次は上手くやってくださいね――
私はいつでも貴方の側に居ます。貴方の大切なモノもずっと側にあります。それでも、辛くなったら少しだけ立ち止まって、休むと良いでしょう。世界が嫌になったら、夢を見るのも良いでしょう。
けれども、ずっと夢の中にいてはいけません。夢の中にずっといたら、出られなくなってしまいます。せっかく光に満ちた未来が待っているのですから、勿体ないです。
ですので、ほどほどにお願いします。
この先、貴方にどんな困難が訪れるか、私にも分かりません。暗く、長い迷夢であっても、貴方の中に芽生えた思いは、どんな形であれ、必ず貴方を導いてくれるでしょう。人々の心は千差万別、様々な色彩を放っています。同じ色は何一つとして無いのです。
曲げられない思いがあっても、言えない秘密があっても、伝えられない思いがあっても、報われない世界であっても、灰色の世界であっても、絶対に幸せになれないと思ってしまっても、全てバラバラになってしまったとしても――
それでも、世界には希望があるのです。貴方が諦めない限り、世界は紡がれていく。
心は、思いは消えない。捨てられないものなのです。
世界に希望が見出せなくても、貴方が抱いた願いを、どうか忘れないでください。
「ふぁ~チョーねむーい」
「一時限目から数学はちょっとね」
「睡眠導入剤だよもう。聞いただけで眠くなるって、むしろすごくない!?」
「確かに」
「ねぇ、それでさぁ~最近出来たトコなんだけどー」
「そういや、別れたってマジなん?」
耳に入ってくる他愛のない会話。ゆったりと流れる時間。
だけど、決して止まってはくれない。長いようで短い時間があっという間に過ぎてゆく。
私は何の目標も無く何となーく、日々を過ごしていた。勉強も運動もそこそこ、特に秀でたものを持たない私は、どこの部活に所属することも無く、クラスメイトに挨拶したら真っ直ぐ家に帰っていた。たまに寄り道もするけど、買い食いはしない、比較的普通の学生だと思う。
私の帰り道は、代わり映えのしない風景が広がっていた。不満があるように聞こえるかもしれないけど、これでも満足している。だって、普通が一番だし。あれこれ、考えつつ名前の分からない白い花を見ながら、いつもの道を通っていた。
「あんたさぁ。またゲームやってんの? 飽きないもんなの?」
「飽きないって言うか、現実じゃ滅多に見れないでしょ。人が死ぬところなんて。ゲームなら手軽に見られるから」
「……はぁ。ネットとか、テレビに乗るような真似だけはしないでよ? あとそれ絶対に他の人に言わない方が良い」
「分かってるって」
通りすがりの男女が恐ろしいことを言っているような気がしたが、突っ込んだら負けだろう。高校生ぐらいだったし、同じくらいの年齢だろうけど、カップルか何かだろうか。まぁいいや。事件が起きないよう祈っておこう。
「って、何してんだろ。自分」
独りごとを呟きながら帰る様は、惨めにも思えるかもしれないけど、気楽だった。友達とかはそれなりにいるけど、いつもべったりだと疲れるし。人間関係って面倒くさい、の一言に尽きる。嫌じゃないんだけどね。たまには一人になりたいとかあるでしょ。
そういえば、委員長もそんなこと言っていた気がした。あれはいつだったか、昼休みに屋上に行ったときかな。たまには落ち着いて食べたいなぁ、って思った。
でも、屋上は思ったより人が多かったから、そそくさと帰った。落ち着いて食べられる場所とか探して、空き教室とか回っていたら偶然見てしまったんだ。ぼっち飯を堪能している委員長に――委員長は真面目で、リーダー的な存在だと思う。危ないことはちゃんと注意するし、優等生って感じ。それでも、周囲とは上手くやっていて、世渡り上手なんだなぁ、とか思ったりしていた。本当のところはよく知らないけどね。話を戻すけど、見てしまった瞬間に立ち去ればよかったんだけど、何か目が合って勝手に気まずい感じになったと思ったけど、委員長から話を切り出してくれた。
『騒がしいのは嫌いではないが、一人の方が落ち着くときもあるんだ』
別におかしなことでもないと思う。私にも分かるから。一人じゃないっていう安心感があるから、一人になれるんだろうな。居場所がちゃんとあるから、寂しくないんだ。
『分かるよ。私も同じように一人になれる場所を探してたから。屋上はちょっとにぎやか過ぎて、私にはもったいなかったよ』
『……そうか』
『邪魔してごめんね。それじゃ』
これといった特別なイベントはありませんでした。その後、校舎の片隅で弁当を食べたというオチ。特に深い意味は無いでしょう。思い出したというだけの話だ。
なんとなく、空を見上げたら少しだけ、ほんの少しだけ感傷的になってしまったのだ。何故かは分からないけど、遠いどこかの世界を思うような。私にはこの世界しかないのに何だろう。感傷的になるとは、私らしくない。気晴らしに新しく出来た店を覗いていこう。本屋にも寄って、何か買って行こうかな。冒険物語とか見たくなってきた。
でも、ラノベとかもいいかも。そこまで集中力無いから迷う。いっそのこと、絵本の方が良いかと思ったけど、止めておいた。
散々悩んだ挙句、何も買わず、人の群れを抜けながら、街の中に溶け込んでいった。色んな人がいるなぁと、改めて思うのだった。サラリーマンとか、不思議っぽい女性とか。私には関係の無い人たちなんだけど。
けれども、どこかで関わるかもしれないと思うと、少しだけ不思議な気持ちになる。あり得ないと思っていても、必ずとは言えないのがこの世界。絶対は無いから、もっと前向きに行こう。
そうすれば、少しでも世界は明るく見えるから。何だろう。こんなんだったっけ――私。
浮かない気持ちも、他のお店を回って行ったら吹き飛んでしまった。
買い物に夢中になっていたら気付けば、夕陽が大地を照らしていた。真っ赤な夕陽はどこまでも、追いかけてくる。別に追いかけているわけじゃないのに、そう思ってしまう時もあった。
私はいつもの帰り道を通っていった。人々が行き交う河川敷。散歩やら、ランニングコースとして人気らしい。いつもは舗装された道路を通っているけど、今日は何となく高架下まで降りてみた。気まぐれだった。何かあるかもしれないという期待半分、何も無いという期待を込めて――と思ったけれど、何かが聞こえる。動物の鳴き声だ。この鳴き声は聞いたことがある。飼ったことは無いけど、動画とかでよく聞く――
「猫……? どこから?」
私が声のする方へ向かうと、だんだんと鳴き声が大きくなっていく。支柱のところから聞こえてくる気がしたので近づいてみると、そこには人影が見えた。
「ん……あれって」
人影に見覚えがあった私は、そっと近づいて声をかけた。一瞬どうしようかと思ったけど、遠慮するような仲でもないし。
「何してるの? 柴陽」
「わっ。って、なんだ。紫苑か。何でここに?」
紫陽は驚きつつも、冷静だった。紫陽は私の一つ下の弟だ。私とは違って勉強も運動もなんでも卒なくこなす万能型。違う学校に通っているので、下校中に会うことはほとんどない。
「なんだ、って言われると。猫の鳴き声がしたから来たんだけど。あ、いるじゃん。可愛いー」
紫陽の上からのぞき込むと、段ボールの中に黒猫がいた。にゃあにゃあ、何かを訴えるように鳴いていた。
「……まさか。虐めてないでしょうね」
「してないって。餌をあげてただけだよ。ほら」
確かに紫陽の言う通り、猫缶が近くに置いてあった。中身は空っぽだった。まだ、足りないのだろうか。
「それにしても意外だなぁ。無視しそうなのに」
「人を何だと思ってるんだよ。でも、紫苑の言う通りだよ。正直、どうしようか迷った。結局、見捨てられなくて様子を見てた」
「うーん……」
確かに見ていると、このまま放置していいのか悩むところである。猫は相変わらず鳴いている。お腹が空いているのか、あるいは寂しいのか。猫に感情があるのか分からないけど、私はその猫を抱き上げてみた。
「すごいな。僕なんて抱こうとしたら、引っかかれたよ」
「恨みを買うような真似でもしたんじゃない?」
「えー何もしてないし。今さっき餌をあげたのに……」
動物にもやっぱり、好き嫌いはあるってことで。横で不服そうにしている紫陽を他所に私は黒猫をじーっと見ていた。猫は鳴かなくなった。何かあったのかと思ったけど、黒猫もまた私を見つめているようだった。
もしかすると、一緒に連れて行って欲しいのかな。
でも、簡単に決められることじゃない。両親にも説明しないといけないし。あれこれ悩んだ結果――私は決めた。これまでの人生で、一番悩んだと思う。進路希望より悩んだと言える。
「……飼えないか聞いてみよう」
「えっ。でも母さんが確か猫アレルギーじゃなかった?」
「うっ。だ、駄目元で聞いてみる!」
「ちょっと、紫苑ってば!」
私は紫陽の声を振り切って、黒猫を抱え無我夢中で走りだしていた。後先のことなど考えてなかった。断られた時のことは、何も考えていない。清々しいほどのノープラン。
紫陽みたいに頭は良くないし、何の取り柄も無いけど、諦めの悪さはある。それに、ここで諦めてしまったら、これまでと変わらないそんな気がするんだ。滅茶苦茶後悔する。過去にそんなことがあった覚えは無いけど、不思議と頭の中を過ぎる。天のお告げかな。とにかく、諦めたら何もかも終わりだと思うから――世界はきっと私が思うより、素晴らしいと思うから。
「んん~もうちょっとだけ……って。ぎゃッ!」
二度寝しようとしたら、妨げようと何者かのパンチが飛んでくる。その後、その生き物は布団の上でゴロゴロしていた。
「クロってば。もっと優しく起こしてくれてもいいのに……」
眠たい目をこすりながら私はむくりと、起き上がった。目線の先にはクロが丸まっていた。一仕事をして、休憩しているようだった。
「まぁ、いっか」
身支度を済ませて、朝食を食べて、玄関の扉を開けたらいつもの一日が始まる。朝日が包み込むように地上を照らしていた。
「母さんの代わりに、クロに起こされるとは。さすが紫苑」
「うるさいな。別にいいでしょ。遅刻さえしなければいいんだから」
今日は珍しく紫陽が付いてきた。姉弟仲が良いとか、揶揄われたりすることもあるが、特に気にしていない。悪いよりは良い方が良いと思うし。
「それにしても、猫を飼うことになるなんて、思わなかったよ。母さんもよく許したよねぇ」
「全力で土下座して、責任もって世話する、って説得したら許してくれたよ」
「紫苑がそこまでするのって、意外だな。猫にそこまで興味無さそうだったのに」
「そうしなきゃ、って思ったの。何だろう。自分でも言っててよく分からないけど、もう一人の自分みたいなのが背中を押してくれた気がしたの」
紫陽はずっと不思議そうな目をしていた。私自身も正直驚いている。私の中にこんな気持ちがあるなんて、思ってもいなかったから。
だけど、悪い気はしない。むしろ、あって良かったと思うくらい。何だか久しぶりに、晴れやかな気分だった。
「ふーん。ま、でもお世話頑張ってね。どうも僕とは、反りが合わないみたいだからさ」
「言われなくとも! あ、変な鳥が飛んでる」
私が指差した先には、スズメくらいの形をした青っぽい鳥が通り過ぎていった。どこかを目指すように鳥は、真っ直ぐ飛んでいく。
「変な鳥じゃないよ。カワセミだろ。珍しいな。こんなところで見かけるなんて……水辺の近くにいるような鳥だからさ」
「そうなんだ」
その時は、深く考えなかった。とにかく、見られたらラッキーな鳥ぐらいに思った。青っぽくてさわやかな感じがした。過ぎてゆく穏やかな日々に、相応しい鳥に思えた。荒波の日々を沈めてくれるような、羽ばたきが目に焼き付いた。
――貴方の世界は、幸福に満ちていますか?
ここは夢の中なのだろうか。誰かの声が聞こえた気がした。透き通るようで、どこか懐かしさを覚える鈴の音。空の色のような、瑞々しい世界が見えるようだった。
あのカワセミを見てからどこかで、何かが終わったような気がしたのだ。正確に言うと、終わりというよりも、長い旅の果てに眠りについたような、安らかさを感じていた。安らかに眠れたのなら、幸せだろうなと思う。
でも、私自身はまだ終わっていない。夢からはいつか覚めなければいけないのだ。人は夢の中だけでは生きていけない。夢や希望は必要なものだけど、それだけでは駄目なんだ。私は知っている。虚構と真実は対立するものだと。世界は崩れるように、真っ暗になっていく。
「むっ……」
そこで、私の夢は途切れた。クロが私の顔に覆いかぶさっていた。気付いたらもう、新しい朝がやって来ていた。どうやらクロは私を起こしに来てくれたようだ。時間は待ってくれないので、いそいそと身を起こす。長い夢から覚めた私は、朝日が差し込むベッドの上で、クロを抱きながら呟いた。
「大丈夫。私は幸せだよ……」
クロが腕の中で静かに鳴いた。私の声に反応しているのだろうか。もしもクロが聞いているのなら、私は心の底から叫びたい。たとえ、届かなかったとしても、私の思いは変わらない。
ありがとう、クロ――貴方に出会えて、本当に良かった。
おしまい