「え……」
レイラは驚きを隠せず、固まっていた。それもそうだ――他の誰でもないルーンが引き留めていたのだ。さっきまでは何ともなさそうだったのに、どうして今この時になって止めたのだろう。ルーンはどこか焦っているようにも見えた。
「レイラ……君は本当にそれでいいのか!? 別にこの世界だって守る必要はないんだ! 世界が終わったって構わない――僕は君の願いを……君自身の思いを大切にして欲しい」
「私はこの世界が無くなるのが怖い。思い出が全て消えてしまうのが恐ろしいんです。世界が終わるということは、時が止まって何もかも生まれなくなって、全てが無に還る――そういうことでしょう!? 私はまだ見ていたい。自由になった皆を――新しく踏み出そうとしている人達を見ていたい……守りたいんです」
あれだけ死にたい、終わりたいと言っていたラパンは生きてみようと言っていた。レインは国の民がいなくなったとしても、前を向いて歩こうとしている。ならば、その世界は続かなくてはいけない。途中で閉ざされることなど、あってはならない――皆の輝きを、失わせてはいけないと強く感じた。嫌々やろうとしているわけでは無い。レイラが考えて導き出した答えなのだ。
「私は――」
ルーンの思いに反抗するべきなのは分かっているが言葉を間違えたら、取り返しのつかないことになってしまいそうで、何も言えなかった。かと言って、このまま放っておくわけにもいかない。レイラが必死に考えていると、見かねたようにユラギが呟く。
「ルーン、君は本当に馬鹿だな。あれほど、自分の思いに嘘をつくなって言ったのに。本当はグラスの器なんかになって欲しくないんだろ。言ってたじゃないか――生きて欲しいってさ。最初からそう言えばよかったのに、変に取り繕っちゃってさ」
ユラギの言葉に今度はルーンが固まった。我に返ったように、ルーンは掴んでいたレイラの腕をそっと離し、気まずそうに視線を逸らした。
「レイラが止まらなかったから、焦ったんだろ~」
揶揄うようにユラギはルーンの周りを漂っていた。レイラはユラギの言った言葉を反芻する。ルーンはレイラに器になって欲しくない――ルーンはこの世界でレイラに生きて欲しいのだ。レイラが何もしなければ、ルーンの願いは保たれたままになる。だが、グラスの器になればルーンの願いは壊れてしまう。
「ルーン、あなたは……」
「……そもそも、僕があの時魔法を教えなかったのは、君に死んで欲しくなかったからだ――自由の利かない僕の代わりに、鎖を外して世界へ羽ばたいて欲しかった……そりゃ、解放されたかったのも事実だ。でも、一番の願いは君の自由だ。その為にレガリアをどうにかしなければいけなかった。利用するような真似になったけど、全てレイラの為だった。今更こんなこと言っても、どうにもならないのは分かってる。分かってるけど、やっぱり僕は君に行って欲しくない。身勝手なのは分かってる……」
ルーンの思いにレイラは気持ちが混乱していた。今まで見たことない表情を見せたルーン。彼は今にも泣きそうな表情をしていた。必死に縋るような頼りなさ――寄る辺を求めているようだった。
「願いは一つとは限らない。人は強欲だからねぇ。一つ手に入れたら、もっと欲しくなるものさ。決して悪いことじゃないんだけどね」
真実は一つとは限らない――きっとユラギはすべて分かっていたのだろう。人の心を与えた以上、人の業から逃れられない。ルーンは貰った物以上のものを欲していた。
「レイラ、行かないでくれ。僕は――君に生きて欲しいんだ。君を地獄に堕としたときから、ずっと願っていた――君の幸せを。世界が滅びたって構わない。だから――」
ルーンは掠れた声でレイラを繋ぎとめる。本当は言うつもりなど無かったのかもしれない。それでも、ルーンはレイラへ告げた。捨てられない思いだったのだろう。ルーンの思いを受け取ったレイラは優しく微笑んだ。
「全部、真実なんですね。願いがいっぱいあるのも、すべて真実で――あなたの大切な思いであり、輝きなんです。その輝きを失って欲しくない。あなたの心は自由なんですから……」
様々な形を織りなす、心の色――制御など出来るはずがない。輝きはいつも胸の中にある。蔑ろにしてはいけないものだ。レイラ自身も同じだ。だからこそ、はっきりと言わなくてはいけない。
「ここで立ち止まっていたら、私の願いは叶わない……あなたの願いも」
「僕の……」
「死ぬわけではありません。私はずっと生き続けます。あなたは生きて欲しいと言った。けど、このまま世界が終わってしまったら、願いは叶えられない……真実から目を背けては生きていないのも同じです」
レイラはこの世界が続くことを望んでおり、ルーンはレイラが生きることを望んでいる。世界が終わってしまえば、生きることすら出来なくなってしまう。
「……私は空になりたい。皆がどこまでも羽ばたけるように」
自由を手に入れたルーンには思う存分、生きて欲しい――互いにそう思っているのに、埋まらない溝があった。けれども、レイラ自身の思いを捨ててしまえば、輝きは損なわれてしまう。だが、輝きの為ではない。他の誰でもない自分の為だ。後悔は二度としたくなかった。
レイラの思いを聞いたルーンはしばらく俯いていた。髪の毛がかかっていて表情は読み取れない。たとえ傷つけることになったとしても、譲れない思いだった。
やがて、ルーンは顔をゆっくりと上げ、深いため息を吐いて――笑った。
「分かっていたよ……君は僕の願いを叶えてくれる。君なら世界を変えてくれるって、信じてた。こんなところで、レイラの足を止めてはいけないのも分かってる。あーあ。僕っていつからこんなに馬鹿になったんだろうなぁ」
自虐気味にルーンは笑っている。いつもの様子に戻ったようだ。それでも、気まずいのかレイラと顔を合わせようとしなかった。感情の変化に一番戸惑っているのはルーンなのかもしれない。
「……頭がおかしくなったみたいだ。全部、ユラギのせいだ」
「えーとばっちり。僕、なにもしてないんだけどな~」
ユラギはにやにや笑いながら、ルーンの周りを飛んでいる。ルーンはユラギに対して、怒ることもなくスルーしていた。何を言ってもユラギには効かないのはよく分かっているからだろう。緊張感のない空間になってしまったが、ルーンは新ためてレイラと向かい合った。
「……君がこの世界を見守ってくれるなら、僕は歩き続ける。この足が動かなくなるまで――レイラ、君のこと絶対に忘れない……ありがとう。僕を救ってくれて」
「私こそ、ありがとうございます。ルーン、あなたに出会えて良かったです。さよなら――私の大切な人」
「あぁ……さよなら。僕の希望――」
レイラとルーンは最期に握手を交わした。もう、ルーンは引き留めることはなかった。レイラの決意をくみ取ってくれたのだろう。泣きそうな表情も無くなっていた。笑顔で送り出そうとしてくれている。
「さてさて、話もまとまったことだし~ほいっと、世界救っちゃお~」
ユラギの言葉と共にレイラの姿は消える。長いようで短い、あっと言う間の出来事だった。
レイラは心から願う――この先の未来と、思いがいつまでも輝くように。
また、出会えると信じて――
――レイラが消えた後、ルーンは別荘の外に出た。これまでの出来事を思い返す。目まぐるしい人生だった――終わりたいと願っていたばかりの日々から、明確な願いを持ったとき、世界は変わったような気がした。すべての事象において、最適な考えが出来る機械なら、後悔もしなかっただろう。これもまた、人間である証だと言うのかもしれない。
「これで良かったのか。本当に僕は――彼女を殺してでも止めるべきだったのか……」
レインのように――殺してでも幸せで人間のまま終わらせた方が良かったのか。きっと、答えは誰も知らないし、教えてくれないだろう。ルーンはレイラを見送ったことに関して、後悔はしていない。レイラの願いが叶って欲しいと思うのも嘘ではない。
だが、本当はこの世界で人間らしく生きて欲しかった――それもまた真実だ。この世界を見守ってくれるとしても、割り切れない思いがあった。
「物騒なこと言うなよ。死ぬってことはそこで終わりなんだ。それこそ、レイラの思いに反することだ。分かってるだろ」
誰もいなくなったかと思ったのに、まだユラギがいた。物分かりの悪い子供を諭すような口調だ。ルーンはユラギと目を合わせなかった。
「行ったんじゃなかったのかよ……というか、レイラ一人どこに飛ばしてんのさ」
「レイラは大丈夫だからさ。それよりも、長い付き合いだったから、別れの挨拶はちゃんとしておこうと思ってね」
「別にさっさといなくなってもらって構わないんだけど。しんみりするようなキャラじゃないでしょ」
「確かに以前の僕だったら、こんなことしてないだろうねぇ。それってつまり――変わってるってことだよね。良かった良かった」
「変わりたいと思ってたの?」
「どうだろうね。覚えてないや」
ルーンは以前のユラギ――ヴィオレットがどのような人物だったか知らない。人間が嫌いだったらしいが、そんな態度は全く感じられない。ユラギが以前からこういった性格だったとは考え難い。ユラギ自身も、いつから人格が芽生えたのか覚えていないだろう。
器になったとしても、変われる――器になったレイラが全ての思い出を失ったとしても、諦めなければ取り戻せるかもしれない。ユラギはそう伝えたかったのかもしれない。ユラギは知らぬ存ぜぬで漂っている。本当によく分からない存在だった。
「レイラと違って僕はこの世界から完全に消える。今度こそ、自分の足でちゃんと立って、歩くんだよ。君は僕の力を継いでいる――そして、普通の人間とは違う時間を生きられる。どうするかは君次第だよ。じゃあね、楽しかったよ」
ユラギはニッっと笑っていながら光の中に消えていった。最期まで憎たらしい奴だ。今は心の底から笑えないが、いつの日かまた笑って思い出に出来る日が来るだろう。今度こそ誰もいなくなった場所でルーンは独りごちる。
「恩着せがましい言い方するよな……」
ルーンはうんざりしつつも、晴れ晴れとした空を仰ぎ見た。淀みなく時間は進んでいることを示すように、雲は流れていく。過去は変えられない――時間は止まらない。立ち止まっていたら、置いてかれてしまうだけだ。前に進むしかない。休みながらでも、一歩ずつ前へ――レイラが望んだ世界で、ルーンは生きていくことを誓うのだった。