Todestrieb

 人って面白いよね。感情に振り回されて、あるものないものを見たりするんだ。真実が虚構になったり、虚構が真実になったり、不思議だよね。本当に、同じ世界を見ているのか不安になるよ。僕がどうしてそう思うのかって、それはきっと僕の姉――月宮紫苑がそういう人間だったから。

 紫苑は感情の処理が上手く出来ない人間だと思っていた。僕も人のことを言えた義理はないけど。似た者同士と言われたら、少し嬉しいね。紫苑は嫌がるかもしれないけれど、嬉しいものは嬉しい。現実の僕と紫苑の関係は歪だったから。その理由は紫苑へ抱いていた感情が一番の原因だと思う。僕が思うに、感情の中でも恋心や愛というのは厄介なもので、少しでも取り扱いを間違えれば大惨事になる。僕は十分理解していたはずなんだけど。その一方で、思いっきりぐちゃぐちゃの感情を相手にぶちまけたら、どうなるんだろうという気持ちも強かった。

 だって、どんな反応するか見たいじゃん。そんな世界あったら、見てみたいと思う。思いっきりやらかしてる僕――想像するだけで身震いするな。

 でも、そこにいるのは僕であって僕じゃないから、実質寝取られているようなものだ。何だか考えて悲しくなってきたよ。
 けれど、その理屈で言ったら、そこにいる紫苑も違うから精神的ダメージは減る。ただし、何の解決にもなっていない、というのが大きな問題だ。

『お前、わりと下らないこと考えてるんだなぁ。そういうものなのか人間ってのは』

 思案にふけっていると、脳内に声が響いてくる。自分と似ているようで、どこか違う声音だった。

『君のせいで、やることもないし、暇を持て余している。そのうえ、行き場を無くしているんだ。責任取って導いてくれよ』
『僕が導くのは紫苑だよ。お前じゃない』

 僕に話しかけているのは、黒猫の意識だと思われる。猫が考えている意識というよりも、若干僕の投影に近いのは、僕の魂が混ざっているからだろうか。例えるなら、僕の思考を学習した人工知能の受け答えというべきだろうか。
 でも、こいつは人工知能じゃない。そんなことを言おうものなら、人間のように怒るだろう。

『分かってるって。紫苑の行く先を見守るだけさ。それにしても、変な感覚だなぁ。二つの魂とかスピリチュアルもいいところだ』
『そもそも、ミュオソティスがそういう風にしたんだ。この場合はミオネか』

 ミュオソティス――全ての元凶にして、全ての心を掌握する神にも等しい存在……らしいけど、僕にはそう思えなかった。何で神みたいな奴が直接干渉してくるんだよ。遊び感覚で引っ掻き回されるなんていい迷惑だ。

『一体、何を考えているのやら……』
『そんなの分かったら、苦労しないって』
『でもさぁ、一応僕ら空魔になったから、心読めるんだろ?』

 今の僕はどうやら空魔という存在になっている。外から流れてくる情報で、ここまでの状況はある程度把握していた。空魔というのは空っぽの存在らしいけど、僕らがいる限り完全に空虚というわけではなさそうだ。満たされない意味での、空っぽなのかもしれないね。そんな空魔だけど、人の心を読むことが出来るらしい。これはミュオソティスの力の影響っぽいね。ちなみに実際、どのような風に読めるのかは今のところ不明だ。空魔になりたてだからね。

『そうらしいけど、どうなんだろうな』
『僕なら真っ先に紫苑の心を見に行くね。楽しそうじゃない?』

 こう言ったけど、紫苑は心を読まなくてもある程度、何を考えているか分かるんだよな。態度とか顔に出やすいというか、結構直情的だ。そこがいいんだけど、こう言ったら紫苑は滅茶苦茶不機嫌になると思う。僕からの言葉を、全部嫌味としか受け取ってくれないのが、もどかしい。心からの言葉ってどうやったら、相手に示せるんだろうか。同化して、色々考えているのはわかっているはずなのに、黒猫は僕のことなどお構いなしに、言いたい放題だった。

『最低だな。この世界のお前じゃなかったのが、せめてもの救いか』
『あれ、この世界の僕何したの?』
『お前が選ばなかった選択肢を選んだだけだよ』
『ふーん。紫苑を殺したんだ』
『……それだけで分かるんだ。普通に気持ち悪いな』

 猫は感心半分呆れ半分と言った、微妙な反応を示した。紫苑が好きならそういう反応だろうね。

『だって、どこの世界だろうが僕なんだろ? 僕のことは僕が一番理解しているから』

 僕は頭で考えて、切り捨てていった選択肢を、全部覚えている。数えきれないほどあるけれど、どうしてこの選択肢を選んだかって言われると、きっと首を傾げる人が多いかもしれない。僕は正直、物事を成しえることよりも、それを選んだことによって、どういう未来になるかという未知への欲求の方が強かった。

『どうして、紫苑を殺したんだ』
『僕はこう見えて嫉妬深いし、怒りやすいからね。ついカッとなって殺っちゃった……とかじゃない?』

 自分のこととはいえ、僕は実際にやっていないので、断言はしないが間違ってはいないだろう。僕自身も紫苑に苛々していたところはあるし。好きな相手に理解されないのって、なかなかストレスが溜まる。ある日それが、爆発した日にはもう目も当てられないだろうね。それをやったのが別世界の僕というわけで。やれば出来る僕、最高じゃん。

『最低な奴だよ』
『自分でも分かってるから、言わなくていいよ。でもさぁ、本音を言うと君のことは羨ましいと思ってたんだよ。無条件に愛されるのって難しいんだよ? 分かる?』

 紫苑が大事にしていた黒猫。恐らく、紫苑にとっては家族よりも大切な存在だったと思われる。
 だからこそ、僕は黒猫が羨ましくて、同時に妬ましかった。黒猫になりたいと思うくらいにはね。ずっと、遠目から見ていたけど、猫と喋っている紫苑はとっても可愛かったな。それと同時に、拠り所なれない僕の苦しさも増していった。あの時は、折り合いを付けないといけない感情が多すぎた。

『お前、紫苑に愛されたかったの?』
『そうだよ。喜怒哀楽どれにもかかる感情の源泉こそ愛……その愛を一身に受けられた君が羨ましいよ』
『よく分からない。けど……紫苑は好きだ』
『それでいいんだよ。別に難しいものじゃない』
『ますます分からない。それにしても、紫苑の好意を得たいなら、紫苑が望むようにすればよかったのに』

 紫苑が望むこと――紫苑に一生関わらないという事なんだろうな。
 けれど、それは僕が望んでいることじゃない。紫苑の願いと僕の願いは、交わることは無い。

『……出来たら苦労しないっての。これだから君って奴は。そもそも、紫苑が君の下に行ったのは、逃げ場が欲しかっただけなんだよ』
『逃げ場?』
『紫苑は弱いから』

 はっきり言い切れるくらいに彼女は脆かった。僕がどうにか距離を縮めようとしても、信じられなくて拒絶する。そんな紫苑を取り巻いていたのは、強烈な劣等感。そこからずっと抜け出せずに、周りを憎んでいたように思える。努力すればいいとか思うかもしれないけれど、努力が実るようなタイプじゃなかったからね。悲しいくらいに不器用だ。そして、比較され自分は必要とされず、誰にも愛されていないと思い込むようになっていく――俗に負の連鎖と呼ばれるものだろう。

『僕なりにどうにかしようと思って、玉砕覚悟で紫苑へ好きって言ったけど、思いっきりキレられて、思いっきり避けられたね』
『アプローチ下手すぎるだろ。あれはないよ。馬鹿じゃないの』

 意識を共有しているからか、クロの方にも記憶が共有されているようだった。あまり覗かれるのは好きじゃないんだけどな。それに、ここまではっきりと言われると、へこむ。それも猫に。

『大体さ……あの状況で好きとか伝えて、何が変わるんだよ。お前の好感度は元々マイナスなのに』
『君は遠慮ってものを知らないのか』
『事実じゃん』

 あの時、僕が何をしたかったのか。簡単に言えば、ありのままの自分を認めてくれる人間もいるって、手っ取り早く教えてあげようと思ったんだ。思いっきり、裏目に出たけど。そもそも、上から目線過ぎたよね。反省します。

『紫苑も馬鹿だけど、お前も大概だよね。本当に成績優秀だったのか疑わしい』
『猫のくせに生意気だな。紫苑もこんな猫だと分かっていれば、好きにならなかっただろうに』
『口は禍の元。余計なことは言わない方が良いのさ』
『……それはそうと、君は本当に猫?』
『…………』

 猫は僕の問いかけに対して、しばらく沈黙を保っていた。
 それから、しばらくして嘲笑うかのように答える。

『……さてね。そろそろ、現実へ戻る時間だよ』

 上手い具合にはぐらかされる。冗談のつもりだったけど、真剣に考えたのかな。これでも僕は動物に感情があるか、という話に関しては肯定的だ。
 だって、こいつに嫌われているし。餌をやっても食べるだけ食べて、何の反応も示さない。別に好かれたいわけじゃないけど、あからさまだよなぁ、とか多少は思うよ。紫苑のときはめっちゃ鳴いてるし、しっぽ立ってるし。何で知ってるかって? 見えるものは見えるんだよ。

『もうそんな時間か。じゃあ、次はより良い夢の中で……』

 なんて――そんなもの、どこにもあるわけはなかった。僕の夢は遠い昔に、潰えてしまっているのだから。
 だから、君に託す――いや、君は君の本懐を遂げるといい。僕という存在に縛られることなく、君の思うままに生きてくれ。僕は遠くから見ているからさ――クロ。