為にリーダシップを発揮し、実績を積み重ねていくのだ。どれもこれも将来の為――それが正しい道だと幼い頃から刷り込まれている。
だが、ヴェーダは今のところ、そういったものを作る気はさらさらなかった。人間関係すら煩わしいと思っているのだから、当たり前であった。
それに、魔物とのハーフはサランドでは忌み子のような存在であり、バレたら退学にもなりかねない。孤児院に迷惑をかけるつもりはないので、大人しくしている方が都合がいいだけだ。
「逆に聞くけれど、貴方はどこかに所属しているの。それか自分で作っているの?」
「私は作ってもいませんし、所属もしておりません」
「……貴方こそ人の事を言えないじゃない」
ヴェーダはこれっぽっちもルネのことを気にしていないが、ルネの本性を引き出すために質問をつづけた。どういった人間なのか分かれば、相手の地雷をわざと踏んで寄り付かせないように出来ると思ったのだ。
「私は親の仕事を継ぐ予定ですので、心配はいりませんわ」
「……立派な勝ち組じゃない」
「親の期待を背負っていますし正直、気が重いですよ」
ルネははぁ、とため息を吐く。自分が粗相をしたら、親の方まで評価が響く以上気は抜けないだろう。将来が決まっているというのも考え物だとヴェーダは少し思った。
「親の会社を継ぐというのも一つではありますが……私は自分の意思を曲げたくありませんわ。妥協をしたくないのです。派閥に入れば、私の思いが踏みにじられることだってあるかもしれない……私には耐えられませんわ」
ヴェーダ達の通っている魔法学校は貴族や大手企業の子息や令嬢が多いが、だからといって実力や作法が伴っている生徒ばかりではない。特に学校では親の地位や権力が大きく働き、魔法の才がなくとも派閥を作り、権力を振りかざすことが少なからずあった。魔法の成績はさすがに誤魔化せないが、それ以外は有力者が強い。親の七光りなどと口にすれば、どんな仕打ちを受けるか容易に想像出来る。ピンからキリまでとはよく言ったものだが、ルネはそういった人間を快く思っていないようだ。力を持たないくせに、態度だけは大きい。見栄っ張りの人間に辟易しているようだ。
独善的な性格だなぁ、とヴェーダは自分と重ね合わせていた。ヴェーダ自身、ルネの言いたいことが分からなくもなかった。
だが、ルネはあくまでもこのサランドでの基準で物事を考えているようだった。もしも、ルネが何のコネも無いヴェーダのような出自だったらどうなっていただろう――彼女は自分の意思で生き抜くことが出来るのだろうか。考えても仕方のないことだった。
「つまらない話をしてしまいましたわね。貴女なら同じように思っているのではないかと思ってしまい、つい……」
「さすがにそこまでは思ってないわよ。貴方ほどではない」
「やはり、貴女とは良い友人になれそうです。誰にも靡かないその姿――私の憧れそのものです」
「……はぁ」
思いもよらない返答に、ヴェーダの疲労は溜まっていくばかりである。ルネの性格がある程度分かったが、ヴェーダとしては進んで関わりたくない部類の人間だ。同族嫌悪に近いのかもしれない。この手のタイプは引くことを知らない。自分の感覚が絶対だと信じている。ヴェーダが魔物の血が入っている人種だと知れば、去っていくだろうが余計な波風は立てたくなかった。
どうしようか悩んだ結果――ヴェーダはルネの熱量に白旗を上げることとなった。
「……ルネ。貴方、相当な馬鹿ね……私に構うなんて。この時間を使って、魔法の勉強した方が有意義だと思うわ」
「そんなことありません。貴女とこうやって会話している時間も有意義だと思っていますわ」
ルネは満面の笑みで答える。ヴェーダもつられて笑っていた。
これ以降、ルネとヴェーダはあまり話すことはなかったが、少しだけ距離が近づいた。互いに魔法を教えあったり、新しい魔法を開発する研究もした。本来なら、やらなくてもいい分野でも二人は独自に学んで、互いに高めあっていった。ヴェーダはだんだん心を開いたのか、ルネのことを認めつつあった。ルネもまた、唯一認める友人としてヴェーダと接し続けた。
「ヴェーダはすごいですね。私なんかまだまだ遠く及ばない」
「貴方も立派じゃない。私なんかより目的もあって、やることも決めている。私なんか宙ぶらりんよ」
「普段人に褒められても何も感じませんが、ヴェーダに褒められると嬉しいです」
「ふふん。当たり前よ、この私だもの……って、そこまで大した事やってないけどね」
「いいえ。貴女は数ある星の中でもひと際輝いていますから。謙遜しないでください。貴女の力は本物です」
穏やかな日々が続く。二人とも着実に力をつけていき、互いにライバルとして認識していた。二人の見ている景色は同じものだったはずであった――この時までは。
しかし、友情は脆く儚く砕け散ることになる。友情も憧れもいつまでも続かない。
それは彼女達の卒業が近づき、それぞれの道を歩みだそうという時だった――旅立ちの花弁が散る中、ルネの叫び声が響き渡る。
「就職しないのですか!?」
はぁはぁ、と息を切らせながら叫ぶあたり急いで階段を登ってきたのだろう。そこまで重大なことでもないのに――ヴェーダは髪をくるくると弄りながら、面倒くさそうに顔を上げた。
「就職しなければいけないって、法律で決まってるわけじゃないでしょ。レールから外れる人間だっているわよ」
サランドには魔法学校が一つしかなく、生徒の人生は学校へ入学した時点で全て決められ、途中から変えることは許されなかった。現代よりも魔法を使えるものは少なく魔法使いは弱者の為にといった風潮があり、そこから外れた者は蔑まれ、世間からは冷たい目で見られた。どんなに権力を振りかざす者も最終的には家業を継ぐ。だからこそ、傍若無人な振る舞いが出来るのだ。
後ろ盾すらないヴェーダがこの世で生きていくには職に就くしかないのだが、ヴェーダは最初から真面目に働くつもりなどなかった。進路指導はいつも適当に言ってごまかしていた。ヴェーダほどの実力があれば就職自体は困らない為、教師もさほど気にしてはいなかった。どこかで就職先を決めているだろうと思っていたのかもしれない。だが、いつかはヴェーダが何も決めてないことはバレてしまうだろうと思っていた。だからこそ、早めに旅立つつもりだったのだが、ルネに見つかってしまった。
ヴェーダは自身の進路について、信頼している孤児院の院長にしか言ったことが無かった。院長との会話を思い出す。
『魔法学校を卒業した子は大抵就職先を決めて、ここから巣立つのだがね……君は少し人とは違う。それは自分でも気づいているだろう。今ならまだ私が就職先を紹介出来るが……自由に生きるというなら私は余計な口を出さない。普通の子には勧めないが、君ならばメジアに渡るという選択肢もあるだろう。あちらは強い魔法使いが生きやすい世界と聞くからね』
『私はメジアに渡るわ。色んな世界を見て回るの。決まった人生とかつまらない。そもそも私の人生は私のものだし、決まってないし!』
ヴェーダがそう言うと院長はにっこりとそれでいて、どこか寂しそうにほほ笑んだ。
まるで最初から知っていたかのように。院長は一定の理解を示していたが、周りはそうではない。ルネも含めて――
「貴方には関係ない話よ」
「非常識にも程があります! 尊敬していたのに……そんな愚行をする人だとは思いませんでした!」
「優等生だって好きでやっていたわけじゃない。あんなの全部嘘に決まってるじゃない。貴方だって、他人を見下していたじゃない。私と似たような感性を持っていたと思ったのだけれど、どうやら違ったみたい」
「……何を言っているのかさっぱり分かりませんわ。見下しているなんてそんなことはありません」
どうやら本人に自覚は無さそうだった。無意識に差別しているのだ。ルネの家は魔法研究の最先端を担っている、由緒正しい家柄だった。自分の家柄やステータスに絶対の自信を持っている。だからこそ、他人になびくことは無かった。金を工面する為に派閥に所属することもあるのに、ルネは頑なに入らなかった。自分に見合う者がいなかった――彼女はそう言っていたが、自分より下の人間につくことが何よりも嫌だったのだろう。
「そうだ! 私と一緒に働きませんか!? ヴェーダならお母様やお父様も認めてくださるはずです! 今からでも遅くは――」
「だから言っているでしょう。私はサランドで弱者の奴隷になるつもりは一切ない。私を馬鹿にしているの?」
「そんなつもりは……」
「ルネ……前々から思っていたけれど、貴方は傲慢なのよ。何でも自分の思い通りに事が運ぶわけないでしょう。私と同じあって欲しいと願っているだけじゃない。最初に言ったわよね。貴方は私じゃないから、私になれない――私の人生は私のものよ。誰のものでもない」
ルネが実際にどんな思いで言っているのかは分からない。ルネは自分の思いを貫きたいようだが、ヴェーダもまた曲げるつもりはない。最初から全て決まっていたかのように、時間は流れていく。
「……こう言えば満足かしら『私と貴方じゃ住む世界が違ったの』――って」
どう足掻いても変えられない願いは衝突する。自由を望む者に規律は縛りでしかない。願いを叶えるには軛を外して抜け出すしかない。ルネと一緒に生きるという選択肢は、この場所に囚われることになる。ヴェーダはそんなのは願い下げだった。ルネが心変えてくれるなら、まだしもそんなつもりは無さそうだった。ならば、ここまでだ――ヴェーダはこれまでの思い出を断ち切る。
「そういうわけで、貴方との縁もこれまでね。生きていれば会うこともあるかも。じゃーねー」
かくして、ヴェーダは卒業式の日、ルネに別れを告げて彼女の前から消えた。まるで、最初からなかったかのように蜘蛛の糸のように補足脆い繋がりは切れてしまった。
「どうして……」
一人残されたルネは呆然と立ち尽くしていた。未だに現実が受け入れられなかった。自分はヴェーダを認めていたし、ヴェーダもまた自分を認めていると思っていた。
ルネはヴェーダが孤児院の出身だということを知っていた。それでも、ヴェーダの力に惹かれ追いつこうと努力した。生まれなど跳ねのけ、他者と群れず立派な魔法使いになった彼女は、コネクションが無くとも通用するだろうと思った。そんなヴェーダと胸を張って肩を並べられるようにと研鑽した。
それなのに――ヴェーダがこの場所からいなくなってしまうだなんて。ルネの感情は徐々に濁っていく。
「ヴェーダ――絶対に許さない」
ルネの瞳には仄暗い何かが宿る。ルネ自身気づいていないが、ヴェーダへの憎しみはこの頃から発生したと思われる。高みにいるヴェーダを何が何でも引きずりおろす為に、彼女は様々な研究へ着手した。親の仕事を手伝いながら、裏では色んな文献を漁る日々。その中でもルネが着目したのは、魔法の限界についてだった。魔力に許容範囲があるのは知っていた。それを何とか伸ばすことは出来ないかと模索した。魔法の根源であるグラスの歴史も含めて昔の文献から、寝る間も惜しんで調べた。
ヴェーダよりも自分は優れている。自分の力の価値も分からない人間に、負けるわけが無い。力の価値――果たしてどちらが本当に理解していたのか。
本来の仕事である、新魔法開発も手は抜かなかったが、もはや偽装になっていた。ルネは表面上取り繕うのがうまく、誰もルネの心の奥底に眠る真実に気づくものはいなかった。
様々なタスクを抱えながら日々を過ごしていた時――ふと疑問が湧いた。
(ヴェーダは孤児院出身。親元が分からない……もしかすると、そこに秘密があるのかも)
ちょっとした好奇心だった。魔法にはある程度、遺伝的な要素が関係してくることはすでに証明されていた。ヴェーダの親がもし優秀な魔法使いであるのなら、その遺伝子を継いでいる可能性がある。それならば、あれほどの力も納得出来る。
ルネは暇を見つけて、ヴェーダの住んでいた孤児院を訪ねた。幸い、孤児院はまだ残っており、当時ヴェーダを見ていた先生もいた。ヴェーダの友人だと言うと、快く話をしてくれた。その会話の中で探る様に聞き出した。
そこでルネはヴェーダが魔物と人間のハーフだということ。普通の人間にはあり得ないほどのグラスを有していたこと初めて知った。ルネはその話を聞いて合点がいった。彼女は一つの結論を導き出した。
(ヴェーダは魔物の血を引いている――人じゃない。魔物はグラスの扱いに長けている……あぁ、そういうこと。ヴェーダは最初など眼中になかったのね。絶対に追いつけないと、嘲笑っていたのね……私を、見下していたのね……)
やるせない気持ちと、怒りが入り混じったような感情にヴェーダはしばらくふらふらと歩いていた。突き付けられた現実はルネにとって耐えがたいものだった。
(……それでは、私は一生勝てないという事? 悪いのは弱い私ということなの!? あぁ、あぁ……)
ヴェーダはおそらく自分の力の由来を知っていながら、ルネと付き合っていたのだ。これが侮辱以外の何であるか――怒りはやがて、憎悪に塗り替わっていく。
(奴は心の底で私を馬鹿にしていたのね。追いつけないと分かっていて。嘲り見下していたのね……私の言動はさぞかし愉快だったでしょうね)
やり場のない感情はどす黒いものに変わっていく。あぁ、あいつさえいなければ――どう足掻いても勝ち目はない。相手が魔物の血を引くとなれば、魔力も桁違いだろう。自分にヴェーダをしのぐ力はない。
どうしたら勝てるのか。どうすれば殺せるか――ルネの頭の中はヴェーダを消すことに拘るようになっていく。
(ヴェーダが自由に生きていると思うと憎い。人間でもない化物に憧れていたなど、記憶から消してしまいたい……!)
それからのルネはヴェーダを如何にして消すかを考え続けた。魔法の研究と称しながら、ヴェーダに有効そうな魔法を考え実験を重ねた。結果はどれもしっくりこなかった。どれもある程度、人の役に立つようには考えてあったので、ルネの真意には気づく者はいなかった。
他の卒業生の近況を聞きながら、少し焦りを感じていたが手を抜いても良い結果などでない。ひたすらに己の道を進み続けた。この時はまだ、自分が道を外していないと思っていた。
(あの化け物は生きていてはいけない。私は間違っていない。殺す為の魔法でも仕方ない――でなければ、私の心は救われない……)
周りが成果を出していく中、焦燥に駆られ、先の見えない未来に不安を覚え、彷徨っていた。
そんな折、ルネはある存在に出会った。彼女が自分の別荘のベランダで一人休息を取っていたときである。別荘は森の近くにあり、周辺に人もおらず一人になりたいときや、行き詰った時に使用していた。元々は貴族の家だったらしいが没落して、放置されていたのをルネが買い取ってリフォームしたのだ。両親にも教えていない、秘密基地のようなもので何なら結界も張っていたはずだった。そんな場所に入り込んでくる者など、不審者以外の何者でもない。
「浮かない顔しているね。どうかしたのかい」
「誰ですか? ここは結界を張っているはずです。簡単に入れるような場所ではないのですが」
ルネの前に現れたのは、煌びやかな髪をした子どもだった。ルネの周りを漂って、観察しているようだ。明らかに普通の人間とは異なる存在に、ルネは警戒心を高めつつ毅然と対応する。
だが、子供はそんなこともお構いなしに宙を漂う。飛行魔法の類だろうか――だとしたらかなりの実力を持っているが、一体何なのか。ますます、ルネは訝しむ。
「僕からすれば、結界はあってないようなもんよ。僕は何者でもない。君が好きなように認識すればいい。人間でもいいし、化け物でも構わないよ」
化け物――一瞬だけヴェーダの姿がよぎるが、頭の片隅に追いやった。
相手はというと、ぺらぺらとよく喋る。勝手に話を続ける相手に対してルネは苛立ちを覚える。
「何を馬鹿なことを言っているの。どうみても人じゃない」
「あっはっは。そう見える? 人だとかそうじゃないとか……どうでもいいだろう。そんなのは些末なことだよね。この目に映るものが真実であり、現実なんだからさ」
ルネは何故だか心がざわつくのを感じていた。恐れではない――心を見透かすような不気味さが気持ち悪いのだ。一刻も早く、この会話を終わらせたかった。
「何を言っているのかさっぱりよ。用が無いなら消えなさい。」
「……君達の生きる場所では、規律を守ることによって平和が生まれている。だが、自由や個性を出すのは好ましくないようだけれど」
「…………」
サランドはどんなに力を持っても、自分の為に使うことを良しとしない。持たざるものもいるのだから、その為に使うべきだと――ルネも信じて疑わないサランドの認識。力ある者が弱者を導く、当たり前のことだ――だというのに、今のルネは何かが引っ掛かっていた。目の前の子どもの戯言など無視すればいいのに、耳に嫌でも入ってくる。抗えない何かがあるようだった。
「自由を許さないのは秩序が乱れるから……けど、生まれ持った力を自由に振るえないなんて、どうかしているよ。力は自分のものなのに。魔法は本来、願いを叶える為にあるのに。これでは輝きも損なわれてしまう」
「……何が言いたい」
「結局のところ、君は憧れで止まっている。それじゃあ、上にはいけないね。何なら、友にも追いつけない。君は友に裏切られたと思っている、そして嫉妬している。心がどこまでも自由な友に憧れていて、同時に妬んでいた――ってところかな。でも、君の思いがすべてが嘘だったわけじゃない。だからこそ、君は許せない……尊敬していた気持ちは誰よりも強かったから」
目の前にいる子どもは、確実にルネのことを事細かに分析しているようだった。いや、調べているなどというレベルではない。心の中どころか、ルネの記憶を覗いているようにしか思えなかった。ルネの額にはいつの間にか、冷や汗が浮かんでいた。これ以上聞いてはいけないと、体が叫んでいるのに縛られたように動けない。一刻も早く、この現実から抜け出さなくては――ルネの身体は無意識に後退していた。
「お前に何が分かるっていうの!? 気持ち悪い……何なのよ!! いきなり、表れて」
「君さぁ……すでに道から外れていることに気づいているのかな。研究を隠れ蓑にして、自分のやりたい放題やっているよね。今の君はまさしく自由だと思うよ。それこそ、君の友人みたいにね。喜びなよ、君の輝きはまさに今が絶好調だ」
理解したくない気持ちが勝り、得体の知れない恐怖がルネの中を這いずり回る。目の前の子どもは、一体何を言っているのだろう。耳障りなことを言ってるのなら、息の根を止めて殺してしまえばいいのに。
だが、それでは自ら認めることになってしまう――憧れも何もかも捨てるべきなのだ。自分をかき乱す感情など必要ない。それを発生させるヴェーダはやはり消さなくてはいけない。ルネの思考はどんどん混沌の中に堕ちていく。
「自らの感情を否定するのは勝手だけど、切り離すことは出来ないよ。この世界ではね……人なら当たり前なのさ。欲望を抑えるのって難しいんだよ。ま、僕はそんな人間が好物なわけで……」
「好物? 悪魔……だとでも言うの」
「君の好きなように解釈するといい。最初に言っただろう。僕は何者でもないって」
「どうしてお前は私の前に現れたの。説教する為に来たわけでは無いのでしょう」
「メジアの魔法使いは強いけど少し弱い。我慢してないから、不満も無いんだろうね。サランドにはあまり期待してなかったけど、実際来てみたらいい感じの人間がいたから来ちゃった」
「……それが私ってこと?」
「物分かりが早くて助かる」
そう言って、ルネの胸に指を当てた。ルネの心臓はどくんと跳ねる。魔力を感知する力が無くとも分かる、凄まじいグラスだった。こんなもの、普通の人間が持っているわけがない。そして、魔物でもこれほどまでのグラスを持ち合わせている者はいない。だとすれば、目の前にいる者は何だというのか。神の遣いとでも言うのか。
「君の心が、輝きが色褪せない限り、君に力を貸そう。君の願いを叶える為の踏み台にしてもらっても構わないさ。その代わり側で監視させてもらうけど」
「…………神様気取り? 生憎、私にはそんなもの必要ない。そんなものを借りたら、ヴェーダと同じになる」
「なるほどー美学があるのは結構だけど、君はそれで満足してるの? 力が無い……追いつけないのは相手に才能があるからで、自分は悪くないって――言い訳し続けるのなら、僕はそれでも構わないよ。その生き様を見届けさせてもらおうじゃないか」
ルネは口を噤む。純粋な人間から外れたら、ヴェーダと同じように魔物のような醜い存在になる。ルネには人間なりのプライドがあった。正体の分からない怪物の力を借りる程、落ちぶれてはいない。かといって、プライドが邪魔をしているとなれば――ルネの天秤が揺れ始める。
「安い挑発に乗るつもりはないけれど、本当にお前が力を持っているのなら、私に示してみなさい。私は自分より弱い者の意見に従うつもりはない」
それでも、ヴェーダをひっくり返せる何かがあるなら、それを使うことも厭わない。
だが、そんな上手い話に乗る程、ルネは単純では無かった。魔物だったら、ヴェーダと同じになってしまう。この子どもの力がどこから来るものなのかを、見定めるつもりだ。純粋な興味と自分の利になるか――プライドでは買えないものもあることは承知の上だ。プライドなど、純粋な力の前では不要なものだ。ヴェーダと同じになろうが、上回ることが出来ればヴェーダより優れていることになる。
それこそ、今のルネが心の底から望むものだ――
「その慎重さもなかなかだね。ただ、加減が難しいからちょっと死ぬかもしれないけど、それでもいいなら見せてあげるよ」
「いいでしょう。私の時間を奪ったからには、楽しませてくれなくては」
「……んーそれは君次第かな。まぁ、いいや。どっからでもかかってきなよ」
目の前の子どもは、余裕そうに構えている。いや、構えているというふうでもない。丸腰で自然体のようだった。舐められたものだと、ルネは内心苛立ちを募らせる。奇怪な力を持つとはいえ、たかが目の前にいる子どもに負ける程ルネは落ちぶれていない。ルネは相手が大人だろうが子どもだろうが、全力で対応する。
それも、不確定要素をなるべく排除し、少しでも自分の勝利を確実にする。手を抜くことなど一切しない――そのはずだったが、結果はどうだろうか。
ルネはあっと言う間に地べたに這いつくばっていた。何が起きたのか、理解不能だった。自分の力を出し切ったはずなのに、何も通じなかった。そんな者がこの世界にいるのだろうか。
「っう……一体、何だっていうの。お前は……何なのよ!?」
「何者でもないって言ってるじゃないか。この世界にいる空気であり、自然のようなもの。輝きを好む得体の知れない何かだよ」
魔法も物理も知識があったとしても、何の意味も無い。文字通り次元が違う存在だった。ルネ自身が持つ知識と魔法を総動員しても、何一つ傷つかなかった。このような人間が――魔物がいるだろうか。本当に神か何かでは無いのか――ルネは悔しさで歯がみする。
「……私は恐らく、お前の言っていることを十も理解出来ないでしょうけれど、力だけは確かに分かりました。この世のものとは思えない、超人的な力――魔法の限界に触れそうな神秘……」
この力を手に入れることが出来れば、ヴェーダを殺せるかもしれない――ふと、ルネの頭に過る可能性。心のどこかで、出来やしないと諦めていた。ヴェーダの実力は何よりも自分が認めていた。だからこそ、追いつけないと絶望していたのだ。
「力さえあれば……私は変われる」
「出来なかったことも出来るようになるかもね。それこそ、普通の人間には到底無理な芸当もね~」
子どもの言葉を聞いて、ルネはこの力を手に入れた時のことを考える。力があれば色んな人間をねじ伏せることが可能だろう。だが、ルネの目的はそんなことではない。ルネの願いはただ一つ。ヴェーダ何としてでも、この世界から消してしまいたいのだ。それもただ、消すだけでは満足出来ない。地獄のような苦しみを味わって欲しいと思っていた。それほどまでに、ルネはヴェーダに対して憎悪を抱いていた。傍から見れば、理解出来ない思考回路だがルネにとっては何よりも優先されるべきことだった。
「その力、天変地異を……各地で被害を拡大させている、災厄とも呼ばれるものも封印出来るのですか?」
「出来るよ。てっきり世界を変えられるのか聞かれるかと」
「そんなことも出来るというの!?」
「やろうと思えば出来るよ。自分にとって都合の良い世界に変える。ただ、今の時点だと、出来ない。君がその力に見合う存在になったとき、出来るようになる」
「……出来ると言っても、代償か何かを払うのでしょう」
「まぁね。世界を変えるってのは、重大なことなのさ。君もよく分かっているだろう、その願いがどれほど難しいか――」
ルネの悲願であり、成し遂げなければならないこと。ヴェーダのいない世界を作るのは普通では不可能なのだ。ただ死んでも、痕跡が残ってしまう。ルネには耐えられなかった。自分の記憶を消してしまえばいいのではないかと、考えたがそもそもなぜ自分がそんなことをしなくてはいけないのか――理不尽だという結論に辿り着いた。そもそも、ヴェーダがいなければこんな思いをせずに済んだのだから、ヴェーダが消えた方がいいに決まっている。
「私は……」
全て捨ててでも、手に入れたいもの。望むはヴェーダのいない世界。アレさえいなければ自分は惨めな思いをしなかった。彼女がいなかったら、自分はもっと高みにいたはずだ。思いを踏みにじられ、嘲笑われルネはもはや正気を保っていられなかった。自分が信じていたものが崩れていくような感覚はもう二度と味わいたくない。ヴェーダさえいなければ――憎しみに囚われ、醜い心など抱かなかったはずだ。浅ましい己の存在が許せない。それでいて、のうのうと生きているヴェーダはもっと許せない。
自由に生きてやろうじゃないか――私の人生は私のもの。そういったのは誰だったか。
「私は私の為に完全な世界を創る……」
ルネの瞳は闇の中に堕ちていた。目の前の存在に手を伸ばす。希望は彼女の手を握った――満面の笑みを浮かべている。真意は分からないが、ルネはなりふり構っている余裕奈など無かった。
「……いいね。その意気だよ。さて、今回はどうなることやら」
ルネに言葉は届いていなかった。破滅への一歩だと分かっていながら、地獄へと手招く存在に引かれるまま動き出す。世界は静かに胎動を始めた。
そして、導かれるまま数年後――
二人の少女は再び邂逅する。場所はヴィオレットが眠る地。禁則地として扱われている場所だった。ヴィオレットの国が近くにあるが、ルネはお構いなしだった。もはや、現段階でルネを止められる存在はいなかった。それこそ、彼女が憧れていたヴェーダでさえ手も足も出ない状態だ。
ルネはヴェーダを高みから見下ろす。圧倒的な力をもって、ヴェーダをねじ伏せた。ヴェーダは何が起きているのか理解出来ていなかった。
「貴女には生まれ持った業がある。それを生かしているだけ。分かっています。えぇ、私はとても理性的だから、許してあげるわ。けれどねぇ……私の思いを踏みにじったことは許さない。絶対に……!!」
「ちっ、寝言も大概にしなさいよ……」
ヴェーダは深手を負っていたが、それでも屈することは無かった。ボロボロでも、ルネに歯向かう意思は消えていない。
「貴女には一生分からないでしょう。でも大丈夫、貴女にも分かる日が来る。私が教えてあげます。暗い、深い……光の差さない奈落の底でね……」
「ルネ。貴方のこと、嫌いではなかったわよ。他の奴らよりはマシだと思っていたのだけれど」
ヴェーダが何を言っても、ルネには何も響かない。彼女は変わり果ててしまった。ヴェーダが知るルネとは違うのだ――絶望していた少女はもういない。
「貴女のその傲慢さ……相変わらず人を苛立たせることに関しては、右に出る者がいませんね。私は大嫌いでした。貴方の存在が疎ましい。いるだけでも許せない。ヴェーダ、私の友にして最後の敵」
「私は一切、貴方に恨まれるようなことした覚えはないのだけれど」
「言ったでしょう。貴女はいるだけでも迷惑。消えて欲しい。世界を混沌に陥れた魔女としてね……」
「何ですって……?」
ヴェーダの顔色が変わる。言葉だけでも、不吉な連想がされるだろう。自分の身に降りかかろうとしている何かを本能的に察知したようだ。
「貴女と一緒にこの世界に蔓延る災厄を封印するの。これから起こり得る全ての天変地異を全て封じます。アハっ……アハハハハハ!!」
「そんなこと出来ると思っているわけ? 災厄というのはグラスの塊よ。人にどうこう出来るものじゃない」
ルネの計画はヴェーダを災厄の魔女として封印すること。ヴェーダを災厄を起こしていた元凶に仕立て上げ、災厄と一緒に封印する――これがルネの悲願への第一歩であった。グラスの力があれば不可能ではない。
ルネの戯言だと思い、ヴェーダは笑っていた――ルネが神にも等しい力を手に入れてることなど知る由も無い。
そんなヴェーダに対して、ルネは淡々と事実を告げる。ヴェーダの嘲笑など、ルネにとっては些末なものだった。
「そんなもの……人が神と同位になれば、関係のないことですわ」
「何を…………まさか。そんな、ことって」
ヴェーダは明らかに信じていないようであった。それもそうだ、ルネの魔力は普通の人間より優れているぐらいだ。ヴェーダも知っていた現実だった。
しかし、その現実はひっくり返っている。ルネが選んだ道によって、真実は塗り替えられた。
「ヴィオレットの伝説はご存知でしょう。彼の魔導士は膨大な力をもって戦乱の世を治めた……」
ヴィオレット――大昔にいた魔導士はグラスの力をもって、戦争を収束させた。と、言われているが実際はグラスの力はおまけで、彼の願いが戦争の終結だったからそうなっただけのことだ。歯車となる代わりに、戦争を終わらせた。グラスの力と言われたらそうかもしれないが、厳密には違うものである。ルネはこのことを知らないが、あながち嘘でもないので黙っていた。
「グラスは私の味方のようですよ? アレは私に力をくれたわ。今のお前なんてゴミ同然。誰も私に勝てない! あはははははははははははははは!!! お前は災厄を封印する為の餌だ! 惨めに魂を喰われて叫んで消えろ!! いひゃあはあああああはははあははあはははは!!」
狂ったように笑うルネを見て、ヴェーダはかなり引いていた。引くどころか、憐れむような視線を送る。常人からすれば、ただの狂人にしか見えないのだから仕方ない。
「ルネ……」
誰の視線も声も一切、届かない場所にまで上り詰めたルネはひたすら笑っていた。世界に自分さえいればいい――他人が介在しない世界に独りいるようだった。
ヴェーダは哀れみから一気に、怨嗟の念をルネに注ぐ。
「お前は……一生私には勝てないわよ。正直、あんたのことはそこまで気にしていなかった。でも、今回はっきり覚えたわ。絶対に許さない、絶対に殺してやる。私は災厄の力を従え、再びお前の前に現れ、お前の全てを葬り去ってやる」
「いいえ。そんな時は来ませんわ。私が許しません。お喋りはここまでです。貴女は災厄の魔女として、ここで封印されるのです…………アハハハハ! 無様ねぇ!! いい気味だわ!!」
ヴェーダを中心とした黒い魔法陣が展開される。そこから影のようなものが伸び出てくる。ヴェーダを包むように影は覆いつくしていく。ルネが長い時間をかけて編み出した、ヴェーダの為の魔法だった。
「貴方は何をしているの!? ああああああああああああああッ!!」
「それが世界の選択ですよ。貴女は永劫一人、私の目的が達成されるまで寝ていなさい!」
ヴェーダの声がだんだんと遠くなっていく、黒い影は災厄そのものである。この世界における恵みの力だが、ルネは百も承知で封印している。ヴェーダを忌むべき存在として、この世界に刻みたかったのだ。
「グラスの力に飲み込まれて死ぬといいですわ」
ルネはもうヴェーダの方を見ていなかった。ルネは自作の魔法をさらに高める為、考えていた。ヴェーダを封印したとはいえ、この魔法は不完全な状態だ。持続させる為には大量の魔力を消費する。自前で補える範疇ではあるが、ヴェーダの為に力を割くのも許せなかったようだ。
「まだよ。まだ。これでは不完全。完全にする為にはもっと生贄が必要だわ」
「不完全な牢にぶち込むなんてよくやるよねぇ~」
「大量の魂を入れたらある程度の期間は安定するでしょう。奴はきっと戻ってくるはず……!!」
「一番はすごい魔力を持った人間を放り込むって方法。さっきの彼女みたいにね」
「……器は本当に現れるというの? いたら分るもの?」
「僕は実際に見たことがないから分からないんだよなぁ~グラスの力が不安定になったとき、表れるから」
「ならば災厄を封印した今なら、その周期が早くなる……ということはあり得るの?」
「もしかすると、あるかもしれないね。そこは本当に僕の管轄外なんで」
「ふふ……何でもいいわ。私の願いが叶うのなら――この世界からあいつが消えるのなら……! いくらでも待ってあげますわ……」
ヴェーダが封印された後には、何も残っていない。異空間に飛ばされ、今頃災厄という名のグラスの力に飲み込まれているだろう。普通の人間ならあっと言う間に魂がすり減ってしまう場所だ。
だが、彼女なら乗り切る可能性がある。ふたたびルネの前に現れるかもしれない。その時、ルネはどうするのだろうか――ルネがこの先どんな選択肢を取っていくのかユラギは見届けることにしたのだった。
『やぁ、帰ってきたようだね。これは始まりにして、終わってしまった物語――秘匿された思いの真実の一端だ。君が忘れてしまった思いもあっただろう……ルネ。君との時間は思ったよりも楽しかったよ。君が安息の地へ行けることを願うよ』