波の音はどこまでも追ってくる。遠くまで離れたと思っても、こびりついて離れない。気を緩めばあっという間に心も浸水していく。うるさくて、うるさくて、消してしまいたい――
「ルーンちゃん分かってる? あの子……魔女王の願いは叶わない。器は見つけたようだけど、それだけじゃダメなんだって。あんたも魔法使いの端くれなんだから、分かるでしょ?」
ルーンを一人連れ出したマリエルは、ニコニコした表情から一転厳しい目つきになる。マリエルは苛つているように見えた。ルーンとしてはどうしようもないことなので、言われても困るといった様子でマリエルの対応に苦労していた。
「そうは言っても止められないよ。僕に言われても困る」
「やることなすこと、中途半端なのがね。呪いもさぁ……私を殺せないからここに封じ込めてるくせにさっ。全能の力を手に入れたんじゃなかったの?」
「封じ込めてるって……あぁ、呪いの類だっけ?」
マリエルには呪いがかけられている。呪いとはこの島から出られないというものだ。彼女がどんな魔法を駆使しても絶対にこのディユー島からは出られない。わずかな隙間すら通ることを許されない。他にも呪いと一緒に島にも少し海を含めた結界がドーム状に術がかかっている。もはや孤島というより牢獄に近いものだった。
とはいえ、暮らし自体に不満はない。なんなら、呪いが無くてもここで暮らしていたいと、マリエルは思っていた。マリエルが不満に思っているのは、彼女に呪いをかけた魔女王だった。魔女王はマリエルを殺せないのでこの島に閉じ込めていた。
「……魔女王の秘密なんて大したことないのにね。バドルも不憫なものだよ」
「誰それ?」
「最近やってきた追加メンバーだよ。ヴィオレットから来たらしいから、うっかり聞いちゃったのねん。運が悪すぎるってのー!! キャハハ!」
ラパンが三人いると言っていたが当たりだった。いつの間にか、流されてきた人間がいたようだ。魔女の秘密を知るとは本当に不幸な人間だとルーンは思った。普通に生きていればそんなこと、滅多に起きないはずなのだが運命というものは何をしでかすか分からないものだ。
「確かに運が悪いね。とはいえ、情報統制は僕がやる仕事でもないんでね」
「今更って感じなのか。ルーンちゃんが消えて、外の情報って全く分かんないんだよね。使い魔放っても『今日も世界が平和でーす』とか言わないし。世界は平和なようだけど、ルーンちゃんはどうなのさ」
思い切り探りを入れてくるマリエルに対して、ルーンは笑うしかなかった。マリエルの場合、割と本気で心配しているということを知っている為、やりづらい。変に噓をつけば即バレるので、思った通りのことを言うしかない。
「まぁ、色々あったけど。元気にやってるよ。」
「そういえばさぁ、災厄の魔女だっけ……? ヴェーダちゃんには驚いちゃったかな。知り合いじゃないけど、名前自体は聞いたことがあるからさ」
マリエルは五百年以上生きているが、ヴェーダと面識はなかった。封印された後にその存在を知ることになる。封印されていると聞いて、自分も似たような境遇なので人のことは言えないが、こうはなりたくないなぁと思ったのを覚えている。
「ヴェーダちゃんは大丈夫そうなわけ? あの子って魔女王に封印されたんでしょ? 絶対復讐しにくるって」
「復讐するなら結構だよ。目的さえ邪魔しなければ、僕は見て見ぬふりするだけだ。ぶっちゃけ……あの人がどうなろうがどうでもいいし」
「聞かれてないからって、言いたい放題だねーうんうん。その精神大事にしてこ!」
「……来るたび聞いて悪いけど、これ本当に聞かれてないんだよね?」
「聞かれてたら今頃、ルーンちゃんこの世に存在してないと思うな」
ディユー島は外界からの情報がシャットアウトされる代わりに、中の情報も外には伝わらない仕様になっていた。これに気付いたのはマリエルだった。ごくまれに外からの使者がやってくるのを見て、不審に思っていた。その後、マリエルはルーンに頼んでこの結界を調べてもらった。調べた結果、中の情報は分からないようになっているということが分かった。ちなみにこの事実が分かったのは、ルーンがこの島にやってきた時である。
「それもそうか。けど、人生ってなるようにしかならないんだよなぁ」
「諦めちゃったら終わりよー? あたしの目標はここで静かに暮らす。後はあの子の願いが砕け散る様も見れたらラッキーみたいな?」
「君の相方はどうなのさ。同じ目標なの?」
「サリーのこと? あー……申し訳ないと思うよ。でも、サリーが決めたことならあたしは口出ししないことにしてる。だって、あたしがサリーの思い否定しちゃったら台無しだし、終わりじゃん?」
マリエルはサリーヌが自分と一緒にいたいと思っていることを知っていた。マリエルが呪いをかけられたときサリーヌも一緒にいて、マリエルの手を取った。そのまま、二人はディユー島へ飛ばされた。そこからずっと二人で過ごしてきた。サリーヌはその時間をとても大切に思っている様子だった。マリエルもまた、サリーヌとの時間をかけがえのないものだと感じていた。二人でいればどんなことも気にならない――ディユー島はいつしか二人の故郷のようになっていた。
「今の状態は悪くはないけど、あの子の管理下ってのが気に食わない。中途半端にやるくらいならいっそのこと殺してみろーって叫んでみたーい。ま、絶対に出来ないだろうけど!」
「不老不死なんてよくやるよね」
マリエルは不老不死の薬を飲んでいた。今となっては伝説でしかないが、かなり昔に現存していたという。秘境に存在したとされる薬に興味を持ったマリエルが試しに飲んだ結果――かれこれ五百年以上生き続けている。興味本位でやるべきではなかったと、後々になって反省していた。
「若気の至りってヤツさ少年。ま、サリーには秘密だけどね」
マリエルは不老不死であることをサリーヌには話していなかった。サリーヌは単純に不老だと思っていた。マリエルが不老不死であることはルーンと魔女王だけが知っていた。
「先立たれる方がマシだって思ってる?」
「単純にもう不老不死の薬はないからね。私が飲んだやつで最後だったようだし。それに一緒に生きるって言っても、出来ないのって辛いでしょ。秘密は持たないようにするけど、これだけは言えないよ。墓場にも持っていけないから、黙ってるしかないね」
「……言わない方がいいこともある、か」
ルーンは選択肢に立たされていた。レイラに真実を告げるべきか、隠し続けるか――最後になってしまえば全て分かってしまうことを先延ばしにする必要があるのか。むしろ、言わない方が残酷なのか――終わりのない自問自答を繰り返し、未だに決めあぐねていた。自分はいったい、何を望んでいるのだろうか。それすらはっきりしていなかった。なので、レイラに聞かれても答えようがない――そう思っていた。
「なーに悩んでいるのか知らんけどさ。自分の気持ちってのは、見ようとしなければ分かんないよ。現実から目を背けてたら、いつまでも見えないままよ!」
「本当にお節介だなー」
「この島の生活は暇なんだよ。せっかくルーンちゃんが帰ってきてくれたんだし、おもてなししたいじゃん?」
「嫌がらせの間違いでしょ」
「そんなことないし! まぁ、でも……苦しくなったら本気で叫んでもいいんじゃない? レイラちゃんはそういう声、見捨てなさそうだし」
あって間もないマリエルだが、レイラは悪い人間ではないと感じていた。まっすぐな瞳を見ると彼女なら、ルーンのことをどうにかしてくれるのではないかと思った。迷宮を彷徨っているルーンを是非とも導いて欲しいと心の中で願う。
ルーンはマリエルの言葉を聞いて黙り込んでしまった。かなり長く話し込んでしまった。見ず知らずの人間と二人きりにさせてしまって、サリーヌは怒っているかもしれない。マリエルは急いで招集用の魔法を空へ放った。
「……話はこれくらいにして、みんな呼ぼっか。とりあえず、光を放っておけばルーンちゃん達の仲間も『何事かー!?』みたいなノリで来るっしょ!」
ルーンはマリエルの言葉には反応せず、天へ伸びる光の柱を見上げた。天まで伸びる光の柱はそれでも、宇宙までは届かないのだろう。手を伸ばしても、得られないもの――世の中にはそういったものがごまんと溢れている。ないものをねだっても仕方ない。身の丈に合った、願い――思いを抱く方が精神的に良い。そうすれば、余計な傷を受けなくて済む。痛みは、決して慣れるものではないから。
「……放っておいてくれるのが、一番楽なんだけどなぁ」
誰にも聞かれぬよう、ルーンは寄せては返すさざ波の音を聞きながら呟くのだった。