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「己を変えるよりも周囲を変える方が、精神的には楽なんですよ。変わらないままでいたいのなら、その方が楽……変わるべきは周りの方だと、他責にすれば己が責を負わずに済む」

 どうしてこんな話になったのか――ただの雑談のつもりだったけど、思いのほか本音を吐き出してしまった感が否めない。今日は月に一度の定期検診だった。担当の五月七日さんはカウンセラーも担っているせいか、じっくりと観察してくるので苦手だった。話せば相談に乗ってくれるが、親身に聞いてくれるというよりは、興味本位という言葉が似合う気がした。僕は何となく、自分の在り方について話をしていた。何も考えず生きられたらなんて、ちっぽけな話だった。変わりたいとか、そこまでは思ってはいないはずだったのだが――

「本当にそう思いますか?」

 変えようとした結果、こじれてしまったら元も子もない。理想の自分からかけ離れていくこともある。変えるのはリスクが大きい気がする。五月七日さんが周囲を変える方が精神的に楽と言ったのはこういうこともあるからだろう。
 僕の意見を聞いた五月七日さんは、面白そうなものを見るような目で頷いていた。不愉快というよりは、少し不気味だった。こういうところがあるのは知っているけど、一体どこまで見透かされているのか。心をのぞくような五月七日さんの問いかけに僕は黙り込むしかなかった。

「……貴方が変わりたくないと思うのもまたきっと、真実なのでしょう。ただ……」

 黙っている僕の代わりに、穏やかな口調で五月七日さんは続ける。

「貴方の真実は他にもある。けれども、それは自らにとって受け入れがたいもの。こう言っては身も蓋もありませんが、人には言えない秘密など、誰にでもあるものです。貴方だけが特別苦しんでいるわけではありません」

 僕だけがおかしいわけじゃなくて、みんな同じようなものを抱えていると五月七日さんは言った。結局、僕は自分に酔っていただけなのだろうか。

「思い切って、扉を開けてみるもの一興かもしれません。多少なりとも世界は少し色づいて見えるかもしれません」

 五月七日さんはどこか遠い場所にいる誰かを懐かしむかのように語る。五月七日さんにも覚えがある事なのだろうか。謎の多い人だけど、少しだけ親近感が湧いた。こうやって話せたのもいい機会だったと思う。誰かにこうやって自分の思いを離すことは無かったから。こんなこと茉莉花に言ったらずばずば言われそうだ。

「……参考にさせてもらいます」
「お役に立てれば幸いです。扉と言えば、扉の向こうには何があるのでしょうかね?」

 五月七日さんはそう言うと、何者かの気配を察知していたかのように入口の扉に目を向けていた。

「いつまで盗み聞きしているつもりですか? バレバレですよ。菜花君」

 名指しするのと同時に扉が開いた。申し訳なさそうに、菜花さんが入ってきた。

「榠樝さんの部屋って心理的に入りづらくてさーホントすんませーん。話し声も聞こえてくるから、どうしようかなぁって思ってたんですけど、ちょうどよかった」
「貴方が話とは珍しいですね。何かありました?」
「いえいえ~ただの相談事ですよ」

 いつものように軽い態度で菜花さんは笑っていた。ぶっちゃけ、この人も苦手な部類だ。態度もそうだけど、間違いなく裏があるタイプだ。深く関わると、面倒くさそうな人。あまり本人とは詳しく話したことは無いけど、たまに茉莉花が親しく話しかけているのは少し気になる。割と親し気に見えるから、知り合いだったりするのだろうか。まぁとにかく、僕がいても邪魔だろうしさっさと出よう。

「今日はありがとうございました」
「えぇ、お大事に」

 五月七日さんは曇りない笑顔で見送ってくれた。
 出ていこうとしたとき、すれ違いざまに菜花さんに声をかけられた。

「なんかごめんねぇ。追い出すような形になっちゃって」
「いいえ……失礼します」

 しかし、本当に不思議な組み合わせだと思う。何を話すのかは気になるが、五月七日さんに相談といえば、武器に関することなのかもしれない。それ以上は憶測でしかないし、僕が聞ける立場でもない。
 そそくさと診察部屋を後にした。

 それ以降は特に予定がなかった。研究所の敷地内をぼんやりと歩いていた。太陽は燦々と空はどこまでも続いて、雲はゆっくり流れている。
 どうしようかと考えた時に、思い浮かべたのは理真の姿だった。理真は会いたいときに行けば会える。高層マンションに住んでおり、いつでも彼女は部屋にいた。僕が来るのが分かっていたかのように、彼女は出迎えてくれる。彼女の部屋は最低限の家具しか置かれていない。悪く言えば年相応ではない、何の飾り気もない部屋。生活感もなく、彼女も恐らく学生(?)のはずだが、他に人が住んでいるような気配は感じない。理真曰く、ここは別荘のようなものらしい。彼女とは会ったばかりで何も知らない。どういう生活をしているのかは、聞いたことがない。
 ただ、僕はあの場所で楽園を求めていたのかもしれない。あの場所では、少しくらい僕は僕らしく居られる気がした。茉莉花にはとてもじゃないけど、言えないこと。僕の本当の望みは理真が知っているだろう。
 ふと、見上げた太陽は眩しくて、目がくらみそうだった。

「やぁ。良い天気だね」

 不意に後ろから声を掛けられた。自分に向けられたものか判断しかねたが、僕以外にいない。というか、声にもほとんど覚えがない。誰だろうと振り向くと、そこには意外な顔があった。

「星影、所長……」
「何だろうね。僕を見ると、みんな幽霊を見たような感じになるよね。面白いんだけど本音を言えば悲しいのさ」
「そ、そうなんですか。というか、所長がこんなところで何をやっているんですか」

 悲しそうに見えないし、何を考えているのか分からない。相変わらず底の知れない海のような瞳だった。以前に話したことはあるが、迷いなく苦手と言える人だった。所長が一体こんな所で何をしているのかと思えば、ごく普通のありきたりな答えが返ってきた。

「散歩だよ。暗い場所にいたから、たまには出てこようと思ってね。久しぶりの光は眩しいのさ。思わず目を覆いたくなるね」
「……はぁ」
「だから、遮りたくなるのさ。太陽は全て照らし出してしまうからね。見たくなかったものも、全て」

 所長は太陽へ手をかざし、遮るように空を仰ぎ呟く。誰に向けて放っているのか、真意の読めない表情。何故だかとても嫌な感じがした。全てが凍り付くような感覚。星影所長は表情一つ変えずに、僕のそばを通り過ぎていく。

「光に照らされたら、最後。照らされて見える道は、希望か絶望か……どっちがいいと思う?」
「僕は……」
「時間は無いかもしれないが、考えてみるといい。現状維持か現状打破か、どっちに転んでも世界は変わらないからさ……」

 変わらない――見透かされているうえに、馬鹿にされているような気がした。どっちを選ぼうが答えは分かり切っていると言いたげだ。思えば、最初に声をかけられたときから、全て分かっているような口ぶりをしていた。あの左右で色の違う瞳には何を映しているのだろうか。人の道から外れてしまったような、雰囲気さえ感じられる異質な空気だ。気持ちが落ち着かないので、何となく所長と同じように太陽に手をかざしてみた。かざせば当然、光は遮られる。その場所は影になって、光は届かなくなる。

「あぁ……」

 陰りが差しても、そこまで悪くないと思ってしまう自分がいたのだった。