欠けた月

 地獄というものは、本当にあるのでしょうか。
 きっと、様々な苦しみを凝縮したような場所なのでしょう。私は本物の地獄を見たことがないので、想像上でしか語れません。
 しかし、例えるならばそう表現するしかない程に、あの場所は私にとっての地獄でした。
 
 それは新月の夜の事でした。
 私は兄様から呼び出されました。指定された場所は城の外。どうしてこんな時間に――私が問いかけるも、聞く耳をもたず兄様は半ば強引に手を引いて、私をどこかへ連れていきました。
 その頃の私はというと、自分で言うのも恥ずかしいですが、素直で兄様のことを信頼していました。兄様は間違ったことをしない。恐ろしいことなどなにもない。そう信じていました。手を引かれ連れてこられた場所は、国のはずれにある森でした。兄様はそこで私の手を放し、一人で奥まで進んでいきました。私はこんな場所に残されるなんて嫌だと思い、兄様の後を必死で追いました。
 しかし、宵闇の恐怖は拭えず怖くて手を繋ぎたいと思って兄様にお願いしましたが、はっきりと断られてしまいました。その時の兄様は少し怖かったです。私のことなど瞳に映したくない、受け入れたくない――兄様の拒絶するような心の声をぼんやりと、感じ取りました。
 なので、私はそれ以上何も言いませんでした。いえ、正確には言えなかったと言うべきでしょうか。それ以降はずっと無言でした。
 
 あの神殿に辿り着くまでは――

 不気味な森の中を抜けて、ついた場所は『魔縁の神殿』と呼ばれる石造りの神殿でした。
 かつて『災厄の魔女』を封印した場所と言われています。『災厄の魔女』と言うのは、大昔この世界を混沌に陥れた魔法使いのことです。その魔法使いは他の魔法使いや魔術師によって封印されたと言われています。現代ではその魂が、ここに眠っていると言われています。そんないわくつきの場所は当然立ち入り禁止になっているはずです。こんなにもあっさりとは入れるとは一体、どういうことなのでしょう。神殿の中は静謐な空気が漂っており、それが気味悪さに拍車をかけていました。立派な石柱が立っており、その中心には謎の魔法陣が描かれていました。元から描かれていたものなのでしょうか。不思議な光を放っています。いつでも準備は整っているとでも言っているようです。ここまで来ても、兄様は沈黙を貫き通していました。
 私はその時、嫌な予感がしました。直観というものでした。神殿への底知れぬ恐怖を感じ、落ち着かないので兄様に声をかけようとした時でした。

「すまない――」

 兄様の声が聞こえた瞬間でした。
 ものすごい勢いで私は突き飛ばされました。恐らく魔法か何かの力で飛ばされたのだと思います。気が付けば私はあっという間に神殿の中心部にいました。ちょうど魔法陣の中心にいるような形です。

「にいさ……」

 兄様のほうに駆けだそうとした刹那――
 黒い影が私を囲うように出現しました。それは円周状に広がっていき、さらに地面が音を立てて光を放ち始めました。自分の足元を見ると石畳の床だった場所は黒い沼のようになっていました。その時にはもう兄様の姿を確認することは出来ませんでした。向こうから、誰かが叫ぶような声が聞こえた気がしました。何を言っているのかは分かりません。叫び声すらも飲み込んでいく闇の群れ。いつの間にか私はバランスを崩し底なし沼の中で溺れていました。光を探して、必死にもがき続けました。
 空は見えない、光なんてもっと見えない――

「どう……して……」

 悲鳴も上げられず問いかけは虚しく、私の存在は黒い闇の中に掻き消えていきました。

 こうして――『レイラ・ヴィオレット』の世界は終わりを告げました――おしまい。

 と、終わればよかったのですが、話はこれで終わらなかったのです。
 むしろ、ここから私にとっての地獄が始まったのです。