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「貴方たちが欲しがっているものは、ここにありませんよ」

 空魔に関わった人の情報が管理されている情報室があるということは知っていた。研究員からカード―キーをくすねて入って、辺りを物色していたら、僕らの存在を嗅ぎつけたのか、五月七日さんが入ってきた。隣にいた茉莉花は青ざめた顔をしながらも、必死に食い下がっていた。こういうオチになるだろうなと思っていた。監視カメラとかもあるだろうし、逃げたっていくらでも追跡が出来る。ここまでは想定内だ。とにかく誰かと話せる環境が欲しかった。
 その後のことはあまり考えてなかったけど、使える隊員も少ないし処分されることはないだろう。これまでにそう言った話は聞かなかった、というのもある。誰が入ってくるかは予想出来なかったが、五月七日さんなら大丈夫だろう……多分。ちなみに今は資料を見せてもらえないか説得中だ。

「真実が全て目に見える形であるとは限りません」
「そこを何とか! 見れば納得します」
「頭を下げたって、やっていることはただの不法侵入ですよ。ただ、取り締まりは管轄外ですから、貴方達を突き出す真似はしません。だからこそ、警告しますわ。これ以上探るのは辞めた方がいいと思います」

 案の定、見逃してくれるような口ぶりだった。それでも、説教はするようでそこは意外だった。五月七日さんは何かを知っているような言い方だが、本当に知っているのだろうか。茉莉花はこんな所で引けるかと、無我夢中で頼みこんでいた。

「どんな処分を受けてもいい。私は知りたいんです。何も無ければ、それでいいんです!」
「何もなかった――ってことにすればいいじゃないですか」
「その言い方だと何かあるように聞こえますが」

 僕が横から口を挟むと、五月七日さんは口元を緩めた。

「そうですねぇ。何もないとは言っていませんし。ふふふ」

 五月七日さんは最初から僕たちがどうしてこの部屋に入ったのか、知っているようだった。茉莉花の存在を含めると、答えは限られてくるだろうし、やはり祀莉さんの死は特殊な扱いを受けているようにも思える。
 五月七日さんは髪を弄りながら、聞き分けの無い子どもを諭すような口調で語る。

「でもねぇ、隠されているってことは、知らない方がいいってことなんですよ。空魔に殺されて死んだのは事実です。それは間違いありませんから。それでは納得出来ませんか?」
「空魔を研究していたお姉ちゃんが、そんな簡単に空魔に殺されると思えません。そもそも、何で夜に一人で外出なんて――夜は危険だって分かっていたはずです」
「祀莉さんは人間ですし、戦闘には不慣れ……巡り合わせが悪かったのでしょう」
「……あれ以来、死体や道具ごと消えたという事案は無い。これでも調べているんです」

 五月七日さんは見定めるように、茉莉花を眺める。

「……ここまで言っても諦めないのですね。ちょっと面白くなってきました。ふふ」
「笑わせるつもりで来たんじゃないんですけど」

 茉莉花は五月七日さんの態度に不快感を示した。当の本人は全く気にせず笑みを絶やさない。

「こういう人間なのですよ。私というのは……物事の基準を面白さでしか測れない、愚かな人間です」

 そう言った彼女の表情は、一瞬だけ憂いのようなものが見えた。そこから、切り替えるように茉莉花に視線を向けた。

「茉莉花さん……貴方は最初に祀莉さんが殺されたのを最初に発見した人が誰か知っていますか?」
「知りません。蘇芳さんが駆け付けた時には、手遅れだったっていうのは聞いたんですけど」

 五月七日さんは妖しい笑みを浮かべる。明らかにとんでもない爆弾を落としそうな雰囲気を醸し出していた。

「あの時はそうですねぇ。空魔の反応があって、近くにいた菜花君が最初に駆け付けたんですよね。確か」

 五月七日さんは、明らかに何か言いたそうな目をしていた。茉莉花の方はぽかんとしていたが、僕はすぐに五月七日さんが何を言いたいのか理解した。

「それって、最初に状況を把握したのが菜花さんってことですか」
「そうですね」
「え、どういうこと?」

 茉莉花は本気で分かっていないようだった。無意識に避けているのかもしれないし、はっきり言うしかない。

「普通に考えて菜花さんが怪しいよね」
「ちょっと待ってなんで、空魔じゃなくて蘇芳さんが殺したってこと!?」
「いや、そこまでは言ってないけど。何かを知っているんだったら、菜花さんが詳しいはずってことだよ。だって唯一お姉さんの最期を見た人だし」
「あ……確かに」

 茉莉花はようやく気付いたようだ。菜花さんが殺したのかはともかく、事件に置いて第一発見者が重要参考人になるのは基本だ。

「事件のファイルも大したことは載っていませんよ。後は……あの場所の監視カメラが全て故障していたくらいですか」

 そう言って、五月七日さんは事件の詳細が書かれたファイルを見せてくれた。機密情報じゃないのかと思ったが、もはやここにいる時点で僕らが気にすることでもないと思った。
 五月七日さんの見せてくれたファイルには事件のことが事細かに綴られていた。事件の当日、お姉さんは出かけてくると同僚に言って出ていった。行き先は誰にも告げなかった。その数時間後、空魔の反応が出現。場所は雑木林近くの公園。
近くにいた菜花さんが空魔を倒した。菜花さんはそこでお姉さんが喰われる瞬間を見てしまった。身体も道具も丸のみにされてしまった。
 その後、祀莉さんを喰らった空魔は無事に退治されたようだ。研究所は事件の詳細を調べるために、監視カメラの解析を進めた。監視カメラには祀莉さんが公園へ入っていく姿があった。
 しかし、カメラはそれ以降故障したのか何も映していなかった。他のカメラにも何かないかと調べたが、同じ時間帯に故障していた。昭会に意図的なものではあるものだが、ハッキングされた形跡はない。謎の多い事件だが、研究所の人間が殺されたということもあり深く追及されなかった。道具を残さない空魔もいるという結論に落ち着いた――

「不自然ですね」
「本当に」

 茉莉花は黙々とファイルを隅々まで見ていた。ページ数はそんなにないし、書かれていることも目新しいものはあったが、核心に迫るものはなさそうだった。
 僕が興味を抱いたのは監視カメラと菜花さんの言動だ。

「監視カメラの故障。見られたくないものがあったみたいですね」
「空木君もそう思いますか。私も同感ですよ。データまるごと壊れて復旧も出来ないくらいですから」
「……そこで何があったのかは菜花さん以外、知らないってことですよね」

 彼以外に祀莉さんを見た人はいない。公園に入ったのを最後に、祀莉さんは空魔に殺されたということになっている。
 しかし、状況は全て伝聞で証拠は何も残っていない。この話を聞いたところで祀莉さんが生きている可能性は低いと思う。

「こっちは菜花君の情報を鵜呑みにして、遺族には通り魔に殺されたと説明しました。研究所内は概ね空魔に喰われたという認識です」

 研究所内ではもう議論にすらなっていないのだ。そういう空魔もいる――ということで解決。監視カメラは偶然、故障しただけ。死体は無いけど、喰われたに決まっている。公園に入ったまま帰ってこないのが、答えのようなものだ。
 でも、僕らは大切なことを見落としていないだろうか――

「五月七日さんもそういう考えでしたか?」
「何かあるとは睨んでいるのですが、私も見つけられません」

 五月七日さんはかなり上の立場にいる人間だし、ある程度情報は入ってくるはずだ。それでも真実には至れない。そう言われてしまうと、本当に何もないのかと思えるが、五月七日さんは裏があると思っている。隠された真実が眠っていると――

「やっぱり蘇芳さんに問い詰めるのが手っ取り早いんだろうなぁ……聞きづらいけど」
「嘘ついている可能性もあるし、教えてくれるとは思えないけどね。あの人も本心が見えづらいから、分かんないけどさ」
「そう? 見たまんまだと思うけど」

 茉莉花からするとそう見えるようだ。茉莉花は面識があるからそう思うのかもしれない。
 見たまんまといえば、イメージはいつもへらへらしてて遊ぶのが好きで、水城さんに怒られている――だが、本当にそうだろうか。これはあくまで一面でしかない。それだけで判断するのは危ない気がする。あの人からはもっと暗く、深く淀んだものを感じる。それこそ、僕に近い気質を持っているような気がするのだ。これを茉莉花に言ったところで伝わらないだろう。僕はあえて言わず、否定の言葉だけを重ねる。

「さすがにそれはなぁ」
「全く、考えすぎよ。昔からそんなに変わってない……と思うわよ?」

 変わっていないという割には、自信がなさそうな言い方だった。

「なーんか、はっきりしないね」
「そんなに変わってはいないとは思うんだけど、ちょっと雰囲気が変わったのはあるかも?」
「じゃあ変わってるじゃん……」
「変わってないように見えるのに、変わってるっていうの? 何か違うっていうか。うぅ……私もよく分かんないんだよ!」

 歯切れが悪いまま逆ギレされてしまった。茉莉花としては変わっていないはずなのに、何か違う雰囲気を感じ取ったというところだろうか。見た目か中身か――年を重ねれば変わる所もあるだろうと思う。教えてくれるか、くれないかの話だったのに、いつの間にか菜花さんについての話になっていた。

「ダメ元で突撃するしかないわね。アテがないんだもの」
「……止めた方がいい気がするなぁ」

 僕の直感がそう言っていた。茉莉花が行く前に僕が接触出来ればいいのだが、そう簡単に上手くいくとは思えなかった。

「私も同感ですわ」
「えっ?」
 
 先程までずっと黙っていた五月七日さんが会話に入って僕の意見に同意を示す。五月七日さんにしては、珍しく複雑そうな表情をしていた。どうしようか迷っているようにも見えたが、やがて彼女は重い口を開きゆっくりと語る。

「……正直に申し上げますと、菜花君に関しては茉莉花さんの言う通り、変わったように思います。いや、欠けてしまったというべきでしょうか。真実は定かではありませんが、これでも貴方達の心配はしておりますので、お節介と思われてもあえて忠告をさせていただきます。ですが――」

 そう言った五月七日さんはいつもより、真剣な表情をしていた。その姿が説得力を上げていた。人を見透かしたり、面白がったりする五月七日さんが真面目に忠告するなど、よほどのことがない限りしないだろう。茉莉花も思うところがあるようで、僕の時よりも反発はしなかった。

「それでも知りたいと言うのなら、菜花君と殴り合うしかないんじゃないですかねぇ」

 笑いながら冗談を言う姿はいつもの五月七日さんだった。正直、冗談でもキツいと思い、隣にいた茉莉花を見ると、真面目そうに顎に手を当てて考えていた。

「殴り合う……」
「あくまで、私個人の意見ですので、真に受けないでくださいね」
「え、あっ……はい。分かり、ました……」

 茉莉花のことだ「蘇芳さんと話してくる!」と言って、このまま突っ込んで行くかと思ったけど、そうでもなかった。さすがに、ヤバいしやらないでくれるとありがたい。

「私から話せるのはこれくらいです。研究所にある情報もこれ以上はありません。私としても気になる案件ですので、進展があれば教えていただけると嬉しいです」

 さり気なく、情報提供を促すあたりは抜け目ないと思う。本気なのか分からないけど、多分情報があったとしても、申し訳ないがこの人に言うことは無いだろう。

「さぁ、見つかると面倒ですし、さっさと立ち去ってくださいな。カードキーは返しておきますので」

 五月七日さんは追い出すように僕らを押し出した。
 その後、当て所なく敷地内を歩いていた。茉莉花が僕の一歩先を行く。空はもう夕暮れに染まっており、時間の流れが速く感じた。

「有益な情報と言うべきか、五月七日さんの言う通り、知らない方がよかったかもしれないね」
「そうかもしれないけど、私は良かったと思うわ。何も知らないまま、置いて行かれるより少しでも真相に近づきたい。自分が知りたいと思ったことは知りたい」
「……茉莉花は強いね」

 ぽつりと漏らした言葉は茉莉花に聞かれていたようで、鼻で笑われた。

「あんたは心にも無いことばかり言うわね」

 知りたいけど、知ったら戻れないと思っている臆病者の僕とは大違いだ。本音だったのだが、そこまで彼女は僕を理解していない。別に歩み寄ろうと思ったことは無いし、自分のことをほとんど話したことが無いから、分からないのも当たり前だ。そんな自分を分かってもらおうとは思わなかった。

「けど、今日はありがとう。助かったわ」
「どういたしまして……と言いたいところだけど、解決してないよね」

 真実に近づいただけで、真実を掴みとってはいない。茉莉花はここで終わるようなタイプではないし、これからどうするのだろうか。

「とりあえずここからは一人で考えてみるわ。元々は私の問題だし」

 突き放されたかと思ったが、僕から見ても個人的な事情だし手を貸してもらうのも気が引けるのは分かる。それでも、茉莉花は僕に助けを求めた。よほど、知りたいことなんだろうなと思うし、お姉さんのことが大好きだったんだなって思う。少しでも助けになったのなら幸いだ。

「いつでも相談には乗るから、あまり一人で突っ走らないでよ。こっちまで迷惑かかるからさ」
「分かってるわよ。借りは絶対返すわ。その……だから」
「借りならさっき、奢ってもらったのでいいよ」
「ここまで付き合わせておいて、あれだけじゃ釣り合わないし。私が納得いかないの!」

 そこまで気にしなくてもいいのに、と言いかけたが、黙って受け流した。しばらくして、茉莉花は少し間をおいてから、振り向いた。

「あんたも何か悩んでいるなら、いつだって聞くわよ。気の利いたことは言えないかもしれないけど……さ」

 照れくさそうに喋る彼女は、夕日に照らされて一層、輝いて見えた。
 貸し借りは作りたくないのだろう。私も話したから、お前も話せと暗に言っているように聞こえる。これは僕の穿った見方でしかないし、彼女はきっとそんなことを思っていないだろう。彼女は心から心配しているのだ。分かっている。分かっているからこそ、僕も自分の醜い部分に茉莉花を巻き込みたくない。
 僕らはどこまですれ違っているのだろうか。

「……ありがと。でも、僕は今のところ悩んでないからね。そういうことがあれば相談させてもらうよ」
「悩んでないとか……あんたのそういうところ――まぁいいわ。私は戻るけど、この話は他言無用! いい!?」

 ものすごい剣幕で迫ってきたが、茉莉花の姉のことなど関係者以外に話したって分からないだろうし、言うはずがない。

「はいはい。それじゃ、またね」

 孤独であることを選んだのは他でもない僕自身だけど、もしも茉莉花に少しでも打ち明けていたら、少しだけ世界が変わったのかなぁ、と考えてやめた。きっと、彼女は本当の僕なんて拒絶するだろうし、選ばないだろうから。